第3話
目が覚めた。意識を失ったり取り戻したりまた失ったり、せわしない一日だ。
最初に視界に入ったのは化粧板張りの天井と、点灯したサークルライン。自宅の和室に倒れているとわかった。背中の感触からすると、布団ではなく畳の上に直接横になっているらしい。何年も掃除していない窓越しに夕焼け空が見える。
あれは安ウィスキーが見せた夢だったのだろうか。確かに酒の値段にふさわしい内容だった。しかし二日酔いの気持ち悪さもなければ、酔い潰れて歯をみがかず寝たとき特有の口臭もない。
上半身を起こして周囲を見回した。どこかに違和感を覚える。だがそれが具体的に何によるものかは指摘できない。別の意味で気持ち悪い。
おそらく人間は、小さな違和感になら容易に感づくが、あまりにも大きな違和感には意外と鈍感なものなのだろう。このときすでに、俺の目は見てしかるべきものを見ていたはずだ。脳もまた認知してしかるべきものを認知していたはずだ。ただ意識だけがそれを拒んでいたのだと思う。
だがそれは、風船に際限なく注入された気体のように次第に圧力を増してゆき、ついに破裂に至った。
本がない。
本がない!(大事なことなので2回言いました)
あれほど家中に溢れかえっていた本が、1冊も、そう、ただの1冊もないのだ。半狂乱になって靴箱を覗き、流し台の下を引っかき回し、果ては畳までめくってみたがまったく見当たらない。買った憶えのないビートルズのCDが出てきただけだ。
深呼吸を3回して、それでもまだ足りず2回追加。落ち着け、俺。まずは状況を確認しよう。
真っ先に思い浮かべたのは、小梅西京の「紙か神か」という短編だった。ある理由により一夜にして世界中から紙が消えてしまうという話だ。あれと同じことが起こったのか。
だが玄関には、
それならばSFマニアの泥棒がぜんぶ盗んでいったとか。しかしどうやって?
いまの時刻は、あの夢――夢としたらだが――でサイレンに起こされたのとほぼ変わらないようだ。だとすると酔い潰れていたのはせいぜい2、3時間。それしきの時間で家中の蔵書をまるまる盗み出せるはずがない。しかも、本棚までセットで消えているのだ。ミステリ作家ならアッと驚くトリックを考えつくのかもしれないが、あいにく俺はミステリは読まない(大前提)。俺にとって読まないジャンルの世界は存在しないに等しい(小前提)。よってこのようなことはあり得ない(結論)。完璧な三段論法だ。
パソコンとテレビをつけたところ、大事件が起こった様子はない。例のロケットは、機器に異常が発見されたため打ち上げは無期限延期になっていた。キツキツのスケジュールで打ち上げ準備を進めていたので現場は大混乱だそうだが、そんなの知ったこっちゃない。
水島さんに連絡を取ろうとしたが、LINEには彼女の名前が登録されていなかった。そしてスマホを見た俺はもうひとつ由々しき事態に気づいてしまった。電子書籍アプリにダウンロードしていた本が、これまたごっそり消えていたのだ。
状況の解明は解明として、それとは別に困ったことになった。このままでは今夜読む本がないのだ。クラウドから再ダウンロードしようにも、データ自体がなくなっている。
しかたない、リアル書店に行くか。最寄り駅から電車で30分くらいだ。家を出て駅へ向かう途中、気をつけて町中の様子を観察したが特に変わった感じはない。ただ、通りかかったカスミの店頭からマスコットのロボットが姿を消していた。
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