2022年5月三題噺『6年越しのPLL』
「うぇ……めんどくせぇ……」
楓から送られてきたYouTube動画と、ポストに投げ込まれた、手のひらに収まる5.5センチ四方のカラフルな六面体を前に俺は一手順ごとに深呼吸のようなため息を連続して吐いていた。
高校に入学してGWも過ぎ、新しい環境に慣れてきたとおもったらこれだ。
楓の無茶振りは今に始まったことではない。
2020年のコロナで外出が難しくなってからは、家の中で遊ぶことにハマっているのか次から次へといろんな物を持っては俺の家にやってくるのだ。
天才棋士がまた記録を更新したと聞けば将棋盤を持ってやってきて、
占いにハマるとタロットカードやトランプを大量に抱えて押しかけてくる。
ここ二年ぐらいはそういう遊び方が顕著だ。
元々は子供の頃から一緒に近所の公園や、互いの両親とショッピングモールなんかに遊びに行くのが多かったが今のご時世仕方がないと言えばそうだが。
そもそもいつから、こんな付き合いになったんだろうとたまに思い返してみると、俺が小学校の一年生か二年生の頃、隣に引っ越してきた一色さんの奥さんと、俺の母親が同級生という奇跡。そして互いの子供も同い年――という流れから一緒に遊ぶようになったことは覚えている。学校も一緒になり小学生の頃は休み時間のたびに遊んだ記憶がうっすら残っている。
そのまま中学、そして高校一年になった今でも学校はずっと一緒だ。
何故か中学時代は学校内で少し避けられていた気もするけど、放課後だったりLINEの通知は止まらない。
それぐらい、あいつは外で遊べなくなってから遊びに飢えているみたいだ。
「しかしルービックキューブはねーだろ。暗記でやるって聞いたことはあるけど、ゴリゴリに暗記じゃん」
今日は土曜日。もうすぐお昼だ。
ちょうど先週末、
”最近ルービックキューブにハマってるから悠真も一緒にやろう”
とLINEがきたので、
”俺もやる必要がある?”
”ってかなんで突然ルービックキューブ?”
”時間かかるんじゃない?”
と連続で質問しても返信は無し。
そして既読がついた5分後に初心者向けのレクチャー動画が送られてきて、ポストにルービックキューブが投げ込まれたのだ。
それからちょうど一週間が経っていた。
正直一週間もあればルービックキューブの六面を揃えれるだろうと、昨日まで放置していた結果、
「まったく出来ねぇ……」
という状況になったのだ。
タイミング的にそろそろ――
「悠真やってるー? ソルブ何分?」
来た。
「うっさいな。ソルブってなんだよ」
「キューブを揃えることよ。ちなみに私は3分前後。調子いいと2分切れそうになるんだけどなかなか出来なくて。ま、始めて1、2週間なら上出来かな。まだ一つの解法しか知らないけど――あ、悠真に送った簡易CFOPってやつね。今は正規のCFOPのF2Lって手順をやってるだけどこれがまた面倒で――」
おじゃましますの掛け声から階段をドタドタ上がってきて俺の部屋の扉を開けてのマシンガントーク。
そのさなかもクローゼットを勝手に開けて、勝手に持ち込んだ赤いクッションを取り出して床に置いてあぐらをかく。おい、女子高生。おい、スカート。
「20秒」
「20秒!?」
「お前が俺の部屋に入ってくるまで」
「ルービックキューブだったら大会レベルね。私もそのうち目指したいけれど、まずはあんたの部屋への到達を15秒に縮めるわ」
「途中で転んで頭打って救急車に一票」
「スクランブルしてやり直しね。ってかひどっ!」
「専門用語使うなよ。昨日動画を見たばかりなんだから」
「一週間あったでしょ」
俺は楓がカバンから出したペットボトルの緑茶を取ると口をつける。
「たまには違うの飲みたいな」
「んじゃ私のオレンジジュースにする?」
俺は台所に行ってお盆にコップを載せて戻ってくると楓がオレンジジュースを分けてくれた。
「さんきゅ。ってかなんでルービックキューブ?」
「なんではこっちのセリフよ。一週間あったでしょ。何やってたの」
「あー、まーそれは」
めんどくさかったのと、手順ってやつをなぞれば1日で覚えられると思っていた。
そんな甘さは表情、視線、声音から簡単に看破される。
「まぁいいわ。じゃあ一緒に動画見ましょ」
それから俺のスマホで動画を見ること20分。
楓の説明も一緒に交えて流れだけはなんとか掴んだ。
「つまり最初はクロスっていう十字マークを下面に作れば良いんだな」
キューブは六面ある。
下面、上面、あとは側面の四面だ。
楓と俺のおそろいキューブは競技用だが2,000円前後で買えるモデルだ。
白・黄色・緑・オレンジ・青・赤色の六面から成立し、各面が3×3のブロック面で構成されている。ごちゃごちゃに混ぜると、一面が実に汚いカラフルに混ざるが、揃った瞬間を動画で見ると「おお!」と感動し、自分も一度は揃えたいという欲望に駆られるのは確かだ。
「そうね。基本的に競技用でやる時は下の面が白で上の面が黄色ね。この動画もそうだから持つ時は気をつけて」
「おっけ。えーっと……白面で十字を作るっと……」
俺は動画のその部分を見返して15分程でクロスを習得する。
各面の真ん中の色は固定なので、その固定されたブロックの上下左右に白色を持ってくる。
そうすると白い十字の完成だ。
「てっきり一面ずつ完成させるかと思ってた。最初は赤面、次は青面みたいに」
「私もそう思ってたんだけど、ぜんぜん違うのよね。最初は下面の白色で十字を作って、そこから下面白を完成させつつ側面下段を作るの」
「下から上に攻めるって感じか」
「そうそう」
楓は実際にルービックキューブを手にとって回し始める。
解説動画の冒頭にあった実演とは程遠い拙い動きだけど、スムーズに動かせている部分もあって、下一面の白と側面4面の下段が一分ちょっとで完成する」
「おー。なんか魔法みたい」
「でしょ。特に角のキューブがハマった時は気持ちいいのよね」
楓は得意げにその手順だけを何回も繰り返す。
そこだけやたら滑らかに動かすので、
「その動きはきれいだな」
「え!? ほんと! 嬉しいな。これはめっちゃ練習したんだよね」
と声がワントーン上がって喜びの色が混じった。
「明らかに動きが他と違う」
「ちなみにこの動きは逆セクシーって名前が付いてるのよね。名前面白くて何回もやってるうちに動きに慣れてきちゃった」
「逆セクシーってすごい名前だな。じゃあセクシーもあるのか?」
「あるみたい。セクシーって手順の逆だから逆セクシーなんだって。逆セクシーが初心者の基本動作みたいね。あんたもとりあえずこれ練習しないさいよ。クロスと逆セクシーだけ覚えたら一段目まで完成するから」
高校生男女がセクシーセクシーと部屋の中で連呼しているのは異様だなと思ったが、逆セクシーの練習に没頭しているうちにどうでも良くなった。
20分も回していると手元をみなくても出来るようになった。
その間も無言でカチャカチャとプラスチックの擦れる音だけが響いていた。
「ふーっ」
と一呼吸して楓の手の中を見る。
「あれ、三段目出来てないじゃん」
楓のルービックキューブは上面白と下面黄色が完成。他四面も下から一段目・二段目と完成しているが三段目だけはまだ揃っていなかった。
「ここは最後に完成させるの」
「下から攻めるんじゃなかったのか?」
「うん。だけどこういうものらしいの。下面、一段目、二段目、上面……そして最後に、」
楓が真剣な表情で、少し長い手順をゆっくり回す。
「おおおっ!!!」
まるで魔法みたいだ。
きれいに揃っている他の面をごちゃごちゃと崩しながら、しかしその数秒後には見事に六面が揃ったのだ。
「どう?」
ニヤリと口角が上がり、得意げにルービックキューブを突き出して自慢してくる。
まるで子供が小道できれいな小石を拾ってそれを母親に自慢するみたいに。
その表情も目元も無邪気に笑っていて、小学校の時の楓が一瞬脳裏をよぎる。
変わったけど、変わってない。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「すげーな。そこまで出来るようになるの、どのぐらいかかるんだ?」
「私は10日かかったけど、あんたならもうちょっと早く出来るんじゃない?」
「なんで? 俺別にルービックキューブ経験者じゃないぞ」
「でもジグソーパズル得意だったじゃない」
「そうだっけか?」
そう言うと、さっきまでおもちゃを自慢していた子供の表情が、一瞬で崩れて落胆の色が混ざり始める。
「覚えてないの?」
「あー、なんだっけ」
楓の顔面がちゃくちゃくと落胆の色で揃っていく。これは早いところ――
「ごめん! ほんと覚えて無くて」
「…………ったくしょうが無いわね。小学校3年生の時よ。GWの初日の午前11時!」
「こまけぇな。で、ジグソーパズルでなんかあったっけか」
「大ありよ。そのGW前に私とおばさんにジグソーパズル買ってもらったじゃない。二人でGWかけて完成させようって」
……
あー、あったかも。
そんなこと。
確か額に入れて飾った記憶がある。
「ちょっと思い出したかも」
「ほんと?」
「どこに仕舞ったかは覚えてないけど」
「バカ、そこじゃないわよ」
「じゃあなんだよ……」
楓はさらに怒気を強めて、残ったオレンジジュースを飲み干した。
「私はGWかけて一緒にパズルで遊びたかったのに、あんたが夜通しやって次の朝までに完成させちゃったじゃない。……結局その後あんたは他のやつとずーっと遊んでて。私、GW終わるまで、ひま、だったんだから」
怒りのトーンが徐々に消え入りそうな悲しみを混ぜてそんな昔話を告白してくる。
当時の俺はそんなことも考えないで夢中で遊んでしまったんだろう。
たしかに一緒の遊ぼうと思っていた楓からしたらショックは大きかったのかもしれない。
「そっか……ごめん」
「おそすぎよ。遅すぎ! だからあんたはルービックキューブをやるのよ」
「意味わかんないんだけど」
「今度は一緒に揃えるの」
その評定は真剣そのものだ。
さっきの――最後の一段を揃える時のように手探りで、慎重で、そして少しだけ不安も含まれている。
だから俺は断れない。
「わかったよ。付き合うよ。六面揃えるまでさ」
「ほんとに?」
少し、ポジティブな色が戻ってくる。
「ああ。でももし俺がすぐに揃えれるようになったらどうするんだ?」
「その点は心配ないわ。今あんたがやってるのは”簡易”CFOPよ。それが終わったら正式なCFOPの手順をやってもらうから」
「なんで。別に簡易でも揃えばいいじゃん」
「だめよ。一緒にって言ったでしょ。私が今やってるのは正式なCFOPよ。下面を揃えるCROSS(クロス)、側面2段目までを揃えるF2L、最上面を揃えるOLL、そして最後に三段目を揃えるPLL。やり方も”一緒に”がいいのよ。それに覚えると簡易より数段早くなるから」
「それ、どのぐらいかかるんだよ」
「私もまだ途中だからわからないわ。でも覚悟しておきなさい。正規手順はF2Lは41パターン、OPPは7パターン、PLLは21パターンあるんだから!」
なんだそれ!
さっき初心者用の動画を見ただけでため息連発だったのに!
「簡易手順で六面揃えるのはあんたも直ぐにできる。でもそれじゃあダメ。目標は高くよ!」
「……まさかそれまで毎日俺の家に来るんじゃ……」
「安心して。定期テスト期間は外してあげるわ。でも夏休みは毎日よ!」
「なんで三ヶ月コース?」
「それは、そんなパターン数そうそう覚えれるわけないじゃない。あんたも、私も」
「早く覚えないと……」
「仮にあんたが先に正規手順を覚えても、私も出来るまで来るから」
「いやそれは自宅でやれよ!」
「まあ、まずは簡易手順からね。さっさと覚えなさいよ」
コントの様ないつもの遠慮ない応酬から一転して、急に楓の声が上ずった。
「そ、そうだ」
「なんだよ」
「練習してて、もし最後の手順――PLLやる時になったらさ、私を呼んでよ。揃える前に」
「それって簡易で? それでも正規?」
「簡易で。それなら来週末までならいけるでしょ?」
「どうしてまた」
「……早く一緒に揃えたいのよ」
「わかったよ」
「本当ね? 本当に来週まで覚えてよね!」
いつの間にか正座をして真剣な表情で、しかし瞳や目元、口元には喜びが見え隠れしている。
「頼むわよ」
そう言うと楓はさっき揃えたルービックキューブをバラバラに崩して再び組み直していく。
そうして最後の一手、PLLの一つ前で手を止める。
「置いて行くから」
そうしてペットボトルをカバンに仕舞い、クッションも元に戻す。
俺の部屋のドアをしめる直前に「じゃあまた」と言った楓の笑顔は、どこかすごく懐かしかったのだ。
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