三題噺

あお

2022年4月三題噺『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』【お題:桜、停電、カフェ】

 至る所で桜が咲き乱れ、花見シーズンの真っ最中、俺、七瀬 悠真(ななせ ゆうま)は一人知らない場所をさまよっていた。

「駅から結構歩いているぞ」

 俺はスマホのマップとにらめっこしながら、慣れない場所へとやってきている。

 駅を降りてから十五分は歩いている。マップ上ではあと500メートルほどだが、十字路や看板など普段は見ない景色ばかりで時間だけが過ぎていく。

 目的地は病院だ。

 といっても通院ではなくお見舞いだ。

 俺の学園は桜花高等学園(おうかこうとうがくえん)といって、コンピューター部に所属しているのだが、同じ部員の都月咲(つづきさき)さんが入院しているのだ。

 彼女はもともと体は丈夫ではなく、薄幸の美少女というワードが似合う女の子であり……密かに俺が気になっている女子でもある。

 この春で俺も都月咲さんも無事に二年生へと進級が決まったのだが、彼女は病弱体質ゆえ新学期をまだ迎えれていないのだ。

「ん? なんだ」

 目的地を探してウロウロしていると、スマホ画面の上部にいつも遊んでいる暗号解読アプリアプリの通知が届いた。

 俺はプログラムや暗号を作ったり解いたりするのが趣味だ。ちょっとした自慢だけれど中学三年生の時に、プログラミング大会の中学生部門で全国二位になったことがある。

 学園のコンピューター部も全国的に強豪校で、入学した目的もその部活に入るためだ。

 正直自信があったが、すぐに井の中の蛙だということを知る。

 全国のトップレベルが揃う学園だ。俺レベルなんてゴロゴロいるし、格段に次元の違うやつもいた。

 それでも去年一年でかなり実力もついた気がするし、このアプリゲームでも全国ランキングは上位にいる。

 俺は日々、心を折られては乗り越える鍛錬を欠かせていないつもりだった。

「またゲーム内イベントでも始まるのかな?」

 俺は通知をタップする。

 すぐに見慣れた画面が起動し、暗号解読のゲームがスタートする。

 特に難しい問題ではなく、後分ほどで解いてしまった。

「なんだ。手応え無いな」

 そうしてアプリを閉じて、病院へ向かおうとした時だった。

「あれ? なんだこれ?」

 アプリ内メッセージに通知が届いていた。

 それを開いた俺は……


 出ろ! 出ろ! でろっ! たのむ……! でてくれ!!


『め、めずらしいわね。七瀬からかけてくるなんて』

「一色(いっしき)!! よかったぁ……繋がって」

『やー……その、実は私もあんたにちょうど電話しようかなーって思ってたんだよね。……ほ、ほら、今晩夜桜のライトアップあるじゃん。桜旭山公園の。……も、もしあんたが暇してて行く相手がいなかったらしょうがないからあたしが付き合っ――』

「変なメッセージが来たんだ!」

『……えっ?』

「さっきいつものアプリで遊んでたんだ! そしたらメッセージが来て!」

『メッセージ? 運営からの?』

「わからないんだ。ただ『電力会社の送電システムをジャックしました。解除するには暗号を解いて答えをアプリに入力してください』って……」

 俺は改めて経緯を説明した。

 こういう詐欺メールみたいな話はよく聞く話だ。

 だけどまさか自分がそんなものに引っかかってしまうとは。しかも内容が電力会社のシステムジャックだ。

 まさかとは思うが……大丈夫だよな?

『……七瀬、今テレビつけた。緊急ニュースになってる。桜旭山電力のシステムにトラブルが発生したって。原因は不明みたい。ただこのままだと私たちの住んでいる蝦夷山町(えぞやまちょう)の大半が夕方から夜にかけて停電。……今夜の夜桜ライトアップのイベントも多分中止になるんじゃないかって』

「…………まじかよ」

 スマホの通話越しにテレビのアナウンサーの声が聞こえてくる。

 詐欺メッセージなんかじゃなかったんだ。

「俺の、なのか?」

『そんなのわかんないわよ。けど、それがきっかけで電力会社にトラブルを与えるシステムが動作したのかも。あんたは犯人にトラブルシステムの鍵にされたってことね』

「あぁ……なんで俺なんだよぉ……」

『ってか他に情報ないの? メッセージのスクショでも送ってくれれば見るけど』

「わかった……ちょっとまってくれ」

 起こった不幸を嘆いていてもしょうがない。

 それに一色も俺と同じ暗号解読アプリで遊んでいるプレイヤーだ。

 ランキングは常に俺よりも上で、本当に全国トップレベルだ。

 さらにコンピューター部での実力も強豪校にありながら上から三本の指に入るから腕前なら俺より全然上だ。

 なにせ一色 楓(いっしき かえで)と言えば、この界隈では有名女子高生だ。無駄のない論理的思考を顕現させることから”Queen of Logic”と呼ばれている。

 そんな彼女なら少ないヒントから何か見つけてくれるかもしれない。

 俺は通話も継続出来るようスピーカーすると再びアプリを見た。

「何だよ……これ……」

『今度はなに』

 電話越しの彼女も少し苛立っている。だけど俺は画面を見てゾッとした。

「アプリ画面の真ん中になんかタイマーが……」


 2:59:55


『タイマー?』

「一秒ずつ減っていってる!」

『残り何分?』

「ほぼ2時間59分……あ、また画面が! 問題っていうボタンが表示された!」

『きっと解かないと止まらない』

「押してもいいよな?」

『押すしかないでしょ』

「わかった」

 俺は恐る恐るボタンをタップする。

 画面の中には大量の暗号問題がびっしりと表示され次々と画面がスクロールされていく。

『問題は!?』

「出たけど……これは解けない……分量が多すぎる。暗算やスマホじゃ無理だ……」

『七瀬いまどこ?』

「桜旭山市立病院から500メートルぐらいの場所なんだけど――」

『駅の方に戻って! ネカフェがあるわ。あんたの位置はこっちから把握してナビするから走って!』

「わかった!」

 俺は来た道を戻り全力ダッシュする。

 ナビが的確で、あっという間に駅前のネカフェに到着。

 運良く防音の個室が空いていたので、さっそくPCを起動してヘッドセットで一色につなぐ。彼女はもうログインしていてワンコールで繋がった。

「待たせた!」

『こっちはいつでも準備おっけーよ!』

 俺はスマホの画面と作業環境画面の2つを一色へと共有。

 あっちもメインモニタを俺へと共有する。。

 この時点で残りは2時間45分に減っていた。

「時間が……それにこの暗号問題を解くのにネカフェのマシンじゃスペックが……」

 もしこのスペックで順当に解いていったら解くだけで時間いっぱいかかる可能性すらある。

『ふっふっふ♪ 舐めてもらっちゃ困るわね』

「一色?」

『あんたが駅にダッシュしている間、私がただナビをしていただけだと思う? うちにあるハイエンド自作PC3台を繋いだわよ! モニターも圧巻の6枚! マシンからの発熱対策で冷房も15度に設定して窓も開けたわ!』

 いや、冷房つけて窓開けたら意味ないだろ。気持ちはわかるけど。

 こういうところは少し抜けてるんだよな。

「5分ちょっとでよくそこまで……」

『そこはほら。クイーンだから?』

「あ、はい」

 あいつのPCがあれば百人力だ。おそらく一台だけでも、ネカフェPC全てを凌駕するだろう。

 むしろ今の俺が不要なレベルだ。

『それにしてもとんでもない量の暗号ね』

「そうなんだよ」

 とんでもない長文でさっきようやく全文が表示された。スマホでスクロールするのも一苦労だ。

「どうやって解読する?」

 かなりの長文だ。二人で適当に解き始めても要領が悪ければ間に合わないだろう。

『私に考えがある』

「聞かせてくれ」

 俺は作戦を一色に任せることにした。

『この長文暗号だけど、細かい暗号文のかたまりよね。英語の長文問題でも、たくさんの文章が組み合わせって出来ているのと同じね』

「そうだな」

『だから地道だけれど一文ずつ解読していくのがミスが少なくなっていいと思う。急がば回れね』

「うん」

『ただこの暗号”2段階”の解読が必要になっているわ』

「――確かに。よく気づいたな」

 よく見るとそういう暗号文になっている。

 例えば『123456789』という一文を解読してその結果が『ABC』になったとする。

 これが1段階目だ。

 その後『ABC』をさらに解読してその結果が『本日は晴天なり』という結論が導かれる。

 これが2段階目。

 一色は作戦の説明を続ける。

『互いのマシンスペックを考慮して私が1段目を解読。終わり次第転送用のデータに変換してそっちに送る。一文ごとの解読データなら転送速度も問題ないと思うわ。受信したら七瀬が2段目を解読して。それ程PCスペックは必要がないと思うから2段目はそっちでも十分戦えると思う』

 この状況下でも完璧な作戦を瞬時に組み立ててくれた。これならいけるかもしれない。

 さすがは論理の女王。

 この方法なら俺の環境でも十分に戦えそうだ。

「わかった」

『一見遠回りに見えるかもしれないけれど、一個ずつやった方が確実だわ。……それに2段目の解読は発想力の方が重要な気がするし。……って、本当ならマシンパワーでゴリ押しして私一人で十分なんだけど』

「確かにな」

 それはその通りだ。むしろ低スペックPCで俺が挑む理由はどこにも見当たらないし、下手したら紙とペンの方が早いまである。

『ただ今回は状況が違うわ。時間制限もあるしね。――全部の解読が終わって2段目の答えを全部つなぎ合わせたらきっと謎が解けるわ。七瀬、それはあんたの仕事よ……悔しいけどそういうのだけはあんたの方が得意でしょ。たまにとんでもない発想することあるし』

「……あ、うん」

『どうしたの?』

「いや、一色が素直に俺のことを褒めてくれるなんて珍しいなって。びっくりしたけど嬉しいな。ありがとう」

『かっ! 勘違いしないでよ! べ、別に褒めてないわよ! 私は単に機械とあんたの得意分野を事実として伝えただけっ……なんだから……』

 さっきまで流暢に話していた一色のトーンが少しだけ下がった気がした。

「どうした?」

『……別になんでもないわよ。それより時間がないわ。始めるわよ』

「ああ」

 1ミスしたらタイムオーバーの可能性がある。

 終わるまで一瞬の躊躇いも許されないのだ。

『大丈夫よ任せなさい。ビットコインだって掘れるほどのスペックよ?』

「いや、それは流石に無理だろ」

『例えよ、例え』

「わかってるって。頼むからミスるなよ」

『誰に言ってるのよ。そっちこそ間違うんじゃないわよ!』



 10分と少しが経過した。

 あれからタイピング音しか聞こえてこなかったが、突然一色が声を上げた。

『大変よ!』

「どうしたんだ」

『停電が始まったわ。テレビでやってる』

 タイマーを見ると残り時間2時間25分。

「だってまだ時間が!」

『落ち着いて。――A地区だけが停電したみたい』

「どういうことだ?」

『これは私の見立てだけど、』

 そう言いながらも凄まじい打鍵音の中、ファイルが転送されてくる。

『今夜は年に一回行われる夜桜をライトアップするイベントがある。最初のニュースでも言っていたけれど、犯人の狙いはまず間違いなくこのイベントね。これが開催される桜旭山公園はF地区にあるわ。30分が経過してその直後の速報……そう考えると』

「各地区30分で停電ってことか! ――って待て! 俺が今いるところって!」

 都月咲(つづきさき)さんのお見舞いに行く予定だった病院。

 俺が今いるネカフェ。

 両方ともE地区だ。

『さらに最悪なことに私の家はその手前のD地区よ。……つまり私のサポートは持ってあと1時間半が限界ってこと』


 一時間半。


 タイマーが作動してからネカフェに走り準備して20分。

 そこから10分弱で何個かの解読が完了した。

 作業に慣れてくればもっと短縮出来るが、かなり厳しいのが現状だ。

 しかも3時間あると思っていたが、使える時間は一色の家があるD地区の停電までの2時間。

 彼女のサポートは必須だ。となると最低でもC地区の停電から30分以内に決着をつける必要がある。

『猫の手も借りたいとはこのことね……もう1台繋ごうかしら』

「それは電力的に限界じゃね?。USBメモリを繋ぐのが関の山だろ」

『意味のない冗談はやめてよ。お守りにもならないわ』

「すまん……ああ。せめて俺も自分の家だったらなぁ」

 だけどあの場所からは家に戻るよりこのネカフェに陣取るのが最適解だった。それは暗号の難易度が物語っている。一色の判断は間違っていなかった。

 互いの環境に愚痴りながらもファイルを送信しあい、俺は答えのピースを積み上げていく。

 そうしている間にもB地区も停電に入ったようだ。

 一色が相変わらずの高速打鍵を続けながら、

『ニュースを見て気づいたことがあるの』

「どうした」

『地区の停電って一斉に起こらないみたい』

「というと?」

『つまり同じB地区でも区内での停電に順番があるってこと。区内のA町が停電、次にB町ってこと。端から端まで数分って感じかしらね。ニュースを見ている限りだと』

「でもそれがわかったところで一色がサポートしてくれるタイムリミットに変化は無いだろ?」

『私の家はE地区寄りだから、D地区の停電がスタートしてから数分は繋げれるけど、サポート終了の事実はかわらないわね』

「ちくしょう! 全然間に合わない!」

『こっちもどんどん解読の難易度も上がってるわ! ちょっとやばい、かも……』

「やっぱりもう一台マシン繋げれないか!?」

『電力的に今が限界! それはさっきあんたも言ってたでしょ!』

 そうだった。

 俺はネカフェのPC。

 一色の環境も限界だ。

 人手が足りなすぎる。

 俺の解読の難易度は高くないが。一色の方が限界に近い。……せめてあいつのようなやつがもう一人いてくれたら状況は変わるかもしれないのにっ!


 ……まてよ?


 もう……一人?


「なあ。一色」

『何よ?』

「そっちの解読と解読の間、どのぐらい待機時間ある?」

 彼女は長文暗号を一文ずつ解読している。

 その後解読データを転送できる形式に変換している。

 俺はその変換にかかる時間を聞いたのだ。

『変換時間? ほとんど無いわよ。一回につき数秒。なんで?』

「それ、伸ばせないか??」

『……一回の解読量を増やせってこと?』

「そうだ」

『スペックは問題ない。けど私の処理が増えてミスる確率が上がるわよ。なんで? メリットが全然わかんない』

 一色の疑問はそのとおりだ。

 例えば今まで一行ずつ解いていたものを、いきなり数十行ずつ解いてくれと言っているようなものだ。

「さっき待機時間が数秒って言ってただろ? それを3分まで伸ばしてくれ」

『3分!? なに言ってるのよ時間もないのよ!? それに転送データ量も多くなるから渡すまで時間がかかる。そっちのロスも増える。ぜんぜん意味わかん――』


「一色をもう一人作る」


『…………どういうこと?』

 俺は思いついたやり方を説明する。


『……あんた、そういうところはホント狂ってるわよね。この状況下で普通そんなことする?』

「急がば回れなんだろ? でも成功しないと――いや、これをやらないと間に合わない。……病院だけは絶対に停電させたらダメだ」

『わかったわ!……付き合おうじゃないの!!』


 俺の考えた作戦はこうだ。

 一色が作った3分を使って”彼女に彼女自信をサポートするプログラムを作ってもらう”こと。

 一色の分身のようなものだ。

 ただしこれには”あるプログラムの言語”が必要になる。

 一見すると意味不明な文字の並びだが、コンピューターにはわかる言葉のようなものだ。

 人間に例えるなら国によって言葉が様々であるように、プログラムも目的によってその言語は多岐にわたる。

 だが一色は”俺が思いついたやり方を実現するプログラムの作成”に関してはあまり得意としない言語分野だった。

 だからそれを今のこの場で彼女に伝える。

 本当ならチャット欄に直接プログラムを書いて、一色がそれをコピーすればそれ程難易度は高くない。

 だが俺はデータの受信待ちの間も、2段階目の解読で指を動かさないといけないのだ。

 俺は自分の作業を続けながら口頭でプログラミング言語を喋る。

 一色は変換作業待ちの間に、プログラムの口述筆記をスタートさせる。

 むちゃくちゃな綱渡りの方法。

 もうこれしかないんだ。

 格段に難易度があがった1段階目の解読を一色が無事終了させ、データ変換が始まる。

 3分がスタートする。


「いいか?」

『あー、もう。こんなことになるならこの言語も勉強しておけばよかった』

「マイナーだからな。でも基礎ぐらいはわかるだろ?」

『そりゃね。でも遠慮はいらないわよ。意味なら汲み取ってあげるわ。時間最優先でいくわよ』

「一度しか言わないぞ?」

『上等!』


 俺と一色の苛烈な応酬が始まった。

 俺は指を動かし一色が積み上げてくれたヒントを紐解きながら、プログラムを喋ると、向こうも凄まじい勢いで記号とアルファベットでテキストエディタを塗りつぶしていく。

 転送用の変換が完了する。

 この瞬間だけ、一色はプログラミングを中断し、チャットアプリに変換データを放り込む。

 俺への転送時間もだいぶ増えたが、現状影響のない範囲だ。

 俺も作業にスキマ時間が出来るとこれまで解読した答えを繋いでいく。

 もちろんその間も喋りっぱなしだ。

『あんたって本当に凄いわね。人間超えてるわよ』

「一色だって。そこの記述、俺が言っていたのと全然違う形式なのに成立してる。その構文知ってたのか?」

 一色が記述している画面は共有しているのでチェックは可能だ。

『知らないわよ。ただ聞いてて法則性に気付いただけ。多分この形に省略可能かなーって』

「それこそ普通できねーって」

 俺のやっていることも異常かもしれないが、一色も凄い。

 数学の試験中に自分で新たに公式を作って時短しているようなものだ。

「いけそうな気がしてきた!」

『調子に乗らない。爆速で慎重に行くわよ!』

「おう!」

 合図した次の瞬間、一色の声の後ろでC地区停電のニュースが聞こえてきた。


 解読する。

 変換する。

 送る。

 喋る。

 プログラミングする。

 俺も一色も互いに精度がどんどん上がっていった。

 次元を超越するような集中力に俺たちは飲み込まれていく。

 一連の作業が一つの動作になり、離れた一色の感覚を真正面に感じている。

 時間がどのぐらい経過したかわからない。

 解読。

 変換。

 送信。

 喉が渇く。

 一色の指も鈍くなる。

 だけど確実に俺の考えた”もう一人の一色”は姿を見せ始める。


 喋る、喋る、喋る!

 もう俺は一色のテキストを確認していなかったし、一色も俺の言った通りには書いてないだろう。

 だけど熱くこみ上げてくる何かだけを信じて俺は言葉を重ね続けた。

 重ねて、重ねて、重なって――


『出来たわっ!』

「よし!」

 もう一人の一色の完成だ。

 これで彼女の1段階目解読がだいぶ楽になる。

「一色! すぐにプログラムを展開してくれ!」

『もうやってる!』

 一色が完成したプログラムを展開する。

 数十行のレベルの解読が、一文ずつやっていた時並に早くなる。

 転送時間はそれなりに増えたがこのペースなら十分許容範囲内だ。

 さっきよりも質のいい解読データがバンバン送られてくるから俺の解読も早くなる。

 いける!


 そう思った瞬間だった。


『まずいわっ! D地区の停電が始まった!』

「まじかよ!?」

『私のところの停電まで多分3、4分しかないわ!』

 くそっ! なんでこんな時に!

 もうゴールはそこまで見えているのにっ!


『あー、もう……これだけはやりたくなかったのに』


「一色?」

 俺は共有画面を見て驚愕する。

 一色が繋いでいるマシンの残り2台に今作ったプログラムをコピーし始めた。

「おいっ! ばかっ! それはマシンへの負担が大きいんだ! 消費電力も増えるんだぞ! もしおまえんちのブレーカーが落ちでもしたら!」

『知ってるわよ! だから……こうするのっ!!』

「一色!?」

 ヘッドセットの向こうでガタガタと物音がした。

「おい! どうした!」

『大丈夫よ。電力確保しただけ』

「電力確保って……どうやって?」

『モニタの電源全部切ったわ。これで電力オーバーの心配ないでしょ』

「でもお前……どうやって解読するんだよ? 画面も見えないのに」

『普通にやるわよ。指で。いつも通り。それに最後の暗号文はもうプログラムに読み込ませてある。だから私がタイピングミスしなければいい。それだけよ』

 無茶だ!

 タッチタイピングができればいいとかそういう問題じゃない。

 数字やアルファベットも大量に使うし、大文字小文字も混在している。処理の目視確認だって必要だ。

 百歩譲って手元のキーボードを見るのであればまだわかる。

 だけど転送作業でファイルをドラッグするからマウスも使う。

 それを含めてさっきまでの爆速で処理し続けるなんて不可能だ。

「ミスったらどうするんだよ」

『まったく心配してないわ。それに”あんたが作った”私もいるんだし』

「俺もずいぶんと信頼されたもんだな」

『か、勘違いしないでよね! あんたじゃなくてあんたの作ったプログラムを信用してるんだから』

「へいへい。それじゃあラスト……いきますか!」


 今どれほど一色の部屋は熱いだろうか。

 モニタ6枚の電源を切ったとはいえ、モンスターマシンがフルパワーで唸りを上げている。

 冷房15度に窓を開けてても効果は無いのではないだろうか。

 俺に送られてきたデータの解読は終了している。

 ピースはあと一つ。


 頼むっ!


『待たせたわね!』

「一色!」

『最終解読完了! 転送するわ』

 チャットアプリに一色からのアップロードが完了した通知が届く。

 あとは俺のダウンロードだけだ。

「ありがとう。本当に助かった!」

『汗びっしょりよ。ほんと無茶させるんだから。未習得のプログラムを口述筆記なんてマジで頭おかしい』

「でも出来たじゃん」

『まあね。クイーンだし』

「そうだな」

『これで私の仕事は終わりね。あとはしっかりやんなさいよ。……都月咲(つづきさき)さんが入院している病院、絶対に守――』

「一色!?」


 D地区全域が停電した。


「……絶対に勝つからな」


 だが次の瞬間、俺は画面を見て絶望した。


 ――ダウンロード残り推定時間:1時間30分――


 一時間……半、だと!?

 なんで?

 どうしてそんなに時間がかかるんだよ? あと30分で解き終わらないと病院は停電するってのに!

「……そうか……しまったっ……」

 俺は見落としていたのだ。

 ここがネカフェであることに。

 夕方も過ぎ利用客が増える時間になっていた。だからその分一人あたりの回線速度が遅くなっているんだ。

 見落としていた。

 一時間半も待っていたらE地区どころか、桜旭山公園も停電してしまう。

 桜のライトアップなんかどうでもいい。

 俺は、都月咲さんの……好きな人のいる場所を守りたいだけなんだ。

 でもどうする?

 家に戻る? いや、絶対に間に合わない。

 今からこれよりスペックが高いマシンの席へ移動するか?

 でも空いているとも限らないし、一旦退室の手続きも必要になる。

 どのみち時間がまったく足りないことに変わりはない。

 無理だったんだ。

 絶望が俺を包みかけた時、電話が鳴った。

 一色だ。

「一色!? だめだ! ダウ――」

『ダウンロード無理なんでしょ?』

「なんでそれを?」

『時間帯的にちょっと嫌な予感がして。それでネカフェの来客情報にアクセスしたんだけど、』

「不正アクセスじゃん」

 だが一色はツッコミを華麗にスルー。

『そしたら思った通り回線が混雑していて。だから今そっちに向かってる』

「向かってる!?」

『自転車でね。こっちで最後の二段階目も完全に解読したわ』

「でも停電したんじゃ」

『直前にUSBメモリに退避させて、その後ノートパソコンでやったのよ』

「あの短時間でよく」

『とにかく時間がないわ。私がこれまで送ったデータの読解は全部終わってるのよね?』

「もちろん」

『だったらまだ可能性があるわね。E地区もどのタイミングで停電するかわからないわ。もしかしたら30分もしない内に……って事も。だから今すぐ解いた結果を紙にメモってネカフェを出て。E地区の踏切を渡ると病院は目の前よ。そこで合流しましょう』

「わかった!」

 俺はダッシュで会計を済ませるとネカフェを出る。

 もう結構な時間が経っていて、日が傾きかけている。慣れない場所だけど必死に走った。

 その時急に暗がりが迫った気がした。

 振り向くと、E地区の停電がスタートしていた。

 焦りの気持ちが湧き出てきた。

 だけど俺は一色を信じて病院めがけて走り続ける。

 パソコンばかりを触っていたから体力がガタ落ちだ。

 息が切れる。足が重い。太ももが動かない。

 それでも迫る停電から逃げるように、まだ明かりが灯っている病院を掴み取るように俺は走る。

 そうして踏切を渡りきった直後だった。


「ななせっ!」


「一色!」

 踏切の反対側に汗だくで息を切らした一色が経っていた。停電の暗がりの中、一緒に戦い抜いてくれた姿が眩しく映る。

「USB! これスマホにも挿せるタイプだから! 中身開いて確認して!」

「助かる!」

 あとはそれをスマホに挿して情報を読み込み、手元にある手書きの解読済み暗号と合わせれば、パズルの完成。俺たちの勝ちだ!

 一色が線路を渡ろうとした瞬間だった。


 踏切の警笛がなり遮断機が降りる。

「なんでこんな時に!」

 列車が轟音を上げて俺と一色を分断する。

 しかも編成車両が結構長い。

 数秒たつがまだ踏切は開かない。

 そしてやっと行ったとおもったら逆側からもう一本。

 まさかの立ち往生。時間が手から零れていく。

 再びのコール音。

『聞こえる!?』

「電車がうるさいけどなんとか!」

『百メートルぐらい行ったところに歩道橋がある! 私、そっちから回るから!』

「わかった! 急いでくれ!」

 通話が切れる。

 左上を見上げると、歩道橋の階段を駆け上る一色が見えた。


 その瞬間。


 病院が停電した。

「間に合わなかった!」

 病院には予備電源があるはずだ。だけどそれが何分持つかなんてわからない。

『一色! 早く!』

「はぁ……はぁ……わか、ってる……わよ……っ!」

 彼女も全力で階段を登っているが、階段を登る足がどんどん重くっていくのが見て取れる。

 当たり前だ。

 放熱の凄まじい部屋でマシンで計算を回し続け、最後は不慣れなコンピューター言語を口述筆記。

 あげく俺がやらないといけない最終解読までやった上での全力疾走。

 歩道橋の橋の部分の真ん中まで来たところで、一色はついに体力の限界を迎えて、手すりにもたれ掛かってしまった。

「今取りに行く!」

 俺もまた彼女のもとへと走り出そうとする。だけど俺も体力の限界だ。足が思うように動かない。でも一色よりは、動けるはずだ!

 だが彼女は俺に向けて手のひらを差し出し「待った」をかけた。

『あんたが取りに来ている時間なんてないわ。だから責任を持って”私が渡す”から』

「でもおまえ、もう動けないじゃないか!」

 だが次の瞬間。

 一色は最後の力を振り絞り立ち上がると、メモリを持ったてを掲げた。

 停電しきった町。沈みかけの太陽。薄暗い世界。

 そして次の瞬間――


 ふわっ


 一色の手からUSBメモリが投げられた。

 薄暗い世界の中で、無骨でそれは、しかしはっきりと陽の光を受けて俺へと向かってくる。

 計算されたかのような放物線を描いたそれは、的確に明かりに照らされながら飛んでくる。

 くるくると回転しながら向かってきてそれは、吸い込まれるように俺の手の中に収まった。


『はぁ……はぁ……今度こそ、私の、仕事は……終わりよ』


 そう言うと彼女はぐったりと歩道橋の真ん中に座り込んだ。

 手の中にあるUSBを接続する。

 一色が解読した答えが表示された。

 スマホのライトを頼りに俺は手元の紙を見て、託された最後のピースを頭の中ではめ込んだ。

「出来た!」

 俺は解読した暗号文をスマホアプリに入力し、決定をタップした。

 数秒のロードがあってそれから画面に表示されたテキストと入力スペースを見て――そして俺は――

 

 ……

 …………


『なにしてんの早くっ!』


 俺は沈みかけの夕日に照らされている一色を見上げる。

 彼女は全力でやりきった達成感の中、苛立ちを滲ませている。

 予備電源稼働しているのだろう。病院の中からぼんやりと薄い光が漏れていて、真っ暗な中、奇妙にぼんやり辺りを照らしている。


 躊躇うな!


 俺はアプリに表示された8個の四角いボックスにそれぞれ数字を入れていく。

 完了をタップした。



 ◆



 俺の住んでいる桜旭山市は桜の名所として有名だ。

 特に桜旭山公園は有名で、年に一度の”夜桜のライトアップの日”になると全国から観光客や地元のカップルが集う場所だ。

 今日がその日。

 最高で3,500本のエゾヤマサクラが咲き乱れ、敷地内にはカタクリが群生している。

 満天の淡い桜色と優しい紫色の絨毯が、来る者を幻想的な世界にいざなってくれる。

 そんな桜の道を抜けて園内の散策路を登っていく。最上部の標高は130メートルあり、ライトアップされた桜を背景に市内を一望できる。

 俺と一色はそこのベンチに腰を下ろして市内を見渡していた。

 ライトアップされた桜は淡白く落ち着きを演出し、停電騒ぎだった市内も今ではすっかり明かりを取り戻していた。

 俺が入力した最終暗号が正解で、それがトリガーになって電力システムが回復したんだろう。

 スマホでニュースを確認したが停電したA地区からE地区は完全に復旧。被害も無いそうだ。本当に良かった。原因は調査中だが、もし俺のところにも警察とか来たらどうしよう。

「大丈夫よ。あんたは被害者なんだから」

「えっ、顔に出てた?」

「出てたわよ。せっかくこうして二人で夜桜見にきたんだし、もっと楽しそうにしてよね」

「そうだよね。せっかく近くまで来たしね。って――どうしたの?」

「はぁ……ほんとあんたって。はいはい、ついでよついで。暗号解読で疲れ切ったクイーンをもっとねぎらって欲しいものだわ」

「だからさっきジュースと焼きそば奢ったじゃん」

「割に合うと思う!? いったいあの数時間で電気代いくらかかったと思ってるのよ? お母さんにめちゃくちゃ怒られるのは私なのよ?」

「わかってるけど、電気代払うお小遣いはもってないよ。ほんとゴメン! お金以外ならなんでも言うこと聞くから」

「いま、何でもって言ったわね?」

 あ、やべ。

「あー、まぁ、現実的な範囲でなら」

「じゃ、じゃぁ……、」

 それまで饒舌に喋っていた一色は急に俯いてもじもじする。やっぱり疲れて具合でも悪いのだろうか。

「ら、来年もまた一緒にここに来たい」

 前のめりになり小指を出していくる一色はいつにもまして強引に見えた。

 勢いに負けてかってに手が伸び指切りをする。

「約束破ったら、来年その時の最高スペックのパソコンを私に買いなさいよね」

「それ理不尽すぎ!」

「簡単じゃない。約束を守ればいいだけなんだから。…………それとも他に理由があるの?」

 即答は出来なかった。

 俺は眼下に広がる街から、都月咲さんが入院している病院を見つける。

「あのさ、」

「なによ」

「最後の暗号を解読した時にメッセージが出てきたんだ」

 俺は迷ったがそのスクショを一色に見せる。


 ――What is the birthday of the person you care about?――


「へ、へー」

「今回は一色がいなかったら絶対にこの停電は止められなかった。だから、やっぱり結末はちゃんと伝えるのが筋かなって」

 一色は少し複雑な表情をする。

 何か言いたげな、でも言えない。そんな顔つきだ。

 快活な口調でいつも笑顔を絶やさない。元気の塊のような彼女が今はなんだか儚く見える。

 春にしては重たい空気が流れた気がした。

「七瀬は、さ」

「うん」

「……私の誕生日も、覚えてたり、する?」

「もちろん」

「そっかぁ!」

 儚げな表情が一転して、いつもの元気を取り戻した。

「そろそろ帰ろうか」

 もう遅い。それに女の子がこんな時間まで出歩くのは危ないし。

「そうね。――もちろん家まで送ってくれるわよね?」

「そりゃね。夜も遅いし」

「ま、今のところはそれでいいわ」

「なんだよ、それ」

「じゃあお願い変更」

「うわぁ! なにすんだよ!」

「来年の夜桜は保留で。その代わり公園出るまでは……こうしていたい、かなって」

 一色は俺の腕に、自分の腕を絡めてくる。

「こ、これじゃあまるで、デートしてるみたいじゃん!」

「いいじゃない今日だけは。私はあんたのピンチを救ったクイーンよ。ナイトはナイトらしくお姫様をエスコートするものよ」

 まぁこれがお願いならそれでいっか。

 一夜限りの女王様のお願いだ。

 一色は今日一番ゴキゲンな表情で桜旭山公園を降りていく。

 道行くカップル数組とすれ違う。

 向こうから見たら……俺たちもそう見えるのだろうか。それとも気にもならないのか。

 そんなことを考えているとスマホが震える。


 都月咲さんからメッセージだ。


「だれ?」

「母親。早く帰ってこいって」

 俺は慌てて誤魔化した。

「見せて」

「なんでだよ。いいから帰るぞ。あまり遅くなると電気代以外でも怒られるんじゃないか?」

「げっ、それはヤダ」

「じゃあ帰るぞ」

「無礼なナイトね」

「別にナイトじゃねーし」

 俺は一色に気づかれないように、都月咲さんからのメッセージに目を通す。


『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし。

 歳を一つ重ねた都月咲 夢花より親愛  なる貴方へ。

 楽しい一日をありがとう。悠真くん。また部活でね』

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