第30話 ゾルーヴァシティの遺跡

 異常事態というのは、こういうときに使うための言葉だろう。

 王都のすぐ隣で起きた異変なら、まずは王国騎士団が調査する。あの騎士団長ならそう主張するはずだ。

 しかし、これは千年前の技術水準で起きた異変である。ハッキリ言って騎士団など足手まといだ。


 なのでインフィは騎士団を待たず、エミリーと一緒に湖に向かった。

 エミリーは足手まといではない。むしろ頼もしさすら感じる。

 これまで行動を共にして、彼女の強さが千年前でも通じる領域だと分かったからだ。

 現代で、よくぞそれほどの力量を身につけたものだと、改めて尊敬してしまう。

 インフィは湖へ続く斜面を歩きながら、エミリーを見上げる。と、彼女もこちらに視線を向けてきた。


「こうして肩を並べて一緒に戦ってくれる人がいるって、本当に嬉しいものね」


「それはボクも同じです。エミリーさんがいてくれなかったら、優越感よりも孤独が勝っていたかもしれません」


「あら、インフィちゃん。優越感なんてあったのね」


「そりゃ、ボクだって人間ですから。自分がしたことを自慢したり、誇ったりしたいですよ」


「そうね。私も悠久の魔女って呼ばれるの、誇らしいわ」


 湖の前に到着する。

 エミリーの魔法で、遺跡まで続く氷の橋が作られた。

 そのとき、目の前にポンッとアメリアが出現した。不可視状態になって一足先に遺跡の偵察をしてきてもらったのだ。


「間違いない。あれはゾルーヴァシティじゃ」


「知ってる町なの?」


 アメリアの言葉を聞いたエミリーは、当然の質問をしてくる。

 インフィは、正直に答えることにした。


「あれはボクの前世……いえ、魂が別なので正確には前世ではありませんが、とにかくボクの体を作った魔法師が住んでいた町の一部です。その魔法師の名前は――」


「お、おい、マスター! いくらなんでも、それは言わぬほうがよいのではないか」


 そう指摘するアメリアを手で制して、インフィは言葉を続ける。


「ボクを作った魔法師の名前は、イライザ・ギルモアと言います」


「イライザ・ギルモア……! それって魔族を作ったあの!? 同姓同名とかじゃなくて!?」


 当然、エミリーは驚いて大声を出す。


「……分かりません。ボクが受け継いだ記憶は、イライザがボクを作り始めたところまでなんです。そのあと彼女がなにをしていたか、なにが起きたのか。推測さえできません。ですがボクの記憶にあるイライザの行動原理は二つ。『忘れられたくないから、人の役に立つ』と『死にたくない』です。魔族なんてものを作って世界を支配するとか、まして滅ぼすとか、そんなことを企む人ではありませんでした。むしろ世界を存続させるために尽力するタイプでした」


「吾輩も同感じゃ。吾輩が旧マスター・イライザと過ごした時間は、そう長くはない。完成して一ヶ月ほどで魔導釜に組み込まれ、零敷地倉庫ディメンショントランクに送られてしまったからのぅ。じゃが、その短い時間でも、旧マスターが合理主義者だと分かった。世界を支配しても面倒が増えるだけと心得ている。自分の寿命が尽きるから世界を道連れにするなんて無意味な行いだと考えるはずじゃ」


「そう……分かったわ。少なくとも、二人が知っているイライザ・ギルモアは、世界の破壊者ではなかったのね。私はイライザを信じないけど、インフィちゃんとアメリアを信じるわ。仮にイライザが伝承通りに魔族の創造主だったとしても。インフィちゃんとアメリアは、私の仲間で友達で家族よ」


 エミリーの言葉を聞き、インフィは胸の奥が熱くなった。


「ゾルーヴァシティの遺跡に行く前に、もう一つ言っておくことがあるのじゃ。あそこにはすでに人間の女が一人いたぞ。年齢は二十代前半。髪は黒色で、長さは肩より少し下。ツリ目気味の美人で、白衣を羽織り、ポケットに手を突っ込んで瓦礫の上に立っていた。果たして何者なのか……」


 どんな理由にせよ、インフィたちよりも先に遺跡にいたというだけで、この状況に深く関わっているのは確定だ。

 なぜイライザの工房の周辺が消えていたのか。なぜ突然ここに出現したのか。

 その答えに迫れるかもしれない。

 インフィはそう考えながら、氷の橋を歩き出した。

 が、エミリーは足を止めたままだった。

 振り返ると、彼女は思い詰めた表情で、


「まさか、師匠……?」


 ぽつりと呟いた。

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