第29話 異変の始まり
騎士と姫騎士に百一本の魔法剣を納品した代金で、インフィはミスリルの塊を買った。 ミスリルは別名『魔法銀』と呼ばれ、その名の通り、魔法回路が定着しやすい性質を持った銀色の金属だ。
極めて貴重で、わずかしか採掘されない。
インフィが買ったのはリンゴほどの大きさのミスリルだが、その程度の大きさでさえ、一生分の生活費になるくらいの金額だった。
それを惜しげもなく魔導釜に放り込んで溶かす。
魔王剣に含まれていたミスリルだけでは、やはり複雑な魔法回路が上手く定着しそうになかった。
しかし今回の追加で、ようやく満足いくものになりそうだ。
「アメリア。もうあなたが制御しなくても、あとは完成まで待つだけです。魔導釜をしまっちゃいましょう。エミリーさんがお庭でお茶しようと言ってますよ」
「おお。それは楽しみじゃぁ」
アメリアはいつもの小型ドラゴンの姿になる。そして魔導釜を
そして二人で庭に行く。
ちなみにインフィの服装は、最初に袖を通した白いローブである。あまり可愛い恰好をしていると、エミリーが急に発作を起こして抱きついてくるから危険なのだ。
庭ではエミリーが準備を整えて待っていた。白いテーブルには三人分の紅茶とショートケーキがある。ケーキの上にある立派なイチゴを見たインフィは、胸の高まりを禁じ得なかった。
「インフィちゃん、なんでそんな地味な恰好なの?」
「可愛い服だとエミリーさんの理性に重大な障害が発生するからです」
「そんなことないわよ。私は理性的にインフィちゃんを愛でてるの。あ、よく見るとそのローブもダボッとしてて可愛いわね」
「駄目じゃ。こやつ、マスターがなにをしても可愛いと言うぞ。まあ、実際そうなのじゃが!」
人造精霊はなぜか誇らしげに言った。
インフィはエミリーの理性を諦め、お茶とケーキを楽しむことにした。
無論、イチゴは最後に食べるので皿の端に寄せておく。
するとアメリアが「いらぬなら吾輩が食べてやろうか」と決まり文句を言いながら、二本の前脚でフォークを掴み、イチゴへと伸ばしてきた。
「いらぬわけがないでしょう。そもそも体の大きさを考えたら、アメリアが相対的に一番多く食べてるんですよ。なのに更に人のイチゴを食べようなんて。言語道断。欲深いにもほどがあります。恥を知りなさい」
「冗談でイチゴを食べようとしたら、想定の百倍叱られたのじゃ……」
「想定が甘過ぎです。あなたはイチゴではなく人造精霊なのですから、甘い思考をしてはいけません。もっと多方面から演算してください」
そしてインフィはケーキを食べ終わり、いよいよ大粒のイチゴを口に入れる。
「ん~~、甘くて美味しいです」
ほっぺが落ちてしまいそうな感覚になる。
そんなインフィを見て、エミリーはニコニコと微笑む。
「インフィちゃんとアメリアがこの家に来てから、毎日が楽しいわ。こんな平和な時間がずっと続いたらいいのに」
「急に改まってどうしたんですか、エミリーさん。そんなこと言われると、照れくさいじゃないですか。ボクはこの家を離れるつもりはないですし、平和な時間はボクたちで守ればいいんです」
「ほんと、インフィちゃんは可愛いだけじゃなく、頼もしさもあるからズルいわ。ご褒美に私のイチゴをあげる。ほら、あーん」
「おお! なんのご褒美か分かりませんが、くれるならありがたくもらいます。エミリーさん、大好きです。あーん」
インフィーが喜んで口を開けると、そこにイチゴが飛び込んできた。
美味しい。平和だ。
平和でなければ落ち着いてイチゴを食べたり、物作りしたりできない。
ゆえにインフィは、悠久の魔女に協力して平和を守る。全ては自分の楽しみのために。
まあ、最大の脅威である魔王はすでに排除した。魔王は倒してもいつか新しいのが出てくるらしいが、何十年も先のことだ。仮に今すぐ現われても、インフィとエミリーの二人がかりなら瞬殺だろう。
インフィにとって最大の懸念は、魔族を作ったのが千年前の魔法師だと言い伝えられていて、しかもその名前がイライザ・ギルモアであること。
それから、イライザの工房の周囲直径百メートルが消滅していたことだ。
それらについて情報収集しようにも、手がかりがなさすぎて進まない。
暇を見つけては古書店などを巡っているが、おとぎ話のようなことしか書いていなかった。
ミノタウロスの角を手に入れるために国外に出たが、そこにも情報はなかった。
もしかしたら、千年の間に手がかりは失われていて、二度と真相は究明されないのかもしれない。
それならそれでもいい。平和が乱れなければそれでいいのだ。
重大な手がかりが見つかろうと、それが切っ掛けで日常が脅かされるのは絶対に嫌だ。
「――マスター! 湖の方角!」
アメリアが叫ぶ。
インフィは弾けるように立ち上がって、そちらを見た。
魔力が溢れ出しているのを感じる。それもインフィから見ても膨大な魔力だ。
「なにか巨大な質量が、湖の上に出現しようとしているのじゃ!」
「出現って、そんな、
「そう。
千年前はありふれていた――とまではいかないが、イライザ以外にも使い手が何人もいた。
だから
しかし、それにアクセスできるかどうかは別問題だ。
アクセス権限がなければ、そこに物を入れるのも出すのも不可能である。
この時代に暮らす人間の誰かが、古い書物や遺跡の記述などから
つまりインフィとアメリア以外にも、千年前から来たナニカがいるのか――?
「ちょっと二人とも、急に湖を見つめてどうしたっていうのよ?」
エミリーは怪訝な顔で、一緒に湖を見た。
丁度そのとき、それが出現した。
なるほど、巨大な質量だ。湖の半分ほどが埋め尽くされ、水が溢れ出してしまう。
それは直径百メートルほどの塊だった。その上には町の遺跡があった。
インフィにとって――いや、イライザ・ギルモアの記憶にとって懐かしい町だった。
すなわち、彼女の工房を中心とした直径百メートルが、そこに出現したのだ。
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