彼らが愛した桜姫

カフェ千世子

彼らが愛した桜姫

 春の陽気に包まれる湊川公園は桜も咲いて、実に心地よい。遠く、管楽器の音が聞こえてくるのは、駆け出しの楽士が練習でもしているのだろうか。

 神戸タワーを見上げれば、背後に雲のひとつもなく快晴が広がっている。

 いい天気だなあと吾川あがわは暇をもて余す。


 さて、ぼちぼちと活動しようか、と吾川は足を向けた。湊川に隣接する新開地は西の浅草とも称される神戸一の繁華街である。

 今日はまずは活動写真小屋にでも行こうか、と思案する。


 彼、吾川三郎あがわさぶろうは自称劇場探偵である。その名乗りの通り、劇場とその周辺を中心に活動している。

 劇場で起こる事件を解決すると喧伝しているが、持ち込まれるのは大概小さな揉め事ばかりだ。


 今日は、桜にちなんだ演目でも観たいな、などと考えている。

 事件などが起きなければ、ただの暇人だ。日がな一日、観劇に費やしている道楽者である。



 活動写真小屋で、良さそうなタイトルを見つける。

『桜姫流転』

 看板から時代劇だということがわかる。どんな話かな、と楽しみにしながら劇場へと入っていった。



 おもしろかったと満足して活動写真小屋を出る。次は芝居でも見ようと向かい側の芝居小屋の看板を冷やかしていく。

 ん? と吾川は立ち止まる。

『桜姫は悪を討つ』

 と書かれている。こちらも桜姫である。看板に描かれた絵も同じく時代劇だ。偶然なのか? と首をかしげる。

 先程の活動写真は本日が公開初日だ。桜の時期に合わせて公開にしたのだろう。

 ふむ。と興味を引かれた吾川は、確かめてみようとその芝居小屋へ入っていった。




 春先はまだ冷える。夕方ともなれば、気温は一気に低くなる。こんなときには、なにか温かいものが食べたい。

 関東炊きののれんに惹かれて、その店を選んだ。

 出汁の匂いがほっとする。今夜は落ち着きが欲しいのだ。

 取り皿にすりおろし生姜を盛ってもらう。ここの店主は姫路の人で、姫路では関東炊きは生姜醤油とつゆを混ぜ合わせて食べるのだ。


 燗した酒と大根、平てん、ちくわをもらって、さてどれから口をつけるか。思っていると、隣が早速酒を飲み干していた。

「っああ~~~っ、おかわり!」

「姐さん、そんな勢いで飲むとすぐに酔っちゃうよ」

「酔う気で飲んでんだ!」

 きっと強い眼差しで言われて、すっと引き下がる。

 本日は、彼女の相手をして怒りを沈めるのが吾川に課された仕事である。


 公開された二つの『桜姫』。どちらも評判は上々である。

 だが、見る人が増えるごとに不穏な噂がちらほら聞こえ出した。

 というのも、この二つの『桜姫』はどちらも話が似通っているのだ。そのため、どちらかがパクったのではないか、と噂が流れてしまった。


「これ元ネタはどちらも歌舞伎の桜姫からきてるんでしょ」

「ネタが被ってもうたんはしゃあないやんか」

 吾川と店主は一緒になって、彼女をなだめる。荒れているのは、芝居の方の桜姫、主演女優の大島ヨウ子だ。


「ネタが被っただけなら、こんな噂になってないよ!」

 せっかくの主演の舞台に余計なケチがついたので、ヨウ子は怒り心頭である。

「台詞だよ、台詞! それも3つも同じような台詞があるんだよ! 誰だっておかしいと思うじゃないか!」

 ヨウ子は、噂の真偽を確かめるべく自身の足で活動写真を見に行ったのだ。そして、彼女自身が誰よりもおかしいと思うようになってしまったのだった。


「あのアホがやらかしたに決まってんだ!」

 ヨウ子が責めるのは、この桜姫の脚本を書いた脚本家である。

「吾川ちゃん、出番だよ」

「へい?」

 ヨウ子は妙に据わった目で低い声で言ってくる。

「あんた、あのアホがパクったかどうか裏をとってきな。確固たる証拠をつかんで、あのアホに突きつけてやるんだよ!」

「ええ~~……」

 怒るヨウ子はどうあっても穏便に収めるつもりはなく、吾川は引き受けざるを得なかった。




 翌日。どうしたもんかと、新開地の街をぷらぷら歩いていたところで、顔見知りの活弁士をびっくりぜんざいのところで見かけた。

 話を聞かせてもらおうと彼に近づいた。


「うまいねえ~」

 彼は実に幸せそうにぜんざいを頬張っている。びっくりぜんざいは、顔の半分くらいもある巨大な餅が入っていて、あずきも丼に並々と盛られている。

 吾川も一緒になってあずきをすすりながら、ご機嫌な彼に聞いていく。

「じゃあ、台本は自分で一から書いていくのか」

「せや。なかなか大変やでー」

「じゃあ、同じ活動でも、活弁士が変われば台本は違ってくるのか」

「そうやー。おんなし話しにはならんのや」

 なるほど、とうなずく。


「台詞が被ったりとかはある?」

「さあ? 俺は人の活弁聞くときは気楽な気分で楽しむしなあ」

「人の活弁を参考にしたりはする?」

「自分の持ちネタを見せる場やで。あんまり参考にし過ぎても自分の売りが消えるのはあれやん」

「元ネタの歌舞伎とか小説とかは見たりする?」

「俺はあんましせえへんな! だって、がそこに出来上がってるもん」

「なるほど」

 あくまで活動写真の映像に合わせて筋を書いていくと言う。これはあくまで彼の場合の話だが、他の活弁士も似たようなもんだろうと吾川は結論付ける。

 活弁士が他の脚本を参考にすることはない、との答えを導く。


「台本が盗まれて困ったこととかある?」

「飯のたねやで。そんなん盗まれる間抜けはおらんやろ」

 ありえんと首を振られる。

「じゃあ、どっかで練習してるのを盗み聞かれたりとかは」

「そんな、堂々とよそで練習するもんちゃうで。家で練習するにしても、壁が薄いのに大声張り上げるわけにもいかん」

 それもそうか、と納得する。


「公開に間に合わせるように台本を作らなあかんわけやから、時間との戦いよ」

「へえ」

 どんなスケジュールでやってるのかと聞いて、あれっと吾川は気づいた。


 今回の桜姫騒動、活弁用の台本が作られるより先に芝居の脚本は作られている。活動写真が出来上がってそれ用の活弁の台本が作られるまでの間に、すでに芝居側が練習を始めているのだ。

 となると、脚本家が活弁士の台本を参考にしたとは考えづらい。



「邦画の活動って、どこで作ってんのかな」

「そら京都や。ちょっと前までは甲陽園にもあったんやけどなあ。あそこのカフェーパウリスタ、もっぺん行きたかった……」

 甲陽園の撮影所は世界恐慌の煽りを受けて、昭和2年頃に閉鎖されてしまった。

「京都か。行けなくはない」

「お、行くん? 好きやね~~」

 冷やかされて、互いにえへへへと笑い合う。

 京都に行くのも、悪くない。撮影所見学もおもしろそうだ。ついでに寺社見学もいいだろう。桜の時期だ。さぞやいい景色だろう。

「下加茂の近くにある餅屋の豆大福がうまいんやー」

「好きだねー」

 また二人してえへへへと笑い合う。狐面の煎餅もおいしいなどと情報をくれる。お土産の催促だろう。金が余ってれば、買って帰ろうと思う。

 思うが、狐面の煎餅は伏見では? と疑問も浮かぶ。



 翌日。吾川は京都への電車に乗っていた。電車に揺られながら、考える。

 台本は三つある。活弁士の原稿と、芝居の脚本、そして活動を撮影していたときに使われた台本だ。

 京都に向かったところで、撮影時の台本を見ることなどできないだろう。

 しかし、吾川は気分の赴くままに京都に向かった。

 なにか見つかれば儲けもん、くらいの軽い気持ちである。



 桜姫の活動を撮った撮影所近くまでやって来た。ここからどうするかである。

 撮影所に侵入するなど、吾川の心情に反する。なんともスマートでないと思うのだ。見つかって摘まみ出される想像しかできない。

 理想としては、撮影所から出てきた人に近づいて仲良くなる。そして、撮影所を見学させてもらう。こんな感じだ。

 出てきた人と仲良くなるには、どうするか。あとをつけ回すのも、スマートでない。


 悩んだ結果、とりあえず撮影所近辺を散策することにした。


 寺社があちこちにあるので、時代劇のロケには適した土地である。なんでもない通りも、撮影に使いやすい。

 こういうところで、撮影してたりしないかな、それを見学してみたい、などと空想が膨らむ。


「嫌よ! よして!」

 女の鋭い声が聞こえて、パッと足を止めた。助けが必要か? と声の発信源を探す。

「どうあっても、私をここから出そうとしないのね!」

 声の主を見つけた。

 女が一人。声を出している。傍らに人はない。ときどき思い出したように、手元の本をめくってはそれを閉じ、また新たな言葉を発している。


 そんな堂々とよそで練習するもんではないとの言葉を思い出す。活弁士の彼は、映像を見ながらでないと練習できないという意味で言ったのだろう。

 それとは意味が違う。違うが、しかし。

 確かに、こんな往来で堂々と練習しては奇異に見える。



 吾川はしばらくその女の練習を眺めることにした。駆け出しの女優だろうか。まだ年若い。

 じっと見ていれば、不意に女優と目が合った。彼女は吾川の視線に気づいて、照れてはにかむ。

 その恥じらった笑顔に、吾川はハッとした。

「桜姫」

 彼女はあの活動写真の桜姫を演じた女優である。



「わあ、嬉しい! あれをご覧になったのね!」

 女優、香住かすみノリ子は気さくで人懐っこい性格だった。

 あなたの出ていた活動を見てあなたのファンになったと言えば、機嫌良く会話してくれた。

 活動に出ている女優がそれでいいのか? と疑問に思うが、まだ駆け出しでその辺の気遣いができないのだろう。

 名と顔が今より売れるようになれば、危機意識もしっかりしてくるに違いない。


 吾川は内心で気遣いつつ、それを表に出さずに彼女と会話していく。こんな幸運は、逃してはならない。

「あの、僧の幽霊を撃退したとこなんか、すごく良かったよ。くっと目に力を入れてにらんで、啖呵を切ってるところ」

「あそこね。わたしも、気に入ってるところよ。こんな風に演じたのよ」

 ノリ子はそこで、桜姫の顔になった。

「あんたの言い分なんか知ったこっちゃありゃせんわな! わっちは、今世の自分を思うがままに生きるんだ!」

 そうだ。こんな台詞だった。吾川は自身が見た活動の台詞を思い出す。


 ノリ子の再現した台詞が活動の台詞とそっくり同じだった。


「三島長治って知ってる? 活弁士の人」

「ごめんなさい。知らないわ」

 ノリ子は申し訳なさそうに首を振る。この二人は知り合いではない。

「じゃあ、熊野周善っていう脚本家は」

「周善兄さんを知ってるの?」

 ダメ元で、脚本家を知ってるかと聞いてみれば、ノリ子はパッと嬉しそうに答える。

「私が女優を目指したのは、周善兄さんがきっかけなの!」




 女優ノリ子の話。


 周善兄さんと私はいとこ同士なの。

 周善兄さんは、学生の頃から演劇をやってらしたの。私は、それをよく観に行って育ったわ。

 いつか、私も周善兄さんの作った脚本を演じてみたいと思っていたわ。

 それが、活動写真の女優になったのだから縁というのは不思議なものね。

 え? 芝居の方にいかなかったのはなぜかって? たまたまかしら。

 女優募集の案内を見てしまったのよ。それで、ここの審査会に来てみて、びっくり。受かってしまったのよ!

 兄さんも喜んでくれたわ。

 兄さんとは会ってるのかって? そうね。月に一度くらいの間隔であってるわ。桜姫の話もしたわよ。観に行くのが楽しみだって言ってくれたわ。




 脚本家熊野周善の話。


 ノリ子はいい役者でしょう。あの子はきっと売れると思うんですよ。

 活動の脚本を見たか? いいえ。そちらは見ていません。

 私が見たのは、ノリ子の演技ですよ。あの子の演技、いいもんでしょう。

 声もよく通るし……正直、彼女は芝居向きだと思うんですよ。

 それが、活動の方の女優になってしまった。

 あんなに喜んでいたんだから、そりゃあこちらも祝福しますよ。

 でも、本音は惜しくて惜しくて……

 だって、活動は活弁士が台詞を上書きしてしまうんですよ。ノリ子そのものを観客に届けてあげることができない。

 あの子の持つ華やかさは、小さい芝居小屋に押し込めるのはもったいない。それはわかってるんです。

 でも、活動でノリ子の演技が消されてしまうのが、私には悔しくて……

 私はノリ子の演技をどうにかして伝えたかった。残したかった。

 まあ、ヨウ子には悪いことをしました。私の思惑に勝手に付き合わせてしまったんだから。




 活弁士三島長治の話。


 トーキーを知ってますか。台詞も音楽も最初から活動の映像と一緒になっているあれです。

 ええ。あの活動写真、あなたも観ましたか。おもしろかったですか?

 まあ、そうですよね……

 私は、今後あれが主流になるんじゃないかと恐れているんですよ。

 だって、あれだけが作られるようになると、私ら活弁士や楽士は失業してしまいます。

 だから、本社に意向を確認しに行ったんですよ。

 トーキーが主流になっても、今の形態の活動写真もちゃんと作ってくれるかってね。

 はい。私はそこで見てしまったんですよ。

 一人の女優が花開くように演技している様を。

 そして、この度なんの因果か彼女がそのときやっていた活動を私が担当することになってしまった。

 私は、見た印象に惑わされずに台本を書こうとしたんです。

 それが、どんなに台詞を繰っても、彼女の演技を越える台詞が書けなかった。

 私は、あの駆け出しの女優に敗北したんです。

 彼女が見せた演技そのままの台詞しか書けなかったんですよ……




「台詞は変えさせてもらう」

 ヨウ子は酒の入ったコップをタン、と置いて静かに言った。

「ノリ子の演技がどうだか知らないが、私が見せたいのは私の演技だ。大島ヨウ子の桜姫をやらせてもらう」

「それがいいでしょう」

 吾川も同意した。妙にしんみりとさせられる。

「活弁士の敗北ね。なんだろうね。彼らって俳優より人気があるのに、それでも切り捨てられるのか」

「どうなんでしょう」

「芝居小屋がつぶれて、そこに活動写真小屋ができて。その活動写真小屋も大手が買い取ったりして。なんだろうね、この栄枯盛衰は」

 栄枯盛衰。どうにも切ない気分になるのは、それのせいだ。


「こんなに世の中が移り変わるんだ。活動も芝居も先々まで残ってくれるんだろうかって気になるよね」

「私は、どっちも好きだから残って欲しいですよ」

「吾川ちゃん、あんたはトーキーを受け入れるかい?」

「まあ、はい」

「今の活動写真がなくなっても?」

「私は、どっちもおもしろいと思うんですけど」

「でも、どっちもは多分無理だよ。作るのが面倒になる。どっちかに絞った方が簡単なんだ」

 ヨウ子の言葉に、何も返せない。


「この町も今はこんなに栄えてるけど、それもいつまで続くんだろうね。桜が散るみたいに、枯れてしまうかもしれないよ」

「こんな楽しい街が無くなるなんて考えられないですよ」

「でも、恐慌の不景気はそこにあるんだよ。福原の女達が最近、洋風のダンスを習ってるんだって。カフェに人をとられてるからだそうだ。でも、とられてる理由はカフェの方が安く遊べるからだ。こんなに世知辛い。のんきに遊べなくなる時代がそこに来てるんじゃないか」

 新開地の街が無くなる。そんな暗い未来の想像はしたことがない。吾川はそれを笑い飛ばすことができなかった。


「まあ、私はババアになっても芝居をやるよ。ババアの役者も必要だろ」

「一人になっても」

「一人になってもさ」

「強いなあ、姐さんは」

 笑って言われて、ようやく吾川はくすりと笑った。


 先のことはわからない。今は盛りの花を楽しむしか、考えられないのだ。

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