第四話 タマシズメ act.4

「……御さねば、我欲を優先させるか――」

 男は水上に立っていた。

 端然とした姿と厳かな声音。月光の作る光と影が、小さな波頭を揺らし川面を彩っている。

「――致し方なし」

 宣告を発し歩み寄る姿は、断罪人のごとき気配を纏い、ブラウンのスーツを漆黒に幻視させる。影となった表情は窺い知れず、ただ冷淡な息吹と僅かな憤懣を漂わせ、その身を此岸に進めていた。

「……横津」

「はい」

「……高峰を連れて逃げろ」

 新たな、そして圧倒的であろう脅威を見据え、北見暁崇は驚くほど淡々としていた。つい先ほどまでの動揺ぶりが嘘のような、落ち着き払った横顔に横津悠真は息を呑む。

「ここは俺が食い止める。車まで高峰を担いで走れ」

 悽愴な口元を見つめ、横津はかぶりを振った。

「――邪魔だ。早く行け」

「無茶を言わないでください。高峰さんって意外と重いんですよ」

「……その件は後で高峰に質すとしよう。――さっさと行け」

 珍しく軽口に応じた北見が薄い微笑みを浮かべている。

 横津は心底困ったような表情を見せたが、それでも逃げようとはしなかった。決然と前を見つめ、北見の右半身を庇うように立つと、左手にP226拳銃を構える。

「国見課長がこちらへ向かっているはずです。それまで堪えましょう」

「……先に言え」

 北見は嘆息しつつ、横たわったままの高峰から距離を取ると、水上の男と対峙した。

 それは川幅の中程まで到達している。

 増しゆく威圧感が、踏み出す足から波状に広がり、連なった円形のウェーキがカウントダウンさながらにリズムを刻む。

 時は至り、男は歩みを止め、無造作に左腕を突き出し掌を開く。邪気に影が揺らぎ、薄い唇が呪いを紡いだ。

「――後ろへ飛べ」

 横津のインカムに聞き覚えのある声が響いた。

 脳がその声の持ち主を想起するよりも早く身体が反応していた。北見を抱えると力の限りに地を蹴り、後方へと跳躍する。直後、横津たちの居た空間を炎を伴った光が真一文字に切り裂いた。

「大室の炎刃!?」

 北見が驚きの声を漏らす。

「――左へ」

 再び届いた言葉に、横津は躊躇無く応じた。直前まで二人が居た場所に、此度は氷を纏った光が走る。

「中野さんの氷刃!?」

 03班炎氷の使い手、大室と中野。倒されたはずの二人の得意技が、北見と横津を襲っていた。


        ◇


「今の声は!?」

 スピーカーから流れた無線内容にオペレーションルームがどよめく。

「発信源を特定せよ」

 室内の動揺を抑えるように、低く静かな声音で永田征正の指示が飛ぶ。

「――発信は03、熊野警部補の無線機です! ですが……」

 モニターを凝視するオペレーターの声は震えている。

 依然、熊野仁のコンディションを示すマーカーは赤のままだ。

「音声をクリーニング、波形照合を行え」

 抑揚を抑えた永田の声に、各員は次第に落ち着きを取り戻していく。

 録音された音声を解析し、波形データを元にデータベースとの照合が行われた。

「――熊野警部補の音声ではありません。データベース内にも該当者無し!」

 予期した報告に、シートに深く身を沈めた永田は吐息を漏らす。

 確信は形を成して、言葉となった。

「……〝彼〟なのか」


        ◇


 視界を奪う輝きを放ち、炎に裂かれた闇は燃え上がり、氷に貫かれた蔭は砕け散る。

 月光が夜の支配を取り戻した時、二つの人影が河岸に産まれていた。

 ひとりは左手に炎刃の呪符、ひとりは右手に氷刃の呪符を携え、それぞれが逆の手にP226拳銃を持つ。

「大室……、中野……」

 同僚と同じ面貌と特技を有し、立ちはだかる黒き怪異。北見の呟きがかすれて夜に溶けていく。

「北見さん、避弾符は残っていますか?」

「――心配するな」

 北見の返答を待ち、飛び道具を防ぐ効果を持つ避弾符を横津は発動させた。宙に撒かれた複数の呪符が、術者の周りを取り囲むように配置されていく。光を放った後、符文の輪郭を僅かに残しながら呪符は透明になっていった。

「過信するな。強装弾なら一発で――」

 轟いた銃声に言葉が止まる。北見の眼前で、9ミリ特殊強装弾が避弾符に捉えられていた。宙に浮かんだ符文が蜘蛛の巣のごとく銃弾を絡め取り、勢いを殺して地に落とす。

 ――向けられた銃口を見据え、北見は吠えた。

「来るぞ!」

 二つの影が疾駆する。二人の特務隊隊員に向けて。

 連射される銃弾に避弾符が次々と削ぎ落とされていく。SIG SAUER P226の装弾数は15。まだ障壁は健在だったが、早くも半数以上の呪符が消されていた。

 迎撃に徹する北見と横津に影は接近、振るう腕がそれぞれの光を放った。狩衣が炎に焼かれ、迷彩服は裂かれて凍り付く。武装の枯渇と負傷によるハンデは大きく、瞬く間に二人は劣勢へと追い込まれていった。

「くそッ!」

 弾切れとなったP226を盾に氷刃を防ぎ、横津が呻く。コンバットナイフを抜く隙は無い。――右手が使えれば。考える暇すら無い。

「律。破。喝――」

 単音節の呪文を発し呪術を繰り出すも、悉く躱されていた。炎と氷の刃が振られるごとに、ひとつ、またひとつと術式が失われていく。

 反撃の糸口すら掴めず、防戦一方となった結果、互いのハンデを補い合うように連携していた動きが乱れ、眼前の敵にのみ意識が集中していく。瞬間、謀ったかのごとく、対峙する敵が背後の味方を狙い発砲した。死角から放たれた銃弾が交差し、避弾符を削りきる。

「!」

 続けざまに撃ち込まれる9ミリ弾。回避するために生じた二人の隙を、影は見逃さない。

 炎刃が北見の胴を薙いだ。咄嗟にかばった腕を切り裂き、孕んだ炎が狩衣を業火に包む。

 腹部を貫かれると悟った横津は後ろに飛んでいた。しかし、氷刃は氷柱のごとく刀身を伸ばしボディアーマーを砕く。

 ――地を転がる二人に、立ち上がる力は残されていなかった。

「……な、に!?」

 絶望に揺れる視界に更なる悪夢が重なる。

 意識を失ったままの高峰紬の側に、ひとりの巨漢が立っていた。

 銃剣の付いた二挺のP226を構え、地に伏した者たちを睥睨するその影は、一切の感情を欠いた眼差しを高峰へと向ける。

「や、やめろ……」

 見紛うことなき二挺拳銃。熊野仁の戦闘スタイルと面貌を、二つのマズルフラッシュが照らした。


        ◇


「高野山との同調、切れます」

 包囲網に参加している太子課員から入った連絡に反応を示すことなく、玉置伽耶太子課課長は思案に耽っていた。

 表面的には、白髪とやや低い声質に実年齢以上に老成した印象を持たれるが、鋭い瞳に宿す光が他の全てを覆して彼女の人物像を決定付けている。

 それは妖しくも曖昧に、時として驕慢に、時として稚気を宿して輝き、捉えどころの無い雰囲気をこの女性に醸し出していた。

「……半数を観測に廻して」

「――どの半数でしょうか?」

 指示の意味を判じかねて困惑する部下には目もくれず、玉置は続ける。

「陣を発動させるだけなら半数も居れば足りる。直ちに観測を開始させなさい――」

 相手の反応など意に介さず、再び思索に沈みゆく上司に、傍らに立つ部下が囁く。

「よろしいのですか?」

「無線は聞かなかったの? もはや陣など無意味よ――」

 脳裏に描いた戦場を、ひとりの男が疾駆する。

「――彼奴が来ている」

 僅かに開いた瞳の光が、妖しくとぐろを巻いていた。


        ◇


 放たれた銃弾は地を抉る。

 鳴り響く銃声と舞い上がる砂塵が、吹き渡る風に流され、月光に濡れゆく河岸に。

 透き通る気配を闇より黒き姿に纏い――

「……依山……隆司……」

 その男は立っていた。

 ミディアムの散らし髪から覗く冷ややかな眼差し。漆黒のロングコートに包まれた長身が夜気を裂く。

 腰には一振りの打刀。

 融け合った人と凶器が、ひとつの刃と化したかのごとく、静謐な殺意を秘めてそれは佇んでいた――


 ――ゆらりと、獲物を奪われた影が動く。

 男の片腕に抱かれた高峰が地に降ろされた時、ひとときの静寂をP226の連射が破った。

 影と漆黒が走る。

 発砲タイミングを読み、偏差予測を上回る速度変化で銃弾を見切り、依山は駆けた。

 目指すは水上のグレイ。

 他の者には目もくれず、川面に向けて漆黒の剣士が疾走する。

「小癪」

 静かに吼え、グレイは下僕たちへと下知を飛ばした。三体の影全てが依山を標的と定め、主を守るべくその背を追う。四挺のP226と炎氷の刃、二振りの銃剣を牙として。

 岸辺の水に爪先を濡らした時、突如として依山は立ち止まった。その無防備な背中に氷刃が襲いかかろうとした刹那、振り向くことにすら先んじて、佇立したまま僅かに一閃させた右手が影の腕を切断し、氷刃を宙に散らしていた。

 斬り落とした腕が地に落ちるよりも速く駆け出した依山の後を、銃弾の水柱が追う。岸辺を蹴るブーツの散らす飛沫が月光を反射し銀色に舞った。

 銃撃に追い立てられるかのように下流へと走る姿を北見は呆然と見送る。

「……俺たちから引き離しているのか」

 水上のグレイも依山を追って移動していた。泰然たる態度は影を潜め、堪えきれない高揚に足を逸らせる。煽られた焦燥感がその身を縛り、水面を揺らした。そうだ、お前を待っていたのだと、心が早鐘を打つ。

「見せて貰おう」

 震える身体を右腕で包み、硬く結んだ左拳を眼前に掲げ詠う。

「不同にして同一。不異にして異」


 川に架かる鉄道橋に迫った時、眼前の闇を光が引き裂いた。

 足を止めずに駆け抜けた依山と光が交錯し、抜かれた刃に光輝が散る。現れた人型は徐々に輝きを失い、やがて実体を無くすかのように闇へと溶けた。

 新たな牙が、不可視の刃が依山を襲う。四挺の銃撃が、炎刃が、二振りの銃剣が続いた。

 グレイの統制を得て、攻撃は協調性を増している。

 制圧射撃を模した銃撃が自由行動を阻止し、獲物を罠へと誘う。狩り出されたその先に、必殺の一撃を与えんと不可視の影が待ち構え、振るわれた刃に鮮血が散った。

 繰り返される連携。進退窮まったかに見えた依山は、刀を鞘に収めると、銃撃の射線を無視して駆け出した。

 身体に撃ち込まれる銃弾をザイロン繊維を束ねたコートの防御に委ね、迸る銃声の中に、自らと等速で走る音を探る。

 研ぎ澄まされた精神がフィルターとなってノイズを除き、地を踏む音と振動を知覚へダイレクトに伝えた。

「――!」

 俄に翻る身体を掠め銃弾が土煙をあげる。腰をひねるなり抜き打ちで空間を薙ぎ払った依山は、得た手応えを元に刃を返し、不可視の敵を斬り倒した。人型にずれた光景が断たれた胴を境に実体を現し、二つに裂けた影となって倒れ伏す。

「……馬鹿な」

 水上のグレイが驚きを漏らした。動揺は影へと伝わり、隙となる。

 一瞬で間合いを詰めた刃が、風を巻いて逆胴を払う。依山が斬り抜けたその背後で、片腕の無い影が両断され崩れ落ちた。


 ――          ――

 声なき雄叫びを影が上げた。

 見る者の背筋を凍らせる笑みを浮かべ、憎悪と怨嗟に塗れた歓喜で大気を震わせる。

 それは、闘争者の狂気と悦楽。亡者の渇望を漲らせ、熊野仁の面貌で影が叫んでいた。

「――ぐッ!」

 吸い取られていく力と、逆流する思念にグレイは呻く。

 見つめる先の影が揺れる。陽炎のように立ち上る邪気が、呪いのごとき波動を纏い、下僕の輪郭を朧に歪ませた。配下に下した命は消え失せ、暴走していく狂気に為す術も無く力を奪われ跪く。

 ――          ――

 人の可聴域を超えた咆哮に世界が揺れる。

 獲物を見据え禍々しく光る双眸。大地を蹴散らし、抉り、震わせて、二丁拳銃の影は依山へと突進した。


        ◇


「今のは何!?」

 UH60JⅡ多用途ヘリコプターの機体が衝撃に揺れた。

 キャノピーで変調された振動が鼓膜を震わせ、耳鳴りとなって乗員を襲っている。

「分かりません。衝撃波のようなものが……」

 頭を僅かに振り、三半規管の状態を確かめながらコパイロットは答えた。

 視界内には爆発の痕跡も、飛翔体の姿も無く、衝撃の発生源と思しき物は何ひとつ確認出来ない。

「機体に異常なし」

 計器をチェックしていたパイロットが続ける。

「進路このままで構いませんか?」

「ええ。お願い――」

 隊員へと号令する国見玲子の声がヘッドセットに響いた。

「戦闘準備!」

 銃火器のセイフティを解除する音が、未だ残る耳鳴りを歪ませている。


        ◇


 低く地を這う姿勢から二挺のP226を発砲しつつ、影は依山を目掛けて突撃する。

 もはや銃撃は牽制に過ぎなかった。漆黒のコート襟から覗く白い喉笛を掻き切らんと、銃剣を閃かせて狂気が迫る。鋭さを増した動きは鈍色の残像を幻視させ、たなびく邪気がオーラのごとき軌跡を描いた。

 迎え撃った依山が上段から振るう刀を、クロスさせた二つ銃剣が受け止める。激突した二人が放つ衝撃波が旋風となって河岸を薙いだ。重ねた刃ごしに、双眸と口角が、溢れる激情を乗せて妖しく歪む。

 二メートルを超える長身から、凄まじい膂力で影は依山を圧迫する。

 鍔ぜりあいさながらに、力比べとなった両者の動きが止まった時、覆い被さる影の輪郭が二重に霞んだ。ぼやけた輪郭は分身となって立ち上り、依山の頭上で邪念の奔流と化して降り注ぐ。

「――ッ!」

 負の感情の激流が依山を襲った。

 ありとあらゆる邪念に翻弄され、吸い取られるように遠のいた意識が、自我を失い彷徨い沈む。闇に溶けた心が、光に背いて甘く爛れた。

 相克に耽溺し、蠱毒の芳香に酔い痴れ、刃の上で踊り狂う。地獄の底に見つけた法悦――

 嗜虐に溺れて羅刹が嗤う。

 ――地に蟠る墨色の沼に、頽れ、墜ちようとした時、

「!」

 近づく殺気と圧力が依山の意識を呼び戻した。

 交えていた刃にかかる力が横へと抜ける。まるで、背後に迫った影が振るう炎刃に巻き取られたかのように、拮抗していた力がいなされ左後方へとベクトルを変えた。

 銃剣から離れた打刀が弧を描き、炎刃もろとも影を両断する。そのまま勢いを殺さずに地を転がり、依山は銃剣からの間合いを外した。

 地面に広がった邪念の澱みへ斬られた影が倒れ伏し、水面に落ちた残り火のように散った炎刃が燻り消える。

 ――          ――

 地鳴りを思わせる唸りが轟いた。

 血臭を嗅ぎ取った獣の渇きを双眸に漲らせ、屹立する影が倒れた同種を凝望する。頭部から胸部、腹部から臀部へ、黒き澱みへ人型が沈む。底無き欲望の沼へ。

 ごくりと、巨魁の喉が蠕動した時、全ては陰へと掻き消えていた――


 膨れ上がり、張り詰める狂気。渇望は絶えること無くその身を焦がし、餌食を求め永遠に哭く。果て無き闘争に答えを見出し、研いた牙を晒して嗤う。

 紅に濁った双眸が好敵手を捉え喜悦に泣いた。

 再び激突する影と漆黒。力と技が相克し、走る刃が火花を散らす。

 体格で圧倒的に勝る影は、上背と膂力、長い腕を生かし銃剣のリーチを補う。唸りを上げて切り裂かれる大気が、その一撃の重さを物語り戦慄いた。

 相手の強打を受け止め、擦り上げることで依山は反撃をしていた。狭まった間合いの中、滑るように翻る刃が影の腕に細かな傷を与えていく。

 絡まるようにせめぎ合い、紙一重の生死を刃に乗せて心が躍った。躍る心は身体を逸らせ、闘争は際限なく加速していく。羅刹と人が、その異なる理の真価を問うて、その異なる意志を相手に強要すべく、無数の剣戟を交わす。

 影の圧力に大地は割れ、依山の太刀筋が大気に旋風を巻き起こした。相手の信念と決意、その源泉すら塗り替えるべく――

 夥しい激突、無限に続くかに思われた死闘の中、不意に間合いが同時に切られ、両者が後方へと跳んだ。

 身体をやや斜めに開き、打刀を下段に構える依山。影は巨体を誇示するかのように、両手を左右に大きく広げ銃剣の付いたP226を掲げる。

「どういうことだ?」

「え?」

「影の邪気が弱まっている」

 訝しむ北見の視線が影の変化を捉えていた。

 依然として高い戦意を漲らせながらも、陽炎のように姿を霞ませていた邪気が薄まり、気配が変質している。相手を見据える双眸から濁りが消え失せ、意志を窺わせる瞳が覗いていた。

 ――下げた刀尖を右へ傾け誘いをかける依山に、影は吸い込まれるように間合いを詰める。

 峻烈さ、凄絶さにおいては、いささかの欠落も無く再開された戦闘に、明確な変化が生じていた。

 相手を凌駕せんとする動きから、憎悪が消えていた。振るわれる刃から、血を啜る願望が失われていた。一振りごと、一合ごとに、邪念と妄執が影から祓われていた。

 ただそこにあるのは、己が力と技に全てを託した愚直なまでの覇気。

「……あれは、魂鎮だ……」

 北見が驚きに目を見張る。

「戦いで研磨された魂が、あるべき場所へと鎮められている」

「……あの死闘の中で、そんなことが!?」

 震える語尾に秘められる畏敬と危惧。重なる影に、ともに異質なるものを見咎めて虞が走った。


「戯れ事を!!」

 影の暴走から解放されたグレイが怒声を上げた。

 逆流した負の思念に侵蝕された精神が軋み、屈辱と憤怒に表情を歪ませる。邪念が乗り移ったかのごとき憎悪を滾らせ、影へと命を下し、吠えた。

「我が意に従え!」

 喉元を狙い左右からクロスしてきた銃剣を依山がバックステップで躱した時、影の瞳から意志の光が消える。

 広がった間合いは詰められることなく、交差した腕もそのままに9ミリ弾が連射された。

 浴びせかけられた銃弾が依山の頬を掠める。すぐさま相手の懐に飛び込み、低くすり抜けることで狙いを逸らすも、躱しきれなかった一撃がザイロン繊維のコートに鉛の花を咲かせていた。

 衝撃に依山は地を転がる。

 影は弾薬の尽きたP226を投げ捨てると、ヒップホルスターから巨大なハンドガンを抜き放った。

「LONE EAGLE!?」

「あれも奪っていたのか!」

 横津と北見の驚愕が重なった。

 MAGNUM RESEARCH LONE EAGLE 熊野仁の切り札。桁外れの威力を秘めたハンドキャノンが咆える。

 対グレイ用に強化された特殊弾が、9ミリ弾の7倍以上の破壊力を持って依山を狙い発砲された。


 サーチライトの光が視界を覆った。

 UH60JⅡが上空を舞い、開かれたスライドドアからアサルトライフルを構えた乗員が覗いている。

 内部に数名の慌ただしい動き。

 その一挙手一投足が、口の動きに至るまで鮮明に映る。

 スピーカーから発せられる警告。

 ターボシャフトのエンジン音と、メインローターの風切り音が遠い……。

 視界を遮るサーチライトの眩光の中、全てが緩やかに〝視えて〟いた。


 ――何故と問うたことがあった。

 また嘆くのかと。

 それは誤りだと、別つものなど無いのだと告げられた。

 実在は互いに干渉し合う。

 なすがままに、修得し、解放され。

 故に、常に我が内に有りと――


 依山の瞳はEAGLEの弾道を視認していた。

 秒速850メートルを超える速度で飛来する弾丸に反応すべく、増幅された瞬発力が肉体を際限無く加速させていく。

 限界を超えた反射速度に危機を訴える本能を黙殺し、更に速度を増すべく力の奔流に身を委ねた。

 負荷に燃え立つ細胞に全身が悲鳴を上げ、酷使された筋肉組織が破断していく。飽和した神経回路がショートを起こし、明滅した意識が刈り取られ、消えた。

 暗転する視界に光が走る。それは、迫り来る弾丸へと刀身を導くように、金色に――

 上段に翻る打刀が月光を緩慢に反射した。

 縋る月光を置き去りに神速で振るわれた刃が、7・62ミリ強化NATO弾を両断する。


 サーチライトの光が視界を覆った。

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グレイ ― 灰色の蝕 ― 逸孝遼 @R-hayataka

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