最終章

「うーん…、確かにアメリカ大陸は広過ぎますよね。その点、日本は周りを海に囲まれた小さな島国だったから、外敵もなく縄文時代は一万年以上も続いたわけですから、平和と云えば平和そのものだったんでしょうね…」

「いや、先生たちは学識も豊富ですし、あっしみたいな一介の調理人には、とても太刀打ちなどはできませんが、縄文時代は一万年も続いたんですか…。すると、今の日本人はどれくらい経っているんですかねぇ…」

「さあ…、僕もそこまでは詳しく調べたことがないので、はっきりとしたことはわかりませんが、約二・三万年前に朝鮮半島やサハリンを通って、また南方からは舟で渡ってきて棲みついたのが始まりで、それが縄文文化に繋がっていったと聞いています」 

「高井戸先生はやはり大したものですよ。さすがは大学教授だけのことはありますよ。あっしらには本ででも読まない限り、そこまではスラスラとは出てきませんねから…」

「いや、違いますよ。マスター、僕はまだ准教授ですから、そこまでマスターにお褒めに与かるような人間じゃありませんよ。さあ、港が見えてきました。みなさん、そろそろ降りる準備をしてください」

港の小型船舶用の船着き場に着岸すると、須部田や南像たちも揃って降りてきた。ポートから下りてきた南像たちも無言のまま、目配せをするとそれぞれ車に乗り込むと宿へと向かった。宿に着くとすぐさま会議が始まり、議長は暗黙のうちに南像が務めていた。

「これは誠にもって、忌々しき事態と云わざるを得ません。もしも、これが世界中に漏れでもしたら、それこそ自国の利を得ようとして国同士が、上を下への大騒乱になることは必定であります。そのようなことは、絶対にあってはならないことであります。

故に断じて極秘裏に、あの化け物島を葬り去らなければなりません。われわれは、これまでにも世間には伏せて内密に調査を続けてきましたが、そういつまでも世間の目を隠し覆うせるものでもありますまい。もうそろそろ、この近海を行き来する船舶の目に触れてもおかしくない時期でもあります。できるだけ早い時期に何とかしないと、そのうちに本当に取り返しのつかないことになり兼ねません…」

議長の南像が、問題の提起が終わるのを待っていたように、菅田がすっくと立ち上って一同を見渡すようにして言った。

「南像教授…、いや、議長。あの島に隠されている財宝は、アメリカとロシヤの国家予算の数十倍ということでしたが、それをそのままにしておくつもりなのですか。あなたは…、少なくても私たち研究者は研究費用を捻出するために、日々徒労とも思えるような努力を積み重ねているのです。

 現在(いま)では誰の持ち物でもなくなった海賊の財宝を、ほんの微々たる一部を私たちのような研究者に、分けてもらったとしても誰からも文句の云われることもないでしょう…」

「それで…。あなたは、どうなさるおつもりなのですかな。菅田博士…」

「どうするかって…、決まっているではありませんか。これから、もう一度化け物島に行って、お宝を少しばかり頂いて来ようと云うのですよ」

菅田は平然とした顔で言った。

「いかん、いかんぞ…。菅田、あの島がいかに危険であるのか、お前だって充分解かっておるはずじゃぞ。そんな危険な真似はわしが許さんぞ」

 菅田の話を聞いていた須部田も猛烈に反対した。

「ご心配には及びませんよ。先生、夕方までには戻ってきますから…、仲磯浜さん、青山くんが着ていた潜水服を私にも貸して頂けないでしょうか。お礼は十分しますから…」

「それはわっしは構いませんが、でも大丈夫なんですかい…。博士」

「大丈夫ですよ。青山くんほどではありませんが、私も学生時代は水泳をやっていましたから、泳ぎには多少自身がありますから心配には及びません。それでは、あの潜水服をお借りしますよ。仲磯浜さん。おい、出かけるぞ…」

 菅田は助手にひと声かけると、さっさと会議室から出て行ってしまった。

「やれ、やれ、あれには困ったものじゃわい…。思い込んだら命がけという、無鉄砲なところがあるからのう…。それがあれの長所でもあり短所でもあるのだが、誠に困った奴じゃわい…」

 菅田が出て行った会議室は一瞬沈黙が流れたが、南像は機転を利かせてこう提案した。

「いかがでしょうか…。みなさん、菅田博士が欠席されてしまいました。ここはひとつ休憩を入れまして、菅田博士が戻られたら改めて再開するということでは、どうでしょうかな…」

「あっしらには異存はありませんが…」

 奥山がまず賛成した。

「すみません…。でも僕は菅田博士はとても身勝手な人だと思いますが、一応賛成します」

「まあ、そう云うな。青山、菅田さんだって菅田さんなりに、一生懸命に頑張っておられるんだからな…。あ、僕も意義はありません」

「おらだちも何もねえだども、早えどご化け物島を何とかしてもらわねえど、安心すて漁もできねえだでよ」

「あたしも何もないです…」

「まったく、三志郎め。勝手な行動をしくさってからに…、誠にもってけしからん。わしも賛成じゃ…」

 こうして、菅田博士の帰るのを待って再開することで、会議は一旦休憩に入った。

 それから五時間余りが過ぎ去り、海は夕暮れ近くになって空も海も夕焼け色に染まって行った。この時間になっても菅田は帰ってくる様子もなく、宿に残された高井戸たちは口にこそ出さなかったが、それぞれの胸中には何か得体の知れない、不安のようなものが徐々に広がってゆくのを、どうすることも出きなかった。

 そんな中、高井戸が青山のところにやってきた。

「なあ、青山よ…。これはどう見ても尋常なことではなさそうだぞ…。菅田博士はすぐ帰ると云っておきながら、この時間になっても帰ってこないということは、きっと良からぬことが起こっているということだ。もし、明日までに戻ってこなかったら、もう一度あの島に行ってみるしかなさそうだぞ…」

「でも、先生。もしかしたら、菅田博士は石斧の描いてあった扉を開けるのに成功して、助手の人とふたりで財宝を運び出しているんじゃないですか…」

「いや、そんなこともあるまい。酸素ボンベの空気は、せいぜい持ったとしても一時間そこそこだ。それに君が使ったから、三十分がいいところだろう。

 とにかく、南像教授や須部田博士とも相談して、もう一度島に渡ってみようと思っているんだ。それから、このことは由美子さんには云わないほうがいいぞ…。何が起こるかわからないし彼女は女の子だからな…」

 高井戸が何を考えているのか、青山にも薄っすらとわかるような気がした。こんな遅い時間になっても菅田が帰らないのは、帰れないような惨状に陥っているのではないかと、高井戸は考えているのだろうと青山は思った。                                                                                                                                      

「わかりました。先生、じゃ、明日は由美子さんは連れて行かないんですね…」

「まあ、そういうことになるかも知れんな…。何とかして帰って来れればいいのだがな…。菅田さんも…」

 高井戸と青山は夜遅くまで話し込んでいたが、菅田とその助手はついにその晩は帰ってはこなかった。あくる日になると、昨夜菅田が帰ってこなかったことで、朝食の時もその話しで持ちきりだった。

「だから、云わんこっちゃないんじゃ…。あの愚か者めが、わしの云うことも聞かずに勝手な真似をするから、こんなにみんなにも心配かけることになるのじゃ…。まったくの大愚か者めが…」

「まあ、まあ…、須部田博士。そんなに興奮なさらずに…」

 ついに昨晩帰ることがなかった菅田に、朝食を取りながら烈火のごとく怒り狂う、須部田を南像は優しくなだめるように言った。

「菅田博士にも、何か帰るに帰れない事情でもあったのでしょうから、もう少し寛容なお気持ちで待ってあげてはいかがですか…、それに私たちもこれから博士を捜索に行くのですから、きっと元気な姿を見せてくれますよ」

 そう言いつつも、南像自身の中にも何か言い知れない、不安のようなものが沸き上がるのを、どうしても抑えることができなかった。

「はぁて、飯も喰ったごとだし早えどこ出がげっべ。高井戸先生から、由美子が来るめえ行ぐって云われてっからよ。おらぁ、先に行って船の準備ばして来っから、ちょっくら待ってでけろや…」

 源三だけがいつもと変わらない元気な姿で出て行った。

「ふふん、何も知らぬ者は美徳なりか…。さて、わしらも出かける用意をしておけ…」

 表情には出さないが、須部田も愛弟子である菅田の安否を気にしているようだった。

「それでは僕たちも出かける準備をしましょうか」

 高井戸もう言って立ち上がった。

「準備も何も、あっしらにはそんなものは必要ありませんや。いつでも行けますよ」

 と、奥山と仲磯浜も言い合わせたように立ち上がる。

「よし、それでは行きましょうか…。源さんもそろそろ用意ができている頃ですから…」

「先生、大丈夫なんですかね…。本当に…」

 青山は、昨夜高井戸と話し合ったことを思い出して、ブルっと身震いしながら高井戸に訊いた。

「何とも云えないが、とにかく行って見るしかないだろう。君もあのことは絶対に由美子さんには云うんじゃないぞ」

 それから三十分後、源三の船に乗って高井戸たちの姿は太平洋上にあった。今日も気持ちいいほど晴れ渡り海も凪いでいて、心地よい潮風が高井戸たちの頬を打っていた。こんなに穏やかな海に、どうしてあのような怪物じみた化け物島が浮遊しているのか、高井戸には未だに信じがたい気持ちでいっぱいだった。

「おーい、そろそろ化け物島が見えで来る頃たで、みんな降りる用意ばしてけろやー」

 源三のダミ声が聞こえてきた。

「ふふん、いよいよ来たか…。あの愚か者めが、今頃まで何をしていることやら…」

 須部田は独り言をいうように呟いた。この須部田という老博士は口こそ悪いが、やはり愛弟子である菅田のことを気にかけているようだった。

 源三が島の浅瀬まで船を寄せると、高井戸たちは小舟で化け物島へと漕ぎ着けた。

島の上は相変わらず閑散とした佇まいを見せていて、空を見上げてもカモメの舞い飛ぶ姿さえ見られなかった。きっと人間意外の生き物たちは、自分の命に関わる危険な場所へは、勘のようなものが働くのだろうと高井戸は思った。

「さて、博士。まずはどこから探しましょうかな…」

南像の問いかけに須部田は歴然とした口調で言い切った。

「決まっておるではないか。青山が見たという「斧の扉」を探すんじゃよ。決まりきったことを聞くんじゃないよ。南像くん」

「し、しかしですよ。博士、青山の話によりますと、斧の扉のある洞窟は島の海底を潜って、かなりの距離を泳がなければ辿り着けないということです。いくら青山が泳ぎは得意とは云っても、素潜りで行けるような距離ではありませんよ…。どうやって行けとおっしゃるのですか。あなたは…」

 高井戸が慌てて青山をかばおうとした。

「誰も素潜りで行けとは云っとらんよ。わしは…」

「それじゃ、どうやって…」

高井戸と須部田のやり取りを聞いていた奥山が、南像に耳打ちをするように低い声で聞いた。

「南像先生、須部田博士はどうするおつもりかは知りませんが、あっしらがここにいたって埒が明かないと思うんですよ。

そこで、あっしと伊左次と源さんと三人で、向こうのほうを捜してみようと思うんですが、よろしいでござんしょうかね…」

 と、奥山は自分たちがいる反対側の方向を指して言った。

「それは構いませんが…、くれぐれも気をつけて行ってくださいよ。マスター」

「よし、決まりましたね。さすがは南像先生、話が早いですねぇ。伊左次、源さん。行きましょうか…」

 奥山を先頭にして、三人は島の反対側を目指して、菅田の捜索に出かけて行った。

「だから、わしは何も素潜りで行けとは云っとらんではないか。おい、海原。例のものは持ってきただろうな…」

「はい、先生。ここにあります」

 須部田の助手のひとり海原が、大きなバッグを手にして前に出てきた。

「何ですか。これは…」

 高井戸の問いに、須部田はニヤリと笑って「早く開けろ」と言った。

 海原がパッグの中から取り出したのは、先日青山が着ていたものと同じような潜水服と、仲磯浜が持ってきたものよりも、ひと回り大きい酸素ボンベが入っていた。

「これはな。昨日のうちに海原に云いつけて探させたものじゃ。特にそのボンベは特殊なタイプのもので、空気をさらに圧縮して詰めることができるから、普通のものより約二倍近くは持つはずなんじゃ」

「はあ…、二倍ですか…。そいつは凄いですね。今はそういうのもあるんですね。それじゃ、使い方によっては軽く二時間は持つことになるのか…」

高井戸はしきりに感心していた。

「さあ、青山くん。さっそく着替えてなさい。そして、斧の扉のある海底洞窟に行って一刻も早く、菅田博士を探し出してきなさい」

南像にいわれるまでもなく,青山は着ている服を脱いで潜水服に着替え始め、それが済むと波打ち際まで行って、一歩足を踏み入れようとした時だった。

「大(てえ)変だぁ…、みんな早ぐ来てくれろー」

 源三が大慌てで走ってくるのが見えた。高井戸たちのところまでくると、源三は肩で息をしながら口をパクパクさせていた。

「どうしたんですか。源さん、一体…」

 高井戸が訊くと、源三は喉をゼイゼイさせながらやっと声を発した。

「て、大変だよ…。先生方…、おらと良さんだちで島の裏側に行ったんだども、ほうしたら昨日菅田博士と助手の人が着ていだ服が、まるで子供が服を脱ぎ捨てだみていに、あっちこっちに散らばってだんだ…。それがおがしいごとに下着がらパンツまで落ちてだんだ。普通だったら、海に入る時だってパンツぐれぇは履いてるもんだべに…」

「それは大変だ…。須部田博士、南像先輩…。とにかく、そこに行って見ましょう。源さん、そこまで大至急案内してください」

「おーし、ガッテンだ。こっちだ。みんな付いてきてけろ…」

 源三は、今来たばかりの砂浜を韋駄天のような速さで走り出した。

「よし、僕たちも後を追いしょう…」

 高井戸たちも源三の後を追って走り出した。

「だから、云わぬことではないのじゃ…。やはり、わしが睨んだとおりになったか…。あの愚か者めが…」

 須部田はブツブツと独り言を言いながら、助手ふたりに支えられながら、ゆっくりとした足取りで歩き出した。

 一方、源三を追って菅田とその助手が脱ぎ捨てたという、洋服が散らばっている場所に着いた高井戸たちは、そこに散らばった服やズボンは確かに菅田と助手が、身に付けていたものであることがはっきりと分かった。ふたりが海で泳いでいるのではないかと、あちこちと探しては見たが、もちろん菅田も助手の姿も、どこにも見つけることはできなかった。

「高井戸先生、ちょっと来てみてください。どうやら、この洋服は脱いで捨てたものではないようですね…」

「え…、そんなことが判るんですか。マスターは…」

「見れば判りますよ。いいですか、脱いだ服ならボタンとかベルトが、外されているのが普通でしょう。ところが、この服やズボンはまるで中身だけが、すっぽり抜け出してみたいに、綺麗に填ったままになっているじゃありませんか…」

 奥山のいう通り、そこに散らばっている服やズボンは、すべてボタンやベルトが填った状態のままだった。

「す、するとやっぱり菅田博士たちは、この化け物島の餌にされた…」

 高井戸は目の前が真っ暗になる思いがした。まさか、昨夜青山に話した自分の想像が、現実のものになるとは夢にも思っていなかったからだ。

「しかし、マスターはよくそこまで気が付きますね…。僕なんかまったく判らなかったし、まるで小説に出てくる名探偵みたいじゃないですか…」

「それですよ。先生、前にも話したじゃありませんか。あっしは本を読むのが好きでしてね。探偵小説なんかも読んだんですよ。横溝正史の金田一耕助シリーズは特に好きでしてね。よく読んだものですよ」

「そうですか…。道理でマスターの推理力も大したものだと思いましたよ」

「いや、高井戸くんのいう通りですよ。私も聞いていて感心しました。ひと目見ただけで、そこまで推察できるということは、取りも直さず名探偵と云えるでしょうな」

 横で聞いていた南像までが、奥山のことを褒め称えた。

「いやぁ、お恥ずかしいですよ。南像先生までそんな…」

 奥山は消え入りそうに後ろに下がると、散らばっている菅田たちの洋服を拾い始めた。

「あ、やっと須部田はかせたちも見えられましたよ」

 高井戸が声をかけたので奥山は服を拾う手を止めて、須部田たちのやってくる海岸線のほうを振り向いた。

 見ると、須部田は助手の海原に背負われて、やたら掛け声だけをかけているのが聞こえてきた。

 やっとの思いで辿り着いた須部田は、海原の背中から下りると開口一番高井戸にこう訊いた。

「どうじゃった…。高井戸くん、菅田の衣服はボタンとかベルトは、そのままの状態だったのと違うかの…」

「ええ…、どうして博士はそれを知っておられるんですか…」

 高井戸は、唖然とした表情で聞き返した。

「何をそんなに驚いておる…。ただの勘じゃよ。わしのな…」

「しかし…、いや、驚きました…。私も一応予測はしていたのですが、それを博士は現場すら見ないで一発で言い当てられた。これには私などには唯々(ただただ)驚くばかりですよ…」

「ふふん、高井戸くん。君もまだまだ蒼いようだの…。そんなことでいちいち驚くようではの、いいかね。よく聞きなされよ。今回のようなことは、これまでの状況から鑑(かんが)みれば、おおよその結果は見えてくるはずじゃぞ。高井戸くん、恐らく君だってこんなことになるのではないかという、予測はしていたのではないかの…。もし、そうでなかったとしたら、君は人間が蒼いということになる。違うかね…」

「はあ、それそうですが、僕も一応は予測をしてはいたのです。ですが、まさかこのような形であからさまに見せつけられるとは、夢にも考えていなかったものですから、多少は取り乱していたかも知れません」

「おお、そうか、そうか。それでええんじゃ。さすがに君は、わしが見込んだ通り明晰な頭脳を持っているようじゃ。それに君は菅田と違って、化け物島のことを決して舐めてはおらん。そこが一番の菅田と違うところじゃ、ところが菅田の奴は端っから舐めて掛かりおってからに、挙句の果てがこのありさまじゃ。

わしの云うことさえ真面に聞いておれば、こんなことにはならなかったのじゃ。まったく以て愚か者めが…。

かといって菅田三志郎は、このわしが手塩にかけて育て上げた可愛い弟子じゃ…。

それが無残にも化け物島の餌食にされたとあっては、あやつをこのまま手を拱いて野放し状態にしておいたとあっては、老い先短いこのわしが死んだ時に菅田に合わせる顔がない…。どんなことをしてでも、あやつを撃退あるいは壊滅状態に追い込まなければ、宇宙空間物理学者としての面目が立たん…。待っおれよ…。化け物島め、必ずや菅田の仇はこのわしの手で討ってやるからな…。ぬぬぬぬ…」

愛弟子を餌食にされた須部田は、化け物島に対する憤怒の念を露わにして、菅田の無念を晴らそうと執念を燃やしていた。

「博士、あなたのお気持ちはお察しいたします…。さあ、参りましょう…」

 南像は優しく須部田の背中に手をかけた。

「さあ、それではみなさんも引き揚げましょう。船に戻ってください。今日は本当にご苦労さまでした」

 高井戸が声をかけると、奥山と仲磯浜が寄ってきた。

「高井戸先生、姿博士は本当に可哀そうなことをしましたね…」

「ああ、マスターに仲磯浜さん。しかし、マスターも大変ですね。こう毎回毎回付き合わされては…、お店のほうもあるでしょうに…」

「なーに、心配には及びませんよ。先生、あっしにとってはあんなチッポケな店、半分は遊びみたいなものですからね。それに、あっしも伊左次に負けず劣らず、好奇心は旺盛なほうですし、乗り掛かった舟という言葉もありますから、どうぞご心配などなさらないでください。

こう見えても、あっしらも結構楽しんていますんでね…。おっと…、菅田博士がご不幸に合われたというのに、とんだ不謹慎なこと云ってしまいました…」

「いや、菅田博士には気の毒でしたが、いいんじゃないんですか。人それぞれいう言葉もありますから…。さて、僕たちも行きましょうか。源さんも待っていると思いますから…」

 こうして、菅田博士と助手の遺品を回収して、もうこの島は二度と訪れることもないだろうと、高井戸も南像も須部田も万感の思いを胸に、どこまで遡ればその原点に辿り着くことができるのか、誰にも解からないという伝説の幽霊島を後にした。

 それから三日後、菅田の葬儀がしめやかに執り行われた。

 葬儀委員長の須部田は、弔辞の中で彼のことをこう評した。

「……以上のような理由から、故人のことを愚か者戯け物と叱責をして参りましたが、それは取りも直さず故人の能力を、わしなりに認めていたればこそであります。

 人間というものは、褒め称えてやれば自信も持ちますが、自意識過剰になり兼ねないと思っからですじゃ…。しかし、故人はそんなことにはめげもせず、ひたすら自らの研究に没頭しておりましたのじゃ。そんな姿を見るにつけ、わしとしてはそれ以上何も云えなかったのですじゃ…。これからな、

 さて、大変長くなりましたが、本日は故菅田三志郎義にご参列を頂きまして、心より御礼を申し上げる次第ですじゃ…」

 須部田は参列者に向かって深々と頭を下げた。

 故菅田三志朗の葬儀は終わりを告げて、それからさらに三週間ほど過ぎ去った頃、高井戸のところに須部田から電話がかかってきた。

『高井戸くんかね。わしじゃ、須部田じゃ。実は君に付き合ってもらいたいことかあるんじゃか、都合はどうかね…』

「都合ですか…。都合ならどうにでもなりますが、一体何ですか…。僕に付き合ってもらいたいというのは…」

『おお、そうか、そうか。それは何よりじゃ、いよいよ最後の戦いじゃ。これから、わしが菅田を酷い目に合わせてくれた、化け物島に引導を渡してくれるわい…。君は青山を連れて目黒の自衛隊基地に向かってくれ。南像にも知らせてあるから、詳しいことは後程じゃ。それでは待っとるでよ…』

「あ、待ってください。博士、須部田博士…」

 と、高井戸は受話器に向かって叫んだが、プツンという音とともに須部田の電話は切れてしまった。

 何がなんだか解からないまま、高井戸は青山を誘って中目黒にある、防衛省目黒基地へと向かっていた。その車の中で高井戸は、なんのために自衛隊基地に行くのか、解からないで乗っている青山に言った。

「実はな…。突然、須部田博士から電話がかかって、『いよいよ最後の戦いだ』って云うんだよ。『南像教授にも知らせてあるから、君は青山を連れて目黒の自衛隊基地まで行ってくれ』と、云って電話は切れたから、僕自身にも何がなんだか訳が分からないんだよ…。ん…、こんなことも云ったな…。『いよいよ最後戦い者、菅田をあんな酷い目に合わせてくれた。化け物島にわしの手で引導を渡してやる…』とか、そんなことも云っていたな…」

「一体、何をやる気なんですかね…。須部田博士は…」

「それが僕にも判らないから戸惑っていたところだよ…。あ…、見えてきた。国防省目黒基地って書いてある。あそこだ…」

 高井戸が目黒基地の前に車を止めると、自衛官が二名待っていた。ふたりが車から降りると自衛官は敬礼をしてから、

「高井戸さんと青山さんですね。須部田博士がお待ちです。こちらへどうぞ」

 テキパキとした態度で、ふたりを基地の滑走路へと案内した行った。

「おお、来たか、来たか…、待っておったぞ…。すぐにあれへ乗り込んでくれ」

 須部田が指差した方向には、エンジンを掛けたままの状態で双発機が待機していた。

「一体、何をしようと云うんです…。僕たちをこんなところに呼んだりして、理由(わけ)を聞かせてくださいよ。理由を…、須部田博士…」

「まあ、そう急かせるもんじゃないよ。高井戸くん、あれに乗ってからでも充分説明は訊けると思うがね。私は…」

 先に来ていたらしい南像が高井戸の肩を軽く叩いて、双発機の止めてある方向を目指して歩き出した。

 双発機が離陸すると、須部田は操縦席のすぐ後ろに陣取り、パイロットに細やかな指示を与えていた。それが済むと、ようやく高井戸たちのほうに向き直った。

「さて、諸君…。なかなか説明をしている暇がなくて済まなかったのう…。

 わしには三志郎のことを、あんな酷(むご)い目に合わせてくれた化け物島が、どうしても許すわけにはいかんのじゃ。だから、首相に掛け合って自衛隊を借りることにしたのじゃ。だが、事は表沙汰にはできんからな。表向きは実地訓練ということにして、化け物島の沿岸にある自衛隊基地より、ジェット戦闘機がやってくる手筈になっておる。そこで一気に攻撃を仕掛けて彼奴(あやつ)めを地獄の底まで、陥れてやろうと云うんじゃよ。

 そうなれば、菅田の奴も安心して成仏できるじゃろうて…」

須部田の悲愴とも思える言葉に、高井戸も南像も青山も口にする言葉もなく、ただただ黙するのみだった。

 それから一時間余り飛行を続けた頃、双発機のパイロットが須部田に向かって、こう尋ねてきた。

「須部田博士。まもなく目的地上空に到達いたしますが、如何いたしましょうか…」

「うむ、目的地に着いたら、そのままの高度を保って上空を旋回してくれたまえ…。それから、海原。モニターの準備はできておるのか…」

「はい、準備万端整っております」

「お、見えてきましたね。幽霊島が…、海原さん、もう少し画面をアップしてもらえませんかね…」

 海原の調整するモニターには、双発機に取り付けられたカメラの映し出す、幽霊島の姿がクッキリと映し出されていた。海原がモニター画面をズームすると、とんがり山の頂上付近がさらにハッキリと見えてきた。

「そろそろ友軍機がやってくる時分ですが、このまま飛び続けてもよろしいでしょうか」 パイロットがまた声をかけてきた。

「当り前じゃ、わしはそのために来たんじゃからの…。そして、あの化け物島の最後の断末魔の姿を見ないことには、どうしてもわしの腹の虫がおさまらんのじゃ…。構わんから、このまま旋回を続けて…」

「は、かしこまりました。博士」

 双発機のパイロットは、須部田に言われた通りゆっくりとした速度で、化け物島の上空五千メートル付近を旋回して行った。

「源三さんが、初めて伝説の『幽霊島』を見たという話を聞きつけて、そんなにひとつの島が現れたり消えたりするのは、どうしても納得がいかなくて青山を誘って、この町に調べに来てからどのくらい経つんだろう…」

 高井戸が感慨深げに、過去を振り返るように言った。

「ええと、確か一年と少し前だったと思いますよ。先生…」

「ほう、もうそんなに経つのか…。大したもんだね。君の記憶力も…」

 双発機に取り付けてある、カメラのモニターを調整していた海原が、

「航空自衛隊のジェット戦闘機の編隊が到着した模様です。先生」

 と、須部田のほうを向いて告げた。みんなでモニターを覗き込むと、数十機にも及ぶ編隊が化け物島を遠巻きして、旋回しているのが映し出されていた。

しばらく旋回を続けていた編隊が、四方に飛び去ったかと思うと急旋回して、全機とも搭載してあるミサイルを一斉に打ち込んだ。

ボボーン、ボボボーン、ボガガーン…。物凄い大音響とともに、ミサイルは島のあちこちに当たり炸裂した。攻撃が終わると島全体が爆煙に覆われて、とんがり山の中ほどより上の部分だけが見えていた。

「むむ…、あれではいかんな…。操縦士くん、あれの二倍の編隊が必要じゃな…。現地の部隊で足りなければ、近県の各基地に応援を依頼してでもとにかく集めねばならん。ことは急を要するから大至急応援を依頼するんじゃ。

 今を逃したら、もう二度とこんなチャンスはないかも知れんからのう…。あ、それからの…。これから先の攻撃に関しては、すべての指示はわしが出すということも伝えてくれ。総理大臣より全権委任も受けておるで心配はいらん」

「は、かしこまりました。自分はこれより、直ちに各方面各部隊に連絡を取り、その旨を伝えるであります。博士」

 パイロットは操縦を副パイロットに任せ、須部田に言われたとおり各方面に連絡を取り終えた。

 須部田の緊急事態という言葉が効いたのか、各方面の航空自衛隊より最新鋭ジェット戦闘機F35Aが発進して行った。

「おう、来たわい、来たわい。五十機近く集まりおったか…。これだけの数が揃えば、よもや失敗することもなかろうて…。どれ、わしにもマイクか何か貸してくれんかの…」

 パイロットがマイクの付いたヘッドフォンを手渡した。須部田はそれを自分の耳にすっぽりと填めると、

「あああ、あ…、みんな聞こえておるかの…。わしは宇宙空間物理学の須部田じゃ、わしは総理大臣より、あの化け物島に関することの全面委任を受けておる。これから直ちに総攻撃をかけるにあたり、指揮はわしが取るので諸君は、わしのいう通りに動いてくれればそれでええ。但し、単独攻撃は絶対してはならん。狙うのはとんがり山の根元の四ヶ所を、四方から集中してミサイルを撃ち込めば、それですべて終わるはずじゃ。よいか、東西南北の四方向から集中して撃ち込むのじゃぞ。よし、かかれ…」

 須部田に言われたとおりF35戦闘機隊は、一旦島から遠退いて方向転換をすると、目標の四地を目指して突撃を開始した。

「よし、今じゃ。撃ち込めー…」

 須部田の号令とともに、戦闘機隊から発射されたミサイルは、まっすぐな軌跡を残して飛んで行った。

 ドッゴォォーン、ズガガガガーン、ドドドドーン、バリバリ、ドズガガーン。

 ミサイルは全弾命中して島全体が爆煙につつみ込まれた。

とんがり山はグラっと傾いたかと思うと、

ヴァギャウォォーオォーン…。という、凄まじい悲鳴とも轟ともつかない音を立てて、真っぷたつに折れて、海の中に転がり落ちるようにして沈んで行った。

そして、ミサイルによる爆煙が消えかけた時、海上には江戸時代の遥かな以前より、その時代その時代に民衆の口から口へと語り継がれてきた、伝説の島『幽霊島』の姿は跡形もなく消え失せていたのだった。

双発機の中で、それを見ていた須部田の、

「ふふん、これで菅田もどうにか成仏してくれるじゃろうて…」

 と、いう言葉が、高井戸には妙に印象的に聞こえていた。

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