第九章

「これから、どうしようか…」

 青山が由美子に訊いた。

「そうね…。あとはどこにも行くところないわよ。もう…」

「そうだ…。奥山マスターのところにでも行って、源さんの云ってた親子丼でも食べようか…」

「いいわね。あたしもちょっとお腹が空いてたところだったの。行きましょうか…」

 食べ物のことになると話がまとまるのも早く、ふたりは揃って奥山のやっている町食堂に向かった。

「あれ…。確か、この辺だって聞いたけどなぁ…。変だな…」

「そうねぇ…。あ、あれじゃない。ほら、『食堂おくやま』って暖簾が出るわよ…」

「ホントだぁ…。よし、行こう。今日はみんな僕がおごるから、どんどん食べていいよ。由美子ちゃん」

「ホント…、わぁ、嬉しい…」

「ごめんください…」

 青山が『食堂おくやま』のガラス戸を開けた。

「おお、青山さんに由美子さん。いらっしゃい、今日はどうしたんです。おふたりお揃いで…」

「いや、暇だったんであちこち行ったんですけど、みんなつままらないから帰ってきたんです。それにお腹も空いちゃったから、マスターのところで源さんが云ってた、親子丼でもごちそうになろうかと思ってきたんです」

「それはわざわざどうも、さあ、どうぞその辺に掛けてください。あっしもね。今日からようやく復帰しましてね。カミさんに頭が上がらないんですよ。

 そうだ。いい機会だから…、おーい、容子。ちょっと来てくれ…」

 厨房のほうで「はーい」という声がして、中年の女がタオルで手を拭きながら出てきた。

「紹介します。これがあっしのカミさん、容子です」

「ようこそ、いらっしゃいませ。主人がいつもお世話になりまして…」

「こちらはいつも話している青山さんと、源さんの姪御さんの由美子さんだ」

「初めまして、青山といいます」

「由美子といいます。伯父がいつもお世話になっているそうで、ありがとうございます」

「まあ、源さんの姪御さん。可愛らしいお嬢さんだこと…」

「おい、それより青山さんは親子丼だそうだ。由美子さんは何にいたしましょう…」

「あたしも青山さんと同じのください…」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 奥山のカミさんは、厨房のほうに戻って行った。

「ところで青山さんは、いつまでこちらにお出でになるんですかい…」

「源さんのところに今晩泊めてもらったら、僕もそろそろ帰ろうかと思っています。マスターにも、いろいろお世話になりました」

「なーに、あっしは大したとこやっませんよ。よかったら、いつでも遊びに来てくださいよ。大歓迎しますから…」

「ありがとうございます。僕も博多の漁村の生まれで、卒業したら親父の跡を継いで漁師になろうと思っています。その時は、僕の獲った魚を送りますから、楽しみにしていてください」

「ほう…、青山さんは漁師の息子さんですかい。どうりで、泳ぎが達者なわけだ…」


「はい、お待たせしました。親子丼です」

従業員の光子ができ立ての親子丼を、青山と由美子のテーブルに運んできた。

「うわぁ、旨そう…。いただきます」

青山は、さっそく食べ始めた。

「うん、伯父さんが云ってたとおり、とても美味しいわ。これ…、最高」

由美子もひと口頬張って、歓喜の声を上げた。

「おふたりにそう云ってもらえると、あっしもこんな店でもやっている甲斐がありますよ」

 と、その時だった。入口のガラス戸がいきなり開いて、血相を変えた源三が飛び込んできた。かなり走ってきたと見えて肩で息をしていた。

「大変だぁ…。良さん…、まだ出だぁ。あの化け物島がまだ出だんだ…」

「何だって…、源さん。もう少し詳しく話してみなさいよ…。おーい、光ちゃん。源さんに水を持ってきてあげなさい」

源三は光子の持ってきた水を、息も吐かずに一気に飲み干した。

「一体、どうしたというんですか。源さん、その化け物島がまた現れたというのは…」

「どうすたも、こうすたもねえ…。あの先生が当分は出でこねべ。って、いうがらおらも安心こいで、化け物島があった辺りで漁ばしてだんだ。なぬしろあそごらは、魚がいっぺえ獲れっがらな…。ほんでな。おらが網ば打ってっと、いぎなり化け物島が出できたんでよ。何だが話すが違うんでねえが思ったんだども、おら急いで戻ってきたっつうわげだ…」

「なるほど、確かに源さんのいうとおり、須部田博士の云ってたことと大分違いますね…。これは、とにかく須部田博士や高井戸先生たちにも、知らせておいたほうがいいですね…」

「あ、マスター。高井戸先生と南像先生なら、僕も連絡先知ってますから、手分けして掛けたほうがいいですよ」

 青山がポケットからスマホを出した。

「そうですか。それじゃ、あっしは須部田博士と菅田博士に連絡を取りましょう」

 こうして、ふたりは手分けして連絡を取り合い、高井戸たちも須部田博士たちも快く受け止め、直ちに向かうという返答が返ってきた。

 その日の夕方には高井戸と南像が到着して、それから少し遅れて須部田と菅田も、それぞれの助手たちを引き連れて到着した。

 奥山が用意した宿に落ち着くと、さっそく報告会兼対策会議が始まった。

「……と、いうわげで、おらがいづものように漁ばやってだら、いぎなり化け物島が出できたんで、おらぁ、ぴっくらこいで戻ってきただよ。たども…、大先生が当分の間は出でこねべ。って云うがら、おらも安心して漁ばやってだんんだども、なんでまだすぐに出できたんだべが…、大先生。ひとつ教えてもらえねべが…」

 源三の真剣そのものの表情に、頷きながら須部田はゆっくりと話し出した。

「いや、源三さんには大変申し訳ないことをしたようだのう…。これは偏にわしの判断の甘さからでた失態じゃったのだ。よもや、こんなにも早く回復していようとは夢にも思わなんだわい…。

しかし、現在(いま)のわれわれには残念ながら、奴を撃退する方法も何もないのじゃ…。ここで最後の手を使うはちと早すぎるからの…」

何かを思案しているのか、須部田はそこで言葉を濁した。

「先生…、最後の手とおっしゃいますと、何かいい方法でもおありになるのですか…」

 菅田がすかさず探りを入れてきた。

「いや、独り言じゃよ。気にせんでいい…」

 妙案も出ないまま、会議はだらだらと時間だけが過ぎていった。

「もう、いいですよ。先生、あんな島のひとつやふたつ、いずれそのうちに何処かへ消えてなくなるでしょうから…」

 菅田が、突然意味不明なことを言った。

「ほう…、何か当てでもあるのかね。菅田…」

 須部田は訝し気に訊いた。

「いや、別に当てなどはありません。いずれはまた、何処かに消えてしまうののではないかと思っただけです。所詮、源三さんが最初に発見した時も、突然現れたと云っていたではありませんか。ですから、また突然消えてなくなるのではないかと思っただけです。

 ただ、それだけのことです…。ですが、先生。このままにしておいては、近い将来に甚だ好ましからざる状況になることは必死です。何としても、今のうちに手を打たなければなりません。何としても…」

「そんなこと、他人(ひと)に云われなくても分かっておるわい…。わしとて宇宙空間物理学では、それなりに世界に名の通った男じゃぞ。そのわしがじゃ、前代未聞の出来事か何かは知らぬが、むざむざ手を拱(こまね)いて見ているとでも思うのか、痩せても枯れても須部田慎之輔はまだ死んではおらぬ。幽霊島ごときに足元を見られて堪るか、必ずや己の撃退策を見出してやるから待っておれ…」

 須部田は、執念の炎を燃え上がらせるようにして宙の一点を見据えた。

 それからも会議は続いたが、どこまで行っても堂々巡りで結論が出ず。結局のところは、もう一度幽霊島に出向いてみようということで、話は纏まり長時間にわたる会議も、ようやく幕を閉じて各自それぞれの部屋へと引き上げて行った。

 自分たちの部屋に戻る途中、高井戸が青山に訊いた。

「前に君が借りてきた潜水具なんだけどな…。あれ、もう一度借りられないかな…」

「そりゃァ、借りられないこともないでしょうけど、先生が潜るんですか。今度は…」

「いや、僕はダメだよ、奥山マスターほどでないけど、泳ぎはからっきしなんだ…。だから、君にもう一度潜ってもらって…。そうだ…。ついでに水中カメラも貸してもらって、君が見たという島の下に空いている、空洞部分の写真を撮ってきてもらいたいんだ…」

「わかりました。明日にでも電話してみます。それじゃ、おやすみなさい…」

「ああ、お休み…」

 翌日になって青山は電話を済ませると、高井戸のところに報告をしにやってきた。

「おはようございます。先生…」

「ああ、おはよう…。どうだった。水中カメラのほうは…」

「それが大変なんです。親父さんに化け物島のことを詳しく話したら、親父さんすっかりその気になって、ちょうど最新式の赤外線カメラが入ったから、それを貸してやろう。と、いうことで、これから届けてやるって聞かないんですよ。午後には着くから待っててくれってっていうんで、それで僕が駅まで迎えに行くことになりました」

「おお、わざわざ届けてくれるのかい…。それでは僕も一緒に向かいに行こう」

「え、先生もですか…」

「ああ、どうせ、ここにいたってやることもないしな…。宿でゴロゴロしているより、よっぽど体にいいかわからんからな…」

「それじゃ、一緒に行きますか。迎えに…」

「それにしても、化け物島のなんかに興味を持つとは、変わっているんだね。君の友だちの親父さんも…」

「いや、あのおじさんは何事に対しても、いつも熱心なんです。好奇心が強いっていうか、とにかく何にでも熱中する人なんです」

「君の友だちの親父さんと云えば、南像さんと同じくらいの年代だろう。あれくらいの年代の人はだな。大概は物事に無頓着になって、すべてが面倒くさく見えてくるものなんだ。そこへ行くと、君の友だちのお父さんは何にでも好奇心を持ち、何にでも熱中できるってことは精神的に若い証拠なんだぞ。

 だから、青山から化け物島の話を聞かされて、居ても立ってもいられなくなって即行動に移す、これこそが本当の若さなんだろうけど、僕なんかでも最近はやるべきことはやるんだけど、その他どうでもいいようなことはつい後回しになってしまう…。これではいけないと、自分ではわかっていてもすぐ妥協してしまう…。これじゃ、ダメなんだぞ。青山」

「あれ…、そうですか。僕なんかいつもそうですよ」

「それはいかんな。君はまだ若いんだし、もっと自分は若いんだから、自分の未来は自分の手で切り開いてみせるぞ…。くらいの心意気で生きていかないと、自分でも気づかないうちに年老いてしまうぞ」

「まさかぁ、そんな…。先生、僕をあんまり脅かさないでくださいよ」

「いいや、脅しなんかじゃないぞ。これは…、現に僕を見てみろよ。結婚もしないでいたら、いつの間にかこんな歳になってしまった…」

「だったら、先生もさっさとお嫁さんもらえばいいじゃないですか…」

「そんなことは、君に云われなくてもわかっているさ…。しかし、こればかりは相手がいないことには、どうしようもないじゃないか…」

「あれ…、そうですか。高井戸先生は、岩谷先生と付き合っているんじゃなかったんですか…」

「だがな。青山、人間は動物とは違うんだ…。恋愛イコール結婚という方程式は、当てはまらないことだってあるんだ。君にも、そのうちに分かるだろうとは思うがね…」

 高井戸は青山の問いに、肯定も否定もせずに言った。

 そんなこんなで、たちまち昼になり昼食を済ませるとふたりは、青山の友人の父親を迎えに駅へと向かった。その道すがらも青山は友人の父親の話でもちきりだった。

「とにかく、そのおじさんは好奇心の塊みたいな人なんです。高校一年の頃だったかな…、友だちのところでラジコンの戦車を造っていたんですよ。そしたら、そのおじさんがやってきて、『お、いいもの造ってるな。どれどれ…』とか云って造り始めたんですよ。

それで、僕たちはシラケちゃって他所に遊びに行っちゃいました。とにかく、夢中になると人の迷惑なんて全然考えないみたいなんですよ。だから、他の友だちなんかもそいつの家に遊びに行く時は、何も持たずに手ぶらで行くんだと云ってました」

「ふーん…、それは好奇心というよりも無邪気なだけなんじゃないのかな…。普通の大人は体裁を保つために、そういったもろもろのものを外には出さずに、自分の内部に押し隠してしまうものなんだが、そのお父さんはきっと純粋な心の持ち主なんじゃないだろうかね…」

 そんな話をしながら駅に着いた。駅の構内は人影もまばらで、青山はそれらしい人はいないかと辺りを見渡した。

「少し早く来すぎたかなぁ…。おじさんらしい人なんて、どこにもいないや…」

 青山は体を一回転させながら、さらに辺りを見渡した。

「あれ…、変だなぁ…。約束の時間を間違えたのかなぁ」

 と、青山はふたたび構内を一巡して見て周ったが、それらしい人影は一向に見当たらなかった。それから少し経った頃、カラカラという軽やかな音を立てて、少し大きめキャスターつき旅行ケースを引いた中年の男が近づいてきた。

「やあ、青山くん。ひさしぶりだったね…」

「あ…、おじさん。いらっしゃい」

「何だか、青山くんもしばらく見ない間にすっかり大人になったねぇ。いやぁ、何よりなにより…。実は青山くんと電話で話した電車より、ひとつ早いのに乗ったものだから、約束していた時間よりもかなり早く着いたんで、ちょうど腹も空いていたところだったんでね。今食事を済ませてきたところなんだよ」

「あ、おじさん、紹介します。こちらは僕の大学の高井戸先生です」

「初めまして、東亜細亜大学で海洋物理を教えております、高井戸と申します。よろしくどうぞ…」

「これはご丁寧にどうも…、わっしは倅が青山くんと友だちなもんで、青山くんのことは子供の頃からよく知っているんですよ。申し遅れましたが、わっしは海洋関係のもの一般を販売する店をやっております。仲磯浜伊左次と申します。どうぞ、お見知りおきください」

 ひと通り挨拶が済むと、三人連れ立って宿泊先の宿へと向かった。

 その宿へもどる道すがら、仲磯浜は高井戸にこんなことを訊いた。

「ところで高井戸先生…、海洋物理理学というのは確か、海流がどのような道筋を辿って、黒潮がどのように魚の群れを運んでくるのかを、調査研究する学問でしたよね…」

「ほう…、なかなかお詳しいですね。仲磯浜さんは…」

「何にでも興味をもって調べないと気が済まないのが、わっしの悪い癖なんでね。ところで高井戸先生、青山くんから訊いたところによると、この科学万能の時代に何でまた、こんな妖怪じみた化け物島なんかが出できたんでしょうかね…」

「いや、それが今に始まったわけじゃないらしいんです。古くは江戸時代よりももっと古い時代から、この次元と別の次元の間を行き来していたらしいんです。これを次元連鎖というらしいんですが、ところが最近になって次元連鎖の幅が、極めて短くなってきているらしくて、今ではどっかり腰を据えたみたいに、この町の数十キロ沖合いに居座った状態なんです」

「なるほど、なるほど…。さすがのわっしも青山くんに話を聞くまでは、そんな話はまったく知りませんでした。それじゃ、さっそくにでも、その化け物島を見ないことには、わっしの気が収まりませんな…。うーむ…」

「まあ、まあ、仲磯浜さん。逸る気持ちはわかりますが、ここはひとつ宿に行って皆さんと顔合わせをしてから、改めて島にご案内したいと考えていますので、ひとまず宿のほうにどうぞ…」

「それもそうですね…。どうも、わっしはチッカチなところもありまして、これもわっしの悪い癖のひとつなんですなぁ…」

 こうして宿に着いた高井戸は、みんなのいる会議室へ仲磯浜を案内した。

「ただいま戻りました…。こちらが青山の友人のお父さん。仲磯浜さんです」

「お…、何だぁ…。青山さんの友だちのお父さんって、仲磯浜だったのか…」

 と、大きな声で叫ぶと、いきなり立ち上がったのは奥山だった。

「あ…、マスター知ってるんですか…。おじさんのこと…」

「お、奥山じゃないか。お前、こんなところで何やってんだよ…。ずいぶん、ひさしぶりだなぁ。おい…」

「知ってるもなにも、青山さん。こいつとは竹馬の友って云うんですか…。ガキの頃から悪さぱっりやってて、よく近所の人から叱られたものですよ。あれも今となってみれば、カビの生えるほど古い昔の話ですがね…。小学校の五・六年くらいの頃でしたか、あっしは父親の仕事の関係で、こっち町に引っ越してきましたが、今頃ここで逢えようとは夢にも思っていませんでしたよ」

「さて、良ちゃん。話はあとでゆっくりするとして、お集りの皆さん。青山くんのほうから話しは伝わっていると思いますが、これが最新式赤外線センサー付きの水中カメラでございます…」

 仲磯浜は、持ってきた旅行ケースを開けると、中から小型のテレビカメラのようなものと、撮ったものを映し出すモニター用の機材を出してテーブルに置いた。

「使い方は青山くんに説明しますので、これからさっそくにでも、その化け物島とやらへ連れて行ってもらえないでしょうか…。自分でいうのもなんですが、わっしは好奇心の塊みたいな人間でして、ちょっとでも訳の分からないことがあると、居てもたっていられない性分でして、自分では一種の病気だと思っているんですがね…」

「よろしい、気に入りましたぞ。仲磯浜さん、人間は好奇心があったればこそ、ここまで進化を遂げてきたのですぞ、おい、船田くん海原くん。早急にボートを手配しなさい。青山くんが見たという、化け物島の海底に空いている空洞を映してもらうんじゃ、急げ…」

「はい…」

 いつもながら、須部田博士の素早い判断に少しも動じることなく、ふたりの助手たちは即座に席を立つと会議室から姿を消した。

「さて、わしらも準備にかかろうか…。高井戸くんに青山くん、すまぬがちょいと手を貸してもらえんかの…」

「わかりました。いいですよ…」

 高井戸と青山が須部田の両脇に行って、体を抱え上げるようにして立たせた。

「いかん、いかん…。人間、歳は取りたくないものじゃの…」

 高井戸が渡したステッチで、体を支えながら須部田はつぶやいた。

 みんなを宿の玄関に待たせると、高井戸は自分の車を取りに行った。その間、仲磯浜は青山に赤外線水中カメラの扱い方を教えていた。

 高井戸と須部田の助手たちも、ほとんど同時に戻りそれぞれ車に乗り込んで、ボートが止めてある港へ向かった。

「いいかい。青山くん、そののカメラは赤外線センサーが付いているから、ほとんど暗闇の状態でも対象物は鮮明に写すことができるんだ。君はただ対象物にカメラを向けていればいいんだから、簡単なものだろう…」

 港へ向かう車の中で仲磯浜が青山に言った。

「でも、おじさん…。中は真っ暗闇で何があるのかも解からないんですよ。本当に大丈夫なのかなぁ…」

「大丈夫、大丈夫。青山くんは泳ぎも上手いし、それに今回は特殊潜水服も用意してきたから、まずは大船に乗ったつもりで安心して潜ってきなさい」

 ボートが沖合に進むにつれて、遠くのほうに幽霊島のとんがり山が見え始めてきた。

「ほら、あれですよ。今朝電話で話した。幽霊島は…」

「むむ…、何んという奇怪な形をした山だろう…。良ちゃんたちは何度もあの島に行ってんだろう…」

 と、後ろの席に乗っている奥山に訊いた。

「そうだなぁ…。あっしも行き掛かり上で、高井戸先生や青山さんたちと一緒に、数回は行ってると思うよ…」

「いいよなぁ…。地元の人間は、あんな変わったものをいつでも見れるんだから…」

「おい、伊左次。いい加減にしなよ。あっしはお前の、そういう物見遊山みたいな云い方が、一番気に要らないんだよ。あの化け物島はな。虫であろうと動物であろうと、みんな餌にしてしまう恐ろしい島なんだぞ。

 それを何だよ。お前はまるで他人事みたいに気軽に云ってやがる。須部田博士を始め、高井戸先生とか南像先生たちはな。このまま行ったら、人類の存亡にも繋がりかねないと、みんな知恵を振り絞って必死に戦っているんだぞ。それをお前は高みの見物を気取っていて、それでいいと思っているのかよ。お前みたいなヤツは、あの化け物島に喰われてしまえばいいんだ…」

「まあ、まあ、マスター。そう興奮しないでくださいよ。仲磯浜さんだって、そんなに悪気があって云っているんじゃないと思いますよ。もう少し落ち着いてください。奥山マスター…」

 運転席から後ろを振り返りながら高井戸が奥山をなだめた。

「何も、あっしは興奮してるわけじゃありませんよ。高井戸先生、ただあっしはね。先生や南像先生たちが必死で戦っているのに、伊左次のヤツは自分の好奇心を満たさんがために、面白半分で騒いでいるのが許せないんですよ…」

「まあ、いいじゃないですか。仲磯浜さんには、仲磯浜さんなりの物の考え方や生き方があるんですから、それをとやかく云う権利は僕たちにはないと思うんですよ。

 さあ、島が近づいてきましたよ。青山、君は今から潜る準備をしておいたほうが、いいんじゃないのか…。せっかく仲磯浜さんが特殊な潜水服まで、用意してきてくれたんだからな…」

 幽霊島は、すぐ目の前まで迫ってきていた。高井戸はボートのスピードを落とすと、ゆっくりと島の浅瀬に乗り上げる形でボートを止めた。須部田と南像の乗ったボートも到着して、いよいよ青山が島の底部に空いている、空洞撮影のために潜る準備も万端整っていった。

「それじゃ、これから僕が潜って映像を送りますから、しっかりと見ていてください。たぶん僕には暗くて何も見えないと思いますので、よろしくお願いします。それじゃ、行ってきます…」

青山は浅瀬が切れる辺りまで泳いでいくと、釣り糸につけた浮きが水中に沈み込むように、青山の頭部は音もなく海中に消えて行った。

「さあ、青山がどんな映像を送ってくるか楽しみですね。須部田博士」

高井戸は、水中カメラ用モニターの調整しながら、須部田のほうを向いた。

「ふふん、わしには大体の想像はつくわさ。恐らく幽霊島の底辺の空洞とやらは、中身も何もない本当の虚ろ何じゃろうよ。たぶんのう…」

 青山は潜って行った。息を吐くたびに、水泡がゴボゴボと音を立てて上昇して行く。青山はようやく島の底部との境界辺りまで辿り着いた。

『さあ、ここから水平に潜り込んで行かないとダメだぞ…。空洞まではかなりの距離があっつたよな…』

 しばらく進むと、青山の頭上に真っ黒な空洞がポッカリと口を開いていた。その空洞の真下までくると、青山はゆっくりと上昇を開始した。

『あれ…、前に潜った時は何も見えなかったのに、今日はやけにはっきり見えるなぁ…。そうか、わかった。このゴーグルにも赤外線が付いているんだな。きっと…』

『…こちら高井戸だ。青山聞こえていたら返答してくれ…。どうぞ…』

 その時、青山の耳元で高井戸の声が響いた。

『はい、こちら青山です。高井戸先生、この潜水服には無線もついてるんですか…』

『何だ…。君はそんなことも知らなかったのか…。それは仲磯浜さん自慢の最新式の潜水服だそうだ。それより、君の視界には何が見えるかできるだけ細かく報告してくれ…』

『はい、わかりました。しかし、先生。詳しく報告するも何もありませんよ。周りは一面岩盤だけで何も見えません。上のほうはどうなっているのか、ちょっと見てきます…』

『…いいか、青山。十分気をつけて行くんだぞ…』

『わかっています。それじゃ行って見ます…』

 そこで青山からの通信が途絶えた。

「確かに青山の泳ぎは大したものですが、上はどうなっているのか未踏の場所ですから、本当に大丈夫ですかね…。南像さん」

 高井戸は不安の色を隠せないまま、南像教授のほうを振り向いた。

「いや、私としては何とも云えんが…、自分の教え子を信じてやるのも、教育者としての務めなのじゃないのかね。高井戸くん…」

その頃、青山はようやく海水が切れて水面に浮かび上がった。見渡すと空洞が狭まっていて、上を見ると天井がドーム型になっている。面積としてはそれほど広くはなかった。青山は一番近い岸壁まで泳いでいくと、全身の力を振り絞って這い上がった。

岩盤の上は、これといった起伏もなく海水を取り囲むように一周していた。

青山はドーム状に連なる壁面を、ゆっりとした足取りで歩き始めた。通路の中ほどまで来たときに、何か奇妙なものがあることに気がついた。

「何だろう…。あれ…」

気になった青山が近寄ってみると、どう見ても自然にできたものでなく、人為的に造られた岩盤でできた扉のようなものであった。その奇妙な岩盤には、古めかしい石斧のようなものが刻み込まれていた。

『…どうした…。青山、何かあったのか…』

『…そうなんです。石の扉みたいなものがあって、斧のような絵が刻まれているんです。だけど、僕力では押しても引いてもビクともしません…』

「何、石斧の絵が描かれた扉だって…」

 いち早く反応を示したのは南像だった。

「そうか…、斧か、斧だったのか…。斧と書いて斧(よき)とも読むんだった…。そうか、斧の扉か…」

「一体どうしたんですか。南像先輩…」

「高井戸くん、君は例の古文書のことを忘れたのかね。あの古文書の中には、古代メソポタミアの文字とよく似た文字で、ヨキの扉という言葉が書かれてていたのだよ。

 あの時は、私もまさかヨキが斧だとは気が付かなかったが、青山くんのいる空洞の中にこそ古代メソポタミア時代から、綿々と続いた海賊たちが荒稼ぎした財宝が隠されているに違いない。その額とくれば、アメリカ合衆国とロシアの国家予算を合わせた、数十倍という膨大な金額であることはまず間違いはないだろう…。高井戸くん、早急に青山くんのことを呼び戻したまえ。早急にだ…」

「うむ、わしも南像くんの意見に賛成じゃ。今すぐ青山を呼び戻したほうがええ。そして、われわれもここから引き揚げるんじゃ…。それから、このことは決して他言してはならんぞ。もしも、外部に少しでも洩れたりすれば、化け物島など吹っ飛んでしまうような、一大騒動が勃発することは火を見るよりも明らかじゃろう…。だから、このことについては絶対に口外してはならぬ…」

 高井戸は、ふたりの話に半信半疑のまま、青山に至急連絡をとり呼び戻した。

「どうしたんですか。先生…、いきなり戻って来いなんて何かあったんですか…」

 青山は人に聞こえないような小さな声で聴いた。

「ん…、僕もよくは分からないんだが、南像さんがいうには君の見つけた、石斧が刻まれた岩盤の中にはな。古代メソポタミアの時代から長い時間をかけて、海賊たちが世界中から掻き集めてきた莫大な財宝…。それも驚くことに、アメリカ合衆国とロシアの国家予算の数十倍という膨大な額になるらしいんだ…。青山が戻り次第われわれも引き揚げるということだから、君も早々に潜水服を着替えて返る準備をしたほうがいい…」

「高井戸さん、そんなに心配しなくてもいいですよ…」

 立ち去ろうとする高井戸と青山に菅田がいった。

「いいんですか…。菅田博士、そんなのんきなことを云っていても…」

「大丈夫ですよ。この島だっていずれそのうちに、どこかの違う次元に行ってしまうでしょうからね…。ふふふふ」

 そういうと菅田は、高井戸と青山を残して行ってしまった。

「何ですか…。あの人は、まったく嫌な感じの人ですよね。一体、何を考えて生きているんですかね…」

「まあ、そういうなよ。どんなに嫌な人に見えても、どこかにひとつぐらいはいいところがあるって云うぞ。それじゃ、僕たちもそろそろ引き揚げるとするか…」

 ボートが停泊している地点までくると、南像や須部田たちはすでにボートに乗り込んでいた。高井戸と青山も、浅瀬を渡ってボートに辿り着くと、奥山と仲磯浜の手を借りて乗り込み、二隻のボートはゆっくりと走り出し幽霊島を後にして行った。

「しかし、驚きましたね…。アメリカとロシヤの国家予算の数十倍の財宝とは…」

 化け物島からの帰路の途中で、高井戸はため息まじりに呟くように言った。穏やかな波を切りながらボートは進んで行ったが、みんなはひとりとして口を訊く者はいなかった。

「いや、まったくですね。今あっしも考えていたんですがね。よくもまあ、それだけのお宝を盗み集めたものだと感心しますよ。盗られた人たちは、さぞかし嘆き悲しんだんでしょうねぇ…。もっとも海賊なんて輩は、みんな残虐な奴らばかりだったらしいですから、襲われた船の人間なんぞは、きっと皆殺しにされたんでしょうから、悲しんでる暇なんざなかったでしょうがねぇ…」

 独り言とも呟きとも取れる、高井戸の言葉に奥山が初めて言葉を返した。

「詳しいですね。マスターは…、海賊のこと…」

「いやぁ、そんなこともありませんが、あっしはこう見えても本を読むのが好きでしてね。子供の頃に読んだ『宝島』に出てくる海賊なんざ、まだまだ可愛いほうですよ。それよりも、コロンブスがアメリカ大陸を発見して、ヨーロッパから白人たちが新天地を目指して、どっと押し寄せるように移入してきたでしょう。

あれはいけませんやね。先住民族であるインデアンたちにしてみれば、完全なる侵略行為ですからね。堪(たま)ったもんじゃありませんや。

 西部劇映画などでは白人の開拓事業を邪魔立てする、必然悪として描かれていることが多いんですが、インデアンにすれば突然やってきて、自分たちの土地を取り上げて勝手放題のことをやり始めた。

 云わばインデアンたちは、自分らの生活と権利を守るために戦ったのだと思うんですよ。ですからね。高井戸先生、今のアメリカ人の先祖は、化け物島にお宝を隠した海賊と、そう大差はないように思うんですがね。あっしは…」

 帰りの船の中で高井戸と奥山は、そんな話に花を咲かせていた。


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