第八章

 幽霊島は相変わらず物音ひとつしない静寂さを保っていた。須部田博士はふたりの助手に抱え上げられて上陸した。砂浜には、これもヒトデ一匹カニ一匹さえ見かけられない。

「ふふん…、相も変わらず閑散とした島じゃの…。しかも、最近は次元連鎖も落ち着いていると見えて、化け物島もずうっと出ずっぱりのようじゃ…」

 そういって、須部田は源三が運んできてくれた椅子に腰を下ろした。

「さて、あっしはそろそろ食事の準備に掛かりましょう…。青山さん、また素潜りで新鮮なに魚介類でも獲ってきて頂けませんかね」

「待ってました! マスター、そう云われると思って今回は素潜りなんかじゃなくて、ちゃんと用意をしてきたんですよ」

 青山は持ってきたケースを開くと、中から様々な潜水用具を取り出した。

「もちろん、これは全部借りものです。こんなもの僕には高くて買えないですからね…」

 その中身は、潜水用ウェットスーツ・ゴーグル・シュノーケル・水かき・小型酸素ボンベ・モリといったものだった。

「いくら借りてきたと云っても、青山。これだけのものを借りるのには相当したんじゃないのか…」

 高井戸が聞いた。

「いえ、タダですよ。友だちの親父さんが、こういったものを扱っている店をやってまして、相談に行ったら展示品だからと云って無料で貸してくれたんです」

「いや、展示品と云ったって大したものだよ。これは…、ところで青山。その酸素タンク時間はどれくらい持つんだ…」

「状況や深度によって違うそうですが、三十分から一時間くらいで平均四十分とか云ってました。それじゃ、僕はさっそく用意をして潜ってきますから、楽しみにしていてください。マスター」

「気をつけて行くんだぞ。あまり無理するなよ…」

 高井戸が声をかける中、青山はみんなの見ている前で潜水ウェアに着替えると、波打ち際まで走って行くと深みに進み、やがてその姿も次第に見えなくなって行った。

「いやぁ、青山さんは大したものですねぇ。あっしなんか潜りはおろか、泳ぎも満足にできませんからね…」

 奥山は青山の見事な泳ぎに、ほさほと感心したように頷いた。

「ほんだなぁ…、青山はおらもびっくらこくほど泳ぐのはうめえからなぁ…」

 海の男の源三も感心するほど、青山の泳ぎには定評があった。

 一方、青山は最初は浅瀬で魚介類を漁っていたが、徐々に深みのほうまで降りて行った。水深二十メートル辺りまで潜った時、島の陸続きが急に途絶えているとに気がついた。

『あれ…、なんだぁ、この島は海底まで繋がっていないのかな…』

 水中時計を見ると残り時間にはまだ余裕があった。

『よし、ちょっと下に潜ってどんな感じになっているのか、様子が知りたいから見るだけ見てこよう…』

 青山が少し進むと、島の底部のゴツゴツした岩肌が切れて、上を見上げると真っ黒な巨大な空間が広がっていた。光も届かないその穴は、青山がいくら眼を凝らしても何も見えなかった。

『これは大変なものを見つけてしまったぞ…。どうしよう…このまま上まで昇ってみるか…、でも、ひとりで行くのも危険だな…。水中ライトは持ってこなかったし…、ここは一旦引き揚げて、先生たちや須部田博士の意見を聞いたほうが、無難かもしれないな…』

 それは青山の賢明な判断だったかも知れない。初めて遭遇するものほど、危険極まりないことは青山もこれまで何度も経験していた。

「あれからかれこれ三十分は経ちましたよ…。高井戸先生、青山さんは大丈夫ですかぇ…」

奥山は心配そうに高井戸に訊いた。

「大丈夫ですよ。マスター、アイツは河童の生まれ変わりみたいなヤッですから、そう心配しなくてもいいと思いますよ」

「あ、青山が帰ってきたぞ。おーい、青山ぁ…。でえ丈夫だが…」

 青山が、数メートル先の海上に浮かび上がるのを、いち早く見つけた源三が叫んだ。

「青山、どうだった…。島の海底の様子は…」

 青山が浜辺に辿り着くよりも早く高井戸が聞いた。

「先生、須部田博士。僕、大変なものを見ちゃいましたよ…。この島は海底まで陸続きじゃなくて、途中から真っ平らになっていて浮いているんです…。しかも僕が底の部分に大きな空洞になっているんです。穴の中を覗き込もうとしても真っ暗闇で、何も見えないから僕も怖くなって戻ってきたんですが…、あの上は一体どうなっていたんですかね…」

 青山が報告すると、須部田博士が座っていた椅子からすくっと立ち上がった。

「そうか…、この島は浮島になっておったのか…。なるほど、しかも次元連鎖も起こす能力まで持っておる。それで古代メポタミアの時代から、時代を超えて次元さえも飛び込して、時代をいや次元を股にかけて出没しておったとは…、誠に恐ろしいことじゃのう…。さらに最近では、その次元連鎖も鳴りを潜めていると見えて、わが国の近海に居座ったままということは、日本という国家の存亡に拘わるとみてまず間違いはあるまい…」

「に、日本の存亡に拘わることとは、あまりにも聞き捨てにはできないことですが、それは一体どういうことですかな。博士…」

 それまで、黙って須部田の話を聞いていた南像が話に割り込んできた。

「南像くん。君は古代ギリシャの哲学者プラトンが、その著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記している伝説上の広大な大陸、アトランティスというのを知っとるかね…」

「はあ、知っていることは知っていますが、あの一夜にして海中に没したと云われている、伝説上の大陸ですな。それが何か…」

「さよう、世界中の人間が一様に伝説と思い込んでいる。あのアトランティスじゃ、元々アトランティス人の祖先は神の末裔とも云われておる。もちろん、わしはそんなことを信じちゃおらんが、そのアトランティス人の子孫たちが一代帝国を築いた。

そして人間と交わるにつれて神性を失っていくのを垣間見られたゼウスは、神々を集められアトランティス人に、どのような罰を下すか相談された。その結果、帝国の壊滅と大陸の破壊を決定されたんじゃ。

こうして、アトランティスは一昼夜の内に大地震と大津波によって、海底に沈んでしまったと云われておるんじゃ…」

そこまで話すと、須部田はまた椅子に腰を下ろした。

「しかし、博士。あれはあくまでも伝説の話でしょう…。それと化け物島と日本の存亡と、どういう関係がるんですか…」

 話の筋道が噛み合わないと思ったのか、高井戸が須部田に質問した。

「高井戸くん、君はアトランティスのことを単なる伝説と思っているのかね…。

 確かに、プラトンの記述以前には、アトランティスのことを記した記録は皆無だという。だがね。高井戸くん、アトランティスは実在したのだよ。プラトンによると、アトランティスが水没したのは彼がいた時代より、もさらに九千年も前のことだから頷けないことでもないが、同じ水没したと云われているでもムー大陸などと比べたら、アトランティスのほうがよほど信憑性が高いかしれん。

 さて、それでは高井戸くんの質問に答えようかのう…」

 と、そこで須部田が一旦言葉を切ったので、彼を取り囲んでいた一同は生つばを呑んだ。

「アトランティスが海底に水没したのは、大地震と大津波が原因ということになっている。確かにそれも原因のひとつだろうとは思う…。しかし、記録としては何も残されてはいないが、それだけで大陸の地盤も関係するだろうが、それにしても一昼夜であっさり水没してしまうだろうか…。

 そこで、わしは考えてみたのじゃ。あの化け物島は太古の昔、小惑星か隕石に附着して地球にやってきた宇宙の微々たる細菌だった。それが地球の原始細菌と交わって数十億年かけて、ひとつの生命体として進化して行った。

 小さな細菌が大きな大陸を餌にするのに、一昼夜ではあまりにも時間が足りなさ過ぎる、おそらく化け物島の前身だった生命体は、何らかの形にまで成長していたのだろうが、どうも一昼夜にして大陸を平らげるというのは、少しばかり出来過ぎているから眉唾物らしいが、古代メソポタミアの沖合の島々を片っ端から平らげて行って、ほぼ今の形の原型ができたのだろう……」

 そこで須部田は、話を止めるとひと息吐くように一同の顔を見渡してから、またゆっくりとした口調で話しを続けた。

「あの化け物島が日本の近海に現れたということは、化け物島も今ではすっかり生長し切ってしまっているから、もはや大陸を平らげるほどの力も失っているのやも知れん…。そこで、わが国日本という手頃な素材を見つけたということだよ。

 昔『日本沈没』ていう小説を、SF作家の小松左京が書いとったが沈没ならまだいい、海底に眠っているのだからのう。しかし、今回の場合はそうも云ってはおられん。日本という島国全体が喰われて失くなってしまうのだからのう…」

「それが誠なら一大事ですぞ。須部田博士、さっそくにも国に呼びかけて、国宝や重要文化財などを海外に運び出さないと、大変なことになってしまう…」

 南像は血相を変えて叫んだ。

「まあ、待ちなさい。南像くん、そう慌てる必要もなかろう。いざとなれば、国に呼び掛けて自衛隊にミサイルでもぶち込ませればいいのだから、それにあやつが襲ってくるのは早急なことでもあるまいからの…」

「早急には襲ってこないという根拠は、何かおありになるのですか。博士…」

 高井戸が悠然と構えて、椅子に掛けている須部田に訊ねた。

「高井戸くん、君は忘れたのかね。あの化け物島は、これまでに子豚や子羊それにカエル・二十日ネズミを、すでにそれぞれ千匹づつ平らげているいるのだから、そうそうは腹を空かしてはおらんだろうから、今すぐにどうのこうのという問題ではないと云っておるんじゃよ。わしは…」

「ですが、博士。一刻も早く幽霊島を撃退しないと、今に取り返しのつかないことになってしまうぞ。と、おっしゃられたのは、博士あなたご自身なんですよ。それをそんな悠長なことを云っていていいのですか。須部田博士…」

 高井戸は躍起になって、須部田の重い腰を持ち上げようと必死だった。

「まあ、高井戸くん。そんなに慌てなくてもよろしい、少しは落ち着きなさい」

 そういって、須部田は遠い沖のほうに目を向けた。すると、どこからともなくモーターボートの音が聞こえてきた。

「おお、来たか…。やはり手間取ったと見えるわい…」

「何ですか。あの音は…」

 高井戸が聞いた。

「菅田じゃよ。わしがあるものを探してくるように頼んだんじゃが、果たしてうまくいったかどうかじゃが……」

「何ですか…。そのあるものとは…」

「それは、菅田が来てからのお楽しみじゃよ。高井戸くん」

 やがて、菅田のボートが浅瀬に止まり、小さな箱を手にした菅田が下りてきた。

「やあ、皆さん。お揃いで…、先生。大変遅くなりまして申し訳ありません…。

 実は、こんなものでも千匹ともなると、集めるのに意外と手間取りましてね。だいぶ苦労しましたよ」

「そうか…、ご苦労だったのう」

「一体、それは何なのですか…。菅田さん、そんな小さな箱に千匹も入っているものとは、何なのですか…」

 曰くありげな箱を大事そうに抱えている、菅田を訝しく思いながら高井戸が訊いた。

「ノミじゃよ。ノミ…、わしが菅田に集めてくるよう頼んだんじゃが、そんなに大変じゃったか…」

 代わりに須部田が答えた。

「うわぁ…、ノミだってぇ…。しかも千匹も…、なんだか気持ち悪くなってきた…」

 青山がしかめっ面をして一歩後ずさった。

「しかし、何でまたノミを千匹も集められたのですかな…」

 南像が訊くと、須部田はニヤリと笑ってこう言った。

「南像くん、君はもう忘れたのかね…。高井戸くんが古文書に書かれていた、例の犬が砂浜を転げ回ったり、後足で脇腹を掻いたら急に騒めき出して、犬もろともに幽霊島が姿を消してしまったという記述を。そして、それを高井戸くんは島がざわついたのは、犬が後足で掻き出したノミのせいではなかったかと気づいた。しかし、生き物とは云え血液などあろうはずもない、一塊の小島が何故に騒めき立つのかという疑問には、さすがのわしも答えられなかっんじゃ…」

「先生、そのような悠長なことを云っておられる時ではありません」

 その時、菅田を血相を変えて須部田に詰め寄った。

「ん…、どうした…。菅田」

「ノミを研究している人によりますと、ノミの寿命はわずか三日ということで、あまり猶予はありません。さっそく、この島に放さないと手遅れになってしまいます。それから、皆さんは船のほうに戻っていてください。私もノミを放し次第すぐ戻りますから、皆さん急いでください…」

 菅田に言われるまま、一同は源三の艀に乗り込むと菅田の様子を見守った。

 菅田は波打ち際まで下がってノミの詰まった箱を開けると、自分のボート戻ろうとして渚を走り出した瞬間だった。化け物島は、ウオォォーンという唸り声とも叫び声ともつかない、けたたましい音を立てて揺れ動き出した。

「うわぁ…」

 菅田は前方につんのめりそうにながらも、やっとの思いでボートまで辿り着き、飛び込むように乗り込んだ菅田が、化け物島のほうを振り向いた時だった。島の真ん中にそびえる〝とんがり山〟が、ヴァオォーンという物凄い音とともに、左右に二・三回激しく揺れ動いたとおもっつた瞬間だった。

 江戸時代の昔から、その時代・時代の人々によって、口から口へと語り継がれてきた。〝化け物島〟こと幽霊島はまさに幽霊のごとく、跡形もなく消え去ってしまったのだ。

 普通、船などが沈むと少なからず渦が巻き起こったりするものだが、幽霊島はまるで最初からそこには存在しなかったかのように、波紋ひとつ残さないで完璧に消えてしまったのだった。

「ふう…、やっと撃退することに成功しましたね。博士、おめでとうございます」

「いや、お見事でしたな。須部田博士、これで私たちも枕を高くして眠れるというものです。本当におめでとうございますした」

 高井戸も南像も口々に賛辞の言葉を送り、周りのみんなからも惜しみない拍手が送られた。

「よし、ほんじゃ、今夜はパァーっ祝いでもすっぺが…」

「いいですね。あっしもひさびさに腕を振るいましょう」

源三の言葉に、奥山も一歩前に乗り出して賛成した。

「ほんじゃ、おらが魚でも獲ってくっかな…」

「本当によかったですね。やっと肩の荷が下りたように気持ちですよ。博士」

「いや、礼を云わねばならんのは、わしのほうじゃよ。高井戸くん、君が独自の研究で化け物島の弱点である、ノミの存在を突き止めてくれたからこそ、今回の成功に結び付いたのだからね」

「さあ、皆さん。幽霊島も消えて失くなったことですし、われわれもそろそろ引き上げることに致しましょう…」

 南像の呼びかけにより、源三の艀は幽霊島のあった海域を離れ、自分たちの住んでいる陸地を目指して帰って行った。

 その晩の祝賀会では、みんな大いに語り大いに飲んだ。

「みなさん。今回の幽霊島調査団の活動につきましては、惜しみない協力を賜りまして心より御礼申し上げます。これにより、見事に幽霊島を撃退することに成功しました。これまで、みなさんも数々の苦難を乗り越えられて、危険なことも少なからずあったかと思います。それらのことにも打ち勝たれたことが、今回の快挙を成し得た要因と私は確信しております。本当にみなさんありがとうございました。

 つきましては、この場を持ちまして幽霊島調査団の解散を宣言いたします。みなさん本当にご苦労さまでした」

 まず、南像が今回幽霊島の調査に関わってくれた全員に謝意を述べ、幽霊島調査団の解散を告げた。

「しかし、何ですな。高井戸先生、あっしも長いことこの町に住んでますが、伝説とか昔からの言い伝えというものは、単なる作り話とか噂話に過ぎないと思っていました。

 それが、どうして、どうして、いざ蓋を開けてみたら、紛れもない本物の怪物みたいな島なんですからねぇ…。何が作り話で何が真実なのか、あっしにはさっぱり分からなくなってしまいましたよ…」

「僕もですよ。マスター、僕もある人から幽霊島の聞きましてね。ひとつの島が現れたり消えたりするっていうのがどうしも信じられなくて、うちの学生たちを誘ってこの町に来たのが始まりでしたからね…。だけど、その幽霊島もどうやら別次元に移動したらしいので、実は僕もホッとしているんですよ…」

 高井戸は本当にホッとした様子で゛奥山の注いでくれたビールを飲み干した。

 その横で、助手たちに酌をしてもらい、チビリチビリトと盃を傾けていた須部田が、まで独り言のようにつぶやいた。

「果たして、あれで本当に片付いたのじゃろうかのう…。わしにはどうも、そうとは思えんのだがのう…」

「どうしたのですかな。博士、また藪から棒に…」

これまた須部田の横に座っていた、南像が不審な面持ちで須部田に訊ねた。

「い、いや、単なる独り言じゃよ。独り言…、別に気にせんでもいい…」

「いや、大いに気になりますね。僕には…、須部田博士。あなたは何か、幽霊島が消失したことについて、不審に思われているような点が、おありになるのではありませんか…」

いつになく歯切れの悪い須部田の言葉に、高井戸はある種の不安を感じていた。だから、須部田が何かしらの不安を抱いているのではないか。と、いう気持ちが手に取るように分かる気がしていた。何故なら、高井戸自身も何か掴みどころのない、言葉に表せない不安を抱いていたからだ。

「そんなことはないぞ。高井戸くん、わしとてやっとの思いで、幽霊島を追い払うことができたんじゃ、嬉しいに決まっとる…。ただのう…、あまりにもあっさりと消え失せてくれたものだから、わしとしては、ちょいと拍子抜けしたような気持ちなんじゃ。

 それにあやつはきっと、また別の次元に逃げ込んだのに違いないからのう…」

「と、いうことはですよ。博士、あの化け物島は、いつかまたわれわれの世界に舞い戻ってくるとでもおっしゃるのですか…」

「さよう…、今すぐにとは思わんが、そのうちまた舞い戻ってくるじゃろう…。何しろ、わしらはあやつの息の根を止めたわけでもないんじゃからの…」

「それじゃ…、僕たちが今までやってきたことは、すべて無駄だったということですか…」

「いや、わしはそうは思わんよ。特に、高井戸くん。君の独自の研究によって、化け物島の弱点をひとつでも掴んだということは、これは君の大きな功績じゃよ」

「はあ…、しかし、いくら撃退したとしても、いつかまた舞い戻っくるのでは、結局ムダだったということになりますから、やっぱり一概に喜んでばかりはいられませんよ」

 高井戸は、まるで苦虫を噛みつぶしたような表情で、飲みかけのビールを呑みほした。

「まあ、まあ。高井戸先生も須部田博士も、そんなに心配したって仕方がありませんや。まあ、一杯やってくださいよ。あっしがお注ぎいたしますから、どうぞ…」

 ふたりの話を聞いていた奥山が、気を利かしてビールと酒を注いでいった。

「あっしが、こんなことを云うのも口幅ったいようですが、幽霊島だか化け物島だか知りませんが、もし、また現れるようなことがあっても、あっしらは決して後へは下がりません。自分たちの街を国を守ることこそ、あっしらは国民の義務だと思いますんで、どんなことしてでも化け物島なんか追い払って見せます。

南像先生や高井戸先生の、これまでの努力に報いるためにも絶対に後へは引きませんよ。さあ、高井戸先生も須部田博士もどんどん飲んでください。あっしがお注ぎしますんで…」

奥山がふたりに酒を注いでやっているところに、源三が両手に徳利をもって上機嫌でやってきた。

「いんやぁ…、博士さまに高井戸大先生。今回はほんにご苦労さまでごぜえました。ほんにこれで、おらだちも枕ばろめ高ぐして眠れるちゅうもんだへ。今日はお祝いなんだがら、おらの酒も飲んでけろ…。南像先生もどんぞ…。青山も由美子も飲んでっか…。いやぁ、めぜてぇ。めぜぇ…」

源三は大はしゃぎで、そこいら中に片っ端から酒を注いで回っていた。

「いや、何といっても源さんが一番の太刀役者だ。何しろ、あの幽霊島の第一発見者だからね。さあ、源三さんもこちらに来て、みんなと一緒に酒でも飲んでください。さあ、さあ…」

 南像が酒を注いで回っている源三に声をかけると、ようやく集まった人たちに酒を注ぎ終わったのか、やっと自分の席に戻ってきて腰を下ろした。

「ご苦労さまでしたな。源三さん、さあ、高井戸くん。源三さんにも一献注いで差し上げなされ…」

 須部田にいわれて高井戸は徳利を手にして、源三さのほうに向き返ったが一応聞いてみた。

「どうだい、源三さん。日本酒もいいが、たまにはビールでも飲んでみては…」

「ほんだなぁ…。おらは普段はあんまり酒は飲まねえが、今日は特別だべ。よし、ビールでもなんでも飲んでやるから、どんどん注いでけろ…。高井戸先生」

 源三は高井戸からビールを注いでもらうと、一気に三杯ばかりを呑みほした。

「ほう…、いい呑みっぷりじゃのう。さすがは海の男じゃ、あっぱれ、あっぱれ。しかし、これで源三さんも歴史に名を残すか…、大したものじゃよ…」

 須部田が感心したように目を細めた。

「なぬ…、このおらの名前が歴史に残るってがぁ…、あの豊臣秀吉どが織田信長みでぇにが…、こらぁ、大変なごどになっちまったな…。おらぁ、恥ずがしぐって町ン中も歩げなぐなっべ…。どうすっぺが…、由美子」

 自分ではどうすることもできなくなったのか、源三は助けを求めるように由美子の顔を見た。

「大丈夫ですよ。源さん、そんなに恥ずかしがらなくたって、町の人はきっとみんな源さんのことを誇りに思うでしょうよ」

 高井戸が源三をなだめるように言った。

「そうともよ。源さん、あっしは源さんのような人を友だちに持ったことを、一生涯誇りに思うでしょうよ」

 奥山も源三のことを最大限に褒め称えた。

「んでも、おらぁ、やっぱりこっ恥ずかしいがらやんだぁ…」

「まあ、まあ、源さん。そんなに駄々をこねたら、海の男の名前が廃りますぞ。さあ、機嫌を直してもう一杯いかがです…」

 今度は南像が徳利と杯を手に、源三の前に来て酒を注いでやった。

「さあ、それではみなさん。もう一度源さんのために乾杯と行きましょう。みなさん、用意はよろしいですかな…。それでは乾杯…」

「乾杯…」

「カンパーイ…」

「かんぱい…」

 こうして、宴は大いに盛り上がりを見せたが、須部田博士ひとりだけが渋い表情(かお)で、盃を口に運びながら高井戸に言った。

「まあ…、何にしても化け物島は、われわれの前から姿が消え失せはしたが、いずれまた姿を現すのはまず間違いはあるまい…。その時に、われわれはどのような手を打つべきか、講じておかなければなるまい…」

「しかし、博士。化け物島はノミのごとき小さな生き物を、どうしてあんなにも毛嫌いするんでしょうかね…。僕にはいくら考えてもわからないんですよ…」

「うーむ…、それはわしにも分からんが、もし、仮にあやつが微生物の頃に小惑星かそれに近いものに付着して、原始惑星に近い地球にやってきた頃、地球の原始細菌と交わり合っていた頃にじゃ。その中にノミとよく似た微生物がいたとしたらどうする…。

 そして、そいつも貪欲な奴で見慣れないあやつを見つけて、自分のなかに取り込もうとして追い回した。あやつもおかしな奴に取り込まれたら大変と、恐らく海中にでも逃れたのだろうよ。海中にでも逃れたのだろうよ。たぶん、その記憶か何かが今でもあやつの中に残っていて、それで今もってノミの姿を見ただけで、居ても立っていられなくなって、別の次元に移動してしまうのだろうよ…」

「いやぁ、須部田博士。あなたの思考力というか想像力には感服しました。僕にはとても、そこまで考えが及びませんでしたよ…」

「何…、これはただのわしの推測じゃ、そこまで感心することもあるまいよ。高井戸くん」

「今度また現れた時に、一体どのような手を打てばいいのでしょうかね…」

「まあ、今日明日ということもなかろうが、それを研究しとことん見極めるのも、われわれに課せられた最大の課題になるだろうがのう…」

 その後も、宴は夜遅くまで続いていた。しかし、高井戸はこの後に起こるであろう、新たな事態のことを考えると、じっとしてはいられない焦燥感に駆られるのだった。

 翌朝になると、まず源三が帰り支度を始めた。

「さぁてと、おらもひさスぶりに、海さ行って魚でも獲ってくるが…。ウカウカすったら、ホントにおまんまの食い上げになっちまうがらな。ヨッコラショッと…」

 続いて奥山も立ち上がった。

「それでは、みなさん。あっしもこれで失礼いたします。いつまでも店をほったらかしにしていたら、カミさんに何を云われるかしれませんからね。先生たちもこちらのほうにお出でになりましたら、ぜひ、あっしにもひと声かけてください。それでは、これにて失礼をいたします」

 相次いでふたりが出て行くと、南像が高たちに声をかけた。

「さて、みなさんも帰ったようだし、私らもそろそろ戻ろうじゃないか。みんなも一緒に帰ろうじゃないか…」

「ええ、そうしましょう…。おい、青山も帰る準備をしなさい」

「え、僕は源さんの手伝いをする約束がありますから、先生たちは先に帰ってください。夏休みもまだ終わりまではかなりありますし、もう少しのんびりしてから帰ります…」

「そうか…。しかし、あまりハメを外すんじゃないぞ…。青山」

「わかってますって、それより先生も少しゆっくりしていけばいいのに、もう帰るんですか…」

「うん…。僕もそうしたいところは山々なんだが、そうもしておられんだよ。そこが学生と違うんだよ。まあ、青山も頑張るんだな…」

「それでは、わしらもそろそろ戻ろうかのう。ヨイショ…」

 須部田博士も助手たちに支えられて立ち上がると、部屋から出て行って青山と由美子だけが残された。

「あーあ…、みんな行っちまったよ。源さんも漁に出て行っただろうし、どうしようかな…。これから…」

「そうだ…。いいところに案内しましょうか…」

「え、何だい…。そのいいところって…」

「無人島よ。幽霊島ほどじゃないけど、小さくって遊ぶにはちょうどいいわね。すぐ近くなの。あたし漕いでいくから行きましょうよ。青山さん」

「僕はいいけど、でも大丈夫なのかい。その島…」

「だいじょうぶよ。あたしたち子供の頃に、みんなで行ってよく遊んだんだから、幽霊島なんかと違って絶対に安全だわ。ねえ、行きましょう…」

「うん…、あんまり気が進まないけど行ってみるか…」

「あら、青山くん。幽霊島のことでビビっているのかしら、ふふふ…」

「そ、そんなんじゃないよ…。でも、あんまり気が進まないなぁ。やっぱり…」

「なら、いいでしょう。あたしに任せていきましょう。源三伯父さんの小舟があるわ。後で断ればいいから、これからすぐ行きましょう…」

 宿を出たふたりは、そのまま港の外れの源三が、小舟を止めている場所までやってきた。

「ほら、あれよ。源三伯父さんのこふね。古いけど、まだまだ乗れるわ」

「ずいぶん古いようだけど、水漏れなんかしないよね…」

 不安そうな表情で青山が訊いた。

「それは大丈夫よ。源三伯父さん、ああ見えても案外几帳面だから、手入れだけは欠かしたことがないから…。さあ、早く乗って、時間がもったいないでしょう…」

 由美子に促されて青山が乗り込むと、由美子はゆっくりと小舟を漕ぎ出した。由美子も、さすがに漁師町の娘だった。櫓を漕ぐ手捌(さば)きが実に巧みであった。

「へえー、巧いもんだね…。由美子ちゃん」

「そりゃ、そうよ。子供もの頃から乗ってるんだもん…。よく伯父さんが教えてくれたからね。それより、あと少しで小島が見えてくるはずだから、青山くんも降りる準備をしといて…、とは云っても、青山くんは背中のザックがひとつだけだから、いいのか…」

「あ、見えてきた…。あれかい、由美子ちゃんの云ってた島って…」

 青山が見つけて指差した島は、何んとも変な形の島だった。島というよりは、饅頭を浮かべたような奇妙な島だった。

「さあ、着いたわ。青山くんも早く下りて…」

 由美子は小舟から下りると、青山に手伝わせて舟を陸地に引き上げた。陸地といっても、砂浜もなく滑々とした岩肌が剥き出しになっていて、波打ち際には押し寄せる波が軽やかな音を立てていた。

「この島はね。満潮時には海に沈んで見えなくなるらしいの…。だから、地図にも載ってないし、名前もついてないらしいわ…」

「じ、じゃあ…、幽霊島と一緒じゃないのかい。それって…」

「でも、幽霊島みたいに悪さはしないから、あたしは好きだなぁ…」

「それじゃさ。この島のことは、土地の人でも知ってる人は少ないのかい…」

「さあ…、半々くらいじゃないのかしら、だけと、満潮時に海に沈んでしまう島なんて、誰も相手にしないわよ」

「そういうものかなぁ…。僕はそうは思わないけどなぁ…」

「そんなことはどうでもいいじゃない。それより、時間がもったいないから、早く行きましょう。面白いところに連れてってあげるわ」

「何だい…。面白いところって…」

「この島わね。この饅頭みたいな岩の横に、穴がいっぱい空いてるのよ。まるで迷路みたいにね…」

「大丈夫なのかい…。そんなとこに入って出られなくなったりして…」

「何ビビっているの。青山くん、さあ、行きましょう。早く…」

 なるほど、由美子のいうとおり饅頭山の横手には、無数の横穴が口を開いているのが見えた。由美子は青山の手を引っ張るようにして、そのひとつの横穴へと踏み込んで行った。

 横穴の中は暗かったが、青山が懐中ライトを点けると、滑々した壁面の岩肌に反射した光が、目が眩むような目映さで返ってきた。

「うわぁ…、まぶしすぎるよ。何なんだぁ。この岩板は…」

 青山は思わずライトの光を床面に落とした。

「この岩は何ていう岩なんだろう。妙に滑らかだし、そんなに固い岩とも思えない…」

 壁面に寄って青山は左手で触れてみた。岩盤には違いないが、肌触りが普通の岩とは少し違うように感じられた。何か見本なるものないかと探してみたが、床には石ころひとつ落ちていなかった。

「なんだか薄気味悪いところだなぁ…。幽霊島だけでもうんざりなのに、もうこれ以上変なものには関わりたくないよ。もう帰ろう。由美子ちゃん…」

「いいわよ。どうせ、暇だったから連れてきただけだもの。帰りましょう…」

 青山も、実際幽霊島と遭遇するまでは平凡な学生として、キャンバス生活を送っていた若者に過ぎなかったのだが、高井戸に頼まれて幽霊島探索にやってきたのが、ここまでズルズルと尾を引いて現在に至ったのが実情だった。

 また由美子のほうも、たまたま休みを利用して実家に帰り、源三に連れられて幽霊島を見物に行ったのが始まりだった。ただ、由美子と青山の違う点は大きく分かれていた。少なくても、由美子の場合は一生使っても使い切れないという、時価数十億という昔海賊が隠したと言われている。金や宝石を散りばめた豪華絢爛たる、首飾りを発見したことだった。そんなふたりだったが、由美子は幽霊島で首飾りを見つけたことなど、おくびにも出さないでアッケラカンとした日々を過ごしていた。

 来た時と同じように、由美子が舟を漕いで饅頭のような島を離れた。

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