第六章

 翌日の午後になると、南像教授と菅田博士が相次いで帰ってきた。

まず南像が先に着くと宿泊している宿に戻り、高井戸たちの泊っている部屋にまっすぐ向かった。

「だいぶ早かったですね。南像さん、どうでしたか、大学のほうは…」

 と、高井戸が訊ねた。

「うむ…、大学側はあまりいい顔はしなかったが、無理を通して十日間の休暇を取ってきたよ。君の分もちゃんと取ってきたから安心したまえ」

 南像は上着を脱ぎながら言った。

「ありがとうございます。十日間もあれば十分過ぎるくらいですよ。これでゆっくりと、あの化け物島のことがしらべられますね…。実は先輩…、僕たちは昨日また幽霊島に行ってきたんでですよ…。

僕たちは、先輩たちかが出かけられた後、またあの島に行ってみたんですよ。そうしたら、由美子さんがこんな物を見つけたんですよ…」

 高井戸はバッグの中から、バスタオルで包んだ首飾りを出すと、南像の見ている前で広げ始めた。

「どうですか。南像先輩…、これをどのように見られますか…、率直な意見を聞かせてください…」

「率直な意見と云われてもね…。高井戸くん、これがあの島にあったというのかね…。これを由美子さんが見つけたというのか…、ふぅーむ…」

 南像は深いため息とともに、黄金と宝石が鏤められた首飾りを両手で支え持った。

「私も宝石類のことは、あまり詳しくは知らないんだが、これはかなり古い時代のものだいうことは判るが、それ以上のことは見当がつかんな…」

「やはり、南像さんでも分かりませんか…」

「いづれにしても、これはまず警察に届け出ることだな。それが拾得者としての義務でもあることだから…」

 南像は首飾りをテーブルの上に置きながら言った。

「それよりも、南像さん。あの島は次元連鎖どころか、時間連続帯さえも無視しているようなんです。

 奥山マスターも青山も、あの洞窟の天井の上に小さな穴の、さらに上に空いている穴から中に入って、二時間ほど歩いてやっと出口が見つかって、外に出てみたらとんがり山の外だったって云うんです。

 その間、傾斜した坂も下った記憶もないといいます。それなのに、いつの間にか外にいたと云うことはですよ。時空そのものが捻じ曲がっているとしか、考えられないじゃないですか。南像先輩…」

「ちょっと待ちたまえ。高井戸くん、君が興奮したことろで、どうなるものでもあるまい。

 なるほど、それは極めて異常なことは確かだ…。

 私も帰りがけに国立図書館によって、幽霊島に関する記録がないかと思って調べてみたんだが、それらしいものは一切見つけることはできなかった。やはり、幽霊島のみたいな雲を掴むような話は、記録として誰も書き残す者はいなかったのだろう…」

「しかし…、伝説とか伝承は別としても、幽霊島は確実に存在しているんです。

 あなたも、その眼でご覧になったではありませんか。しかも、ここにはこうして由美子さんと青山が、堀り出した首飾りもあるんですよ…」

「まあ、私の話も聞きなさい。高井戸くん、確かに君の云うことには一理はあると思う。私としてところで、このまま見過ごすつもりはないんだ。

 幽霊島に放した子豚と子羊たちが、あの後どうなったのか私も気になっていたんだ…。最後にあの島に行ったのが君たちなら、何かそれらしい形跡は見なかったかね…。どこかで鳴き声を聞いたとか、少し残酷な話だが子豚の骨を見かけたとか、鳴き声を聞いたとか姿を見かけたとか、そういうこともまったくなかったのかね…」

「そう云われてみれば、確かにそうよね…。動物の姿どころか、空を飛んでいる鳥さえも見かけなかったわよね…。青山くん」

「そりゃぁ、そうだろう。僕たちが初めて、この島にきた時だって砂浜には蟹もヒトデもいなかったし、普通の地面にだって蟻の子一匹も見えなかったんだから…」

「それで、これからどうするつもりなんですか…。南像さん。昨日だって僕は身を持って、あの島の危険性を感じているんです。だから、動物たちは彼らの持つ直感で感じるから、島には近づかないようにしている。とにかく、あの島は時空が狂っているんです。いつ何時、別のとんでもない時代に飛ばされるか知れないんですよ…」

「うむ…、私もそう考えておる。人類が原始猿から〝ヒト〟に枝分かれをした頃には、確かに、そういう能力も持ち合わせていたのだろう。それが言葉の発見・発達によって、どんどん退化していったに違いないのだ。

人間には第六感と呼ばれるものがあるだろう。あれは昔の名残だと思うのだ…。

さて、いくら須部田博士が金を出してくれると云われても、調査の結果が得られませんでした。では、こちらの面目も丸つぶれになってしまうからね。何かしらの成果を残さなければとは思っているのだが、何しろ、高井戸くんの云うように雲を掴むような話だからね。もう一度計画を立て直して、じっくり取り組まなくてはならないだろう…。

 幸いわれわれは数回上陸しているわけだが、昔の人たちは上陸することさえ叶わなかったのだろうから、その分だけこちらのほうが有利なはずだ。

それに由美子さんの見つけた、この豪華絢爛たる宝石の首飾りという、歴史的に見てもあまり類を見ない物的証拠もあるわけだから、これに勝る証しはないと思っているのだが、いかんせん事を公にしていかんという、須部田博士の厳命もあるわけだからその辺が難しいところだからね…」

「でも、南像先生。いくら隠したところで幽霊島のことは、何れこの近辺の人たちにも知れ渡ってしまうんじゃないんですか。昔のことはどうだったのか僕には分かりませんが、こう頻繁に幽霊島が現れるようになっては、そのうちこの辺の漁師さんたちも騒ぎ出すと思いますよ…」

 それまで高井戸と南像のやり取りを、黙って聞いていた青山が言った。

「うむ、私もそのことは一番懸念していたことろだよ。青山くん、たまたま今回は源三さんがひとりで見ただけだから、そんなに大騒ぎにはならなかったものの、これから頻繁に現れるようになれば、否応なしに世間の人たちにも知れ渡ってしまうのだから、できるだけ早い時期に調査を済ませて、それ相応の手を打たなければなるまい…。ことに、この首飾りや財宝のことは極力伏せておかねばなるまいよ…。そんなことまで知れたら、世間には欲に目の眩んだ人間が履いて捨てるほどいるはずだから、宝探しと称して大勢押しかけてくることは火をるより明らかだろう…」

無言のままで南像の話を聞いていた高井戸が、何を思ったのか突然話に割り込んできた。

「南像さんも皆さんも、とにかく菅田博士が帰られたら、須部田博士の見解を聞いた上で、もう一度計画を立て直して懸らないと、こちらには幽霊島に関するデータは、何ひとつないわけです。このままでは、いつまで経っても後手後手に回ってしまうのが目に見えています。どうにかして先手を取って化け物島の弱点を見つけないと、どこか別の次元に撃退するどころかうかうかしていたら、こっちが他所の時代に跳ばされてしまい兼ねますよ。だから、なんとしても奴の弱点を先に見つけないと、相当ヤバいことになるじゃないかと思ったわけです…。そこで、みんなにひとつ考えてほしいんだが、どんな些細なことでもいいから、何か気が付いたことがないかどうか思い出してほしいんだ…」

「でも、先生。そんなこと急に云われても、あの島の弱点なんて先生たちの話していた、火と水以外は僕たちには思い浮かびませんよ…。他に何があるって云うんですか…」

「だから、そこをみんなで考えてほしいんだ。思いついたことどんなことでも構わないから、とにかく出して見てほしい…」

「しかし、これは確かに難しい問題ではないのかね…。高井戸くん、青山くんたちにしたところで、そう簡単にあの幽霊島の弱点なんか、思いつくわけもなかろうが…」

「しかしですよ。南像先輩、青山は意外と勘が鋭いとこがありまして…」

 高井戸が、そこまで話した時だった。

「遅くなりました…。ただいま戻りました」

 部屋の戸が開いて、菅田博士が助手たちを連れて入ってきた。

「おお、菅田博士。お帰りなさい。私も、つい今しがた戻ったところです。須部田博士のほうのご様子はどうでしたかな…」

「はあ、先生も思いのほか元気のようなご様子で、南像教授によろしくとのことでした」

「それは何よりでした。それで須部田博士のご見解はどうでしたか…。今も私たちは、あの幽霊島が一個の生き物であるならば、それなりに何か弱点のようなものはないものかという、議論を交わしていたところに菅田博士が帰ってこられた。

 私も帰りしなに国立図書館に寄って、伝説伝承の中に幽霊島に関する、記録のようなものがないかと物色してきたのですが、それらしいものは一向に見つけられなかった。どうも、この類いのものは浦島伝説などとは違って、まったく掴みどころのない部類に入るのでしょうな…。

さて、話はこれくらいにして、さっそく本題に入りたいと思います。

 まずは須部田博士の見解を伺ってから、改めて議論に入りたいと思いますが、いかがなものでしょう…」

 南像が話を切り上げて、これから本題に入ろうとした時だった。

「あのう…、南像先生。あっしは少しばかり用を思い出しましたんで、ほんの一時間ほど失礼させて頂いても、よろしゅうござんしょうかねぇ…」

 今までおとなしく話を聞いていた奥山が、何を思ったのか急に南像に話しかけてきた。

「いや、構いませんとも、マスターだって仕事を持っておられるんですから、どうぞご自由になさってください」

「いいえ…、そんなんじゃないんですがね。それじゃ、あっしはちょいと出かけてきますんで、後はよろしくお願いいたしやす。あ…、それから、高井戸先生。青山さんをちょいとお借りしてもよろしいですかね…」

「ああ、いいですよ。おい、青山。マスターのご指名だぞ。早く行きなさい…」

「はい…」

 青山は、それ以上何も言わず立ち上がると、黙って奥山に続いて部屋から出て行った。

 奥山の後を追いながら青山は訊いた。

「ねえ…、マスター。どうして大事な会議を抜け出してまで、どこへ行こうというんですか…。しかも、僕まで誘いだしたりして…」

「何ねぇ。青山さん、あっしはどうもあの先生たちの話は、正直なところ難し過ぎて頭痛がしてくるんですよ。それにさっき南像先生から聞きましたが、国立図書館にも幽霊島に関する記録がなかったということでしたが、ここの県立図書館なら何か手掛かりになるようなものが、あるのではないかとふと思いついたものですからね。それで青山さんをお誘いしたわけですよ」

「そうだったんですか…。だけど、国立図書館にもなかったものが、ここの県立図書館にあるんですか…。マスター」

「国立図書館のことはよく知りませんが、県立図書館には県内で出版された書籍類は、無条件で購入してくれるシステムになっているんだそうです。ですから、そういう古文書の類いも、県内のものならかなり古いものまで収蔵していると思うんですよ。あっしの考えですけどね。だから、ダメ元で行ってみる価値はあると思うんですよ」

「さうですか…。マスターって、僕なんかよりずっと物知りですよ。驚いちゃいましたよ」

「何をおっしゃいますか。青山さん、亀の甲よりなんとやらで、あっしも青山さんよりは多少は世間の風に晒されてきましたからね。こう見えても、さあ、早く調べて帰らないとみなさん心配しますから、行きましょう。青山さん」

 そんなやり取りをしながら、青山と奥山は県立図書館へと向かって行った。

 その頃、宿屋の一室では高井戸たち五人が、幽霊島の撃退方法について激しい議論を戦わせていた。

「……と、いうようなわけで、この前放してきた子豚子山羊の姿はおろか、その骨片すら見つけることができなかった。と、云うのが嘘も隠しもない事実であります。それよりも、あの島は次元だけではなく時間や空間まで、狂わせてしまうということに気が付いたのです。時空間を自由にコントロールして、あの島に近づくものを違った時代、違った空間に弾き飛ばしてしまう能力さえ、兼ね揃えていると云わねばなりません…」

「うーむ…、時空間を自由に操る力ですか…。それはあまりにも始末悪いの化け物に、相対してしまったようですね…。これは…」

高井戸の報告を聞きながら、菅田はそう言ったきり沈黙してしまった。

「いずれにしても、島をこのまま放置しておくわけにはいきません。高井戸くんが云ったことが真実であれば、何んとしても幽霊島を抹殺するか、別の次元に送り返すような手段を考えないと、行く行くは須部田博士の云われたように、取り返しのつかないことにもなりかねません。

 そこでひとつ菅田博士にお聞きしますが、何かあの島を完璧に撃退するような方法は思いつきませんか…」

「はあ、私も今回のようなケースは初めてでありまして、前例もあれに関するデータも白紙のような状態で、ただ判っていることは火と水に弱いということくらいでしょうか…」

「それくらいは私らにも分かりますぞ。私が知りたいのは、如何にすればあの化け物島を撃退あるいは、抹消することができるかということだけです。

菅田博士、あなたはそれでも学究の徒なのですか…、もう少し現実と真摯に向き合って頂きたいですな。そして、そこから何んとしてでも解決の糸口を、見つけ出さなくてはならないのですぞ。例え、ヒントのようなものでもあればいいのだが…」

南像の剣幕には、さすがの菅田も感じるところがあったらしく、つい今しがたまでゲッソリとしていた姿勢を正すと、南像のほうに改めて向き直って詫びるように言った。

「申し訳ありませんでした。南像教授、こんな姿をうちの先生に見られたら、頭ごなしに怒鳴り散らされるところでした…。本当に申し訳ありませんでした…」

「いや、いや。どうぞお手を上げてください。菅田博士、窮地に陥った時は誰しもあることです。悩み苦しんで、その中から何か光明を見つければいいではありませんか。過去の偉大な科学者や哲学者たちも、みんなそうやって偉業を成し遂げてきたのですからな…。転んでも、ただでは起きない姿勢こそ大事なのですぞ。菅田博士…」

「いや、私も先生について宇宙空間物理をやってきた者として、大変見苦しいところをお目にかけまして申し訳ありませんでした…」

「それは、もうよろしいでしょう…。とにかく、今回は出きるだけ極秘裏にことを収束しなければならないという、前提がありますから他所に応援を頼むことも、到底適わんでしょうから、こちらとしても頭の痛いところですよ…」

「南像先輩…、今おふたりの話を聞いていて、ふと思ったんですが…」

「ん…、何だね…。高井戸くん」

 何かを思いついたのか、ひとりで思考していた高井戸が南像に言った。

「今、考えていたんですが、子豚や子山羊と云ってもかなりの大きさがありますよね。どうせなら、もっと小さな動物を送り込んでみてはどうでしょう。例えば、ネズミとかゴキブリようなものを置いてくるんです。それでもう一度観察してみてはどうでしょうか…」

「観察といっても、豚や山羊でさえ見つけるのが大変なのに、ネズミとかゴキブリとあっては、それこそ並大抵のとこじゃないのではないかね。高井戸くん」

「ですから、より一層小さな生き物を送り込んで、幽霊島がどんな反応を示すかを見るんです。それでもだめでしたら、もっと小さなもの見つけて送り込む…」

 高井戸は自分の思いついた考えを必死に説明した。

「なるほど…、観察ではなく反応を見る…。ですか、それには一理あるかも知れませんね」

 それまでゲッソリしていた菅田がわれに返ったように話し出した。

「私たちは、これまで大きな間違いを犯していたのかも知れません。どうすれば、あの島を撃退することができるのか、この一点にだけ拘っていた気がします。

つまり観察はしていても、あの島が示す反応を見ることを怠っていたように思うのです。視点を間違えていたのです。確かに高井戸先生が云われたように、ネズミなりカエルなりできるだけ小動物がいいと私も思います。

そして、至るところに監視カメラを仕掛けておいて、私たちの安全な場所から観察すればいいのです。あの島が興味を示すのは生きている物だけですから、機材のような固形物には興味を示さないので安全だと思われます。どうでしょうか。南像教授」

「それは、どうぞご自由になさって頂いて結構です。それで島の観察ができるのなら、大いに結構です」

 菅田は南像の了解を得ると助手たちに何かを命じ、助手たちは一を聞いて十を知る機敏さで部屋から出て行った。

「しかし、そんな大量のネズミとかカエルが、この町で手に入るのかね…」

「いや、それも私のほうで手配しますので、ご心配には及びません」

 菅田はポケットから携帯を取り出すと、方々に電話をかけ始めた。十軒近く電話を掛けまくった末に、菅田はようやく電話をしまい南像や高井戸のほうに向きなおった。

「あれだけの量になりますと、集めるのに時間がかかるそうで、両方とも早くて明日か明後日になると云われました。千匹ともなると、やはりいくらハツカネズミでも、これだけの量を集めるのは大変らしいです…」

「千引きとは…、たいそうな量ですな。博士、しかも、カエルもですぞ…」

「また、クレーン船を頼みますから、ご心配はいりませんよ。教授」

「まあ…、ネズミとカエルが千匹ですって…。うわぁ、気持ちが悪いわ…」

 由美子が眉をひそめた。

「何云ってるだ。おめえは、子供の頃はお父っつぁんの田舎に行くと、カエルと一緒になって喜んで遊んでだって、おめえのおっ母さんから聞いたごとがあっど。今さら何云ってるだ…」

「いやだわ…。伯父さんったら…」

 由美子は頬を赤く染めると、両手で覆い隠した。

「これで準備は整いました。後はネズミとカエルが届くのを待つだけです。源三さん、すみませんが、またクレーン船の手配のほうをお願いしますよ」

「よし、やっとおらの出番だな…。ほんじゃ、漁協さ行って頼んでくっから、ちょっくら待ってでくれらんしょ…」

 と、鼻息も荒く源三は出て行った。その源三と前後するように奥山と青山が帰ってきた。

「ところで…、マスターたちはどこに行ってきたんですか。一体…」

 高井戸が訊いた。

「訊かれると思いましたよ。やっぱりね…。

 いいえね。先ほど、南像先生が国立図書館まで行って、幽霊島のことを調べてきたって聞いたものですから、国立図書館にはなくっても街の県立図書館なら、何かしらの記録があるんじゃないかと思いましてね。何しろ地元ですからね…」

「それで…、何か目ぼしいものでもあったんですか。マスター…」

「それが、おおあり名古屋なんですよ。高井戸先生」

 そういって、奥山はコピー用紙の入った紙封筒を高井戸たちの前に置いた。

「何しろ古い時代の文字ですから、あっしらなんかにはとてもじゃありませんが、読める代物ではありませんので、専門の南像先生に読んで頂こうと思いましてね。こうしてコピーを取ってきたんですよ」

「それは、それは、ご苦労さまでしたな。奥山マスター、それではひとつ拝見させて頂きますかな…」

 南像は前に置かれた紙封筒に手を伸ばして、中のコピーを取り出して読み始めた。しばらく、そこに居合わせた全員に長い沈黙が訪れた。

 やがて、南像はコピーを読み終えると二枚ほどを残して封筒に戻した。

「これは、あの島を初めて探検に行ったというか、見物に行った高屋伝衛門と

いう人の書き残した記録らしいのだ。本人は上陸しなかが、渚の近くまで小舟で行って一緒に連れて行った飼い犬を上陸させたらしい。犬は喜んで泳いで行って島に辿り着くと、海水を弾き飛ばそうとして濡れた体を数回身震いさせたが、体が痒いのか砂浜の上を転げ回ったり、砂に体を擦りつけたりしたが収まらずに、終いには後足で脇腹をボリボリと掻き始めた。飼い主は呼び戻そうとしたが、犬は夢中になって体中を掻きまくっていて、飼い主の声もまったく聞こえないようだった。すると、そうこうしているうちに、辺りがにわかにザワザワしてきたとみるや、いきなり何の前触れもなしに飼い犬もろともに、幽霊島は姿を消してしまった。

 可哀そうな太郎吉よ。お前をこんなところまで連れてきた。このわしを許しておくれ…。と、いうところで締め括られております。この太郎吉というのは飼い犬の名であります。

 ここで、注意しておかなければならないところは、犬の体が痒くなり砂の上を転げ回ったり、体をしきりに掻きまわっていたという点と、犬が転げ回ったり体を掻きまわしていると島がザワつき出し、犬もろとも消え失せてしまったという点だと思われます。

 何故、幽霊島がいきなり姿を消してしまったのか、私もこれを読みながら懸命に読み解こうとしたが、それらしい事柄は一切記されてはいなかった…」

 南像は、そこで一旦言葉を切って、前に置かれた台からお茶碗を取ってひと口啜った

「しかしですよ。南像先輩…、一体どうして犬が脇腹を掻いたり、砂浜の上を転げ回ったとしても、何故幽霊島がザワついたりしたのか、そして何ゆえに姿を消さなければならなかったのか。僕はどうも、その辺に何か秘密が隠されているような気がするんです。

 ここはひとつ何としても研究してみる価値がありそうです。この課題については、僕なりにもう一度調べてみたいと思いますので、僕に預からせてはもらえんでしょうか…」

「いいだろう。大いに調べてみてくれたまえ。この件については高井戸くんに任せるとしてもだ。私たちにしたところで、須部田博士から金を出してもらってはいても、いつまでもここに居座ってばかりはいられないと思うのだ。いくら休暇願いを出してきたとは云え、ここは一旦東京に戻って日を改めて、出直してきたほうがいいのでないかと思うのだが、どうだろうかね…」

「いいんじゃないですか…。青山もそろそろ家が恋しくなってきたんじゃなぃのか…。それにもう少しで夏休みだし、休みに入ったら出直して来ればいいのさ。僕もそれまで鋭気を養っておかないといけないな…」

「但し、ネズミとカエルを頼んでしまったから、その結果を見てからになるがね…」

 こうして、一旦帰京することが決まった。

「うわぁ…。そうしたら、あたし青山くんと一緒に帰ろうかな…。ねえ、いいでしょう。青山くん…」

「ああ…、僕ならかまわないけど…」

 由美子がひとりではしゃいでいた。

「それでは、みなさん。ネズミとカエルが届き次第、最後にもう一度幽霊島に渡りたいと思いますので、それまでゆっくりと休んでおいてください」

 あとはネズミが届くのを待つだけということで、一応会議は終わりを告げた。

 会議が終わり、青山と由美子がふたりきりになった。

「さて…、これから、どうしようかな…」

 青山が独り言のように呟きながら、首の後ろで腕を組むとひとつ伸びをした。

「ねえ、青山くん。よかったら、あたしン家に来ない…」

「ああ…、行ってもいいけど、僕なんかが行って迷惑じゃないのかな…」

「迷惑だなんて、そんなこと全然ないわよ。行こう…」

「それじゃ、お邪魔るよ。行こう」

 青山は由美子について彼女の家へと向かった。

「…でも、なんで犬が地面を転がったり、体を掻いたりしたら幽霊島は急に消えたんだろう…。わからないなぁ…」

「ああ、さっきのお話しね。あたしン家でも犬を飼ってるから、よく観察してみるといいわよ。青山くん」

「へえー、いいよな…。田舎のひとって…、自分っところの庭も広いだろうから、犬でも何でも飼えるだろうし、羨ましいなぁ…。僕には」

「あら、青山くんだって生まれは東京じゃなかったでしょう」

「うん、埼玉だよ。だけど、親父は会社勤めで自分の家と云ったって、庭は猫の額くらいしかなくってさ。家の窓から三十センチも手を伸ばすと、そこはもう隣の家だからね。とても犬なんて飼える余裕なんかないのよ」

「ふーん、そんなに密集しいてるのか…。埼玉と云っても大都会と一緒なんだね…」

「そうだよ。だって川口だもん。二十分も行くと東京なんだよ。わかる…」

「そんなに近いの…、あたしには想像もつかないな…」

「もうすぐ、あたしの家よ。あそこのがそうだよ」

 由美子が指した方向には、二階建ての大きな住宅が建っていた。

「すごく立派な家じゃないか…。由美子さんとこはお金持ちなんだね…」

「そんなでもないけど、父が事業を起こして、たまたま当たっただけだって云ってたわ」

「ワン、ワン、ワン…」

 由美子の姿わ見つけると、一頭の大きなドーベルマンが突進してきた。

「うわぁ…、ド…、ドーベルマンだぁ…。僕は犬が苦手なんだよ…」

 青山は、思わず由美子の後ろに身を隠した。

「大丈夫よ。青山くん、あの子はああ見えても根は優しい子なんだから。そんなに怖がらなくてもいいわよ。これ、ジロチョー。お客さんだよ。おとなしくしなさい」むろめるね

 由美子が一喝すると、ジロチョーは急におとなしくなり、鼻をクンクンいわせながらふたりの元に寄ってきた。

「ああ…、びっくりした。次郎長っていうのかい。この犬…」

「そうなの。お父さんが趣味で狩猟をやっているでしょう。だから、その猟犬代わりでもあるのよ」

 由美子がそういっている間にも、ジロチョーは青山の周りをまわって、鼻をクンクンさせ匂いを嗅いでいた。

「さあ、中に行きましょう。お父さんはいないかも知れないけど、案内するわ」

由美子は玄関の戸を開けると、ちょうど奥のほうから父親が出てきたところだった。

「ただいま、お父さん」

「おや、由美子。お客さんかい…。上がってもらいなさい」

「紹介するわ。こちら、あたしの兄妹校の東亜細亜大の青山くん」

「初めまして、青山と申します。よろしくお願いします」

「いらっしゃい。さあ、上がってもらいなさい。どうぞ、どうぞ」

 由美子の父親は、青山を応接間に案内した。

「それじゃ、あたしなにか飲み物でももらってくるわ」

 由美子は応接間から出て行った。

「そうですか。東亜細亜大ですか。私も最初はあそこに入れたかっんですが、家内がひりり娘に悪い虫でも着いたら大変と云いましてね。それで女子大のほうに入れたんですよ。でも、よかったですよ。青山さんのような、いいお友だちができて私もひと安心です。」

「いえ、僕はただ源さんに紹介されただけですから…」

「おお、義兄さんに…、そうでしたか。あの人は自分には子供もなくて、奥さんに先立たれましてね。由美子のことを我が子のように可愛がってくれています。それで、私らも再三にわたって再婚を進めたのですが、『いや、おらが新しい嫁なんかもらったら、死んだおっ母ぁに申し訳が立たねえから、新しい嫁なんかいらねえ』の一点張りで、ついにあの歳まで独り身を通してしまったんです」

「ふーん…、源さんらしいですね…。やっぱり、もしかすると、源さんは僕なんかよりずっと純粋なのかも知れませんね」

「いやぁ、羨ましい限りですよ。私などはつい目先のことしか気が回らないのに…、純粋か…。素晴らしいことですねぇ。本当に…」

「あらぁ、何の話しをしてたの。ふたりで…」

 由美子がお茶とお菓子を手に入ってきた。

「いや、何ね。いま青山さんと義兄さんのことを話してたんだよ」

「伯父さんのことってどんなことよ…」

「源さんは純粋な人なんだなって話だよ。由美子さん」


ふーん、いつだったか、あたしがお邪魔したらエロ本なんか見て、ニヤニヤしてたわよ。あれでも純粋なのかしら…」

「バカなことを云うもんじゃないよ。あれとこれとは別の問題だ…。義兄さんだって、たまには息抜きが必要だろうが…」

「何の息抜きだか…」

「しかし、さっきは驚きましたよ。いきなりドーベルマンが走ってくるんだもの。僕は命が三年ほど縮んだ思いがしました…」

 青山は話題を変えようと、ドーベルマンの話を出した。

「ああ、ジロチョーのことですか。あれは見かけは物凄い獰猛そうな顔をしてますが、根は気の小さい奴でしてね。とても狩りなんかには使えないんですよ」

「ところで、変なことを聞くようですが、どうして次郎長って名をつけられたのですか…」

「ああ、あれですか。よく人にも聞れるんですよ。理由は簡単です。私が静岡の生まれだから、犬を飼ったら次郎長ってつけようと思っていただけです」

「ねえ、青山くん。お父さんにあのことを聞いてみたら…」

「何だね。あのことというのは…」

「あ…、いや。あの…、おじさんは幽霊島のことはご存じでしょうか…」

「幽霊島…。ああ、あの伝説に出てくる島のことですか。それは噂のひとつやふたつは聞いたことがありますよ。しかし、あれはあくまでも伝説の上での話で、実際にそんなものがこの世に存在しているわけはないでしょう」

「いいえ、それがあるのよ。お父さん、あたしたちは何回も島に行っているんですもの」

「お父さんを担ごうったって、その手は桑名のなんとやらってね。いま時エイプリルフールだって、そんなことは誰も引っかからないぞ。由美子」

「本当なんです。おじさん、由美子さんはその島で時価数十億という、宝石の首飾りを発見したんですから…」

「おや、おや、青山さんまで由美子とグルになって、私を担ごうとしているのかね…」

「本当だってば、お父さん。いま専門家に頼んで鑑定してもらっているんですからね」

「わかった、わかった…。由美子、君たちの話しにはお父さんは、これ以上付き合っていられれないんだよ。私は今日しばらくぶりに休みが取れたんだ。やっとのんびりできると思っていたのに、少しひとりにさせてもらえないか…。君たちは君たちで自由にやりなさい。それから、青山さん。あなたは、どうぞゆっくりくつろいでいってください。それではごゆっくり…」

 由美子の父親は、そういうとソファーに横になった。

「行こう。青山くん…」

 ふたりは応接室から出て行った。

「相当疲れているみたいだね。君のお父さん、きっと毎日忙しいんだろうね…」

「これからどういるの…。青山くん」

「うん…、高井戸先生にも誰にも云ってこなかったから、僕はそろそろ戻ってみるよ。由美子さんはせっかくだから、もう少しゆっくり来るといいよ。高井戸先生には僕から云っといてあげるから、ゆっくりでいいよ。それじゃ、僕は行ってみるよ…」

 こうして、青山は由美子に別れを告げて、宿泊している宿に帰って行った。もうすぐ昼下がりになろうとしている時刻だった。

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