第三章
島の浜辺に戻ってくると、海の色はまだ青いままだったので、高井戸を始め青山たちも全員ホッと胸を撫で下ろす思いだった。源三の船に乗り込むと、須部田博士が全員に集まるようにと声をかけた。
「諸君…。今回のことと、これからのことについて、少し話しておきたいことがある…」
と、前置きをすると、一同の顔を見渡しながら話始めた。
「ひとつ源三さんに聞くが、初めてあの島を見た時はどんな天候だったかのう…」
「へえ、そりゃあ、もう今日みでえに、よぐ晴れたいい天気だったども…」
「いや、どうもありがとう…。続いて高井戸くんに聞くが君の場合はどうだったかな…」
「はあ、源三さんと一緒でよく晴れた、いいお天気でしたが…」
「はい、どうもありがとう。ふたりとも、よく晴れたいい天気だったと云っております。これは何を意味しているのか…。答えは簡単であります。あの島は次元連鎖はもとより、時空間までもが多少なりとも、歪みが生じているものと思われます。で、あるから、あの島には雨が降らない。と、いうよりは、島自体が雨を避けて通っていると云ったほうが、真意に近いと考えられます。わしも先ほど調べてみましたが、雨の降った形跡は微塵も発見することができませんでした。にも拘らず、植物たち育成には何の変化も見られませんでした。
そこで、わしは考えました。これは一度徹底的に調査してみる必要かあると…。ここはひとつ調査団を組織して、より詳しいデータを集めてみる必要があるぞ。と、思い立ったまではよかったが、何分わしも老い過ぎてしまってのう。いつあの世からお迎えが来るかも、知れぬ年齢になってしまったんじゃてな…。そこでじゃ、わしからひとつ提案があるのだがの…。わしは今も云ったように、もうそんなに身体も利かなくなっておるから、その調査団の団長にはわしの一番弟子を推薦したいが、どうかな…。南像くん」
「いや、私に異存はありません。ましてや、須部田博士の一番弟子ともなれば、さぞかし優秀な方でしょうからな…」
「おお、賛成してくれるかね。南像くん、わしから云うのもなんだが、彼ほど頭脳明晰な人間は世間広しといえども、そうザラにはおるまいて…。
特に今回のようなことは、しばらくの期間は世間には伏せておかねばならん。そうでもしないと欲に目の眩んだ連中が、宝探しと称してこの島に押し寄せてくるに決まっておる。
こういった輩が押し寄せてきたら、この島はどうなると思う…。至るところを掘り返えされて、この島も終いにはボロボロにされるのが目に見えておる。そうは思わんかね…。南像くん」
「はあ…、ごもっともなお話ですな。博士」
「そうか、わかってくれたか、南像くん。然るに、この島は次元と次元を跨いだような領域にあって、危険極まりないところだけに、当分の間は立ち入り禁止地区にするよう、わしから政府の上のほうに云っておかねばなるまいて…。
もっとも、あの島のことを知っているのは、わしらぐらいの者じゃろうがな…」
そうしているうちにも、幽霊島はどんどん後方へと遠ざかって行った。
さて、幽霊島から東京に戻ってから、さらに二週間近くが経過した頃、東亜細亜大学の南像がいる教授室を、四人の男たちが訪ねていた。
コンコンとドアをノックしてから、
「すみません…。南像先生のお部屋は、こちらでよろしいでしょうか…」
細身の男を先頭にして室内に入ってきた。
「そうですが、どなたかな…」
「私は須部田博士の一番弟子をやっておりました、菅田三志郎と申します。お見知りおきのほどをお願いいたします」
「おお、君かね。須部田博士がベタ褒めしておったのは…」
すると、斜め後ろにいたそふたりが出てきて、
「南像先生、ご無沙汰しております」
と、挨拶をした。
「おお、君たちは確か、須部田博士の助手をしている、船田くんと海原くんだったね」
「先生。そして、こっちが私の助手の遠山です」
「遠山です。よろしくお願いします」
ひと通り挨拶が済むと、
「せっかく来ていただいたのだから、高井戸くんたちを紹介しておきましょう」
そういうと南像は机に戻ると、インターホンのスイッチを入れると、ひと言ふた言話しをしていた。
「今来るそうですから、その辺にかけて待っていてください」
四人に椅子を勧めていると、ドアをノックする音がした。
「失礼します…」
ドアが開いて高井戸と青山が入ってきた。
「紹介しましょう。准教授の高井戸と、わが校の学生青山です。こちらは須部田博士の一番弟子の菅田三志郎博士と、その助手の方で遠山くんだ。そして、こちらのふたりは須部田博士の助手の船田くんと海原くんだ」
ひと通り挨拶が済むと、菅田はさっそく話し出した。
「ことの事情のほうは、うちの先生から詳しく伺っておりますが、先生によりますと次元連鎖はおろか、時空間の状態までが非常に不安定なままだと聞きましたが、南像先生はどのように思われますか…」
「いや、私はそっちのほうは門外漢でね。詳しいことはわからんのだが、やはり非常に違和感を感じたことだけは確かだがね…」
「そうですか…。それでは高井戸先生と青山くんに伺いますが、あなた方が源三さんという漁師の方が初めて島を発見してから、一ヶ月後に再びその島と遭遇した聞いておりますが、その時の状況はどのうな状況下でありましたか…」
助手の遠山は懸命にメモ取りをしている。
「どんな状況下と云われましても、僕たちはいつ現れるか知れない幽霊島のことを、ただジッとして辛抱強く待っていたに過ぎません。それでもなかなか現れる様子もなく、半分諦めかけて源三さんに声をかけた時、船尾にいた青山が急に騒ぎ出したんです。みんなで駆けつけてみると、源三さんに聞いた通りの〝とんがり山〟が見えていて、そのあまりにも異様な形態から、これが江戸時代以前から伝説となって語り継がれてきた、幽霊島かという伝説や伝承ではなく、実在している島なんだという確信を得た次第です…」
「いや、ありがとうございました。私たちも、うちの先生からの命により公にはしないで、できる限り極秘裏に調査を進めるようにとの意向でしたので、これまで幽霊島に関わってたみなさまにもご協力を仰ぐようにとのことでしたので、よろしくお願いいたします」
「私のところにも、須部田博士から手紙を頂いておりますから、彼らにも話し通っていますので、ご安心ください。但し、今回参加できるのは私とここにいる高井戸青山両君だけで、あとは奥山マスターと漁師の源三さんだけですが、それでよろしいですかな…」
奥山と源三なら、いつでもOKだろうと南像は読んだのだろう。
「結構です。つきましては、あの島は理由はわかりませんが、極度に雨を嫌っているからだということです。海の色が紫に代わるのも、こちら側の世界で雨が降ると自然に次元が転移するのだろうと、先生はおっしゃっておられました。
そこで気象庁に問い合わせて確認を取りましたところ、二週間後の土日であれば「百パーセント」雨は降らない。という、データを得ることができました。みなさまのご都合はいかがなものでしょうか…」
「うむ、私も二週間後でしたら、何とか都合がつくと思います…。高井戸くんと青山くんはどうかね…」
と、南像は高井戸と青山のほうを見た。
「ええ、僕なら大丈夫ですけど…、青山くんはどうだい…」
「ええ、僕のほうも全然大丈夫よ」
青山もふたつ返事で承知した。
「みなさんに快く引き受けて頂きまして、ありがとうございます。これから帰りまして、さっそく先生にご報告いたします。それでは二週間後に、ここでお待ちいたしております。それでは、私はこれにて失礼をばいたします」
菅田三志郎と名乗る、どこかで聞いたことのあるような名前の、須部田博士の弟子という中年そこそこの若き博士は帰って行った。
「何だか、段々ことが大袈裟になって行きますね。南像先輩…」
高井戸がいうと、南像は両手を広げながら言った。
「仕方がないだろう…。須部田博士もかなりのご高齢だし、自分の生きている間に少しでも未解決な事象は解明しておきたいと、お考えなのだろうよ。学者というものは、目の前にひとつでも理解できないことがあると、寝ても覚めてもそのことが頭から離れないらしいんだよ。かくいう私もそのひとりだがね…」
「はあ…、それならば、僕にも少しは解かるような気もしますが…」
そんなこともあって、あっという間に二週間が過ぎ去った。
南像たちが待っていると、菅田と名乗る博士と三人の助手たちが二台の車でやってきた。
「いやぁ、少しお待たせいたしましたかな…。南像先生たちは私の車にお乗りください。どうぞ…」
「いや、すまんね。それでは失礼しますぞ…」
南像は助手席に、高井戸たちは後部座席へとそれぞれ乗り込んだ。
「うちの先生が南像教授には、くれぐれもよろしくとのことでした」
「それはそれは、恐れ入りますな…」
「さてと、今日はのんびり構えていられませんので、これから高速に入って一気に現地に向かいます」
「ほう、高速かね…。何年ぶりかな…。高速に乗るなんて…」
感慨深げに窓外の景色を眺めながら、走ること二時間あまりが過ぎ去って、やがて車は小さな港町へと入って行った。
「ほら、この先ですよ。奥山マスターのやっている食堂は…」
高井戸が菅田に指で示した。
「いますかね…。奥山さんっていう方は…」
「いると思いますよ。連絡はしてありますから、それに自営業ですからね。いますよ。きっと…」
二台の車が奥山食堂の前に止まると、中から準備万端整っているぞ。と、言わんばかりの奥山が飛び出してきた。
「いやぁ…、お待ちしておりましたよ。先生方、あっしがこの屋の主で奥山と申します。どうぞお見知りおきのほどを…」
「これはご丁寧に恐れ入ります。私が須部田博士の弟子で菅田と申します。どうぞ、お乗りください。それから、うちの先生か大変お世話になったそうで、私からも心からお礼申し上げます」
「とんでもありません。あっしは何も大したことはしておりませんので、どうぞ、お気遣いなく…」
そんなやり取りの中、車は走り出し源三の待っている港へと向かって行った。
源三の船が停泊している港に着くと、源三と若い娘が出港の準備を済ませて待っていた。
「あれ…、源三さんに娘さんなんていましたっけ…」
高井戸が聞くと、奥山も首を傾げながら言った。
「そんなはずはないんですけどね…。確か、奥さんに先立たれたけど、子供はいなかったはずですがねぇ…」
船に乗り込んでゆくと、源三が駆け寄ってきて、
「高井戸先生に南像先生に青山、それにみなさんもゴグローさんで…」
乗り込んできたみんなに、一人ひとり挨拶をして回った。
「初めまして、私は須部田博士の元助手をやっていた。菅田という者です。そして、こっちが私の助手の遠山と、須部田博士の助手をしている船田と海原です」
「よろしくお願いします」
三人の助手たちは礼儀正しく挨拶をすませた。
「これはご丁寧に、どうもどうも…。ほら、おめえもこっちさ来て、ちゃんと挨拶ばしねえが…」
源三に呼ばれて、後方で船底を蹴っていた娘がヒョコヒョコとやって来た。
「これは、おらの妹の娘で斎川由美子っていいますだ。今ちょうど休みだで、家さ帰って来てんだ。それでな、幽霊島の話しばしたら、おらも一緒に行ぐって利かねえがら、連れて来たんだども、悪がったかなや…。ほれ、挨拶ばしろっつってんだべ…」
「斎川由美子といいます。大学では心理学を専攻しています。よろしくね…」
源三の姪は、わりとアッケラカンとした表情で挨拶した。
「それでは、源三さん。われわれは、わずかな時間でも惜しいので、早く船を出して頂きたいのですが…」
「おおっと、ガッテン承知の助だべ。ほんじゃ、、出すゾ。いいが、みんな…」
こうして、六人を乗せた源三の漁船は、白くゆったりとした航跡を残して港から離れて行った。
さすがに菅田が言った通り、空には雲ひとつなく絶好の航海日和だった。
「しかし、大したもんですね…。日本の気象庁も…、二週間後と云ったらかなり前なのに、こうも的確に当たるもんですかねぇ…」
海を眺めながら、横に立っていた菅田に高井戸が語りかけた。
「最近は観測技術も進んでいますからね。私たちが子供の時分にやっていた。下駄や靴を放り投げて裏が出たから、雨ということもないでしょうからね…」
真面目一辺倒だとばかり思っていた菅田が、意外とさばけたことを言うのに高井戸は少々驚いていた。
「せっかく、菅田博士に来ていただいたのに、今日は現れますかね…。幽霊島は…」
「出ると思いますよ。これだけ天候もいいですし確信はありませんが、必ずや現れることは間違いないでしょう」
自信を持って言い切る菅田に、この自信はどこから出てくるのだろうと、訝しく思いながら高井戸は訊いてみた。
「こんなことをお聞きするのも、どうかなとは思いましたが、あえてお聞きします。
あなたの、その自信に満ち溢れたような。必ず現れると云い切れる根拠は何ですか…。僕たちは二度あの島に行きましたが、そのほとんどが偶然に近いものだったと思うんです。それをあなたは、必ず現れると云い切った。あなたは確信がないと云いながらも島の出現を予見された。それは何故ですか…」
菅田はしばらく考えてから、高井戸のほうに向き直った。
「それは、私にも解かりません。ただひとつ云えるのは…、私は子供の頃より自分の身の周りで起こることに対して、こうなるんだったら、ああなればいいのにと思っていると、自分でも知らず知らずのうちに、事態が好転していることが多々ありました。世間ではこうものを超能力と云っているようです。
もちろん、子供の私にはそんなことは判りませんから、誰にも云わないで自分の中に仕舞っておいたというところです。やはり、これも一種の超能力なんでしょうかねぇ…」
自分では考えてもいなかった、菅田の言葉に唖然としながらも高井戸は平静を装っていた。源三の船は、徐々に幽霊島が出没する海域へと近づきつつあった。
「おーい、そろそろあの島が出でくる辺りだで、よーぐ見張ってでけろ…」
源三の声が聞こえてきたせいか、この漁船に乗り合わせていた全員に緊張が走った。
この船に乗り込んでいる七人が、目を皿のようにして四方に視線を走らせている。
「そろそろ出てきますよ…。高井戸先生…」
と、菅田が言った時だった。
「で、出たぁ…。幽霊島が出てきたゾー」
源三のダミ声が響き渡った。
駆けつけてみると、今回は船の進行方向の正面あたりに現れたらしかった。
「うーむ…、あれが先生が云っておられた幽霊島か…、なるほど…」
異様な形状のとんがり山を見上げながら菅田はつぶやいた。
「よし、諸君。源三さんを手伝って艀(はしけ)を下ろしてくれ。すぐ上陸する」
菅田の助手たちが舟を下ろしていると、源三の姪の由美子が青山のところに寄ってきた。
「ねえ、青山さん…。伯父さんから聞いたんだけど、あなた学生なんですってね。どこの大学…」
「東亜細亜大学だけど、どうかしたの…」
「あら、やだぁ…、あたしは東亜細亜文化女子大学なのよ。姉妹…じゃないか…、そうだ。兄妹校っていうのね。こういうの…」
「あれ…、だって、僕のところには女子も結構いるけど、どうして君は女子大なんだい…」
「それがね…。うちの母親がうるさいのよ。共学校だと悪い虫がつくから、絶対女子大にしなさいって利かないのよ。いやになっちゃうわよねぇ。普通なら、男の子たちと遊んだり飲んだりできたのにさ…。女子大なんて周りはみーんな女の子ばかりでしょ、詰まんな行ったらありゃしないわ。ホントに…」
その時、源三の声が聞こえてきた。
「おーい、青山に由美子準備がでぎだぞ。早ぐ乗れ、おめえら何やってんだ…」
「ほら、伯父さんが呼んでるぜ。僕らも行こうか…」
「うん…」
青山と由美子が乗り込むと、源三はゆっくりと艀を漕ぎ出した。相変わらず波打ち際の白い砂浜はひっそりと静まり返っていた。
「うわぁ…、きれいね…。あたしこんなきれいな砂浜を見たの初めてよ。いいなぁ、こんなところにあたしも住んでみたいなぁ…」
無邪気にはしゃいでいる由美子を他所に、菅田たちは奥山と源三を道案内にして、とんがり山の麓を目指して行ってしまった。
「あ…、ほら、早くしないと置いて行かれちゃうよ。由美子さん」
「大丈夫よ。こんな小さな島だし、すぐに追いつけるわよ…」
と、至ってのんびりムードの由美子を、青山は急かせるように言った。
「この島にはね。由美子さん、莫大な財宝が隠されているんだってよ。いいのかい、みんなに全部取られても…」
「それ、本当…。どうして、もっと早く云ってくれないのよ…。もう…、あたしだってお宝ほしいわよ。早く行きましょ。青山さん、早く…」
効果覿面だった。どうして、こんなにも女は宝石に弱いんだろうと、青山は内心で込み上げてくる笑いを必死で堪えていた。
「よし、それじゃ行こうか。お宝がなくなったら大変だ…」
奥山が切り倒した雑木の切り株には、雨も降らないこの島でも切り株の横から、新芽が生え始めているのが不思議だった。
「ふう…、やっと追い着いたか…。僕もひさしぶりだから疲れたよ」
「おーい、青山。おめえ、何やってんだ…。由美子ど、いちゃついったら、日が暮れっちまうど…。ほんにまったぐ…」
「そんなんじゃないよ…。源さん」
「ホントよ。失礼しちゃうわね…。伯父さんったら…」
とんがり山を半分ほど廻って、やっと洞窟のある場所まで着いた。
「ほう、ここですか…。なるほど、伺った通り内部はかなり広いようですが、まずは青山くんが、例の古文書を見つけたところに案内してください」
「いいですよ。こっちです。ですが、行っても無駄だと思いますけど…、あれ一枚しか置いてなかったんですから…」
そういいながら、青山はらせん階段のある壁面へと案内して行った。
「ああ、ここですね。あの図面が入った箱の跡がくっきりと残っていますね…」
「でも、もうここには何もないですよ。きっと…」
「ええ、それは私も承知の上ですが、どのようはところかと思ったので、一度見ておきたかったので、他意はまったくありません。よろしいでしょう。階下に戻りましょうか…」
階下に下りてくると、菅田は南像のほうに向き直ると、次のような質問をしてきた。
「ところで、南像先生。うちの先生が寄り掛かったという岩はどこでしょうか…」
問われた南像も、実に怪訝そうな表情で答えた。
「それがですな…。どこを見渡してみても、それらしい岩の突起物はおろか、奥山さんがよじ登って行かれた、ゴツゴツした岩肌も何も見当たらんのですよ。誠に不思議なこともあればあるものですな…」
「いや、しかし、それは不思議でも何でもないことも知れません。この島自体が、一種の次元隔離に陥っているようですし、時空間そのものも極めて不安定な状態にあると考えられます。従って、ここではどのよう現象が起ころうとも、この島にすれば至って日常茶飯事的な出来事なのかも知れません…」
「それでは、われわれは何の手も下しようがないというのかね…」
「ええ、今のところはそういうことになるでしょうね…」
「それでは、われわれにはどうすることもできないという訳か…。うーむ」
南像は腕組をして考え込んでしまった。
「先生は、こうも云っておられました。あの島はとてつもなく危険極まりない島だ。島をそのままにしておけば、いつか取り換えがつかないようなことになるかも知れないと…、それではどうすればいいのかと伺ったところ、先生はこんなことをおっしゃっておられました。でき得る限り迅速に調査を済ませて、何としてもこちらの世界に島が出現するのを、抑えるような手段を考えねばならんと…」
「して…その手段とは…」
南像は思わず一歩乗り出していた。
「先生曰く、あの島はわれわれの知っている普通の島とは違って、地殻から隆起してできた島ではない云うのです…」
「それではどうやってできたと云うのかね…」
「はい、先生がおっしゃるには島自体が、一個の生物のようなものなのだろうとお考えのようで、この話を伺った時には私も愕然といたした次第で、実際にそんな生き物が存在していること自体が私には信じられませんでしたから…」
「島自体がひとつの生き物か…、だとしたらだね。島が生き物なら、生きていくためには何かを食さねばなるまい…。その辺りは、どのようにお考えになっておられるのかな。須部田博士は…」
「さあ…、私もその辺のところは何も伺っておりませんので、何とも…」
南像教授は遠くを臨むような仕草で、深呼吸をひとつしてからゆっくりと語りだした。
「諸君もご存じだとは思うが、地球の四六億年という長い歴史の中で、人類〝ヒト科〟の歴史などはほんの数千万年にしか過ぎないのだ。
その中でも〝ヒト亜科〟と〝ヒト科〟に分けられる。猿人・類人猿・原人がヒト亜科で、ネアンデルタール人(旧人)やクロマニヨン人(新人)などはヒト科ということになり、これらを含めたものを霊長類と呼んでいることは諸君も知っていると思う。
このように、生き物が生存していくには何か食料となるものが必要となってくる。まして、この島が生物なら成長を促すような食料が必要になることは、まず間違いないと思っていいだろう…。だとしたら、その食料とは何か…。と、いうことになってくる。
人間の場合、生命を保つためには穀物を始めとした食料が不可欠となっている。
もし、この島が本当に生き物なら、私たちと同じように食料となるものがあることは
疑う余地もあるまい…。
この島に来てから誰か、ここで虫でも鳥でも何でもいいから、とにかく生きているものを見かけた者はいないかね…」
高井戸も青山もしばらく考えてから、
「そう云われてみれば、誰にも云いませんでしたが、アリの子一匹見えないのが不思議だったんですけど…」
「そう云えば、確かにそうだな…。この島に来た時、砂浜にはカニくらいはいても可笑しくないし、カモメさえ飛んでいなかったよな…」
青山も高井戸も思い出したように言った。
「確かに、あっしも見てませんねぇ…」
「ほだ、思い出した…。この前に来たどき、喰い切れねえほど獲った魚が、帰っときにはまったぐなぐなってだがら、おらもおがすいなぁどは思ってだんだ…」
「やはり、そうでしたか…。この島も私たちと同じように、生きたものを食料にしていると見ていいでしょう…」
「ほんじゃ、何がい。先生、このままこごさ居だら、おらだちもこの島に喰われるってごどがい…」
「まあ、そういうことにも、なりかねないと云うことでしょうな…」
「おらぁ、ほだのやんだぁ…。こだな島に喰われるなんて、死んでもやんだ…。どうすっ
ぺ…。由美子…」
源三はすっかり取り乱して、姪の由美子に縋りついていた。
「しかし、南像教授。どうしてあなたは、そのようにお考えになられたのですか。そう考えられた根拠は何かおありなのですか…」
「根拠ですか…。根拠は青山くんが見つけたという、あの古文書ですよ。あの図面に書かれたてい文字は、古代メソポタミアの文字に類似したものでした。言語学をやっていながらお恥ずかしい限りなのですが、私に読める文字はごく限られたもので、宝とか財宝という文字は何とか解読することができましたが、そのほかは読み取ることさえ困難なものばかりでした。
解釈の仕方は、人それぞれで違いますが、私はこう解釈をして見ました。
その昔、七つの海を股にかけて荒稼ぎをしていた、海賊がいたとしましょう。そして、その海賊たちが根城にしていたのがな。この島だったのでしょう。この島を発見した当初は何事もなく済みました。ある時、海賊の首領は子分がひとり足りないこと気づき、子分総出で探させたが手掛かりさえ見つけることができなかった。
そして、その翌日から子分がひとり、またひとりと姿を消して行った。最後には、とうとう首領たったひとりになり、この島は呪われているのに違いないと思い込み、金銀財宝のありかを書き表した図面を、青山くんが見つけた場所に隠して自分は命からがら逃げ出した。と、いうのが私の推測だよ。もちろん、後で子分どもをかき集めて取りに来るつもりだったのだろうがね…」
南像の長い話もようやく終わって、青山がこんな質問をした。
「南像先生…。その海賊の親分は、その後どうなったと思われますか…」
「うむ…、これも推測にしか過ぎないだがね。たぶん、その直後に事件連鎖が始まったのだろうね。そして、島そのものが見え隠れしているうちに、当時の人々からも忘れ去られたのではないかと私は考えているのだよ」
「するってえと…、この島の宝は見つけた者の物になるって訳ですかい。南像先生」
珍しく奥山が南像に訊いた。
「まあ、然るべきところに届け出なければならないとは思いますが、そういうことになるでしょうな…」
「そんなことよりも…」
奥山と南像の会話を遮るように菅田が話だした。
「とにかく、財宝なんて二の次三の次でいいでしょう。この生きている人喰い島を、このまま野放し状態にして置いたら、須部田先生のいうように取り返しがつかなくなってしまうのですよ…。ですから、私は一刻も早く…」
「わかった…、わかりましたよ。菅田くん、今の君の須部田博士の話を聞いていて、この島がいかに危険極まりない存在であるか、私にも十分過ぎるくらい理解ができた。それに、私が推測したように人を…、いや、生き物を餌にしてして成長しているのだとしたら、これ以上ここにいること自体が危険すぎる。ここは一時引き上げたほうが良さそうだ…。どうかね。諸君」
「異存はありません。教授」
高井戸が真っ先に賛成した。
「おらも賛成すっべ。こだな薄ら気持ち悪い島、一刻だっていだぐねぇ…」
「あっしも賛成します。いくらお宝があったところで、命を失くしてしまったんじゃ、話にもなりませんからね…」
こうして、賛成者多数で引き上げが決定された。菅田もひとりで居残るつもりもないらしくシブシブ引き揚げに従った。
帰りの源三の船の中で、南像は全員に召集かけて話し出した。
「この船が陸に着いても、われわれは東京には戻れない。しばらくはこちらに留まってじっくりと島の探索、もしくは研究をすることになった。掛かる費用・滞在費その他はすべて須部田博士が持ってくれるということだ。そうだったね。菅田くん…」
「はい、その通りです。教授…」
「だが、このことはまだ公にはできない。何としても極秘裏に調査を行う必要があり、ここに集まった者で調査団を組織したいと思うのだが、諸君の率直な意見を聞かせてもらいたいのだが…」
「賛成です。南像教授。もし、このまま帰るようなことにでもなったら、うちの先生に顔向けができなくなるところでした…」
「僕も賛成します。ですが、調査団と名の付く以上は団長が必要だと思います。そこで僕からの提案があります。ここはひとつ、南像先輩に引き受けもらってはどうかと思うのですが、みなさん。いかがでしょうか…」
高井戸の発言に、一瞬戸惑いを見せながら、
「ちょっと待ちたまえ。高井戸くん、何度も言うようだが、私はこういうことに関しては、まったくの門外漢なのだよ。それなのに、君たちは寄って集って私を団長に祀り上げようというのかね…」
「まぁ、いいじゃありませんか。南像教授、民俗学というものは古くから伝わる伝承・言い伝えなんかとも、深からず関わりのある学問じゃありませんか。それを門外漢というひと言で、断るのはどうかと思いますけど…」
「あっしも、そう思いますね。南像先生、こう云っては失礼ですがね。南像先生は、この中では一番の年長者だ。年長者というのは、その分だけあっしらよりも長い時間世間を渡ってこられた。その分だけ、先生はあっしらより多くのことを見聞きしてられた。
その経験を活かして、何とか調査団長を引き受けてやっちゃ頂けませんかねぇ,…。先生」
奥山の言葉を聞きながら、しばらくは無言でいた南像も、何かが吹っ切れたように話し出した。
「分かりました。お引き受けしましょう。但し、条件がひとつあります…」
南像の話を聞いていた者たち、何を言い出すのかと一瞬生唾を呑み込んだ。
「私ひとりが責任を負うのもいいでしょう。それだけでは、他の人たちはどうなります…。世にも不思議な現象の調査ですから、みんなにもそれぞれ責任を持って頂きたい…。
副団長として、高井戸准教授と菅田博士。船長は源三さんにお願いします。奥山のマスターには調理担当を、残った人たちは記録係及びマスターの手伝い。各自分担して執り行ってください。以上です」
南像の話が終わると、そこに居合わせた全員から拍手が送られた。
「ありがとうございます。南像教授、これで私の面目を保つことができます。本当にありがとうございます。教授…」
菅田三志郎博士は、最初のダンディーでインテリっぽさは、どこかに置き忘れてきたように南像に頭を下げていた。
「おーい、みんなぁー。そろそろ港に着ぐがら降りる準備ばしてけろやー」
帰港を知らせる源三のダミ声が聞こえてきた。港に入ると夕暮れにはまだまだ余裕があって、空にはカモメが群れをなして飛び交っているのが見えていた。
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