第二章

 幽霊島より戻ってきてから、すでに三週間が過ぎ去った頃、青山は講義も終わり帰る準備をしていた。廊下出て出入り口に向かっていると、後ろのほうから高井戸が近づいてきて声をかけられた。

「おお、青山くんか、ちょうどよかった。実は君に少し話したいことがあるんだが、時間のほうは大丈夫かい…」

「いいですけど、何ですか…、先生」

「それじゃあと…、ここで立ち話をするのもなんだし、僕の部屋まで来てくれないか…」

「ええ、僕はかまいませんけど…」

「よし、じゃあ、行こう」

 廊下を渡って高井戸の部屋にたどり着くと、机の上には雑多に積み上げられた本が所狭しと置かれていた。

「まあ、その辺から椅子を持てきて、適当に座ってくれたまえ」

 青山は、言われたように椅子をひとつ持ってくると、高井戸の前に腰を下した。

「前にも話したと思うが、僕の大先輩に民俗学や言語学をやっている、南像教授という方がいるんだよ。で、その南像教授に例の図面のコピーを見てもらったところ、実に面白い話を聞かせていただいたんだよ」

「何ですか? その面白い話って……」

 青山は身を乗り出すように訊いた。

「それがだね…。南像教授の話によると、あの図面に書かれている文字は、古代メソポタミア文明系列のものだというんだよ。しかし、それとも少し違っていて完全に解読するのは難しいらしい…。それが図面に描かれている島は、どうも僕たちが発見したあの島だという可能性が高いらしいんだ。しかもだよ。南像教授が、何とか読める部分だけ読み取って推測したところによると、あの島には莫大な財宝が眠っている可能性かあるというんだ…」

「だって、先生…。古代メソポタミアと云ったら、地中海やカスピ海なんかがある辺りでしょう…。あの島は、そんなに日本から離れているわけでもないし、それがどうして古代メソポタミア文明なんかと関係あるんですか…」

「青山くん…。それは僕も訊いたよ。するとだね。南像先輩曰く、どうも僕たちが見つけた次元の狭間にある、あの浮遊島に関係があるらしいんだ」

「浮遊島…。それって、あの島のことですか…。それもその南像っていう先生の先輩の方が云われたんですか…」

「ん…。まあ、そういうことになるかな…。それはともかくとして、やはりあの島は江戸時代よりも遥かに古い時代から、あったらしいという話なんだ。これは先輩の友人で、空間と次元の研究をしている、須部田博士という人から聞いた話らしいんだけどね」

「江戸時代よりもっと古い時代って、先生…。そんなに古い時代から、あの島は出たり消えたりしていたということですか…」

「もっとも、その頃は今みたいに船も頻繁には走っていなかっただろうから、あまり話にも上らなかったんだろうけど、それからこれは僕の推論なんだけどね。源蔵さんが初めてあの島を見つけてから、僕たちが再びあの島に遭遇するまで、わずか一ヶ月しか経っていなかった…。と、いうことは、こちら側に現れる頻度が狭まっているんじゃないかと思うんだよ。おそらく、江戸時代より以前の時代には一年とか五年、あるいは十年というように島が現れる頻度が、現在よりも長かったんじゃないかと考えられるんだ」

 高井戸は南像教授の見解と、自分の考えている事柄を熱心に語り、青山も真剣な眼差しで聞き入っていた。

「……と、云うのが南像先輩と僕の大筋の見解なのだがね…。ところがだ。ここまでの話は、落語でいうところのほんの前座の部分で、ここからがいよいよ真打ちが登場するってわけなのさ…」

「何ですか…。その真打ちっていうのは…」

青山は、また身を乗り出すようにして訊いた。

「いや、この話にはまだまだ続きがあってね。南像先輩というか、この話を聞いた例の空間と次元の研究している、須部田博士が大乗り気らしくて、掛かる費用は全部わしが出すから、ぜひ一緒に行ってみようじゃないか。と、いうようなことなんだが、僕も知らないうちに進んでいるらしいんだ。

 それで次の土日にかけて、例の島を見に行くことになったそうだ。もっとも、こちらに合わせてうまく現れてくれればの話だがね…。それで君たちもどうかなと思って誘ってみたんだよ」

「僕は、まあ、いいですけど…。若柳はともかく、杉田のヤツが酷く怯えていましたからね。果たして行くって云うかどうか…」

「そうか…、彼は無口だし、わりと気も小さいところもあるから、無理もないし話かも知れないな…。他のふたりはともかく、君は行けるかね。青山くん」

「僕は大丈夫です。それじゃ、僕からもふたりのことを誘ってみます」

「しかし、誘うのもいいけど、あまり強引に誘っちゃいけないよ。特に杉田くんはね…。それから、今回同行する須部田博士という人は、南像先輩に云わせると学会でも有名な変人だという話だ。参考までに君の耳にも入れておくよ。それじゃ、もう帰っていいよ。急に呼び止めたりして悪かったね。じゃ、今度の土曜日に…。あ、そうだ。奥山のマスターにも連絡を取らなくちゃいけないな…。

 何しろ、『何かありましたら、あっしも知らせくださいよ』って、念を押されているからね」

 急な展開に圧倒されそうになりながら、青山は高井戸と別れて家路についた。

青山も翌日、昨日高井戸と話し合ったことを、若柳と杉田に話して誘ってみたが、やはり青山の予測通り、杉田は行きたくないとにべもなく断ったが、若柳のほうは莫大な財宝と聞いただけで、目を輝かせて参加することを承諾した。

そして、いよいよ土曜日がやってきて、青山は若柳と待ち合わせて約束の集合場所にやってきていた。ふたりでこれからのことなどを話していると、ほどなくして高井戸の車がやってきた。車が止まると、中から高井戸とふたりの中年紳士が降り立った。

「紹介します。これが、僕の教え子の青山と若柳です。こちらが僕の先輩の南像教授と、そのお友達で空間物理学の須部田博士だ」

「よろしくお願いします」

 青山たちが挨拶をすると、

「いや、空間物理学ではなく、宇宙空間物理学です…」

 と、いかにも気難しそうな表情で答えた。

「それでは、さっそく出かけようじゃないか。高井戸くん」

 こうして、高井戸の車に乗り込んだ四人は、例の港町を目指して走り出して行った。

 それから車を走らせて二・三時間が経った頃、ようやく奥山の経営する食堂が見えてきた。店の前に車を止めると、待ってましたとばかりに奥山が飛び出してきた。

「いやぁ、お待ちしておりましたよ。高井戸先生、そしてこちらが先生の先輩の南像教授さまと、須部田博士さまですね。ようこそいらっしゃいました」

「どうしてわかるんですか…。マスター」

ズバリと言い当てた奥山に、怪訝そうな表情で高井戸は訊いた。

「いや、あっしもね。長年こういう商売をやっていますとね。その人と成りを見れば大概のことは分かるようになるものなんですよ。

 それでは、源さんのところに参りましょうか…」

 奥山は歩きながら話をし始めた。

「いやぁ、高井戸先生。聞いてくださいよ。源さんも、あれ以来すっかり元気になりましてね。今では元の源さんに戻って毎日漁に出てるんですよ。

源さんにしてみれば、よっぽど嬉しかったんでしょうな…。高井戸先生に自分が見てきたことを信じてもらえたのか…」

「それは、そうでしょうね…。周りの人が誰も信じちゃくれなかったって、ボヤイてましたからね…。ところで、マスター。源三さん、今日はいるんですか…、漁にも出ないで…」

「それはいるでしょう…。今日は高井戸と大学の偉い先生さまが見えられると、あっしから云っておきましたからね」

「ほら、あそこですよ。南像先輩、源三さんっていう漁師さんの家は…」

 高井戸が南像にいうと、奥山はひと足先に源三の家に入って行き、ものの二・三分も経たないうちにふたり揃って出てきた。

 源三は南像たちにやたらペコペコして挨拶をした。ひと通り紹介が済んで、一行は源三の船に乗り込み実菜とを後にした。

 今日も天候に恵まれ、絶好の航海日和だった。

「ねえ、先生。先生の先輩の南像教授も須部田博士も、かなり期待しているみたいでけど、そう都合よく現れてくれますかね…。あの幽霊島が……」

 青山が周りに聞こえないように、声を殺すようにして言った。

「それは分からんさ。この前だって、みんなが当分あの島で暮らさなきゃならないと、腹を括っていた矢先に、紫色の海から元の青い海に戻ったじゃないか。もっとも今回も、そんなにうまく行くとは思っちゃいないがね…」

「そろそろ、まだあの島が出てくる辺りだで、よーぐ見張ってでけろ…」

 源三の声が掛かったので、みんな一瞬緊張の色が走った。

「だが、もしも今日現れるようなことがあるとしたら、ますます以って次元の歪みというか、あの島を支えている時空間そのものが、アンバランスな状態になっているのではないか…。もしかしたらあの島は近い将来、それも極めて近い将来にあの幽霊島は、どちらかの次元、いや、どちらかの世界に定着してしまうのではないか。と、そんなことを考えていたんだよ…」

「どちらかの世界っていうと…、それは一体どっちの世界なんですか…」

「それは僕にも解からないんだ…」

「ウオッホン…」

 その時、三人の背後で咳払いが聞こえた。振り返ると、そこにはしかめらしい顔をした須部田博士が立っていた。

「これは須部田博士…。いらしていたのですか…」

須部田は三人のほうに近づいてくると、高井戸の顔をじろりと見つめた。

「ふん、高井戸くんだったかな…。君は若い割には、物を見る目や事態を正確に捉える力は、そこいらの若僧たちより少しは持っているようだのう…」

「博士、今の僕の話を聞いておられたのですか…」

「わしはな、君たちから見たら老いぼれかも知れん。だがな。若いの…、わしは耳だけは地獄耳と云われていて、どんな小さな話し声でも聞き分けることができるのじゃ」

「これはどうも、お見逸れいたしました…」

「ところで、高井戸くん。君は海洋物理をやっていると聞いたが、時空間や次元のことはどのように考えておるのかね…

 須部田博士は高井戸から視線を離さないまま訊いた。

「はあ、そうおっしゃられましても、時空間のほうはまったくの門外漢でありまして、その…」

「はっははは…、それでいいんじゃよ。それで…、しかしじゃね。君は門外漢という割には、今の話はかなり的確なところを抑えていたと思うだがね。いいかね。次元というものは、一次元つまり線の世界から二次・三次元・四次元というように、無限大に続いていると考えられておる。

 われわれ住んでおる世界は、諸君もご存じのように幅・奥行・高さの、つまり三次元の世界というわけだ。しかし、このわしらの住んでいる三次元世界にしても今から約百三十八億年以上前に、原始的原子の爆発によってビッグバンが起こった。その時、それこそ無限大の宇宙(銀河)が生みだされた。それと同時にわれわれの目には見えないが、似たような無数の宇宙が生まれたと考えられている。

 これは多元宇宙とも呼ばれていて、一般的にはパラレルワールドという名で、知られておることは君もご存じだろうが…」

「博士のご高説は拝聴させていただきしたが、それと幽霊島が出没する件につきましては、僕たちはまだ何も伺っておりませんが…」

「おお、そうじゃったな…。わしとしたことが、つい話に夢中になってしまってな。すまん、すまん。して、その幽霊島が次元転移を起こした時に、海の色が紫になったり青くなったりするということじゃたが、高井戸くんの話では島が出現する期間が古い時代になればなるほど、現れる間隔が長かったそうだが今はどうだろうか、源三さんという漁師さんが最初に島を見てから、二度目に遭遇するまで確かひと月だと聞いたが、それも高井戸くんの指摘した通り幽霊島の存在している空間が、これまでは不安定だったが徐々に安定化が進んでいて、ごく近い将来にどちらかの世界にひとつの島として、定着するのではないというのが君の見解だったが、実際に見てみないと何とも云えないのだが、わしも高井戸くんに極めて近い見解を持っておるのだよ。

それと南像くんが云っていた、古代メソポタミア文明のことだがね。その幽霊島そのものが、ある種の浮島と考えればどうだろうかね。これとは話は違うが、南極大陸もかつては赤道近くにあったというから、幽霊島もメソポタミの付近にあったとしても、何ら不思議な話ではないということになるんじゃよ。

まずは、実物を見てみないことには何ともしようがないのだがね」

「さあ…、僕といたしましても現れてくれるのを、ただただ祈るしかありませんが…」

「まったく、その通りじゃのう。ここまで来たからには何としても、見てみたいもんじゃよ…」

「でも、今日は出てきそうもないようですよよ。先生…」

 若柳が左舷の水平線を見渡しながら言った。

「うむ…、やはり今日はダメだったか…」

「非常に残念ではあるが、致し方あるまいよ…」

 須部田博士も後ろ髪を引かれる思いで、三人に背を向けると南像と奥山が話しているところに戻ろうとした時だった。

「出たぁ…、出たぞー。幽霊島だぁ…。幽霊島が出たぞー…」

 けたたましい叫び声をあげながら、みんなに知らせようと源三が必死に騒いでいた。

「いよいよ、出たか…。ふふん…」

「さあ、みんなで行ってみましょう。源三さんのいる辺りまで…」

 高井戸は船の前方で喚き立てている源三のところまで、青山・若柳・須部田博士を引き連れて駆け寄って行った。奥山と南像のほうが先に着いていた。

「ほら、あれですよ。博士、あれが源三さんが最初に見つけた、地元の人が幽霊島と呼んでいる島です。そして、あの真ん中に聳えているのが、源三さんが名づけた『とんがり山』なんです」

「ふふん…、誠に奇っ怪な形をした山じゃわい……」

「源三さん。できるだけ島に近づけてから、小舟を下ろしてください」

「あいよ、わがっただよ」

 源三はてきぱきと船を操り適度な場所で船を止めると、高井戸と学生の手を借りて小舟を下ろすと上陸準備は整った。

「さあ、みんな早ぐ舟さ乗ってけろ。早ぐしねえど、いづまた海が紫に変わっかわがったもんじゃねえがらな…」

 源三の動きも極めて慎重に船を操舵して、ゆっくりと島の浅瀬に向かって行った。。

「さあ、みんな着いたぞ。早ぐ降りてくれろ…」

 ひと足先に飛び降りると、源三は綱を引き出して行くと、舟が流されないように大きな岩に繋ぎ止めた。

「いや…、こりゃあ、なかなかの景観じゃないか。高井戸くん」

 砂浜に一歩踏み出すと南像は、高井戸の肩を叩きながら言った。

「ええ、南像さんもそう思われますか…」

「日本の近海ではちょっと見られないんじゃないのかね。こういう島は…」

「ええ、こんな島が次元と次元の狭間にあるなんて、僕には未だに信じられないくらいですよ」

「しかし、何だね…。君もよくそういうことには気がつくもんだね…。ひとつの島がふたつの世界と重なり合っているだなんて、私には到底思いもつかないよ。

 だが、君の持ってきた例の古文書には驚かされたね。読める部分だけを拾い読みしたに過ぎないのだが、やたら『黄金』とか『宝』という文字が、至るところに出てくるんだからね。さしずめその昔、この島を根城にしていた海賊でいたのだろうが、それにしても世間でよく噂に出てくる、徳川の埋蔵金など足元にも及ばないほど莫大なものらしいのだよ。私も解読しながら背筋がゾクゾクしたのを覚えているよ」

「それで南像先輩は、その財宝の隠してある場所を突き止められたんですか店」

「いや、駄目だったね…。古代メソポタミアの文字に似てはいるが、まったく異質のもので財宝とか宝などの文字は共通性があるらしいが、その他の文字類は私も全精力注ぎ込んでみたが、解読することは不可能だった……」

 南像はそこまで話すと、深いため息をひとつ吐いた。

「南像さんでも解読でない文字があるんですか…。南像教授といえば東亜細亜大学にその人ありと謳われた。日本でも屈指の民族・言語学者ではありませんか…。その先輩に解読でない文字があるなんて、僕にはとても信じられませんがね…」

「おい、おい。高井戸くん、私は神じゃないんだから、そう神格化してもらっては私のほうが困るんだよ…」

「だけどですね。先輩、この島は今でこそ日本近海の海の次元と次元の狭間で、出たり消えたりしてはいますが、元をただせば古代メソポタミア文明の時代には、現在のイラク近くの沖合にでもあったのだろうと、先ほど須部田博士から伺ったばかりなんですよ…」

「だからと云って、読めない文字は読めないというしかなかろうが…、違うかね。高井戸くん…」

「わかりました…。つい向きになってしまって、すみませんでした…」

高井戸は南像に対し素直に詫びた。

「そんなことで、君に詫びを云われても困るんだが…、とにかく君たちが見つけたという、洞窟へ案内してもらおうじゃないか…」

「ええ、いいですよ。それでは参りましょうか」

 ふたりでそんな話をしていると、

「ああ、先生方。洞窟探検も結構ですがね。その前に、あっしが腕によりをかけて作った食事でもしてから出かけてくださいよ。今回は、前と違ってちゃんとした食材を持ってきてありますからねぇ。味のほうは保証いたしますよ。もう、あと少しで出来あがりますから、その辺でブラブラしていてくださいな」

 奥山は手際のよい包丁捌きで自ら持ち込んできた食材を使い、一介の町食堂の店主とは思えないほどの、見事な料理を次々と作り上げていった。

「はい、お待ちどうさまでございました。これがあっしの、先生たちに食べていただく心ばかりの料理の品々です。どうぞ、ごゆっくり食べてください」

 これを見た高井戸が驚いたように奥山に声をかけた。

「マスター…、これって、こんなに…。うわぁ…」

「どうしたんだね…。高井戸くん、そんなに驚いたりして…」

 南像が異様に驚きを見せている高井戸に訊いた。

「驚くも何も…、南像先輩。この人はですね…、この人はこれだけの料理が造れるのに、どうしてあんなチッポケな食堂…、失礼…。なんかをやっていなくちゃいけないんですか。どうして、もっと立派な料亭とかレストランを経営しないんですか…。これだけの腕を持っていながら…」

「それは、ちょっと違いますよ。高井戸先生…。あっしが、先ほどから造ってきた。これらの料理についてひと言だけ云わせてもらえば、あっしがただ今みなさんの前にご披露した料理などは、あっしに取ってはほんの趣味のようなものでして、あっしが、こんなことをいうと差し出がましいようですが、あっしの本職は一流の料理人でもなんでもありません。他所の町に行けば、どこにでもあるような町食堂の店主で、周りの人たちからは親父とか良さんで通っている、ごくありふれた中年の親父です。ひとつよろしくお願いします。

 さあ、皆さん。どうぞ、召し上がってみてください…」

 奥山が挨拶を終えると、そこに居合わせたみんなから盛大な拍手が送られ、やがてそれぞれ歓談をしながら賑やかに会食は始まった。穏やかな日差しの中で食事を済ませて、ひと息を入れた後で南像教授が静かな口調で語りかけた。

「さあ、みなさんも食事も済まされて、ひと休みもされたと思われますので、そろそろこの辺で彼らの発見したという、とんがり山の洞窟を見に行きたいと思いますが、如何なものでしょうかな…」

「ふふん…、いいじゃろう。行ってみようじゃないか。次元の歪みに挟まれた島か、こんなものは大しことはありゃあせんよ。かの大宇宙の中にはこんな島よりも、もっと不可思議な現象は掃いて捨てるほどあるというのに、こんな次元連鎖を起こしている島なぞひとつくらいで、そんなに大騒ぎするほどのことではあるまいと思うがのう…」

 偏屈なことをブツブツ言いながら、須部田博士はみんなの後をゆっくりとした足取りで追って行った。

「みなさん、足元には十分気を付けてくださいよ。何しろ、あっしが切り倒しした雑木の切り株が至る所にありますんで…」

 奥山は後続してくる者に注意を呼び掛けながら、源三が名付け親となった『とんがり山』の麓へと向かって行った。

「それでは、みなさん。ここからは僕がご案内いたしましょう。青山くん、僕と一緒に来てみなさんをサポートしてやってくれたまえ…」

「わかりました。先生、それではみなさん。こちらのほうから見てまいりましょう…」

 青山は自分で見つけた、らせん状に連なり天井の洞穴へと続く、岩の階段を一歩一歩昇って行った。後続の者たちも足元に気を配りながら、ようやく青山が見つけた小さな洞穴へ辿りついた。

「ほら、ここですよ。南像先生、僕があの図面みたいなのを見つけたのは…

「ほう…、ここだったのかね。どうして、こんなところに誰が何のために隠したんだろうねぇ…。ところで、あの図面が入っていた宝石箱のようなものは、まだ推定なのだが数十億円の値が付きそうだというから、世の中どうなっているのか分かったものではないねぇ…。ところで、青山くん。ほかには何もなかったのかね…」

「ええ…、ほかには何もありませんでした…」

「そうか…、よろしい。それでは、みなさん。これ以上、ここには何もないようですから、階下(した)に降りてみましょう。階下に行って、あの広い洞窟内を隈なく探したほうが、何か新しい発見があるかも知れません。さあ、戻ってみましょう…」

 南像教授は、そういうとみんなを先導するように石段を下り始めた。

 階下の大空洞は、ところどころに明り取りの穴が開けられているせいか、外景ほどではないが適度に明かりが保たれていて、まったく違和感なく動き回ることが可能だった。

「さて、みなさん。ここはひとつ、ふたり一組になって洞窟内を隅々まで隈なく探索してみましょう。私は若柳くんと、奥山マスターは源三さんと組んでください。うむ…、ひとり余るな…。よし、高井戸くんは須部田博士と組んで、青山くんは須部田博士を補佐するという形で行きましょう」

「南像先輩。須部田博士には、少し休んで頂いたほうがいいのではないかと思います。博士は先ほどから、かなり動き回られてお疲れのようにも見受けられますし、それにご高齢でもありますから、無理はしないで休んで頂いたらと思いますが…」

「こら、何を云うか。高井戸とやら、まだ尻に痣のある青二才の分際で、このわしを年寄り扱いにしおって、まだまだお前ら如きにひけは取らんぞ。ぬぬぬ…」

 須部田博士は、頭から湯気を立てんばかりに烈火のごとく怒鳴り散らし、その声は幾重にも重なり合い洞窟内に壮大な木霊となって拡大して行った。

「まあ、まあ…。須部田博士、宇宙空間物理と次元研究にかけては、世界的権威の博士がそのような些細なことで、目くじらを立ててどうするのですか。少し落ち着いて、こちらに来て休んでください」

 南像は須部田博士に肩を貸すようにして、洞窟内の一角のスベスベした岩肌には珍しく、突起物のある場所まで連れて行くと休ませようとした。

「さあ、博士。そこに出っ張りがありますから、ちょっと掴まってしばらく休んでいてください」

 須部田博士が岩の突起物に近づいて、手を伸ばしてもたれ掛かろうと体重をかけた時だった。岩が突起している部分が、音もなく岩壁に吸い込まれていくような感覚に襲われた。

「あ、危ない。博士…」

 南像教授はとっさに手を伸ばすと、須部田博士の腕を掴んだ。間一髪のところで須部田博士は転倒するのを免れた。が、次の瞬間、そこにいた七人は自分の目を疑った。目前の岩壁の一角が、これもまた音もなく左右に開き始めたのだ。

「何なんだぁ…。この階段は…」

 最初に声を上げたのは高井戸だった。開かれた岩壁には新たな空間が広がり、岩を切り崩して作られた階段が緩やかな傾斜を見せて、その先はどこまで続いているのか判らないほど長く、その先端は闇に溶け込んでいて判然とはしなかった。

「うーむ…。これ以上、先に進むのは危険のようだな…」

腕組みをして、右手の指で顎を撫でながら南像は言った。

「何を云っているんですか。南像さん、こんな重大な発見を目の前にして、ろくに調べようともしないなんて、それでもあなたは民俗学者なんですか…。

僕は行きますよ。青山、若柳。一緒について来い」

「おーっと、あっしも行きますぜ。高井戸先生」

「ほだら、おらも行くべ。でえ一、おらはこっだらことが、でえ好きだからよ。行くべ、行くべ…」

 奥山と源三も名乗りを上げて高井戸たちは、暗闇へと続く未知なる空間へ足を踏み入れたのだった。

「あっしもね。こんなこともあろうかと、ちゃんと懐中電灯を持って来たんですよ…」

「お、助かりすよ。マスター」

「おらも持って来たぞ。ほれ…」

と、言って源三も、普通よりも光源の強い懐中電灯を点けた。

「うわぁ…、眩しい…。どうして、そんなに明るいの…。源さん」

 青山が驚いたように訊いた。

「これぐれえでねえど、夜の海には通用しねえんだぞ。青山」

 そんな話をしながら、しばらく歩き続けたが一向に先は見えず、闇に閉ざされたままの状態で、いつ果てるとも知れない闇の中の石段を下りて行った。

 それからどれくらい下り続けたのか、誰ひとり時計を見る者もなく定かではなかったが、かなりの時間と距離を下りてきたはずだった。

 それから、もう少し下った頃に高井戸が言った。

「ねえ、マスター。普通だったら、こんなに深いところまで下りて来たら、温度は高くなるはずなんです。それに呼吸だって苦しくなるんじゃないんですか…。それにしてはまったく温度も高くなったように思えないし、呼吸だって普通のままできますけど、これって一体どういうことなんですかね…」

「さあ…、あっしにそういう難しいことを聞かれてもねぇ…」

「あ…、あれは何ですか。先生…」

 その時、若柳が下方を指して叫んだ。

 見ると、石段が続いていると思しき遥か下方に、薄ぼんやりとした明かりのようなものが見えてきた。

「さあ…、判らんが、急いで下りて行ってみよう…」

 こんな地下深いところに、人工物以外の光が存在するはずもないと思いながらも、高井戸は計り知れない興奮に駆られて、石段を転がり落ちるように一気に駆け下りて行った。後に続くみんなも釣られて駆け下り出していた。

 ようやく石段がなくなり、地面がむき出しになった場所まで辿り着いた。そこもやはり空洞になっているらしく、先ほど明かりらしいものが見えたのはどこかと、高井戸はあちこち探し回った。

「あ、あそこですよ。先生…」

青山が指さす方向を見ると、壁面のかなり高いところから光が差しているのが見えた。

「こ、こんなバカな…、ここはな。地下一キロはあるかも知れない地の底なんだぞ…。なのに、どうして光が差しているんだぁ…」

 高井戸もかなり動揺しているらしかった。

「あっしがちょっと見てきましょうか…」

「でえ丈夫がい…。良さん、ずいぶ高えぞ。無理すんなよ…」

「なーに、大丈夫ってことよ。心配するなよ。源さん、あっしはね。そんじょそこらの鳶職にだって、引けは取らないくらい高いところは得意なんだ。まあ、任しておきなよ」

 奥山は源三が強力ライトで照らす中、まるで軽業師のような身軽さで岩の壁面を登り始めた。とんがり山の表面の岩と違い内部の岩面は、程よくゴツゴツしていたのが幸いしたと言えるだろう。

 奥山が岩面を登り切って、高井戸たちの視界から消えて数十分が経過した。

「どうしたんでしょうね。奥山のマスター…。確かに、あの高いところの穴から、見えなくなったと云うことは、やっぱりどこかに抜けることができたと云うことですよ。だけど、一体どこに続いていたんでしょうね。あの穴…」

「しかし、これは困ったぞ。僕たちじゃ、絶対にこの壁は登れそうもないし、一度上に戻って南像先輩たちに相談したほうがいいかも知れないな…。ょし、戻ろう。そのほうがよさそうだ…」

 それから高井戸たちは死に物狂いで、先ほど降りてきた岩の階段を登り始めた。そして、ものの十五分も経たないうちに、さっき下ってきた出口が見えてきた。

「あれ…、何か変ですよ。先生…、さっきはあんなに時間が掛かったのに、下るより上りのほうが早いなんて、やっぱり変ですよ。この島は…」

 青山は昇り降りに掛かる時間に違和感を感じていた。

「それは後で須部田博士に聞いてみるとして、とにかく早く登ろう…」

三人とも息を切らしながら必死に登った。

「ただいま戻りました…」

「おお、だいぶ早かったじゃないか…。また十五分そこそこしか経っておらんぞ…。して、中の様子はどうだったね。

「何ですって…、十五分しか経っていないですって…、そんなバカな。僕たちは降りる時は数十分もかかって、一キロはあろうかと思われる石段を下りて行ったんですよ。それから、あちこち探索をしているうちに、奥山マスターが岩壁を登り始めて、光が漏れている隙間から外に出て行って、しばらく待っていても戻ないので、とりあえず上に戻ろうと云って帰ってきたんです。一体マスターはどこに行ってしまったんでしょうかね,…」

 高井戸が南像たちに報告していると、

「なーに。あっしなら、ここにいますよ。高井戸先生」

 横のほうから奥山が声をかけてきた。

「あ、マスター…。あれからどうなったんですか。一体…」

「なーにね。あの穴は、この山のちょうど裏手のほうに抜けてたんですよ。それで、あっしは歩いて今しがたやっと着いたばかりなんですよ」

「うーむ…。どうも、ここは危険過ぎるようじゃ…。ここは引き払ったほうがよさそうだ」

 須部田博士に促されるまでもなく、南像も感覚的にこの島の持つ危険性を感じていた。

「よろしい。それでは諸君、ここを引き上げ海岸線まで戻ろう。諸君も準備ができ次第引上げだ」

 南像の号令一下、各人各様に準備を整えると元きた海岸を目指して下って行った。


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