第42話 企み

「こ……っ」


 うたいし、と、美月みつきは呻く。

 さっきから、「ここここ」と、鶏になった気分だ。


「そんな身分の人が、なんでうろうろうちの店に何度もやって来るんですかっ」

 ついなじってしまう。


「言ってやってくださいませ、美月さん」

 いつの間にか背後にいた早瀬が素早く口を挟む。


「時間があれば、すぐに御所を出て街を徘徊し……」


「徘徊ではない。民人たみびとの生活を実際に見て回っているのではないか。というか、早瀬はやせ。話に入ってくるでない。さっき命じたことを実行せよ」


 扇丸おうぎまること慈仁いつひとがむう、と膨れて手をひらひらとさせる。早瀬は、「はいはい」とお母さんのような態度で立ち去っていった。


「さて。この後の動きだが」


 注意深く周囲を窺い、慈仁が声を潜めた。

 蒼太朗そうたろうも美月も、前かがみになる。途端に、ふわり、とカップから上がる紅茶の湯気が顎を撫でた。懐かしい、と瞬間的に思う。コーヒーは最近よく見るようになったが、ここまで上等な紅茶はなかなかない。


伽賀かがは、やはりここに挨拶に来た折、息子を後継者として予に紹介し、そののち、会場の参加者に手当たり次第にお披露目するつもりらしい」


「手あたり次第というのはどうかわからんが、とにかく、そうなんだな」

 蒼太朗は言い、上半身を戻して綺麗な仕草で紅茶のカップを指で持ち上げる。


「なので、入場した段階で旭の身柄を押さえるしかない」

「どうやって」


 柳眉を寄せて紅茶を口に運ぶ蒼太朗にならい、美月も紅茶カップを手に取った。薄い磁器のカップだ。


「早瀬に、伽賀の一行が到着したら連絡をするように伝えておる。連絡があれば、会場内のガス灯を全部消す」


「ガス灯を? 真っ暗になりませんか」

 美月が目を丸くする。


「かがり火があるから大丈夫だ」


「本当か? 警備はいいのか、それは」

 怪訝気に蒼太朗が言う。


「あおが予の側にいるから大丈夫だろう」

 一番の警備対象がとんでもないことを言いだしている。


「陛下の天幕のガス灯までは消さんから大丈夫だ。で、その暗闇に乗じ……」

「暗闇って言ってるじゃないか。いいのか、おい」


「もとい、薄暗がりに乗じ、あさひを奪還。そののち、軍服に着せ替え、しれっと近衛兵に紛らせておく。で、美月を女装させて……」


「私はもともと女です」


「すまん。美月を元に戻して、旭を入れてしまえば……、近衛兵の人数帳尻もあうだろう」


 どやあ、と慈仁は胸を張るが、美月は紅茶を一口飲み、じっとりと見つめた。


「それ、伽賀の人たちが、『旭が消えたー』って騒ぎだしたらどうすればいいんですか」


「ん?」


「美月殿が言うのももっともな話だ。自分の後継者が消えるのだぞ。誘拐された、とか言いだしたらどうする気だ」

 蒼太朗が呆れたように言うが、慈仁はきょとんとした。


「そんなもの、受け付けぬ。消える方が悪いのだ」

「……信じられん」

「頭が痛くなってきた」


 蒼太朗と美月が頭を抱えるのを見て、慈仁は不思議顔だ。


「だがな、あおと美月よ。実際先に、誘拐したのは伽賀ではないか。同じことをして何が悪い」


「いや、そうなんですけど……」

 美月は口ごもる。


「『旭が誘拐された』と警察に駆け込んだところで、伽賀邸には入れぬだろう。なんとなくうやむやにされ、それでおしまいになるのではないか?」


 重ねて問われ、美月は下唇を噛む。


 実際、そうなのだ。行方不明者として警察に相談したところで、まともに相手にされるとは思えない。


 だいたい、『梅園旭』自体が、消されそうになっているのだから。


「市井で罪に問えぬのであるならば」

 慈仁は椅子に凭れ、脚を組む。


「御所で同じことをやってやればよい。ここでの統治者は予だ」

「いや、陛下だ」

「似たようなものだ」


 豪快に慈仁が笑った時、するすると、早瀬が近寄ってきた。


「扇丸様。現在、受付を済ませた、とのこと。すでに入場のため門まで移動しておることでしょう」

 耳打ちをすると、慈仁は大きく頷いて立ち上がった。


「早瀬、ガス灯を消せ。参加者には、『蛍がよく見えるように』と伝えるのだ。予は今から、あおと美月の三人で、特別任務を遂行する」


「かしこまりました」

 深々と頭を下げた早瀬は、その年齢に見合わない素早さで天幕の奥に移動した。


「では、参ろう」


 言うが早いか、慈仁は駆けだし、慣れているのか蒼太朗がそれに続く。美月も、ばたばた動く佩刀を上から押さえつけるようにして、それに続いた。


 天幕を出る折り、銃兵が礼をする。

 慈仁が笑顔で応じているが、美月は、一転様子を変えた庭に足を止めた。


 真っ暗だ

 その闇の中を、黄色、というよりは薄緑色の光がいたるところで浮遊し、明滅している。


 人々のざわめきや気配は感じるが、すべてがぼんやりとしていて、幽鬼なのか、人なのか、判然としない。


 ただ、蛍らしき光の明滅を見て、誰もが「きれい」と声を上げていた。


「かがり火を頼るしかないな。道がよくわからん」

 蒼太朗がため息交じりに言う。


「案ずるな。ここは余の庭だ」

 愉快気に笑うと、慈仁は駆けだす。


「遅れるな」


 蒼太朗が美月の背を軽く叩き、走り出す。美月も慌てて頷き、彼を追った。

 ところどころで焚かれているかがり火は、最初、頼りないように思えたが、暗闇に目が慣れてくると、まばゆいほどだ。


 ガス灯とはまた違った色合いの光は、芝生を照らし、小道を白く浮かび上がらせる。


 慈仁が自信ありげに言う通り、道はわかっているらしい。

 藪に思えるようなところを突っ切るのだが、それが最短距離らしく、ほどなくして、とある小集団の近くまでたどり着いた。


「あれだ」


 こんもりとしたつつじの陰に隠れ、慈仁が声を潜める。

 彼が指さしているのは、眼下に見える小道だった。


 ちょうど、なだらかに斜面になっているらしく、小集団は見上げないことには、美月たちの気配に気づけない。


 もう、花の散ったつつじに興味はなく、物見遊山に近い彼らは、舞い飛ぶ蛍を見てはしゃいでいた。


「いるな、旭殿」

 ふと、蒼太朗が声を漏らす。


 美月も、強張ったまま、首を縦に振った。

 先頭を歩くのは、伽賀芳雅かがよしまさだ。その隣には、高岡がいる。


 珍しく伽賀が楽し気な声でなにか言い、高岡が応じていた。

 そのすぐ後ろをついて歩いているのが、旭と、三倉彩女みくらあやめだ。


「あの、旭が腕を組んで歩いている女は誰だ。拉致るのに邪魔だな」

 慈仁が不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「三倉、彩女さんです」

 呟くだけで、腹が立つ。美月はこぶしを握り締めた。


 あの女が単独で店にやって来たのは、旭が姿を消した次の日だった。美月はあのときの腹ただしさを、昨日のように思い出すことが出来る。

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