第41話 慈仁殿下

「まあ、とにかく、わたしは、君にいろいろ助けられたんだ」

「そうですか。それなら、よかったです」


 にこり、と美月みつきは笑う。それを眩し気に見つめて、蒼太朗そうたろうは苦い笑みを口の端に浮かべた。


「だから、恩返しをしたい、とは思っているんだが……。あさひ殿を助ける、となると、どうにも……。わざわざ、恋敵を支援するようで、なんとも言えんな」


「……はい?」


 小首を傾げて見上げると、蒼太朗は「忘れてくれ」と首を横に振った後、美月を見た。


「旭殿のことだが」

「はい」


 なんだろう、ときょとんと彼を見上げる。


「聞けば彼も、わたしとそう立場は変わらない。次男であるが、長男の体調不良等で、家を相続する立場であるのに、それを放棄したのだろう?」


「まあ……、そう、ですね」

 端的に言ってしまえば、そうなる。


「君が望んでいるから、あれだが……。どうして、旭殿は家を継がないのだ。男子たるもの、それこそが最大の目的であろうに」

 ふう、と蒼太朗は吐息を漏らす。


「睡蓮に押し掛けてきたあの父親の物言いは、確かに無礼で腹ただしかったが……。一般的に考えて、やはり、自分の血を受け継ぐものが、家を相続すべきだろう?」


 うーん、と美月は唸り、顎を掻いた。


「例えば、それが自分の将来の夢と同じであれば、問題ないと思いますよ」

「将来の夢?」


「あおさんみたいに、近衛兵になって、砲兵隊に入りたい、っていうのは、家を継ぐ、っていうところの延長じゃないですか」


「まあ……、そうだな」

 蒼太朗は頷く。


「だけど、誰しもそうではないんですよ。家を出なければ叶えられない夢を抱いた人もいるし」

 美月は苦々しく呟いた。


「家を出なければ、自分の存在を消されてしまう人もいる。誰かの夢をかなえるための手段としてしか、生きることを赦されない人もいるんです」


 蒼太朗は美月の言葉を心の中で反芻したようだが、明確な返事はせず、「ふうん」と相槌をうつと、姿勢を正し、軍帽を被りなおした。


「さあ、そろそろ扇丸のところに行こう。この後の段取りを打ち合わせなくては」

 促され、美月は顔を引き締めた。


 蒼太朗が先に立って歩くので、美月はその半歩後を追う。


 通り過ぎざま、すぐ近くでかがり火が爆ぜた。火の粉が夜を焦がし、まるでそれ自体が蛍のようだ。


(こんなに明るかったら、蛍が見られないな)


 そんなことを心配したが、庭園内の紳士淑女を見る限り、ほぼ、社交目的だ。実際に、蛍を愛でに来ている人間などいないのだろう。


 芝生が植わった会場内を、歩く。

 革の軍靴のせいで、重い。久しぶりに履いたズボンは身軽でよかったが、佩刀は邪魔だし、長靴は思っているより動きにくいし、ハイカラーは邪魔だし、で、想像以上に軍人は大変だ。


 蒼太朗は行くべき場所がわかっているのか、足に迷いがない。


 途中、行違う軍人とは敬礼を交わし合ったり、挨拶をしたりしている様子を見ると、全員が全員、さっきの小隊長のように蒼太朗を馬鹿にした奴らばかりではないらしい。


 丁寧に「そちらは?」と、美月の所属を尋ねる青年将校もいれば、「ちょうどよかった。この娘は姪でね。まだ、独身なんだ」と見合いを持ちかけようとする年配の紳士もいた。


 蒼太朗は、卒のない態度と言動でそれらをやんわりと躱し、庭を歩く。

 向かっている先は、どうやら、天幕らしいと気づいた。


 内部に大分照明を用意しているのだろう。遠くからでも、その白い天幕自体が、ぼやりと光を発しているように見える。


(偉い人が、いるのかな?)

 天幕の前には銃剣を持った兵が微動だにせず立っている。


(パオみたい)


 真っ直ぐに入り口に向かう蒼太朗にくっついて歩きながら、天幕を見上げた。

 モンゴルの遊牧民が使いそうな感じで、入り口が大きくとられている。というか、内部が丸見えだ。


 芝生の上に、これもまた毛足の長い異国の絨毯を幾枚も広げ、奥には階が設けられている。


 内部には様々な調度品が揃えられていて、接客用なのか、長脚の椅子と長机が、いくつも用意されていた。実際に座っている将校や、背広姿の紳士もいて、蒼太朗の姿に気が付くと、立ち上がって敬礼をする。蒼太朗もそれに応じ、美月は、「自分は何をしたらいいんだろう」と、おろおろとした。


「おお、待ちかねたぞ、あお」

 そんな時、聞き覚えのある声が天幕に響く。


「その幼名は、ここではおやめください、皇太子殿下」

 苦々しく蒼太朗が応じる。


「こ、こここここ、皇太子殿下……っ」

 蒼太朗の隣で、美月が愕然とする。


「そうであったな、来恩寺らいおんじ中尉」


 視線の先で、豪快に笑う青年を美月は見つめる。

 階の椅子に座っているのは、扇丸おうぎまるだ。


早瀬はやせ。茶を用意してくれ。ちょっと、あいつらと話がある」


 今宵の扇丸は、背広姿だ。

 濃灰色の三つ揃えで、ネクタイは紺色。地味な色合わせだったが、ボタンホールに挿したスカーフは赤だし、カフスもガーネットだ。


 それが、彼の陽気な笑顔にとてもよく似合っていた。


「かしこまりました。来恩寺中尉、さあ、どうぞ」

 早瀬に促され、蒼太朗は美月を伴って階に近づく。


「かまわん、上がってこい」

 豪奢な椅子に座って手招きするが、蒼太朗が眉根を寄せる。


「そうはいかん。お前が降りてこい」

 こうなると、どっちが礼を尽くしているのかわからなくなってきた。


「面倒くさい奴だな」


 扇丸は笑い、椅子から立ち上がって階を降りる。

 一番近くの円卓にふたりを誘い、座った。


「よく似合っておるな、美月。馬子にも衣裳とはこのことだ」

 扇丸が満足そうにうなずく。


「誉め言葉じゃないらしいぞ、それ」

 蒼太朗が笑う。美月は不服そうに頬を膨らませたが、扇丸は不思議そうに目をまたたかせた。


「そうか? いや、凹凸の少ない身体でよかったな。どこからどうみても、少年近衛兵だ。写真を撮れば人気が出そうだぞ。ときどき、その格好で御所に来るか?」


 男装をして人気が出ても嬉しくない。


 むっつりとしたまま、椅子に座ろうとしたら、蒼太朗がさりげなく椅子を引いてくれるから恐縮する。


「で? ここからどうやって旭を奪還するんだ」


 早瀬が人数分の紅茶をサーブし、下がるのを待って、蒼太朗が口を開く。だが、その前に確認したいことがある。美月は身を乗り出した。


「ちょっと待ってください。この人、誰ですか」

 きょとんと自分を見る扇丸と蒼太朗に、美月は続けた。


「いや、扇丸さんだってことは分かっています。そうじゃなくって。その、さっき、皇太子殿下、って……。それ、本当なんですか」


「一応、そういうことになっているな。扇丸は幼名だ」

 扇丸は笑う。


「成人し、慈仁いつひとと名乗り、皇太子となったのだ」

 ぞんざいに蒼太朗が言い放った。


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