第40話 それぞれの悩み

 クールな方だと思っていたが、随分と笑い上戸で、表情が動く。


「嫌な思いをさせたな」

 蒼太朗そうたろうが目尻を下げて、美月みつきを気づかわし気に見るから、笑って見せる。


「私は別に。男がバカなのは知っていますから」

 くくく、と蒼太朗はまた笑いをかみ殺す。


「君を見ていると、女性というのは、自由闊達だな」


 白手袋をはめた指で、目元に浮かんだ涙をぬぐい、蒼太朗は美月を見た。まだ、口元に笑いの余韻が残っている。


「そうでもありませんよ。相続権はないし、年長者はえらそうだし、社会は窮屈だし」

 美月は肩を竦める。


「男の方が生きやすいんじゃないですか?」


「ところが存外、男というのも、生きにくいものでね。特に、男らしさが美徳とされるような環境では」


 遠くの方から婦女子の笑いさざめく声が聞こえてくる。

 参加人数は設楽伯爵のガーデンパーティより断然多いのだが、いかんせん場所が広すぎるので、人がまばらにしか見えない。


 蒼太朗がちらりと視線を移動させた。美月もつられてそちらを見る。


 異国の装束をまとった、婦女子たちだ。

 時刻は八時になろうとしていた。


 曲水の宴にも使われるという小川の側にしゃがみ、もう舞い始めた蛍を見ているようだが、ガス灯が明るすぎる。せっかくの蛍が放つ光が台無しだ。


「わたしは、戸籍的には三男なんだ」

「え。そうなんですか」

 家督を継いでいるので、勝手に長男だと思っていた。


「上のふたりは、生まれてすぐ死んだ。繰り上げ長男だ」

 苦く笑うので、美月はなんといっていいかわからずに、口ごもる。


「なので、母はとにかく信心深い。わたしの幼名は『あおい』といい、六歳までは、赤の振袖を着せて育てられた」


「ああ……、あの、性別を逆にして育てると、丈夫に育つ、とかいうやつですか」

 美月も聞いたことはある。『南総里見八犬伝』でも、信乃がそうだったのではなかったか。


「赤は魔物避けにも使われるから、とにかく、赤いものに囲まれていて……。自分の性別が自分でもよくわからないぐらいだった」


 蒼太朗はくすり、と笑った。


「こんな顔立ちだし、身体つきだし……。男として扱ってくれるのは扇丸おうぎまるぐらいなもので……。わたしが、深刻ないじめや、性的いたずらにあわなかったのは、ひとえに家柄のおかげだ」


 美月に向かって目を細め、笑いかける。


「君はどうやら知らないようだが、来恩寺といえば、帝に連なる血筋なのだよ」

 なんと、と目を瞠る。お公家様か、この人は。


「そういった血縁関係もあり、わたしは成人すると近衛隊に配属され、帝や殿下を守るべく育てられたのだが……」


 ふう、と蒼太朗は吐息を漏らす。愁いが混じるこの顔も、随分と繊細で綺麗だ。


「ここでも、この容姿が災いして……。わたしは、砲兵隊を希望してい……」

「砲兵隊!?」


 思わず声がひっくり返った。なんか、この顔で大砲をぶっぱなすイメージが浮かばないし、玉こめとか、できるんだろうか、あの細腕で。


「ちゃんと勉学もしたんだ。扱いはうまい方なんだが……」


 それに、君が思っているより、筋肉はある、と力説する。まあ、服の上からでもそれはしっかりわかるのだが。


「で。配属されたのは、容姿が重要視される、ここだ」

 腕を組み、不満げに睫毛を伏せる。


「さっきの同僚を見ればわかる通り、わたしは小隊長の中でも若い方で……。それについて、殿下の寵愛を受けたから、この地位を得たのだ、と下賤な勘ぐりをするやつも多くてな」


「はー……。顔立ちが綺麗なのも、いろいろ大変なんですねぇ」

 美月は、ただただ、感心する。


「これでも、いろいろ試してみたんだ。太ってみようと、食事の量を増やしてみたが、腹を下して入院したこともあるし、設楽伯爵のようにひげを伸ばしたらどうだろう、とやってみたら……」 


 いきなり、ぐい、と袖口をまくるから、なにごとかときょとんと、美月はその腕と蒼太朗を交互に見る。


「もともと、体毛が薄いせいで、ひげもそんなに濃くない。だから、のばしたところで、ひょろひょろのひげがまばらに生えるばかりで……。まるでなまずかドジョウだ」


 たまらずに、美月は笑いだした。


「結局、筋肉しかつかないんだが、それも、太くならない。なんかこう……。どんどんしぼれて、どんどん細く……、おい、そこまで笑うことないだろう」


 困惑している蒼太朗を見ていると、さらにおかしくなってきた。失礼だ。こんなに努力しているのに。早く笑いを止めなければと思うのに、ドジョウのようなひげを伸ばした蒼太朗を想像し、やっぱり笑えて仕方がない。


「……まあ。いろいろ悩むことも多いし、腹の立つことも多いんだが」

 蒼太朗は頬を掻き、そんな美月に優し気なまなざしで見つめた。


「美月殿に会ってから、ちょっと自分でも変わったな、と思うことはある」

「私、ですか?」


 ひー、お腹が痛い、と軍服の上からお腹を撫でると、腰に佩いた剣が、ごつごつと揺れる。


「外見ではなく、中身がしっかりしていれば、なんの問題もない、と言われて。そうか、そういう風に見てくれる人もいるんだな、と。それに」

 少し首を傾け、腰を曲げる。美月の顔を覗き込み、目を細めた。


「あなたみたいに、堂々と言いたいことを言ってもいいのだ、と思うようになった」

「……私だって、我慢すべきことは我慢してますよ」


 唇を尖らせて言い返すが、くすり、と笑われただけだ。


「扇丸からは、いつも『言い返さないから馬鹿にされるんだ』と言われていたが……。あいつはあいつで、ああいう立場だから、言い返すことが許されているんだ、と思っていたんだ。それがうらやましくもあり、一方で辛さの原因でもあるんだろうが……。だが、君は、四方八方に対して、攻撃をふっかけるからな」


「その言いかた。まるで、私がむやみやたらに暴力を振るう人みたいじゃないですか」

「違うのかい」


 からかうように笑われるから、胸を張って見せた。


「相手が攻撃を仕掛けた時だけです。私は、専守防衛ですから」

「専守防衛か。なるほど」


 蒼太朗はひとしきり笑う。

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