第37話 美月のふんばり

「それがさ、また変なの作り出して」

 はあ、とあまねは大げさにため息をつくと、水屋の壁にもたれる。


「上生菓子は、君が作ってたんだろう? だから、そっちは販売中止にしてるけど。ほら、もともと茶道の先生は全員こっちに流れちゃってるじゃない。だから、まったく問題ないんだけど。一般客に向けて、変な朝生菓子作って売っててさ」


「変な、朝生菓子……」

「どら焼きの皮の上にさ、粒あんとバターをのっけて売ってんの」


「粒あんと、バターですか」


 さすがに素っ頓狂な声が出た。

 あうのか、それは。


「しかもさ、持ち帰るんじゃなくって、店内に椅子と机を並べて……、ほら、カフェみたいにして提供してんだよ」


「きゃ、客は……、入っているのですか?」


 問題はそこだ。

 美月みつきは当初から、「カフェスペースを作りたい」と言っていた。


 旭も賛成している。おいしそうに食べている人がいれば、「なんだろう」と足を止める者が出てくることはある。


 しかも、帝都に近いあの町は、新しい物好きが多い。

 美月が考案する菓子は、見栄えがしたり奇抜なものが多いので、人目は引く。


 実際、食べている客がいれば、釣られて足を運ぶ客もいるだろう。

 だが、さくらのような者がいなければ‶奇抜な見世物〟で終わってしまう。


「はいってんだよ、これが」

 両手で頭を掻きむしる周とは違い、旭は心底安堵して息を吐いた。


「多分、餡作りは見よう見まねでできたんだろうね」


 そんな旭をしばらく眺めた後、周が言う。旭は、顔を上げて彼を見上げた。

 美月の従兄弟。

 こうやっていま、改めて見て見ると、目元の辺りが美月に似ていた。

 彼女に会いたい。急速に沸き上がる思いに、胸が苦しくなる。


「和菓子屋に興味はなくても、毎日小豆炊いてるんだし。感覚でなんとかなったんじゃない? だけど、出来上がってみたら……」


 周は語尾を濁し、肩を竦める。


 料理や菓子は再現力だと、旭は思っている。


 五感を使って、目の前の作品を、もう一度再現させる。

 何度作っても同じものが作れれば、それは完成品だ。


 その完成品に近づけるため、何度も試行錯誤するのだが。

 美月には、その時間がなかった。


「だから、誤魔化す、っていったら語弊があるかも、だけど。苦し紛れに何かを足して、ばれないようにしたんだろうねぇ」


 目新しく、奇抜で、目隠しできるように。

 美月は、バターを添えたのか。


「バター自体は、設楽したら伯爵のところに行って、販売元を教えてもらったみたい。ほら、あそこ、洋式がお好きじゃない?」


 カクテル・グラスどころか、洋食のカトラリーも豊富だった。きっと、普段から洋食を召し上がっているのだろう。


「どら焼きの皮もさ、焼けばいいだけだから。豆大福だの、おはぎだの作るよりは、味の劣化や見栄えがばれないんだろうね」


 周の言葉を聞きながら、旭は胸が詰まっていく。


 美月の努力に。

 美月の、頑張りに。

 美月の、孤軍奮闘ぶりに。


「こんなところに居る場合じゃない」


 ぼろり、と流れた二粒目の涙を、首を振って散らし、旭は立ち上がる。


「早く戻って、睡蓮で菓子を作らねば」

 周に笑って見せると、彼は三白眼の目をじっと、旭に注いだ。


「君さ、初めて会った時、言ってたじゃない」


「なにを、ですか?」

 もうずいぶん前のことのように思えて、旭は戸惑う。


「睡蓮の店を守りたい、おじいちゃんの菓子を継ぎたい、って」

「ええ……、はい」 


 それは今も変わらない。

 周は肩口の髪を手で払い、旭に問う。


「よくわかんないけど、君、伽賀の子どもかなんかなんだろう? どうして、そっちは継がないのさ。君の論でいくならば、伽賀の家だって、守り、継ぐべきものだろう?」


「わたしには」

 旭は、一度口ごもったものの、しかし、しっかりと周を見て口を開いた。


「わたしには、守るべきものでも、継ぎたいと思えるものでもないのです、伽賀の家は」


「大きな財閥じゃないか。跡継ぎがいなくて、事業をたたむ、なんてことになったら、路頭に迷う人もいるんじゃない?」


「そんなことありません」

 旭は思わず笑いだす。


「直系にこだわるから、こんなことになっているんです。伽賀だって、親族はいる。そこから養子でもなんでももらえばいいのです。いえ……」

 きっぱり、と首を横に振った。


「わたし以上に、正式な跡継ぎがいるんです。彼こそが、伽賀の頂点に相応しい」

 ふうん、と周は言うと、興味なさげに、壁から背を離した。


「ま。どうでもいいや。美月に頼まれていた伝言だけどさ」


「はい」

「近いよ」

 勢い込んで前のめりになる旭を突き返し、周は言う。


観蛍会かんけいかいに参加しろ、そこで救出する、って」

「観蛍会」


 高岡が予定していたような気がする。

 そこに参加するために背広を新調するから、採寸したい、とか、出席者の名前を憶えろ、とか。


 だが。


御所ごしょ、ですよ……?」


 狼狽えた。

 自分は父についていれば入れるだろうが、美月はどうやってやって来るつもりなのだ。


「ほんとね。あの子、どうするつもりなんだか」

 周はあきれたが、くく、と面白そうに笑った。


「だけど、どうにかするんじゃない? 見ものだね」

「そう、ですね」


 旭も、気づけば笑っていた。

 きっと、美月はやり遂げる気がした。


 予想の斜め上の方法で、誰もが描いていたものと違う未来を描き出す。

 あの子は、そういう子だ。


「わかりました」

 大きく頷く。


 のった、と旭は思った。

 美月の仕掛けた賭けに、持ち金全部、賭けよう、と。


「君等は病気だよ。ぼくには、そんなのとてもとても」

 周は言ってから、「あ」と、鼻の上に皺を寄せた。


「そうだよ。早く戻ってきてもらわないとさ、腹立つんだよ、君の婚約者とか言うやつ」


 どきり、とした。

 彩女あやめだ。


「婚約者ではありません。ですが、彩女が迷惑を?」

「なにあの女。ぼくの美月にケンカ吹っ掛けて来たよ。死ね。まじで、死ね」


 いや、あなたの美月さんでもありません、と否定したかったが、呪詛のこもった「死ね」に、若干旭はひるむ。


 そんな彼に、「じゃあね」と周は手を振って水屋を出て行った。


「観蛍会」


 もう一度呟く。

 とにかく、そこに行かねば。


 彩女のことも気になるが、彼女とて大富豪の娘だ。大手を振って暴力はふるえないだろう。


(そうだ。だから、男を使って……)

 背筋に悪寒が走る。

 美月に対し、暴行を振るおうとしたではないか。


(……いまは、美月さんを信じよう。それに、信田しのださんも)

 いるはず、と思ってから、なんだかそれはそれで不愉快でもある。


 美月は「ただの知人」と言っていたが。

 それにしても、何度考えても、たくさん振り返って思い返しても。

 非常に仲が良い。


 周のように、美月が嫌っているのならまだしも、信田については、信頼し、好意も抱いている。信頼もしていた。


 自分のいない間に、ふたりの仲が深まったらどうしよう。


 愕然とする。

 周は、『美月は恋をして性格が変わった』というようなことを言っていたが、その恋の相手は本当に、自分なのだろうか。


(まさか、信田さんじゃあ……)


 そもそも、美月との仲は、信田の方が長いのだ。

 彼がどこの誰なのかはよくわからないが、帝大生といえば身元もしっかりした将来有望な学徒だ。顔立ちもすっきりとしているし、立ち居振る舞いだって悪くない。


 なにより、彼は菓子が作れる。


 そう考えれば、旭が抱きしめるたびに身体を強張らせたり、夜に一緒に過ごすことを避ける美月の行動に理由がつく気がした。


(え……。実は、わたしは嫌われていたのだろうか)


 なんだかどんどん不安が募り、居てもたっても居られなくなるのだが。

 そんな自分が、不思議で仕方がない。


(わたしは、こんなに女性に執着する人間だったろうか……)


 彩女に恋心を抱いている時は、こんなのではなかった。

 彼女は、あの容姿に財力だ。

 大変、男子生徒に人気があった。


 彩女も、旭と交際はしていたが、他の男子から恋文をもらっていた。今から考えれば、焼きもちを焼かせたかったのかもしれないが、旭にその恋文を見せたりもしていた。


 その彩女の行為に傷つきこそすれ、執着や焼きもちを焼いた覚えはなかった。

 彼女を引き留めようという努力もしなかったし、むしろ、そんなことが続いて、別れを切り出そうとさえ考えていた。

 そもそも、彩女が自分に近づいたのは、家名のせいかもしれない。

 そう気づいてもいた。


 それに、自分は、あの父親の子だ。

 きっと、ひとりの女性だけを生涯愛することなどないだろう。


 彩女に対する感情がどんどん醒めていくのも、あの父親の血のせいに違いない。

 それなのに。


(気づけば、美月さんのことばかり考えている)


 彼女は何をしているだろう。

 泣いていないだろうか。苦しんでいないだろうか。寒がっていないだろうか。

 そんなことばかり考えて、閉じ込められている自分が情けない。


「考えても仕方ない」 

 旭は自分に言い聞かせるように、言葉を発する。


 まずは、観蛍会に参加する。

 そして、美月に会って、確かめる。


 わたしは美月さんのことが好きだが、美月さんは、わたしのことが好きなのか、と。


 もし、嫌いだと言われても。


「大丈夫」 

 ぐ、と拳を握る。


 絶対に、惚れさせる。


 そして、ふたりで睡蓮の菓子を守っていくのだから。


 旭は、注意深く周囲を窺い、水屋を出た。

 庭に出ると、曇天だ。

 これなら、人目が少ないに違いない。


 旭は、目を配りながら回廊に戻り、そのまま本邸に向かう。

 まだ、十一時半にもなっていない。


 昼食までに自室に戻れば、訝しく思う者はいないだろう。

 旭は、事前に調べていた異母兄の部屋へと慎重に進む。


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