第34話 みんなで、取り戻そう
「早めに手を打っておいてよかった。その宴席で、あやうく
「……旭、さんの、お知り合いですか?」
嫌な予感がした。
袖の上から、左手で右腕をさする。細かに震え始めている。
「愚息が迷惑をかけた。こちらで引き取らせてもらったので、今後はもう、関わらぬように。
紳士が、青年を呼ぶ。
「こちらは、迷惑料です。お納めください」
言うなり、商品棚の天板に風呂敷包みを置く。
(愚息ってことは、この人が、旭さんのお父さん? いや、それよりも……)
狼狽しながら、美月は
「どういうことですか。引き取らせてもらった、って」
「そのままの意味だ」
冷淡な瞳が美月に向けられた。
「あれに相応しいところに連れて行き、早急に、しかる場所にて、わしの跡継ぎとして正式に公表する」
拉致された、ということだろうか。
旭が、『異母兄の容体が悪いのかも』と言っていたが、とうとう、
茫然と立ち尽くす美月の前で、伽賀で店内に視線を巡らせ、舌打ちをした。
「まったく、こんな小娘の下働きにさせられているなど……。とんだ醜聞だ。高岡。その辺よく、情報を潰しておけよ」
はい、とかしこまる高岡の声の上から、美月は大声を張った。
「
伽賀のこめかみに青筋がたつのを美月は見たが、最早感覚がなくなりつつある右こぶしを握り締めて睨みつける。
「ねえ、旭さんの意思は確認したんですか? 自分から、あなたの跡を継ぎたい、って言ったの?」
「なぜ、そんなものを確認せねばならんのだ。あれは、わしの跡取りだ」
歯ぎしりしながら返答される。
「勘当したくせに!」
「うるさい!」
大声で怒鳴りつけられた。
「あれに、どれだけのカネをかけたとおもうんだ! 食わせてやり、教育を施し、服を与え、品位を……」
「あのねぇ!」
美月が怒鳴り返す。
「育成ゲームじゃあるまいし、課金したから、元取ろうってもんじゃないわよ! 子どもは、あなたのクローンでも、意のままに動く操り人形でもなんでもない! 自分の思い通りになると思ったら、大間違いよ!」
口から
「あなた、どれだけ子どもにとって迷惑な存在か自覚してる!? 自分の機嫌やその時の考えだけで他人の人生振り回して……っ。どれだけカネがかかったか、ですって? 損得で物事考えるんなら、子どもなんて育てるんじゃないわよっ」
「言わせておけば、この
怒鳴りつけられ、「はあ!?」と、美月は商品棚から身を乗り出して吠えた。
「あんたの価値がどんだけのもんだってのよ! この毒親!」
天板に置かれた風呂敷を鷲掴み、高岡に向かってぶん投げた。
「旭さんは、お金でなんか買えないわよ! 返してっ!」
「この……っ」
伽賀が拳を握りしめ、振りかぶる。
あたる、殴られる、と思ったものの、美月は意地になって睨みつけた。
殴られたら、警察に届け出てやる。暴行罪で訴えて、ついでに新聞社に駆けこんでやるのだ。腫れた顔を写真に撮ってもらう。
そこまで考え、来るべき打撃のために歯を食いしばった時、背後でのれんが揺れる気配があった。
次いで、疾風のようなものが舞い込む。
「鬼はー、外ーっ!」
季節外れな上に、調子はずれな声音が隣から聞こえ、同時に目前に立つ伽賀の顔が白く煙る。
きょとん、とした美月の前で、伽賀が目を覆って絶叫した。
「あ。それは豆の時やったっけ。ごめん、ごめん。塩、振ってもうたわ」
あっけらかんとした関西弁に、美月はおそるおそる隣を見る。
背後から現れ、
「き、貴様っ! このわしが誰だか……っ」
「旦那様、大丈夫ですか!?」
高岡がハンカチで伽賀の塩だらけの顔に触れようとしたが、伽賀が振り払って、顔を真っ赤にさせた。
「わしは……っ」
「名乗ってええんか? その、大層なお方が、十六の小娘相手に殴りかかって、店を潰そうと大暴れしてた、って、僕、証言しようかなぁ、新聞社に」
「なんやったら、警察も呼ぶけど」
にやにや笑いながら、狐は大きく塩をまたつかみ取った。
そのまま、薄ら笑いを浮かべて大きく振りかぶるから、高岡は血相を変えて、伽賀の手を引っ張り、ついでに風呂敷も握りしめて、そのまま店を出て行く。
「覚えておけよ、貴様らっ!」
伽賀の怒声だけが、往来から店にまで響いてきた。
「あ……」
ありがとう狐、と言いかけた美月だったが、背後から扇丸とあおが飛び出してくる。
「よくやった書生よ! 見事な撃退だっ」
ばしばし、と扇丸は狐の肩を叩き、あおは物騒なことに、佩刀の鯉口を切ったまま、美月に近寄る。静かに怒気を発散させていてぎょっとした。
「なんと無礼な輩か……。もう少しで、叩き斬っているところだった」
そういえば、旭が『切り捨て御免にあっても知りませんよ』と言っていたが、この御仁は本気でする輩らしい。
「しかし、どこから現れたのだ、この書生」
あおは狐と初対面らしい。怪訝そうに言うところを見れば、狐はいきなり出現し、厨房から店へと駆け込んできたのだろう。
「あっちの方」
狐も、しれっと嘘をつくと、塩の入った笊を商品棚の上に置き、塩まみれの手で美月の右手を握った。
塩のせいなのか、それとも悪意が弾かれている証拠なのか。ちりちりと皮膚表面が痛い。
「また、えらい影響されたな。ま、こんなもんで大丈夫やろ。いやしかし……。旭がおらんときに、とんでもないもんが……」
「その、旭さんよ!」
我に返り、美月は狐を見上げる。彼に握られた手から、じんわりと温もりが伝わってくるが、旭ほどではない。その違いに、なんだか涙が浮かんできた。
「あの毒親に誘拐されて……っ。連れ戻されてっ!」
語尾が涙で濁る。
「旭は、伽賀のなにかなのか?」
扇丸が首を傾げた。
一瞬、美月は口をつぐんだが、ぐう、と喉の奥で嗚咽が漏れる。あおが、柳眉を下げ、気の毒そうに背を撫でてくれた。
「わたしでよければ、力になるが……」
「言うてまえ、美月。かまへんがな」
狐に背を押され、美月は口を開いた。
「伽賀の……、次男なんだそうです」
「あそこには、長男以外に男がいたか?」
「いた。確か、高等学校から、今度海外留学する、と。だが……」
扇丸に説明していたあおだが、そこで言いよどむ。美月が痕を引き取った。
「非嫡出子なんです。婚外子でしたが、男子のために、引き取られたって、旭さんが言ってました。だけど……」
美月は、旭が語ったことを扇丸とあおに伝える。
高等学校で彩女に出会ったこと。
伽賀の跡継ぎだと思って交際をしていたが、彼が非嫡出子であり、養子でもないことを知り、騒ぎ立てたこと。
結果的に、嫡男の芳典と彩女が婚約をし、旭は勘当されたこと。
行き場のない旭は、祖父を頼って睡蓮に来たこと。
その時、女であるために店の相続権がない美月が途方に暮れていたこと。
伯父から店を守るため、旭に契約結婚を持ちかけたこと。
だけど。
今では、一緒に店を守っていきたいと思っていること。
「なるほど、なるほど。すべて了解した」
扇丸は腕を組み、ふむ、と鼻から息を抜く。
「ほんまかいな」
「同意見だ」
狐とあおが胡散臭げに扇丸を見るが、当の本人は大まじめに美月を見る。
「諸々の事情も理解した。いや、
厚い唇が、弓なりになる。
「美月の言う通りだ。子は親の言いなりなどにならずともよい。旭が選んだ場所に、我らで連れ戻そうではないか」
「あ、ありがどうございばず……」
語尾は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
苦笑いするあおと狐に背を向け、懐から取り出した懐紙で洟を取る。
「連れ戻す、というが……。扇丸、どうするつもりだ」
あおが首を傾げる。
「伽賀が言っておっただろう。『しかる場所にて、わしの跡継ぎとして正式に公表する』と、しかも、早急に、と申しておった」
扇丸の言葉に、あおと狐が頷く。
「伽賀家ほどの家格の者が、自分の後継者を発表するのだ。それなりの場であり、それなりの会だろう。そう、多くはない」
「さっき、室井子爵の名が出ていたが」
首を傾けるあおに、扇丸は首を横に振る。
「子爵級ではない。もっと、上だ。それに、旭が逃げ出す前に公表してしまって、枷をかけようとしているのかもしれん。だとすると、一か月以内の行事と言えば」
「御所で、
あおが眉根を寄せる。扇丸がにやりと笑った。
「だろう。あそこなら、それなりの場で、それなりの人物が集まる。他の行事とは違って、移動が自由だ。旭を引き連れ、『この度、後継として紹介させていただくのは……』と、言えそうだ。そこを押さえよう」
「御所……」
美月は茫然と呟く。
「そ、そんなところ、私は入れませんよね」
扇丸やあおは、どうやら上流階級であることはわかるが、一介の和菓子屋である美月がたやすく入れるとは思えない。
『ちょっと、知り合いがいるんで』
などという言葉が通じるはずもない。
「僕が、ちょろ、っと行って来ちゃろか?」
狐がこともなげに言うが、絶対に大事になりそうな気がして、素直に『お願い』と美月は言えない。
「なあに、その点については心配するな」
扇丸が胸を張って笑う。
不安しかない。
美月は、ちらりとあおを見た。
彼は、こめかみを押さえ、美月と同じく不安しかなさそうだった。
「旭さん……、無事かな」
つい、こぼれる。
どんな状態で彼を連れて行ったのかわからない。旭だって抵抗しただろうから、それなりの力を使ったのかもしれない。
「伽賀にとっては、今や大事な後継者なのだろう? そう手荒いこともすまい」
あおが慰めてくれる。首を縦に振ったものの、拍子に涙がこぼれた。
「大丈夫や。旭は運が強いし……。心配やったら、ぼくが仲間に連絡とって、居場所と様子を探ってやるわ」
どん、と狐が塩だらけの拳で、胸を叩いた。
「
「なんと。関西勢がこの帝都にそれほど……」
「あなどりがたしっ。関西勢!」
あおと扇丸は、妙なことにおののいているが、多分、
「だから、な。美月」
狐が顔を覗き込み、にぱりと笑った。
「旭を連れ戻そう。みんなで」
彼の側では、扇丸とあおも頷いている。
美月は涙をぼろぼろとこぼしながら、大きく頷いた。
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