第33話 紳士の訪問

「おふたり、知り合いだったんですか」

 軍人と扇丸おうぎまるを交互に見た。


 身長差はそんなにないが、対格差は歴然だ。


 着流しに、薄物の羽織を羽織っているとはいえ、扇丸はがっちりとした横幅のある体格だが、一方の軍人は、背こそあるものの、すらりと細身で、どこか刀身に似ていた。


 扇丸は軍人のようには見えないし、年齢も、同い年には見えなかった。

 どんな共通点があるのだろう、と目をまたたかせていると、扇丸が陽気に笑う。


とは、古い付き合いだ。あおのことで、おれが知らないことはない」

 親指で軍人をさすが、あお、と呼ばれた軍人の方は盛大に顔をしかめた。


「こっちこそ、だ。腐れ縁とは、こういうことを言うのだろうな」

「またまた! 照れておるのだな!」


「本心だ」

 きっぱりと言い切ってから、あおは、美月に顔を向けた。


「扇丸が菓子を買いに行くと言っていたので、早瀬はやせ殿の代わりに同行してきた。先日は、馳走になった」

 丁寧に礼をしてくれるから、美月の方が恐縮する。


「お口にあってなによりです」

「菓子もそうだが、あなたの言葉になにより、励まされた」


 優美に微笑むあおを見て、はて、なにを言ったかな、ときょとんとしていると、扇丸が、盛大なため息をついた。


「ガーデンパーティが終わった後から、まったく、こやつは、うるさくてかなわんのだ」

 扇丸が腕組みをし、にやにやと笑って見せる。


「今度いつ、睡蓮に行くのだ。早瀬殿は忙しいだろうから、わたしが同行してやろう、ってもう……」


「べ、別に、そう何度も言ったわけではないだろうっ」

 あおが、真っ赤になって抗議している。


「わたしは礼を言いたかっただけで……」

「まあ、そういうことにしておいてやってもいいが」


 にやりと笑う扇丸を睨みつけ、あおは、不思議そうな顔をしている美月にむかって咳ばらいをした。


「ああ、えー……、っと。さきほど、ここから出てきた子守奉公こもりぼうこうの娘が、風呂敷に不思議な紙をつけていたが……」


「ああ。それは、この店の広告なんです。ああやって、風呂敷につけておけば、『なんだろう』って、声をかける人も多いみたいで……。子守の子や、丁稚でっちの子たちが、うちの店の宣伝をしてくれるので、その手間賃として、串団子を1本サービスしてます」


 ほう、と扇丸が声を上げる。


「しかし、たくさんの広告が必要ではないのか? 作るのも手間であろう」

「店名とイラストしか入ってないから、ステンシルです」


「「すてんしる」」

 ふたりが声をそろえるから、美月は笑い出した。


「仲良しじゃないですか」

「当然だ」

「今のは違う。揃ってしまっただけだ」


 激しく否定するあおに、ひとしきり美月は笑うと、説明をした。


「厚紙で、文字やイラストの型を抜いて……。そのうえから、墨や絵具を、ばーっと塗るんです。で、その型をとったら……」


「なるほど、下の紙に、型抜きした文字だけ、うつる、ということか」

 ふむふむ、と腕を組む扇丸の隣で、あおが不思議そうに尋ねる。


「子守奉公や、丁稚など……。どうして、こどもにだけ、そのような広告を?」


「広告は、たんなる大義名分で……。本当は、あの子たちに、お菓子をあげたいんです。でも、なにもないのに、お菓子をあげるわけにはいかないでしょう? 子どもだって、施しをされるのは、いやなものです」

 美月は苦く笑う。


「この世界に、子どもはいるようで、いない。みんな‶小さな大人〟なんです。でも、本当は、遊ぶ権利や、学ぶ権利を持っているのに、それができない。だから、今度、あの子たちのご主人にお願いして、夜にちょっとした勉強会をしようと思って」


「勉強会?」

 あおが繰り返す。


「乳幼児のケアについて、とか。子どもに必要な栄養素、とか。そんなのを、『子守に役立ちますよ』ってのを前面に押し出して、あの子たちに学ぶ機会を作りたいな、って」


 美月とて、前世で保育の専門知識は学んだものの、それを活かす前に病で死んでしまった。


 だから、自分でも正直、机上の空論だとは思うのだが、これも子どもを連れ出すための『大義名分』だ。


「そこで、字を教えたい。簡単な計算を覚えて欲しい。それだけで、あの子たちの世界は確実に広がる。だって、あの子たち、実家に帰ろうにも、駅の案内板や表札が読めないんです。家に帰るために、どれだけのお金が必要なのか、実は計算ができない。できないからこそ、大人に騙されるんです」


 もっとお金を貯めないと帰れない。

 お前の実家の近くの駅は、この路線じゃない。


 そうやって、騙され、希望を潰され、あの子たちは日々、労働だけをさせられている。


「旭はなんと?」

 扇丸が尋ねる。美月はにっこり笑った。


「大賛成です、って。お夜食はなにがいいですかね、って。部屋も準備をしてくれるそうなので……。あとは、私があの子たちの雇い主に交渉するだけです」


 ここにいる間は、仕事のことが忘れられる。

 そんな場所を提供したい。


「おぬしは、本当に変わったおなごだなぁ」

 扇丸は言ってから、「いや」と、笑った。


「男や女など関係ないな。変わった、人間だ」

「そうですか?」

 首を傾げ、「あ、そうだ」と声を上げた。


「変わった、といえば……。私、旭さんにも変わってます、って言われたんですが」

 興味深げに自分を見る、扇丸とあおに、美月は尋ねた。


「ほうじ茶ラテって、どう思います?」

「「ほうじちゃらて」」


 やっぱり声をそろえてふたりは問うが、今度は美月は笑わない。真剣に頷いた。


「そうです。ほうじ茶ラテ。ほうじ茶に牛乳と砂糖を加えます。夏場は氷を入れて、冷たくしてお出しして……、冬はあったかいまま提供します。店内で、こう……、ほうじ茶を炒ったりしたら香りもいいし。私としては、普通なんですけど」


 前世の記憶では、ペットボトル飲料にもなっていたし、チェーン店でも生クリームだのわらび餅だのが入って提供されていたような気がする。


 だが。


「ほうじ茶に、牛乳……」

「ほうじ茶に、砂糖……」


 扇丸とあおは、最大級顔を顰めた。


「えー、なんでかなー……。飲んでみたらわかりますよ! 超おいしいから!」

 力説するが、扇丸とあおは、同時に首を横に振った。


「まずは、旭を試せ」

「彼が納得すれば、やぶさかではない」

 ふたりの返事に、むう、と美月はふくれっ面を作った。


「旭さんの舌は信じるのに、私の舌は信じてくださらないんですね」


「感性の違い、というか、だな」

 あおが、形の良い顎をつまみ、視線を幼馴染に向ける。


「なんか、味噌汁に氷を入れて、牛乳を混ぜるような違和感がある」


 扇丸が言うと、「おお、それに似ている」とあおが指を鳴らす。

 反論したいものの、美月はちょっと拒否感が分かった気がした。


 が。


(いや、お味噌汁に牛乳入れて、バター入れて塩コショウ振って、肉団子かベーコンのようなものを入れたら、これはこれでシチューになるんじゃあ……)


 料理として成り立つような気がする。

 そう思うと、料理とは、その時代時代で味付けがきっと違っているのだ。


 旭が言っていた、『師匠の味を、次につなぐこと』というのは、とても大事なことなのかもしれない。


「美月」

 そんなことを考えていたら、あおに声をかけられた。


「はい」

 ぼんやりしていた、と慌てて背を伸ばす。


「さっきのふくらすずめ、とてもかわいかった。そういえば、君の帯にもふくらすずめが入っているんだな」

 器用そうな長い指で示された。


「ええ。祖父が好きな意匠で……。ついでだから、うちのロゴ……、じゃない、お店の印にしちゃいました」


「どうやって、すてんしる をするのか見て見たいのだが……。いいか?」

 小首を傾げるあおに、扇丸も頷いた。


「うむ。見たい」

「そんな、たいしたもんじゃないですが……。いいですよ、どうぞ。居間に道具を置いていますから」

 実演してみせよう、と、美月は手招く。


 あおと扇丸は、おっかなびっくり従業員スペースに入り、のれんをくぐって厨房の方に入る。


「おお! ここで旭は菓子を……っ」

「なんか、感動するな、扇丸」


 はしゃぐ声に、美月は苦笑をして自分ものれんをくぐろうと、右手をかけたのだが。


「失礼する」

 野太い声が、店先でかかった。


「はい。いらっしゃいませ」


 客だ。

 美月は笑顔を浮かべ、振り返る。


 やはり、揺れたのれんの前には、身なりの良い紳士と、その従者と思しき眼鏡の青年が立っていた。


「和菓子屋睡蓮は、ここか」


 背丈はそこそこあるが、随分と痩せた印象のある紳士だ。

 呂の羽織にも、銀鼠色の着物にも、ぴっしりとのりが効いていて、それがこの男の几帳面さを際立たせているような気がした。


 隣にいる青年は、胡散臭そうに店内を眺め、無言で商品棚の奥にいる美月に一瞥をくれる。


「さようでございますが」

 美月は慎重に言葉を選ぶ。ひょっとしたら、設楽したら伯爵つながりの誰かだろうか。


(だとしたら……、旭さん。早く帰ってこないかな……)


 砂糖の仕入れについて、問屋と話をしてくる、と出て行ったっきりだ。

 美月でも日付の調整や、要望を聞き取ることは出来るが、菓子の内容までは決められない。


「店主は? 出してくれ」

 紳士がぶっきらぼうに言う。その隣で、青年が風呂敷を握りなおした。


「私、ですが。どのようなご用件でしょうか」

「は?」


 明らかに不機嫌そうに唸られ、かつ、睨まれる。

 ざわり、と右手全部に悪寒が走った。

 強烈な悪意というか、憎悪だった。


「たわけたことを。さっさと、店主を出せ」

「いえ、ですので。私が店主です。祖父から店を受け継ぎ、現在、経営をしています」


 美月は、どんどん冷たくなる右腕を意識しながら、別の意味で旭の帰宅を切に願った。


 彼にそばにいてほしい。

 でないと、右腕自体がこの紳士の悪意で凍りそうだ。


莫迦ばかなっ」

 怒鳴りつけようとした矢先、青年が「あ」と小さく声を漏らした。


「先の……、設楽伯爵家のガーデンパーティで話題になっておりました。女が店主をしている和菓子屋がある、と。一風変わった菓子を提供し、話題になったとか。今度、室井むろい子爵が同じような趣向で宴席を設けるので……、旦那様にもお声がかかるかもしれません、とお伝えした……」


「あの店か」

 吐き捨てるように紳士は言い、ため息をついて頭を振る。



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