第22話 メイドとギャルソン
◇◇◇◇
数日後。
「……協力、か……」
呟き、姿見に映る自分を見る。
そこには、いわゆるメイド服を着た自分がいた。
髪は下し、頭にはホワイトブリムをつけている。黒というより、濃紺のワンピース。
襟とカフスだけが白になっていて、上から白のエプロンをつけている。足は、ぞうりではなく、茶色いローファーだ。
当初。
半ばやけになって、着替えて見たのだが。
(……いや、意外に普通……)
自分が思っているより酷いことはない。
なんとなく、日本人形にメイド服を着せたような感じはするが、「とんでもなく似合わない」というわけではなかった。
(口紅のせいかなぁ)
普段はしない化粧をしてみたからかもしれない。結構しっくり来ている。
「美月さん、準備できましたか?」
こんこんこん、と三度扉がノックされる。
「はい」
返事をし、自分の荷物を壁際に押しやって、扉を開く。
目の前に立っていたのは、旭だ。
彼の姿を見て、美月は驚いた。
彼は彼で、ギャルソン姿だったのだ。
普段から背が高い、とは思っていたが、脚が長い。ギャルソンエプロンを腰に巻いてみると、そのことに気づく。
身体に沿った黒のベストが、彼の背筋や胸筋を際立たせていて、今まで意識しなかっただけに、なんだか目のやり場がない。
(これは……、かっこいい……)
もともと、顔立ちは端正なのだ。似合う、というよりもう、見ているだけで照れる。
徐々に顔が熱くなるのだが。
目の前の旭は、というと。
美月の姿を凝視したのち、いきなり、くるりと背を向けた。
「え。旭さん?」
戸惑って、その背中に声をかけると、彼は顔を手で覆って丸まっている。
「どうしよう。可愛すぎる。反則です」
「……………は?」
「ずるい……。可愛い……」
「いや、あの……」
「はああっ」
困惑を通り越して狼狽していたら、いきなり奇声を発して旭は、美月を振り返る。
「こんな格好で屋外に出して、美月さんが襲われたらどうしよう!」
「誰に!? なにに!?」
「今からでも、なにかマント的なものを借りてきます!」
ダッシュで駆けそうな旭の拳を、寸前のところで握りしめ、美月は彼を制する。
「いや、ちょっと、落ち着いてください! マントかぶったら、せっかくのコスプレ、じゃない……、衣装が意味なくないですか!?」
「危険ですから!」
「なにがっ!?」
何度かそんな押し問答を繰り返していたら、ようやく旭が落ち着いてきたらしい。
「すいません……。取り乱しました……」
項垂れ、ぼそりと詫びる。
「いえ、大丈夫です」
苦笑いで答え、ふたり、並んで廊下を歩く。
板張りの廊下だ。
来てみて初めて知ったが、設楽伯爵の屋敷は、洋館だった。
(そりゃ、カクテル・グラスだってあるよね)
きょろきょろと周囲を見回しながら、庭へと進む。遠くから聞こえてくるのは、琴の音だ。まだ、室内演奏会の最中らしい。
「もうすぐ終わるそうなので……。庭でそろそろ準備を、と、さっき執事さんが声をかけてくれました」
「ほんとだ。みんな、準備してる」
廊下に切られた窓から庭を見ると、白い大型パラソルを、いくつも使用人たちが広げて立てている。
美月たちだけではなく、西洋菓子の職人や、コックスーツの男性もいた。
だが、よく見れば、女性はいない。設楽伯爵家の使用人も、現在は『パラソルを立てる』という力仕事のせいか、男性ばかりだった。
「
女の子はいないのか、と見ていただけなのだが、旭は、野点を気にしていると勘違いしたらしい。南側だとしたら、確かにこの窓からは見えない。
「
なんとなく呟くと、旭は興味なさそうに首を少し右に傾けた。
「だとしても、うちは問題ありません」
淡々とした口調には、逆に熱い自信が潜んでいるようで、美月は彼を頼もしく思う。
「頑張っていきましょう!」
力こぶを作って見せると、旭も、からりとした笑みを浮かべて頷いた。
ふたりは、ガラスのはまった観音扉から庭に出る。
途端に、視線を感じた。
きょとん、と見返すと、職人やコックたちが、物珍し気にこちらを見ている。
当初、洋装のせいだろうか、と思ったが、違う。
美月自身が珍しいのだ。
女が、なんのためにいるのだ。
そんな不思議そうな顔つきに、美月はむっつりと口をへの字に曲げた。
「笑顔です、美月さん」
ぽん、と背を叩かれ、美月は目をまたたかせる。
「美月さんは、有能なだけじゃなく、可愛いんだ、というところも見せつけてください」
旭が顔を覗き込み、ほほ笑むから、こっちの顔が熱くなる。
「はあ……、ええ、はい」
曖昧に頷き、ついでに、ぱしぱし、と両手で頬を叩いて気合を入れる。
庭に出た直後は、高木の広げる葉が日を遮っていて肌寒いと感じるほどだったが、持ち場に移動すると、この時期としては珍しい澄んだ日が、上から差し込んでくる。
(これは……、パラソルがいる)
そう思うと同時に、参加者も日陰を求めて移動するのではないか、と思った。
きょろきょろと周囲を見回すと、横に長い会場の北側に、野点会場と、休憩場所が見えた。
野点はともかく、休憩所の椅子とテーブルがやはり少ない。参加者は、「立っての社交」を求められることになる。
「よしっ」
美月は知らずに拳を握りしめる。
きっと、旭の菓子がいい目玉になるに違いない。そう思うと、間隔を開けて隣のパラソルの下でサンドイッチを並べているコックに、余裕の笑みで挨拶ができた。
「じゃあ、準備をしましょうか」
旭に声をかけられ、「はい」と美月は返事をする。
白い布製のパラソルの下に入ると、さすがに日差しが柔らかく感じる。
丸テーブルの上には、白布がかけられ、きらめくカクテル・グラスが品よく並んでいた。
旭は
「グラスに入れてください」
指示され、美月は重箱と、竹で作ったトングを受け取った。箸よりこっちのほうが使いやすい、と竹細工職人にお願いして作ってもらった美月専用のものだ。
重箱の中に並ぶのは、旭が早朝から作った上生菓子『にじしぐれ』。
見た目は、祖父の作る『あじさい』そっくりだが、中身が違う。
甘さを極力控えたゆるい葛餅に、透明度と色彩に気を配った、さいの目状の色とりどりの寒天をまぶしてある。
シャンパンか、あるいは砂糖水の中でほぐしたとき、陽の光をいれて虹色になることから、旭が名付けた。
「そーっと……」
美月は自分自身に言い聞かせながら、カクテル・グラスに盛り付けていく。
がらり、と重い水音がするので、視線だけ向けると、旭が大きめのワインクーラーに入れていたシャンパンを氷水から引き出し、確認しているところだった。なんのラベルも貼っていないガラス瓶は、砂糖水だろう。
ワイシャツをまくり上げ、ラベルや状態を確認している顔つきは、職人そのものだ。引き締まった腕の筋肉が目に入り、なんとなく美月は視線を逸らした。
「仕上げします」
がらり、と再び音がする。確認を終えたのだろう。旭がギャルソンエプロンで手を拭い、皿と箸を持って近づいてきた。
葉の形に切った緑色の薄い羊羹を、最後に飾り付けるのだ。
「お願いします」
美月は場所を譲りながらも、崩さないように「あじさい」を盛りつけていく。
ふと、視線を感じて振り返ると、幾人かの職人や使用人が、美月を見ていた。
「手伝ってるぜ」「なんでぇ、売り子か
聞かせるつもりはないのだろう。ただ、
むか、と、いらだちが腹の奥で湧き上がるが、旭の「笑顔です」という小声の指示に、強張りながらも笑みを浮かべて会釈をしてみせた。
(……あら)
自分でも不思議だが、これが効果がある。
目が合った途端、男たちは黙ったのだ。
おまけに、人懐っこい様子でパラソルに近づいてきた。
「ねえちゃん、職人かい?」「こりゃ、なんでえ。和菓子じゃねえのか」
本当に悪びれていない。
純粋に、「女は、こんなことしない」と思っているのだろう。
「職人はわたしですが、彼女は店主です」
旭が、人懐っこい笑みを浮かべる。
「店主!」「あんた、女に雇われてんのか!」
男たちは口々に驚いた声を上げるが、旭は怯みもしない。
「彼女が経営をし、方針を打ち出します。わたしは、その中で、菓子作りを担っていますが……。それがなにか?」
「なにか、って……」
男たちは、気まずそうに顔を見合わせている。
「祖父が経営していた店を、私が受け継ぎました。よかったらまた、お越しください。ポイントカードのスタンプがたまれば、おまけしますよ」
美月が会釈をすると、ああ、と声が上がった。
「あんた、あの、かあどの店か」「うちのかかあが、良く買ってるぜ」「へえ、あんたたちかい」
そのうちのひとりが、感心したように美月を見た。
「はあ。こいつは、驚いた。女でも、仕事ができんだなあ」
美月は、にっこりと笑った。
「男でもできるんですから。女でもできますよ」
一瞬。
固い沈黙が訪れるが。
ぷ、と小さく噴き出したのは旭だ。
それを端緒に、男たちも笑い出した。
「言うねぇ、ねえちゃん!」「そりゃそうだ、お前でもできるんだからな」「ちげぇねえや!」
どっと沸いたパラソルの中に、りりりりりん、と軽やかな鈴の音が流れ込んできた。
「お客様が、屋内より参ります。おのおのがた、よろしくお願いいたします」
姿は見えないが、声は執事だ。
「おっ。こいつはいけねぇ」「準備、準備」「じゃあな、ねえちゃん。あとでまた来らあ」
男たちは、ばたばたと出て行き、それは庭中に広がった。
ざわめきと慌ただしい物音。
そこに。
淑女たちのさんざめく声や、紳士たちの低い声が混じり始めた。
「始まりましたね」
葉を飾り終えた旭は、用具を片付け、まくり上げていたシャツを伸ばし、整える。美月も、ごくりと息を呑み、意味もなくエプロンドレスの裾を引っ張って皺を伸ばしてみた。
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