第21話 あじさい

 強く、透明度の高い日差しが真上から照り付けて来た。往来の土を弾き、一瞬目の前で発光したような錯覚に襲われる。


 手でひさしを作り、しばらく目をまたたかせていると、ようやく慣れた。

 さて、と左右を見回す。


 多分、あさひは大きな通り沿いを歩いたはずだ。

 で、あるなら、こっちだろう、とあたりをつけ、美月みつきは通りを進んだ。


 途中、弁当屋や屋台の顔見知りが声をかけてくる。


「またあとで、寄らせてもらいますね」


 にっこり笑って応じたため、今日の昼ごはんが決まってしまった。まあ、商店は持ちつ持たれつ、だ。お互い商品を買ってこそ成り立つ関係もある。


「……あ」


 長松橋と呼ばれる、船着き場もある赤橋の手前で、旭の姿を見つけた。


 鴉の濡れ羽色をした学生服。すらりと伸びた長身。短く切りそろえた髪。

 間違いなく旭なのだが。


 向かい合い、話をしているのは、明らかに異国人だった。


 暑いのか、背広は脱いで腕にかけた、金髪の男性。年は、四十代ぐらいだろうか。熱心に旭に話しかけている。


 最初、見知らぬ異国人に話しかけられ、困惑しているのかと思ったのだが。

 旭は流暢な英語で応じ、かつ、なにか拒否をしている。


 言い方がきついのか、それとも異国語や異国人が見慣れないからか。

 橋を行きかう人たちは、下を向いて足早に通り過ぎている。


(え……、どゆこと。誰)


 おそるおそる近づくと、断片的に声が聞こえてくる。


『なぜ、辞めたのか』『今、どこにいるのか』『理解ができない』『みんな、心配している』


 異国人は一方的に話しかけているが、旭は表情硬く、言い返している。


 いったい、なんの話なのか、とは思うし、異国人の勢いがすごいのだが、暴力を振るおうというような素振りはみせていない。


 声をかける時機を見計らっていると、旭の方が気づいた。


「あ。美月さん」


 それまでの険しい表情を消し、いつもの穏やかな笑みで、小さく手を振る。

 異国人もそれにつられ、こちらを見た。

 青い目。金色の髪。白、というより桃色に見える肌。


「……は、はろー」


 なんとなく声をかけると、異国人は綺麗な笑顔を作り、「halo」と応じてくれた。


 これでもう、満足したろう、とばかりに旭は異国人に背を向けて美月の方に歩み寄って来た。


 もの問いたげな表情を異国人はしていたが、あきらめたのだろう。美月を見て、大げさな表情で肩を竦めると、橋を渡って別の方向に歩き去って行った。


「すいません。遅くなって……。迷惑をおかけしましたか?」

 尋ねられ、首を横に振る。


「いえ……、あの。お話は済みました?」

 異国人が去った方をちらりと見て美月は尋ねた。


「ええ。設楽したら伯爵の執事さんとは、いろいろと」

 旭も意図はわかっているであろうに、意図的に異国人のことを無視した。


(……まあ、言いたくないこともあるんだろうし……)


 そもそも、勘当の理由も、旭の実家も結局、美月は知らないのだ。

 彼が、語らないから。


 美月は、ほんの少し胸が痛んだが、きづかない振りで、旭に話しかけた。


「その……、あまねさんがさっき、店に来たんです」

「周さんが?」


 並んで歩いていたのに、旭が足を止める。


「大丈夫でした? なにかされませんでしたか?」

 肩を掴み、顔を覗き込んでくるから、美月は目を真ん丸にする。


「ええ。特に。というか、設楽伯爵の琴の演奏会の件でいらっしゃって……」


 安心させるように笑って見せると、ようやく旭は肩を掴む手を離し、ゆっくりとまた歩き出した。


芍薬庵しゃくやくあんさんは、茶菓子として『あじさい』を出すらしく……。周さんが、かぶらないようにしたらどうか、と」


「かぶらないように?」

 旭が首を傾げるから、美月は言いよどむ。


「その……。比較されても、おとしめられるのは、うちだ、と」


「随分と格下にみられたもんですね」

 はは、と旭は自嘲気味に笑った。


「旭さんの菓子は絶品です」

 美月は旭を見上げ、言い切る。


「だけど、茶道の先生方がどう判断しているのかは……。こんなに客足が戻ってこない、ってことは、よほど伯父が何か言っているんでしょう」


 旭の菓子を、けなしているに違いない。


「美月さん」

「はい」


「わたしは、『あじさい』を出そうと思っています」

 やはりか、と美月は唇を引き絞る。


「設楽伯爵家に相談にあがったのも、その件でして……」

「伯爵家に?」


 何の相談だろう。目をまたたかせると、旭は形の良い眉を下げる。


「『あじさい』を出そうと思っている、と言いましたが……。睡蓮すいれんさんが毎年店で出しているものとは、少し違います。若干、手を加えたいと思っていて」


「アレンジする、ってことですか?」

 小首を傾げると、旭は、大きく頷いた。


「そうなんです。わたしなりの工夫をそこにいれたい、というか……。今回のガーデンパーティ限定のものを出したいんです」


「いいじゃないですか! オリジナル商品! 女子は大好きですよ!」

 両掌を合わせて声を上げると、旭は、ほっとしたように笑った。


「よかった。反対されたらどうしようかと」

「ぜんぜん! むしろ大賛成です!」


 芍薬庵と同じ『あじさい』だが、中身が違えば、比較されることはない。


「どんな感じにするんですか?」

 並んで歩きながら、尋ねる。旭は少し口ごもりながら、手振り身振りを交えて話し始める。


「睡蓮さんの『あじさい』は、紫色と赤色に着色した薄羊羹を、白中割りあん玉にまぶす形なんですが……。わたしが今、考えているのは、そのあん玉を、葛粉にしようと思っています。こう、透明にして、まあるく、かなり緩めに」


 スライムみたいに、だろうか、と美月は小首を傾げて想像する。


「……ん? じゃあ、透明なまるい葛餅に、色とりどりの……。さいの目状の羊羹を飾り付ける、ってことですか?」


「そうです、そうです。それも、羊羹にするか金玉寒天にするか迷っていますが……」

 旭は熱心に首を縦に振る。


「で、皿に盛るのではなく、カクテル・グラスに入れようと思っています」

「カクテル・グラス! あの……、飲むところが逆三角形になった、足の長い?」


「そうです! ボウル部分が逆三角形になっている、ショートカクテル専用の……。さすが、美月さん。話が早い!」


 いや、前世の知識があるだけです、と言いたかったが、旭はしきりに感心してくれる。


「『あじさい』をカクテル・グラスに入れて、少しだけシャンパンを注ぎます。銀の匙を添えてお出しして、『あじさい』を崩しながら食べていただければ……」


「うわ、綺麗かも!」


 シャンパンゴールドの液体の中、色とりどりの金玉寒天が揺れる。


 しかも屋外だ。

 陽の光も入り、見た目が華やかなのは間違いない。


「もちろん、お酒が苦手な方には、砂糖水を代用します。なので、『あじさい』は、通常よりも甘さを控えめにし、逆に色あいに力を入れようかと」


「いいんじゃないですか!?」


「伯爵の執事にお尋ねしたら、こちらの希望数分、カクテル・グラスを用意することはできるそうで……。銀匙もお借りします」


「よかったですねぇ! これは、見栄えすると思いますよ。新しいものに抵抗ある人に対しては、そのまま『あじさい』」をお出しすればいいんだし……っ」


 興奮する美月に対し、旭は、「ただ」と、しょぼん、と肩を落とした。


「女性には受けるかもしれませんが……、これ、男性はどうでしょうか」

「いいんですよ、男性はガン無視で」


 はっきりと言い切ると、旭は愕然とする。


「い、いいんですか?」

「かまいません。いや、そもそもね、旭さん」


 いつの間にかふたりは立ち止まり、向かい合って話をしている。

 美月は腰に両手を当て、旭を見上げた。


「設楽伯爵が、ガーデンパーティ用に用意した軽食、聞きました?」


「ええ。サンドウィッチや、スコーン、マフィンなどでしょう?」


「外国人は、どうだか知りませんが……。参加者は奥ゆかしい国内女性ですよ? 戸外で大口開けてサンドウィッチとか食べます? スコーンだって、あれですよ。割って、バター縫って、一口サイズにして、って……。それ、どこでするんですか。椅子やテーブルがあっても、人数分あるわけじゃないでしょ? 絶対、男が座る。で、政治の話とか商談とかするんですよ。そしたら、立ったまま、かじりつく、とか、できます? この時代の女性」


 柏餅を食べる時、狐が『姉御』と呼んでいた振袖の女性も、奥ゆかしく口元を扇で隠していた。


 屋内の、よく見知った家族の間では、かぶりつく、ということはするだろうが、果たして、屋外で、良く知らない、しかも上流階級の女性が、マフィンやスコーンを食べることは可能だろうか。


「……どうでしょう。難しいですか?」

 旭は困惑顔だ。


「と、思いますよ。だとしたら、あれ、男性用の食べ物なんですよ」

 憤然と言い切ると、旭も察したらしい。


「ああ、だから……、女性に特化した菓子でも問題ない、ってことですか」


「男は、サンドウィッチを食べてればいいんです」

 ぶん、と首を縦に振る。


「だから、おもいっきり、女性受けに振った商品で問題ないです。むしろ、スプーンで、こう……、ちょっとずつ、崩しながら食べるって、いいんじゃないですか? 私は、がーっとお酒ごと飲んじゃいそうですけど」


 悪戯っぽく笑うと、旭は声をたてて笑った。


「それでね、美月さん」

 旭は、笑みの余韻を口元に残したまま、腰を折って美月に顔を近づけて来る。


「はい?」

「美月さんにも、協力してほしいです」


「……私が、ですか?」

 おずおずと尋ねると、旭は綺麗な笑みを浮かべたまま、「はい」と頷いた。

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