第20話 周の提案

◇◇◇◇


 睡蓮すいれんに、設楽したら伯爵からの予約が入って一週間後。


 店番をしていた美月は、右手を握ったり開いたりしていた。

 もう、ちくちくした感じも、ぴりりと凍り付く感じもない。


(狐の言う通り。長引かなかったなぁ)


 よかった、と、ほ、と息をついた時、からり、と下駄の鳴る音に顔を上げた。


「いらっしゃいませ」


 反射的に営業スマイルを作ったものの、入店してきたのが従兄弟のあまねだとわかり、表情を消して、むっつりとした顔を作った。


「客には変わりないだろう?」

 周は小さく噴き出し、不服そうな美月に小首を傾げる。


 羽振りがいいのか、小金が入ったのか。

 祖父の葬式の時とは、随分と印象が違う。


 羽織も着物も、上等なもので、かむろのように切り揃えた髪は、芸事げいごと生業なりわいとするもののようで、和菓子職人には見えない。


(実際、和菓子なんて作らないんだろうけど)

 美月は内心で肩を竦めながら、ぶっきらぼうな声を投げつけた。


「何か御用ですか? 冷やかしなら、お帰り下さい」

「だから、客だって。その豆大福。5つ」


 商品棚を指さし、周は袂から財布を取り出す。

 美月は相変わらず、むっつりとした顔のまましゃがみ込み、商品棚を裏から開けて、豆大福の載った盆を引き出した。


「あ。カードとかいうやつは、いらないから」

 とりわけ用の箸で経木箱に詰めていくと、つまらなそうな顔でそんなことを言われた。


「リピーターになるやつ以外にはあげるつもりないし」


 吐き捨てたが、多分、リピーターの意味がわからなかったらしい。きょとん、とした顔を一瞬見せたが、周はまた、商品棚に視線を向ける。


「今度のさ、設楽伯爵の……、ほら、琴の演奏会の時。そっちは、なに出すの」

 どうやら上生菓子を見ているらしい。今日は、『若葉』だ。


「なにって……。なんでそんなこと言わなきゃいけないわけ」


「ばかだなぁ」

 はっきり言われて、愕然とする。


「あ、……、あんたに言われたくないわよっ」

 がうがう、と吠えたてると、犬でも払うように手を振られた。


かぶると、そっちがまずいんじゃない?」

 言われて、口を閉じる。


「被る」


 繰り返してから、気づく。

 そうだ。

 芍薬庵しゃくやくあんも茶菓子を用意するのだ。


「そっち、上生菓子を指定されてるんでしょう? 絶対、被るだろうなぁ、って思ってさ。ほら、うちも今、同じの出してるし」

 指さしているのは、『落とし文』だ。


「あ……、味や丁寧さが違うからいいのよっ」 

 苦し紛れに言い放つが、周は肩を竦めただけだ。


「そんなの、素人がわかるわけないじゃない。どっちかが本物で、どっちかが偽物か、なんて。それなのに、勝手に決めつけるんだよねぇ。で、好き勝手言うんだって。そうなったらさ」

 ちらり、と三白眼の目で美月に視線を放る。


「そっちが負けるに決まってる」


 はっきりと言い切られ、美月は息を呑む。だが、ここで引き下がれば。黙っていれば、それを認めることになるし、実際にそうなりそうで嫌だった。


「なんでそんなこと……っ」

 考えなしに口走った言葉に、周が冷ややかに笑った。


「美月がさ。あの手この手で、集客しているのは知ってるよ? 実際、町民とか、下働きの娘とかが、この店の売り上げを支えてる。あ。あの美形の菓子職人目当ての女たちも多いね。まさか、職人目当てに通うなんて、想像もしてなかったけど。だけどさ」


 周は、相変わらず感情の乏しい顔を美月に向けた。


「今度の演奏会は、上流階級ばかりだ。そこでは、うちが強い。みんな、『睡蓮の菓子は、落ちた』と思いこんでいる」


 「春の娘」のことだろう。美月は下唇を噛んで黙り込む。


「早く包んで。代金、これね」


 周は淡々と告げると、着物の合わせから風呂敷を取り出した。ついでに、財布から代金を抜きだし、天板の上に置く。美月は、奥歯を食いしばりながら、経木箱に豆大福を詰め、それを風呂敷に包んで周に押し付けた。


「親父殿はね、『あじさい』を出すって」

 受け取り際に周はそう言った。


「え?」

「『あじさい』。この時期、おじいちゃんの鉄板」


 指摘されずとも、知っている。

 色とりどりの薄い羊羹を白中割りあん玉に鹿子状につけ、あじさいに見立てるのだ。


「六月の上生菓子ならさ、他にもあるじゃん。『風待月かぜまちづき』とか」


 同じく、この時期に出す上生菓子だ。『さみだれ』のことで、祖父が『風待月』と名付けたものだ。


「お互いさ、無益なことはやめよう。まだ、この店、なんとか頑張ってるみたいだし」

 周は言うなり、背を向けた。


「え……、ちょ……、なんで」

 なんで、助け舟を出してくれるのか。


「なんで、いろんな情報を教えてくれるの」

 背中に言葉をぶつけると、周は首だけひねって振り返る。


「美月もぼくと一緒だと思ってたのに、違うみたいだからさ」

「一緒ってなに」


「和菓子屋が嫌いなんだって思ってた。だから、そこから引き出してやろうと思ったんだ」


 ずきり、と。

 その一言が心をえぐるのは。


 前世の記憶だ。

 黒煙のように。


 鎌首をもたげる蛇のように、父の記憶がよみがえる。


 家族には迷惑そうな顔をするのに、菓子だけは、爛々と見つめる瞳。自分の意に添わせようと、憤怒の形相で拳を振り上げる姿。


「昔は……、嫌いだった」

 振り絞るように言う。


 そう。

 大嫌いだった。


 家族を。

 いや、子どもを嫌うくせに。邪魔に思うくせに。


 自分の思い通りにはさせようとする、あの理不尽。


 父にとって子どもとは、意志などない方が好都合だ、ぐらいに思っていたに違いない。


 だから。

 父の好きなものが、大嫌いだった。


「でも、今は違う。おじいちゃんの味を……、形を。生きていた証を残したい」


 現世で美月を育ててくれた祖父は違った。

 自分の大好きなものを、美月にも好きになってもらおうと、いつも楽しませてくれた。


 祖父が作る菓子は、父が作るような洗練されたものではなかった。

 だが、人に愛され、笑顔にする優しさがあった。


 逆に、父の菓子に美月が惹かれないのは、「見栄え」だけだったからだ、と今ならわかる。


 客も、写真映えする父の菓子が好きなだけだ。

 味や、背景、その名の意味さえきっと考えもしなかったに違いない。


「ふうん」


 周は歌うように応じた後、のれんをくぐる。

 その背が、なぜだか寂しそうに美月には見えた。


「ま。とりあえず、あとは、あの自称じいちゃんの弟子と相談してよ。じゃ」

 ふわり、とのれんが揺れて、また元通りになる間に、周の姿は見えなくなった。


「あじさい、か……」

 美月は、店舗側に回り、商品棚を見やる。


 ガラス板の向こうに並ぶ商品。

 そこには、朝生菓子があと少しと、上生菓子である「落とし文」が残っているだけだ。


 六月の上生菓子である「あじさい」は、まだ登場していなかった。


(たぶん、旭さんは、「あじさい」にしようとしている)


 はっきりと、「これを作ります」とは言われていないが、そうだという確信がある。


 紫色と、赤色の二色の衣をまとう「あじさい」。


 見た目がとにかく華やかだ。

 祖父と感性が似ている旭なら、「風待月」ではなく、「あじさい」を選ぶだろう。


「まだ……、帰ってこないな……」

 ちらりと、白漆喰の壁を見る。振り子時計は、十一時を指していた。


『設楽伯爵のところに、相談に行ってまいります』


 店番をしている美月に旭が声をかけたのが、九時だった。

 午前の準備を終え、前掛けを外した彼は、珍しく学生服姿だ。一応正装を、と思ったのかもしれない。


『なんでしたら、人力車を使ってくださいね』


 早足で向かったとしても、結構な時間がかかるのではないか、と美月は案じたが、旭はにっこり笑っただけでなにも応じず、店を出て行った。


(そろそろ、帰ってくるころだろうけど……)


 気が急いた。

 この時間帯なら、客もそう来ないだろう。次に増えるのは、三時前だ。


(ちょっと、迎えに行こうかな)

 のれんをくぐり、大通りに出る。


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