第11話 うららか
「なんや。どんな出来栄えかと不安やったけど。それ、ええで。ただ、『春の娘』とは、別もんやから、
狐は顎を摘まみ、目を細めて上生菓子を見つめている。
「『うららか』にせよ」
その隣で、
「うちの庭の椿を思い出す。あの、ひだまりのなか、
「良き名でございます、扇丸様」
「
「……はい」
「その、『うららか』。お出ししてもよろしいですか?」
祖父が大好きなふくら雀に似た菓子に、そっと手を伸ばす。
「……はい。お願いします」
旭は菓子盆を美月に差し出した。心なしか微かに震えている。ちらりと彼を見ると、目が涙で潤んでいた。
「美月さん、ここが空いてますから、ここに」
ぐすり、と鼻を鳴らして旭は経木箱を取り、入れやすいように腰を屈める。美月は取り箸で上生菓子をつまみ、そっと入れた。
草餅や桜餅の中で。
その上生菓子は、本当に、春のひだまりのように、うららかな色を放っている。
「相済みませんが、この風呂敷に」
早瀬が商品棚越しに風呂敷を差し出してくるので、美月は受け取り、経木箱に蓋をして手早く包んで差し出した。ついでに料金の支払いも早瀬との間でやり取りを行う。
「その方ら、夫婦か?」
不意に扇丸が尋ねる。
きょとんと動きを止めてから、なんとなく旭と視線を交わした。
はい、と。
そう言えばいいだけなのに。
なんだか、顔が熱くなる。
それは旭もそうらしい。首のあたりを朱に染めると、いち早く視線を逸らし、扇丸に向き合った。
「は、……い。その。この店は、彼女の祖父が経営をしておりましたが、先日亡くなりまして……。まだ彼女の祖父の喪が明けていませんから、あれですが……」
「なるほど。女では店が経営できぬからな。しっかり励め」
うむうむ、と頷き、旭に話しかける扇丸に、ふと、美月は尋ねた。
「どうして、女では経営できないとお思いなんですか?」
「当然ではないか。女性に、そのようなことは務まらぬ」
意外だ、とばかりに扇丸は目を丸くする。
「おなごというものは、かよわい。ひとりでは生きていけぬものだ」
扇丸は真面目な顔で答えた。
「だからこそ、男や社会が守ってやらねばならぬ。おなごも、自分を支え、導いてくれる男性に自らの運命をゆだねる方が生きやすいだろう」
「……は?」
おもわず眉根が寄る。だが、扇丸は気を悪くした風ではなかった。
「弱く、頼りないからこそ、おなごは、小さなころは父親が庇護し、成長しては夫に支えられ、老いては息子に守られる。そうだろう、早瀬」
早瀬も、しっかりと頷いた。
「ひとりでは生活できぬゆえ、頼もしく、そして将来性のある男性と所帯を持つのです。これこそ、女の本懐」
「いえ、ひとりで生活できないのは、女性に相続権がないからです」
美月はきっぱりと言い放った。
「私は、この祖父の店を継ぎたかった。祖父の菓子を、もっともっと、みんなに知ってもらいたかった。だけど、女の私には、相続権がないんです。それと一緒なんじゃないんですか?」
「それと一緒、とは?」
扇丸がきょとんとする。
「生活するためのお金が安定しないから、男性に付属するしかないんです、女性は。未成年のときは、父親の顔色を窺って食べさせてもらい、成人してからは、結婚した男を頼って生活させてもらい、子どもはなるべく息子を生んで、自分の老後を安定させる。そうじゃないと、生きられないんですよ」
美月は奥歯を噛み締める。
前世のことを思い出した。
自分の意に添わなければ、学費も生活費も断ち切った父親。
『無力だと思い知れ』とばかりのあの表情。
もともとフェアではない条件で戦っているというのに、自分の方が有能だと言いたげなあの顔。
結局自分は、生活に追われ、身体を壊して死んでしまった。
「いや、しかし……。すべてのおなごは、金銭的にも体力的にも自分を守ってくれる男が好きなのではないか? なにも考えずとも、適切な方向性を示してくれる男性が。頼りがいのある男性が好きなおなごは多いのだろう?」
扇丸が、静かに尋ねる。美月は小首を傾げた。
「さあ……。すべてかどうかはわかりません。少なくとも、私は相続権が欲しかった。男性のように。そしたら、結婚なんて考えなかったかもしれません」
そうか、と扇丸は呟き、旭を見やる。
「お主は、どう思う?」
「わたしの母も、お金には苦労しました」
旭は薄く笑った。
「その母は、常々家族に言われていたそうです。お前が男なら、と」
旭は目を細める。
「母は、自分が男なら、と
「そう思いますよ。なんかね、女性は選択肢が少ないんです。男とおんなじ権利を持たせたら、男がこの社会から駆逐されちゃうからですかね」
勢いよく美月が頷いた。
扇丸は快活に笑う。
「おぬし、良い嫁をもらったな。男に並び立ち、発言するおなごなど、そうはおらぬ。そなた、菓子作りの腕だけでなく、審美眼もよい。よいおなごを選んだ」
扇丸は満足げに頷くと、くるりと踵を返した。
「また来る。早瀬、次に行くぞ」
「かしこまりました。それでは、各々がた、失礼仕る」
さっさと退店する扇丸とは違い、早瀬は丁寧に礼をしたのち、風呂敷包みを持って出て行った。
「旭さん」
「はい」
美月は彼を見上げて、にっこりと笑った。
「明日から、『うららか』をよろしくお願いします」
旭は美月の顔をみつめ、それからゆっくりと頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
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