第10話 春の娘
「では、そこなる娘子。いくつか菓子を所望したい」
威風堂々と告げられる。その隣では、
「どのような菓子をご希望ですか?」
商品棚にいざないながら尋ねた。
「うむ。して、そちはどのようなものを買ったのだ?」
いきなり話を振られ、狐は見えない尻尾を、ぼふっ、と太くした。
「ぼ、僕? いや、まだ買うてへんねんけどな」
「なんと。その言葉遣い。貴殿、関西の出か」
「せやねん。自分は?」
「生まれも育ちもこの地である。そうか。いつか行ってみたいものだ。関西でも菓子とはかようなものか?」
「桜餅は違うなあ」
ほりほりと、頬を掻く狐に、
「そうなの?」
「そやで。こないな薄皮であんこをくるんだようなもんと違う」
苦笑いで狐は商品棚を指さした。
ガラス越しに見えるのは、桜色の薄皮であんこをくるみ、外側を桜葉の塩漬けで巻いたものだ。
「関西ではいかようなものか」
「
なんだか想像がつかない、と扇丸と顔を見合わせる。
「もっちりしててうまいねんけど、桜の葉は、喰うんか喰わへんのか論争はいつもおこるな」
まじめな顔で言う狐に、美月は噴き出した。
「それはこっちもそうよ」
「なんと!」
驚いたのは扇丸だ。
「差し出されたものは、いかようなものでもすべて口にすると、貴殿らは教えられておらぬのか!?」
「そんなん言うたら、あんた、柏餅の葉はどないすんねん」
「柏餅とは? どのようなものだ、早瀬っ」
振り返り、鋭く尋ねると、早瀬が、したたたっ、と近づく。小声で耳打ちをし、ふむふむと扇丸は頷いたのちに、残念そうに口をへの字に曲げた。
「なんと……。季節に応じて出す菓子なのだな……。無念。また、来る」
「お待ちしております」
美月は笑いながら頭を下げる。狐はその隣で、商品棚を指さした。
「時期的には、草餅がええで。いまのよもぎはうまいし」
「ほほう。ならば娘子。その草餅をみっつ」
「扇丸様。そんなにひとりで召し上がられては……」
早瀬が困惑するが、扇丸は鷹揚に笑った。
「ひとりで喰うのではない。あおと、早瀬、おぬしの分もだ」
言われて、早瀬は腰を屈め「なんと、わたくしにまで」と、涙ぐんでいる。
「羊羹もな、ここのうまいで」
「ほほう。……おや、赤い……?」
商品棚の硝子に額をつけんばかりに見ている扇丸が首を傾げている。
「そちらは柿羊羹になります。干し柿をつかっておりまして」
美月は商品棚の裏に回り、棚を開けた。
菓子盆ごと、草餅や羊羹を取り出す。
羊羹は、黒と赤の二色だ。
黒はこし餡を使っており、まざりものなど何も見えないが、赤は緋色の粒粒が透けて見える。
「干し柿の糖度は砂糖の1.5倍ほどになると言われています」
美月の説明に、扇丸は目を丸くした。
「ほう! 砂糖より甘いものが」
「その糖度を利用して、こちらの羊羹は作っておりまして……」
「これ、三竿」
決断が速い。美月は笑いながら、「かしこまりました」と頭を下げた。
「桜餅も3つ。それから、その
次々と扇丸は指示をするが、美月は慌てた。
「あの……。このあと、宝永堂さんにうかがわれるんですよね? うちはもう……、その、大丈夫ですが」
「かまわん。なんか気になる。うまいものは、一期一会だ。のう、早瀬」
「さようでございます」
恭しく頭を下げる早瀬を満足げに見、扇丸は胸を張った。
「ということだ。包んでくれ」
堂々と言い放つと、早瀬が懐から財布を取り出す。美月は慌てて経木箱を棚から取り出し、商品を詰めていく。
「あ……。お客様ですか。手伝います」
のれんをくぐり、旭が奥から出て来たらしい。
菓子盆を商品棚の天板に置き、美月から経木箱を取り上げた。「ありがとうございます」。美月は口早に旭に礼を言い、腰を伸ばした。
「あと、あの……。ポイントカードがあるんですが」
「ぽいんとかあど、とな?」
扇丸が珍妙な顔をした。
「その紙のことです」
扇丸が
「一定の金額ごとに、この紙に判子を押していくんです。で、このマス目がいっぱいになったら、お好きな和菓子ひとつと無料交換するんですが」
断られるだろうか、と、こわごわ説明すると、扇丸は嬉しそうに、持っていたカードを突き出した。
「押してくれ」
「じゃあ、これ、しわくちゃなので……。新しいものと交換……」
「いや、この紙が縁となったのだ。これに押すがいい」
前掛けのポケットから新しいカードを取り出そうとした美月に、扇丸は堂々と自分のカードを押し出した。
「……じゃあ、こちらに」
なんだか嬉しくて涙が出そうだ。
美月はごまかすように笑うと、旭が詰め終わった経木箱に視線を走らせ、ぺたぺたと芋版を押していく。
「おお。獣の足跡か」
「肉球スタンプなんやって」
「スタンプ、とな」
狐との会話を笑いながら聞いていたが、ふと気づくと、マス目がすべて埋まってしまった。
「なんと! 初回から無料交換ではないか!」
「さすがでございます、扇丸様」
主従が喜んでいる。なにが流石なんだかよくわからないが、無邪気なその様子に、美月も嬉しくなる。
「どの菓子がいいですか。一緒にお付けしましょう」
美月が問う。ちょうど、旭が詰め終わった経木箱をそっと天板に置いたところだった。
「では、その愛らしい菓子を」
指さした扇丸に、旭がぎょっとしたように立ち尽くした。
「いえ、これは売り物では……」
咄嗟に菓子盆を取り上げ、背後に隠そうとするが、いち早く美月が腕をとめた。
「愛らしい、ですか?」
敢えて、扇丸に問う。
そう。
美月もそう思ったのだ。
これは確かに「春の娘」ではない。
だが、失敗作にも思えないのだ。
扇丸は目を丸くしたが、唇を弓なりにして頷いた。
「ふくよかで愛らしい。その方の……、ふくら雀のようではないか」
扇丸が指さしたのは、美月の帯だ。
そこに描かれているのは、ふくら雀の柄。
祖父が愛して、大事にしていた柄。
美月は菓子盆に乗った椿の菓子を見た。
確かに。
祖父の作る「春の娘」には、気品と凛とした美しさがあった。
フォルム自体も、上になるにつれ、ほっそりとしていて、立ち上がるようなイメージがあった。
対して旭の作った「春の娘」は、底部がどっしりとしていて、横に広がっている。
花弁はつぼみ、というよりも、大輪に開いた感があった。
(どうしても、おじいちゃんの作る「春の娘」の印象があるから……)
そちらに引っ張られるが、この菓子を初めて見た客は、確かに『愛らしい』と評するのではないか。
「悪ぅないやないか」
狐が愉快そうに笑った。
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