第9話 扇丸

「……という、ことがあってね」

 美月みつきは、腕を捕らえたまま、小声で狐に事の次第を語る。


「おまえのポイントカードなんかどうでもええわい! その話の方が重大やないか!」

 途端に狐が目を剥いた。


「私のポイントカードだって重大よっ。ぽい、よ。ぽいっ。くしゃくしゃ、ぽいっ」

「ほんなもん、も一回作らんかいっ。だけど、信用はそう簡単に作られへんのやぞっ」


「手書きがどんだけ大変か知らないからそんなこと言うのよっ。私とあさひさんの悩みは同類よっ」

「同類かいっ! あっちの方が深刻度が高いわいっ」


 言ってから、はた、と狐は口を閉じる。

 美月も慌てて商品棚の方を見た。


「…………………………すいません」

 まるで地底の奥底から聞こえるような低い声で旭は謝り、頭を抱えている。


「謝ることないですよ、旭さんっ!」

「そ、そそそそそ、そうやで! 多少見た目がぶさいくでもやな、味が……、なあ?」


「う、うん。ね。そうよ。ほら。まだ、食べてないもの、誰も!」

「食べるまでもない、って目つきでしたよね……、あの人たち……」


 呻くように言われ、ぐうの音も出ない。

 確かにそうだ。

 味がよくとも。

 和菓子は、見た目が重要だ。


「だけど、私は悪くないと思う。あの菓子」

 美月が断言するが、旭はぴくりとも動かない。


「とりあえず、その上生菓子、見せてん。どんなんやねん」

 狐が立ち上がり、商品棚まで移動する。


 ガラス越しに眺めているが、そこにあるのは、もう残りの少なくなった草餅と桜餅、羊羹と薯蕷饅頭しかない。


「いやです」

 うう、と旭がうなる。まるで不機嫌な犬だ。


「見る人が違ったら、また反応が違うかもしれませんよ」


 美月も立ち上がり、商品棚を挟んで旭に声をかける。

 相変わらず彼は天板に突っ伏し、顔を上げようともしない。


「そうやで。それに、いろんな人に見てもらわんことには、どこを直したらええんか、わからんやないか」


 狐は、剣道の蹲踞そんきょのような形で座ったまま、旭に言う。


「お前、昨日、芍薬庵しゃくやくあんのバカボンに、『この店は潰さん』って、啖呵たんか切ったんちゃあうんかい。客、持ってかれたままで終われへんやろ」


 きつい物言いに美月はハラハラしたが、意外にも、旭はむっくりと顔を起こした。


(……見た目と違って、負けず嫌いなのかな)


 優しく励ますより、狐のように突き飛ばす方が、彼にはいいのだろうか。

 あるいは、ぐずぐずしているのに飽いたのかもしれない。


「……持ってきます」

 肩を落としたままではあるが、ふたりに背を向け、のれんをくぐって奥に引っ込んでいく。


「朝生菓子を喰ったやつの意見はどうやねん」

 狐が立ち上がり、袴の膝あたりを払いながら美月に小声で尋ねる。


「わかんない。ここで食べて帰った人はいないもの」


 美月はぐるり、と店内を見回す。

 客待ちのスペースはあるが、イートインスペースはない。商品はみんな、持ち帰りだ。


「だけど、狐も食べたでしょう? 旭さんの作る菓子は、おじいちゃんと同じ味がする」

 で、あるならば一時的に客が逃げたとしても、戻ってくるはずだ。


「せやけど……。あいつ、大丈夫かいな」

 狐が親指を立てて、のれんを指さす。


「……大丈夫、な、はず」


 言いながらも、さっきの、自信消失どころか、壊滅状態の旭を見ていると、心が揺れる。


 祖父に菓子作りを教わった、とは言っていたが、実際に誰かに商品を提供し、カネをもらっていたわけではない。


 つい数日前までは、身分の良い家のご子息で、学生だったのだ。


 感想は、なにもいいことばかりではない。

 当然、低評価を受けることもある。

 狐も美月も、『おいしい』とほめたし、本人もそれなりに自信があったに違いない。


 だが。

 自分の作るものを、否定し、拒まれる辛さは、想像以上だったことだろう。


「やあ、失礼する」


 気づけば俯いて前掛けをきつく握りしめていた美月は、場違いに陽気な声に、振り返る。


「いらっしゃいませ」

 反射的にそう言ってしまうのは、生まれた時から商売屋で育った証のようなものだ。


「この紙に、『菓子のご相談はいつでも』と、書いてあった」


 入り口ののれんをくぐって入ってきたのは、着流しに、羽織姿の青年だ。

 くっきりとした目鼻立ちと、すっと通った鼻筋。少し厚めの唇に愛嬌がある、二十歳を少し過ぎたような、がっしりとした男だった。


「あ……、はい」

 彼が美月に掲げて見せたのは、ポイントカードだ。


 しわくちゃで、ところどころ埃がついて汚れているのを見ると、また気が沈む。多分、外で捨てられたのだ。


宝永堂ほうえいどうとは、どのように行けばいいのだ?」

 胸を張って尋ねられ、美月は、ぽかんと口を開く。


「ほ、宝永堂、さんですか」

「ああ。道に迷ったのだ」


 大きく頷く青年に、美月はようやく合点がいった。


 菓子のご相談はいつでも。


 あれは、大口の個数やお届けなどに応じますよ、というつもりで書いたのだが。

 この青年は、『お菓子のことなら、なんでも相談してください』という意味にとったのだろう。


「……普通、他店のことを聞くか?」

 狐までが呆気にとられたが、美月はなんだか可笑おかしくなってきた。


「宝永堂さんですか。えっとですね……」


 説明をしてあげよう、と青年を連れて外に出ようとしたのだが、勢い込んで飛び込んできた初老の男性のせいで足を止める。


扇丸おうぎまる様っ! ですから、そのようなことを聞くにしても、まずは菓子をいくつか購入し、そのうえでご相談なさらねば失礼ですっ」

 ぶつからんほどの勢いで青年に取り付き、初老の男は口早に言う。


「なんと。そういうことは早く言わぬか、早瀬はやせ

 扇丸と呼ばれた青年は新鮮な驚きを隠さない。


(扇丸、って幼名よね……)


 美月はまじまじと青年を見上げる。


 旭ほどではないが、彼も背が高い。着ている上着を見れば、絹だ。なるほど、これは格式高いおうちの跡取り息子かなにかなのだろう。


(お供を連れて、初めてのお使い、ってところかしら)

 そう思えば、とんちんかんなやり取りもほほえましく思える。


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