第8話 旭の菓子
◇◇◇◇
「えー、どないしたん、自分ら」
その後、狐が
午前中にピークだった客足は引き、店舗の中には、
土間敷きの店内は若干冷えており、陽気が上がってきた屋外よりは幾分過ごしやすい。
開けたままの正面扉からは、往来のにぎやかな声が聞こえ、かすかに吹く風がのれんを揺らしていた。
数時間前までは、ガラスに囲われた商品棚を覗き込む客や、商品受け渡しを待つ間、会話を楽しむ人たちでにぎわっていたのだが。
今、美月は客用の
「ねー、き……、じゃない、信田」
「呼び捨てかい」
狐が
「ポイントカードって、いい案だったと思わない!?」
がっしりと狐の腕を掴み、ぶんぶんと揺さぶる。
「なんやねん。どないしてん」
琥珀色の瞳が驚いて真ん丸になっている。
「女の人には受けたのよ、これ」
一番に来た客は、常連でもある飾り職人の奥さんだった。
『えー! マス目がいっぱいになったら、一個おまけしてくれるの!? しかも、この判子かわいい!』
きゃっきゃと喜んで帰って行ったし、大店の奉公人の少女は、背中にくくりつけた赤ん坊をあやしながら、はにかんだ笑みを浮かべた。
『奥様にもお知らせします。ひょっとしたら、おまけ、私に、もらえるかも……』
なるほど、彼女のような
おまけに、合理的に彼女たちの口に甘いものが入るのなら、一石二鳥だ。
そんな風に考えていたのだが。
『そんなもんはいらん』
男には、大不評だった。
得意先に行くために立ち寄ったらしい事業主や、力仕事を主とする男たちは、顔をしかめて首を横に振り、中には商品を受け取るや否や、ポイントカードを無言で店内に捨てていく男もいた。
今までも、こういった不愛想というか、ほとんど話さず、商品のやり取りだけで店を出る男性と言うのもそれなりにいた。
接客していて嫌な気持ちになるものの、お客様だ。
それに、商品を受け取れば、何も言わずに出て行く。繰り返し来てくれる、ということはうちの菓子が好きなのだろう。そんな風に思うだけで済んでいたのだが。
ポイントカードの説明をするために、会話をし、コミュニケーションをとる必要性が出て来た。
途端に、煩わしい顔をされ、話しかけても無視をされ、挙句の果てには目の前でカードを捨てられる。
これが地味に心に堪えた。
「……あれやろ。なんか、かっこ悪いとか思てんと違うか?」
狐は美月からポイントカードを摘まみ上げると、苦笑いした。
昨晩、ほぼ徹夜で作り上げた手のひらサイズのカードだ。
男性客が、くしゃり、と潰して店の外で捨てたものを拾い、皺を伸ばしたのだ。
財布に入る大きさがいいだろう、といろいろ思案し、マス目もひとつひとつ定規で測って丁寧に描いた。可愛さを足してみよう、と睡蓮のイラストを入れ、カードの裏側には店名と今月の朝生菓子を文字で記してみた。上生菓子が出来れば、それも入れてみるつもりだ。
ついでに、『菓子のご相談はいつでもどうぞ』と記している。茶道の先生や、大口の相談にも乗るつもりだった。
判子は急ごしらえなので、芋版を使用したが、それでも愛らしい‶狐の肉球型〟だ。
「かっこ悪いって、なによ」
口を尖らせてむくれる。
「ちまちま判子溜めて、ひとつ菓子をもらう、ってのがなんかこう、男らしゅうないと思うんやろ。付加価値が嬉しいと思うか、めんどくさいと思うかの違いちゃうか。なあ、旭」
狐が呼びかけると、商品ケースの天板に突っ伏したまま、旭はうめき声にも似た返事を返した。
「ええ、そうですね。そんな風に見えました。そんな感じだとおもいます」
「ってか、あいつはなんやねん。なんであんなに、へどろみたいになってん。昨日は、小ざっぱりした好青年やったやんけ」
狐が驚いている。
「……、うん、まあ……」
美月は言葉を濁すが。
実は、旭の方がダメージが大きいのでは、と心配している。
というのも。
あちらは、菓子自体の価値について判断されたからだ。
『あら。羊羹もあるのね。嬉しいわ』
朝生菓子以外のものを購入したのは、
使用人がほぼ女性、ということで、甘いものの需要が高い。
いつも使用人用と客用を分けて大量購入してくれる、茶道の先生方とはまた違った、ありがたい
『美月ちゃん。じゃあ、その羊羹を五竿と……、ねえ、上生菓子はあるの? お客様にお出ししたいのよね』
結構な数の草餅を経木箱に詰めていた美月は、一瞬手を留めてのれんの奥を見る。
今、朝生菓子が一区切りついたため、旭は上生菓子を作ってる最中だった。
(……どうしよう。見せた方が、いいのかな)
ただ、個数が確実にいることは分かり切っている。この女将はいつも大量買いしていくのだ。
仕上がりを見たわけでもなければ、いったい、旭がひとりでどれぐらい作れるのか、美月には判断ができない。うかつなことは言えない。
『あら、なに。あるんじゃない。ねえ、今度の菓子職人はどんな感じ?』
美月の視線に気づき、女将は値踏みしようとばかりに目を細めた。
新しく来た菓子職人。
どんなものを作るのか興味津々、といったところだろう。
『……その、まだ田舎から出て来たばかりで……』
これは見せるのは満を持してだ、と即座に判断をしたのだが、間が悪く、旭がのれんをくぐり、菓子盆を持って表に出てきてしまった。
『美月さん、これ、どうでしょうか』
おそるおそると言った風情で出て来た旭は、そこでようやく女将の存在に気づいたらしい。足を止め、強張って背を伸ばす。
『……ふうん、美月ちゃん。あ、今日はこれでいいわ。そのかあど、ってやつもいらないから』
女将は旭の持つ菓子盆に一瞥をくれると、代金を美月に手渡した。その後、商品を包んだ風呂敷を持ち上げ、さっさと店を出て行ってしまう。
『み……、美月さん……』
震える声で旭が名を呼ぶ。
我に返って、旭を見た。
蒼白だ。
あの女将が、旭の菓子を見て、「いらない」と判断した、と気づいたらしい。
『い、忙しかったんじゃないでしょうか、女将さん。きっと、後日来てくださいますよ』
これはなんとかせねば、と焦ったが、旭も気づいているらしい。
あの女将は、確実に上生菓子を見て、判断した。
そして、見切ったのだ。
『できたんですね、「春の娘」』
気を逸らそうと、美月はわざと華やいだ声を上げ、旭の手から菓子盆を受け取ろうとしたのだが。
ぎゅ、と握りこまれて、渡してくれない。
美月は間近でその菓子を見る。
練り切り、と呼ばれるものだ。
白あんを練り、着色して細工を作る。三角べらでしわを作ったり、細工ハサミで切った飾りをつけていくのだ。
(……これは……。かわいい)
正直、そう思った。
祖父のレシピを見、そして旭本人も見たことがあるのだろう。
『春の娘』に、よく似た上生菓子だった。
発色も良い。鮮やかな赤色はさすがだ。その真ん中で鎮座する黄色の花芯。
悪くない。いや、本当に愛らしい。
だが。
違う。
祖父の作ったものとは違う。
見劣りがする、というのとはまた違うが、どうしても‶違和感〟が残ってしまう。
少なくとも、これは、祖父の作る『春の娘』ではなかった。
『よかった、睡蓮さん。もう、お店を開けておられるのね』
ぱたぱたと草履の音を立てて入ってきたのは、顔見知りの茶道の先生だ。
『いらっしゃいませ』
美月が菓子盆から手を離しても、それは地面に落ちることはない。旭がしっかりと握りしめているからだ。
いや、硬直しているからだ。
『教室用のお菓子が足りなくなっちゃって……。
恰幅の良い先生は、
『ございます。おいくつ、いりようでしょう?』
『そうねぇ。あら』
そこで初めて、旭の存在に気づいたようだ。
同時に。
彼が持つ、菓子盆の上の『春の娘』にも。
『……やっぱり、今日は、草餅だけでいいわ。いつつほど、包んでくださるかしら』
先生は、穏やかにそう言う。
『え……? あの、すぐにご用意できますが』
『大丈夫。えっと……。
『あ……、はい』
返事をしながらも、血の気が失せる。
これはなにか。
芍薬庵で買う、ということか。
(ま、まずいまずいまずい……っ)
茶道の先生は大口だ。
和菓子とお茶は切っても切れない。稽古用、野点用、行事用など和菓子の納品機会は多いし、そこで和菓子を口にしたお弟子さんたちが、そのまま常連になることも多い。
『草餅、ですね』
改めて確認し、屈んで商品棚を後ろから開いた。
いや、大丈夫だ、と美月は自分に言い聞かせる。
見た目でなにか違和感を覚えたのかもしれない。
だが、彼の作る餡の味を食べてもらえれば、きっとまた戻って来る。
少なくとも、『買わない』という選択をこの先生は、しなかったのだ。
息を詰めたまま草餅の並ぶ盆ごと取り上げ、商品棚の天板に置いた時。
静かに遠ざかる足音が聞こえた。
旭だ。
力ない足音に、咄嗟に振り返ろうとしたが、客が目の前にいる。
仕方なく、美月は笑顔を取り繕って接客に専念した。
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