第3話 契約結婚してください
「このたびは、突然のことで……。ご家族様にはどうぞ、お力落としのなきよう」
「祖父の……」
顔を上げてから、はた、と言葉に詰まる。
友人、というのは変だ。あまりにも年が違いすぎる。茶道の関係だろうか。
「おじぃの弟子やんな、自分」
相変わらず立ったままの狐が、愉快そうに笑った。
「どうしてそれを」
目を丸くしたのは美月だけではない。旭もだ。
「え。本当に弟子なんですか」
唖然と美月が尋ねると、旭は困惑の色を瞳ににじませた。
「弟子、というか……。
菓子を届ける、ということは、旭の家は、茶道の家元かなにかなのだろうか。学生服を着ているのだから、その家の御子息だろう。
そんな風に考えていたら、狐が咳ばらいをした。
「まあ、まずはあれやん。線香でも供えてもろたらどうや」
腰をかがめ、美月に耳打ちする。美月は慌てて立ち上がり、「奥にどうぞ」と声をかけた。
「失礼いたします」
礼儀正しく挨拶をすると、旭は屋内に入る。きっちりと上がり框で靴を揃え、大きな風呂敷包みを持って美月のあとをついてきた。
(……あの荷物はなんだろう)
学生の勉強道具にしては大きすぎる気もするが、と訝しむが、強盗や悪い男には見えない。だいたい、そんな奴だとしたら、狐がたたき出すような気もしていた。
「どうぞ」
居間へと通す。
真正面に見えるのは、祭壇だ。白布を載せた台には、真新しい白木の位牌が置かれ、線香が薄く風にたゆたっていた。
旭は美月と狐に会釈をすると、祭壇前の客用座布団に座り、両手を合わせて目をつむる。
夕日が染みる室内の中で、彼の制服だけが黒々として見えた。
薄いが、広い背中。きれいな衣服。整った髪型。
それら一切が、清潔ではあるが古く、趣はあるが新品なものなど何一つないこの家で、異質なものとして美月の目には映った。
「すみません、ありがとうございました」
座布団からおりると、旭は障子の側に立ったままの美月や狐を振り返り、畳に手をついて頭を下げるから、恐縮する。
「いえ、こちらこそ」
「なあ、気になっててんけど。その荷物。どないしたん?」
慌てて室内に入り、正座をして応じる美月とは対照的に、狐は胡座をして呑気にそんなことを尋ねた。
「ああ、これ、ですか」
大きな風呂敷包みを優しく撫でてから、旭は頭を掻いた。
「家を追い出されまして……。高等学校も退学処分に」
「家を出されるって……」
呆気にとられる美月の隣で、狐が不思議そうに首を傾げた。
「自分、
「まあ、そのようなものです」
はっきりと尋ねた狐に、旭は柔和に笑った。
どうやら親子の縁を切られ、放逐されたらしい。
「なにしたんですか」
思わず尋ねる。外見からは、穏やかな好青年にしか見えないというのに。
「女なん? それとも賭け事?」
狐があっけらかんと口にするが、美月としても勘当の理由はそれぐらいしか思い当たらない。そして、そのふたつが、この青年にどうしてもそぐわないのだ。
「強いて言うなら、女、ですかね」
口をへの字に曲げ、困ったように笑う旭に、美月はあきれた。人は見かけによらないものだ。
「それで、住むところも何もないものですから……。睡蓮さんのところに住み込みで働かせてもらえないかお願いにあがったところ、近所の方からご不幸のことをお聞きしまして」
なるほど。それで、大荷物を抱えて我が家にやってきたのだ。
「最後にもう一度、お会いしてご指導いただきたかったのですが、仕方ありません」
旭は目を細め、首をねじって白木の位牌を眺める。
「ああ、そうだ。よろしければこれ、供えていただいていいですか?」
風呂敷の結び目を少し緩めると、旭は笹皮でくるんだ品を取り出す。
「これは……?」
受け取ろうとしたが、狐が横からかすめ取る。
鼻を近づけ、にぱりと笑った。
「しょうゆ饅頭やん」
言うなり、包みをほどく。「ちょっと」と、美月は狐をとがめたが、まったく意に介していない。膝の上で広げた笹皮には、うす茶色のこぶりなしょうゆ饅頭が六つ、並んでいた。
少々湿気て皮がよれているが、てっぺんに載せられた黒ゴマが愛らしい。
「いただきます」
言うなり、狐はひとつ摘まむと、白木の位牌に掲げて見せるやいなや、口に放り込む。
「それ、お供え……」
慌てて取り上げた美月の鼻先をかすめるのは、淡いしょうゆの香りだ。
(この香り……)
目をまたたかせ、しょうゆ饅頭を見下ろす。祖父の作ったそれと同じ匂いがする。
「うまい。これ、おじぃが作ったんと同じ味がする」
言われて、顔を向けると、狐が満面の笑みを浮かべて、ふたつめを手に取っていた。
「睡蓮さんが使っておられたのと同じしょうゆを使っているので……。よかったらどうぞ」
旭に促され、美月は遠慮がちにひとつ摘まみ、口に入れる。
途端に鼻の奥まで広がるのは、しょうゆの香り。その後、口の中にゆったりと広がるのはあまじょっぱい餡の味だ。きれいに処理されているのか、餡はさらりと舌の上に広がり、淡白な皮と相まって良い塩梅だ。
「おじいちゃんの……」
知らずに呟いていた。
そうだ。
これは、祖父の味だ。
朝早くから起きて炊く小豆。あの、餡の味。
「なあ、自分。行くところないんやろ?」
狐は言うなり、残りのしょうゆ饅頭を笹皮ごと取り上げ、立ち上がる。そのまま、祭壇に近づき、位牌の近くに雑に供えた。
「まあ、そうですね」
旭は言いながら、風呂敷を結び直す。話が途切れれば、そのまま退席しそうな気配だ。
「そやったら、ここにおったらええやん。ほんでさ、美月を嫁にもろて、この和菓子屋を継いでぇな」
「……………は?」
片膝を立てて立ち上がろうとした恰好のまま、旭は動きを止めて狐を見上げた。
「おじぃとおんなじ味の菓子が作れるんやから、こりゃええわ。明日から、睡蓮で菓子を作ってえな」
無礼にも祭壇の端に座り、狐は足を組む。
「おじぃもきっと喜ぶで。なあ?」
しれっとした顔で、位牌に話しかける狐に、旭は慌てた。
「いやいやいやいやいやいや! 睡蓮さんも驚いてらっしゃいますよ!」
「驚いとるかい。『そやそや、それがええ』って言うてるわ」
「どうかなあ、それ!」
「いや、でも、ほんと! おじいちゃんの作るお菓子そっくりの味でした!」
美月は前のめりになる。気配に圧されたようにのけぞる旭の手を、決して離さないぞとばかりに掴む。
「お願いします。睡蓮を潰したくないんですっ。私と結婚して、この店を継いでください!」
「早まっちゃいけません、お嬢さんっ」
旭が素っ頓狂な声を上げて手を振り払おうとするが、背後から狐ががっちりと肩を掴んでいる。美月はこれ幸いとばかりに、膝を詰めて近づいた。
「私、あなたの女性関係とかまったく興味ありません。あなたも、私に興味を持っていただかなくて結構です。ただただ、この睡蓮を継続させるために力を貸してもらえませんか?」
「……………すいません。話が全くわからず、頭痛がするんですが」
「大丈夫です。私もさっきまで頭痛がしていましたから」
蒼白な顔で小刻みに震え始めた旭を、力づけるように美月は大きく頷いた。
「実は、伯父夫婦がこの睡蓮を売り払い、それを持参金にして自分の息子に嫁ぐように私に迫っているんです」
「………この店を、潰すってことですか?」
ぱちぱちと旭が目をまたたかせたあと、訝し気に目を細める。
「あなた、睡蓮さんから技術を引き継いでおられないのですか? あなたが店主になって店を継げばよろしいのでは?」
「女の私には、相続権がないんです」
はっきりと告げると、旭は「ああ」と残念そうに目を細めた。
「ですが、私の夫は別です。祖父の遺産を私に代わって引き継ぐことができるんです。ですから、どうか……」
「いや、ですが……。伯父殿があなたの従兄弟殿との縁談を持ちかけておられるんでしょう? 店ごと引き継ぐつもりなのでは? まあ、本店である睡蓮を売る、というのが少し解せませんが……。菓子も引き継がれることでしょう」
「それが、まったく味が違うねん」
旭の肩をがっしりと掴んだまま顎を載せ、狐がこれみよがしにため息をついて見せる。吐息が耳にかかったのが、旭が「うへぇ」と変な声を漏らした。
その後、困惑したように旭が正面の美月を見るので、これまた、大きく頷いて見せた。
「旭さんも召し上がったらわかるでしょうが、まったく別物です。なぜ、あそこまで味や形を変えたのか……。祖父も匙を投げていました」
祖父とて、のれん分けしたぐらいなのだから、当初は伯父に知識や技術を授けたのだろうが、今では全く別物として扱われている。
「おじぃの味がする菓子は、お前しか作れん」
「私もそう思います。だから、お願いです。とりあえず、この家にいてください。私の婿のふりをしてくださればいいんです。衣食住、すべて提供します。そして明日から菓子を作ってくれませんか?」
狐の言葉に、美月も同意してみせるが、旭はひたすら狼狽している。
「それは無茶と言うものです。わたしはあくまで教えを乞う立場で……。それに、こういってはなんですが、もう女性とはあまり関わりたくない。それなのに、結婚とか……」
「いや、もう。それは本当に、演技で構わないんです。なんなら、店が軌道に乗れば、愛人のひとりやふたり。三人でも四人でもご自由にどうぞ。私は、睡蓮さえ継続できればいいんですからっ」
「あなた、自分で自分の言っていること、理解してます?」
鼻息荒く訴える美月に、旭は涙目になって
「どこの馬の骨とも知れない人を、夫や菓子職人として招き入れようとしているんですよ?」
「でも、おじいちゃんの味を知っていて、再現できる人だもの!」
ぐい、と顔を近づける。
澄んだ鳶色の瞳には、美月の顔が映っていた。
真剣な自分の顔。きっと、自分の瞳には旭の顔が映っていることだろう。
「おじいちゃんの味が好きな人に悪い人はいない。あなたは、きっといいひと」
そう言い切ると。
旭が、ぐ、と息を呑んだ。
「そ、そんなに……」
呻くように呟く旭の瞳に、次第に涙が盛り上がった。
「……そんなに簡単に人を信じてはいけません」
戸惑う美月から顔を逸らすと、旭は肩口で目元を拭い、狐の手を振り切って立ち上がった。
風呂敷包みを持ち、「では、失礼します」と会釈をしたとき。
玄関扉が開く音がした。
「戻ったぞ、美月」
「さあさあ、どうぞ」
伯父と伯母の上機嫌な声が廊下から響いて来る。また、僧侶を伴って戻ってきたのだろうか。誰かを連れてきているようだ。
なんとなく狐と目を合わせる。彼も不審げに、涼し気な目元を細めていた。
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