第2話 祖父の弟子

「もうすぐ来るって……。ねえ、弟子なら、そもそも葬儀に来てるんじゃないの?」


 別に密葬でもなんでもないのだ。祖父の友人というお茶の先生も何人も葬儀に参列してくれた。師匠と弟子、という関係性なら、せめて葬儀に顔ぐらい出すのではないのか。


「いろいろあんねん。ほんでやな、美月みつき。お前の力も必要や」


「私の?」

 訝し気に問うと、狐はわずかに頷いた。


「お前、多分こことは違う世界で一回生まれたことがあるはずなんや。ほんで、その記憶をまだ持っとる」

「……どういうこと?」


 なんだか頭が痛くなってきた。

 ただでさえ、祖父が亡くなってから夜もゆっくり眠っていないのだ。そのうえ、弟子がいるだの、結婚しろだの。いや、その前にしゃべる狐を受け入れた時点でなんだかもう、許容量いっぱいいっぱいだ。


「私には前世があるってこと?」

「そうや。ほんで、その世界は、ここやない」


「外国ってこと?」

「そんなんちゃう。異世界や」


「異世界?」

「まどろっこしいなぁ」


 美月との問答がうっとうしくなったらしい。狐は四つ足になると、湿気た鼻先を美月の額に押し付けた。


 べちゃり、としたその感触と冷たさに、思わず眉根を寄せて、美月は目を閉じ。

 そして。

 頭の中に情報があふれ出すのを感じた。


 それが、狐の言う‶異世界〟のことなのだ、とわかる前から、映像が早回しに巡っていく。


「お前、異世界でも和菓子屋の子やったやろ?」


 ゆっくり目を開くと、狐がまっすぐに自分を見ている。琥珀色の瞳が満月のようだ。


「……うん」


 それは、確かにここではない世界だった。

 なんだか、はるか未来のような。そんな世界。


 着物など誰も着ていない。皆、外国人のような衣服を身にまとっていた。


 生活のほとんどを電気に頼り、人力でなにかを行うことなどほぼない世界。蛇口をひねれば水が出て、リモコンを使えば、機械が室温を調整してくれる。


 そこで自分は、確かに和菓子屋の一人娘として育てられていた。


「ほんなら、その知識を活かして‶睡蓮すいれん〟を盛り立てていけへんか?」

 狐が喜色を湛えて言うが、美月はゆっくりと首を横に振った。


「無理」

「なんでや。前世の記憶が戻ったんやろ? そこで培った……、なんかこう、経験値っちゅうんか、そういうので」


「だって、私。和菓子屋だいっきらいだったんだもん」

 むっつりとした表情で答えると、狐は目を真ん丸にする。


「和菓子屋が嫌い、って……」

「お父さんが、ほんっと無理で。私、保育科に進んだ」


「ほ、ほいくか……」

「お父さんは、製菓専門学校に行って和菓子屋を継げ、って言うんだけど、だーれが……っ」


 言うたびに、むかむかとあの時の怒りがこみあげて来る。


 父親が、大嫌いだった。


 仕事に真っ直ぐ、と言えば聞こえはいいが、要するに家庭を顧みず、煩わしいことのすべてを母親に押し付けるような人間だった。


 その、煩わしいことのひとつが、育児や子育てだったのだろう。死別したわけでも、再婚したわけでもないのに、小さなころの父親の記憶というのが、ほとんどない。少しでも暇があれば、遠方の有名店に行って菓子を大量に買い込み、ひとりで全部食べてしまう。


 そんな、父だった。


 もちろん研究や研鑽のためなのだろうが、前世の美月には「好きなことしかせず、嫌いなことや、面倒なことは他人に押し付ける人間」に見えた。


 現世の祖父である史郎しろうは、早世した両親に代わり美月を育ててくれたが、なにより美月の成長を優先してくれた。


 繁忙期には美月を背負って店を切り盛りし、美月が成長してからは、邪険になど一度もせず、丁寧に美月に接客や店の手伝いの仕方を教えてくれた。


 それなのに。

 前世の父は、「見て覚えろ」しか言わなかった。


 今ならわかる。

 父は、自分の気持ちや思いを言語化する手間を惜しんだのだ。


 高校に入学したあたりから、前世の父は『製菓学校に入れ』と言っていたが、無視して保育科のある短大に進路を決めた。


 結果的に激怒した父は、入学金や授業料の支払いを拒否。


 美月は、バイトや奨学金を使って学び続けたのだが、無理がたたったのか、それとも生来的にりゅうを抱えていたのか。


 卒業を目前にして、あっさりと破裂性脳動脈瘤はれつせいのうどうみゃくりゅうで命を失った。


(あれだけ、和菓子屋が嫌いだったのに……)


 皮肉にも転生先も和菓子屋だったとは。

 知らずに、苦い笑いが漏れる。


 だが、前世とは違い、この店は大好きだ。


 それは、ひとえに育て親の違いによる。

 祖父の力になりたいのは、前世を思い出した今でも変わらない。


「なんやねん。普通は、こう……。あれなんやで? 前世のスキルを活かして、現世で大活躍、っちゅうかんじでやな……。え、お前ほんまに、前世和菓子職人とか違うん?」


「違う。保育士のたまご」


「作る和菓子の細工が超一流、とか」

「前世じゃ見るのも嫌だった」


「まじか」

「まじよ」

 狐は両前足で器用に頭を抱える。


「想像してたんと違うがな。この店、どないなんねん」

「大丈夫よ」

 美月は座ったまま、更に身をかがめ、狐の顔を下から覗き込む。


「お菓子の作り方とか全然知らないし、なんなら、あれ、全部砂糖の塊だって思ってるけど」

「さいあくや……」


「おじいちゃんが大事にしてきた、睡蓮は守りたい」

 おそるおそる狐が美月を見るから、力づけるように頷いた。


「前世の知識なんてなくったって、絶対に私がなんとかする。ね、狐。ふたりで頑張ろう」

 そう言うと、狐はがっくりと肩を落としたまま、ため息をつく。


「まあ、そうやな……。勝手に僕が期待しただけやし。頑張っていくか」

 ふすふすとひげを揺する。なんとなく苦笑したように見えるから不思議だ。


「とにかく、あれや、美月。おじぃの弟子を婿にとれ」

「……それ、さっきから言ってるけど」


 一体、誰のことなの、と問おうとした美月だったが、からり、と玄関の引き戸が開く音がして口を閉じた。


「ごめんください。あの……」


 控えめな低い声が居間にまで伝わって来る。

 美月は目をまたたかせ、中腰になった。


「弔問客、かな」

 店は閉めている。近隣住民は忌中だということを知っているから客ではないだろう。


「来た、来た」


 ほくほくと狐は言うなり、ととん、と四つ足で数度畳を跳ねる。

 何事か、と訝しむ美月の前で、狐は五度目の跳躍で、ヒトガタに変じた。


「どや。見事なもんやろ」


 呆気にとられた美月は、まじまじと目の前に現れた男を見る。


 二十代後半といったところか。一重の目が涼し気な男性だ。紺の着物の下に丸首シャツを着、袴をはいた書生しょせい姿だが、声はさっきと変わらず狐のままだった。


「き、……狐?」

「この格好の時は、信田しのだと呼びや」


 言うなり、美月の手を取って、障子を開けた。

 そのまま、ずんずんと勝手知ったる様子で廊下を進み、店舗とは真裏にある、住居用の玄関へと向かった。

 廊下を曲がると、真正面に人影が見える。


(誰だろう……)


 見知らぬ、青年だ。

 まだ十代後半。美月よりいくつか年が上だろうが、二十歳には見えない。


 端正な顔の持ち主で、どちらかといえば中性的にさえ感じた。


 学生服をきっちりと着込み、きちんと切りそろえられた髪や、形の良い眉に、品の良さがうかがえる。かなりの高身長ではあるが、威圧的に見えないのは、柔和な表情や物腰のせいかもしれない。


「突然、申し訳ありません。わたしは、梅園旭うめぞのあさひと申します」


 右手に持っていた大きな風呂敷包みをたたきに置くと、旭と名乗った青年は、深々と頭を下げた。


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