第4話 従兄弟の周
「ほうほう、なるほど。ここが居間で……」
いきなり見知らぬ男が顔をのぞかせ、
「そうなんですよ。居住部分と店舗部分はつながっておりましてね、あとでまた見ていただきますが……。ああ、これが美月です」
伯父が障子を大きく開いて居間に入って来る。
その後を、うっそりとついてきたのは、伯父の息子であり、美月にとっては従兄弟にあたる
美月と年は変わらない。来年正式に店を継ぐ、と伯父は喧伝しているが、彼が菓子を作っているところを美月は見たことがない。他店に修行に行ったわけでもなく、いったい、彼は店を継いでなにをするつもりなんだろう、と不思議でしかない。
「この方は、
伯母が小走りに近づき、ほくほく顔でそんなことを言う。
「息子さんのために、いぬきの店を探してらしてね。ほんと、ここなんて好条件ですよ」
伯母は振り返り、宝永堂に対して満面の笑みを見せる。
「……本当に、売るつもりなのか……」
美月も咄嗟に口を開いた。
「私、この店を売りになんか出しませんから」
言葉が迸る。
ぎょっとしたように伯父夫婦が美月を見たが、おっとりとした様子で尋ねたのは周だった。
「売らずにどうするの。いずれ朽ちて使い物にならなくなるよ」
和菓子屋を廃業にするという前提で話している周に、美月はかっとなった。眉根を寄せ、睨みつける。
「いつも通り営業するのよ。明日から」
「営業って……。菓子職人もいないのにか」
あきれた様子で伯父は言い、伯母も失笑している。
「菓子職人ならいます」
即座に切り返すと、うろんな視線を向けられるが、それを狐が陽気に笑い飛ばした。
「ほら、こいつ。おじぃの弟子や。だいぶん年は離れたけど、あんたにはおとうと弟子になるんと違う?」
ずい、と狐が旭の背を押したせいだろう。一歩踏み出す形になり、彼は美月の隣に並んだ。
「それより……。あんた、誰だ。どこの書生だ」
もっともなことを伯父が言う。
「通りすがりの書生や」
なんじゃそりゃ、と部屋の誰もがぽかんと狐を見やる。
「義父の弟子って、ほんとうなの?」
だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、伯母が険しい表情で旭に詰め寄ったのだが、その隙に、とばかりに宝永堂が踵を返した。
「今日はどうやら立て込んでおられるようだ。
ごたごたに巻き込まれるのはまっぴらだ、とばかりに廊下を小走りに進む音が響く。慌てた様子で伯父夫婦がそれに続いて居間を飛び出した。
「お待ちください、宝永堂さん」
「いや、これは全くとんだことで……」
玄関扉が開く音がした、ということは、外まで追いすがっているらしい。半ば呆れた美月だったが、周に呼びかけられて目だけ彼に動かす。
「美月。ここを売らないってこと? ちょっとそれ、正気の沙汰じゃないよ」
周は壁に
「ぼろっちい店舗だけどさ。今ならまだ、ぎり‶趣がある〟とかでごまかせるよ?」
「売っちゃったら、おじいちゃんのお菓子がもう存在しないことになっちゃうじゃない」
眉根を寄せて従兄弟を睨みつけるが、彼はなんとも思っていないらしい。
そう。
祖父の菓子がこの世から無くなる、ということについても。
「
ちらり、と旭に一瞥をくれる。
「自称弟子、よりよほど正統性はあるけれど」
「伯父さんの作る菓子の方が、自称おじいちゃんの弟子、よ。この人のお菓子は、本当におじいちゃんの味そっくりなんだからっ」
がうがう、と吠えたてる美月を見、周は、ふふ、と笑う。
「確かに、うちの親父殿が作る菓子って、おじいちゃんのとは全く違うけどさ。だけど、世間的に見たら、うちが後継なんだ。わかる?」
壁から背を離し、わずかに腰を屈めて周は美月に顔を近づけた。
「そんな、どこの誰だかわからないやつを、世間は信じない。菓子なんて、まず、食べてもらわなきゃ意味がない。だからねぇ、美月」
すう、と周は三白眼の目を細めた。
「この店を売っぱらって、ぼくのところに嫁においでよ。ぜいたくさえしなければ、ふたりで生活できるさ」
「あなた、菓子が作れるの?」
胡散臭げに、すぐ間近の周の顔を見つめる。
「まさか」
彼は顔をほころばせた。
「ぼくは働かない。親父殿が何人か菓子職人を雇っているから、彼らが菓子を作り続けるだろう。ぼくと君は、死ぬまでのんびり暮らせばいいさ」
言うなり、美月の顎を捕らえ、自分の方に向かせる。
「昔から思ってたんだ。おふくろ殿は、『地味な顔だ』ってぶつくさ言うけどさ、君、化粧をして着物を変えたら、だいぶん変わるよ。かなり美人になる部類だ」
余計なお世話だ、と言い返す前に、ぐい、と背後から手を引かれた。
「え?」
たたらを踏み、よろめいたのだが、背中に何かが当たる。寸でのところで転倒は免れた。同時に、ふわりと淡い
気が付くと。
背後から、旭に抱きしめられていた。
「お話の途中、申し訳ないのですが」
低い声が上から降ってきた。
視線だけ上げる。
剣呑な光を帯びた瞳が、周を見据えていた。
「あなたは、菓子を作らないのですか?」
左腕で美月の腰を捕らえ、右腕は牽制するように拳を握りしめた姿で、旭が尋ねている。視線だけ動かすと、狐が面白そうな顔で周と旭を交互に見比べていた。
「ぼくが? ぼくは作らないよ。作るのは親父殿とその使用人たちさ」
周は不機嫌そうに眉根を寄せる。
「そちら様は、
「ああ、そうだとも」
腕を組み、旭を睨みつけた。
「本家がつぶれかけてるから、手を差し伸べてるんじゃないか。ねえ、美月。こんなやつの口車に乗るんじゃないよ。店を売って、ぼくのところに来な。そうしたら、もう一生働くことはない。店の奥様として、ずっとぼくの側にいればいい」
「そうすれば、おじいちゃんの菓子は……」
この世からなくなる。
言いかけた美月だが、すぐ側から否定の声が上がった。
「そんなことはさせません。美月さんは、たったいま、わたしとの婚姻が決まりました。申し訳ありませんが、お引き取りを」
美月を片腕で捕らえたまま、旭は険しい表情のまま、周を見る。
「彼女を嫁に迎え、この店を相続して睡蓮さんの技術や味を伝えるのなら、わたしはなんの異論もありません。というか、それが一番でしょう。あなたがたは、お身内であり、正式にのれん分けしたお弟子さん方なのですから。ですが、どうやらあなたは、睡蓮さんの菓子を継ぐつもりがないらしい」
「おじいちゃんの菓子には、何の興味も未練もないもの」
周は肩を竦めてみせる。
「お菓子なんて、みんな一緒。ただ、甘いだけ。ぼくの関心事は、この店がどれぐらいで売れるか、ということと、今後美月がどれだけ化けるか、ぐらいかなあ」
「で、あるなら、美月さんをお渡しするわけにはいきません。わたしは、この店を守りたい。そのためには、彼女を娶り、相続権を得ます。そうして、この睡蓮を継ぎたい」
ぴしゃりと言い放つ旭からは、怒りを伴う熱気が放たれている。美月はおそるおそる視線を背後に向けた。相変わらず彼は厳しい表情で周を牽制している。
「まあ、やるだけやってみたら?」
ちらり、と周は美月に視線を送り、抑揚のない声を発した。
「ただし、借金は作らないでよ。のちのち、面倒だから。たくわえ、あるんでしょう?」
「どれぐらい?」
「……多く見積もって……。三か月分ぐらいかな」
「じゃあ、三か月後。もし、そのカネが尽きたら店の経営からも、美月からも離れてもらう。それでどう?」
周は三白眼を、つい、と今度は旭に向けた。
「わかりました」
固い声で応じる。周はわずかに睫毛を揺らして頷くと、「それと」と、続けた。
「いずれ、美月は返してもらうんだから。手は出さないでよ。ぼく、誰かのおさがりとか、嫌だから」
「いや、ちょっと待ってよ。私、べつに周さんのところに……」
慌てて声をかけるが、冷ややかな一瞥をくれられる。
「店がつぶれたら路頭に迷うくせに。っていうか、この寛大な処置にお礼をいってもらいたいぐらいだけどね。じゃ」
言うなり、背中を向けて居間の敷居をまたいで出て行った。
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