第七章

第26話

 ゴールデンウィーク最終日、午前七時。

 目覚ましに起こされることもなく、ふと自然に目が覚めた。


「……」


 いつもならば当然ここからさらに二度寝に入る。

 せっかくの休みに朝早く起きる理由がないからだ。今日は予定こそあるものの、こんな時間に起きる必要はない。なのでこの後に備えてさらなる体力回復に務めるべきなのだが。


「起きるか」


 起きることにした。

 何故かぱっちり目が覚めたからだ。


 まあ、最終日くらいはこんな始まりでもいいだろう。

 俺は起き上がり部屋を出る。洗面所に行き、顔を洗った後にリビングに行くと晴子さんがキッチンで鼻歌交じりに料理をしていた。


「おはようございます」


「あら、おはよう」


 俺が声をかけると、晴子さんはまるで幽霊でも見たような顔をする。

 そんな珍しいことですかね?


「どうしたの? まだ朝の七時よ」


「いやあ、この休み寝すぎたのか目が覚めちゃって」


 親父の姿が見えないのは恐らくまだ寝ているからだろう。

 親父は親父で休みの日はゆっくり寝るタイプだ。俺と似ている、というよりは俺が親父に似たのだ。親子揃って睡眠好きということだ。


「あらそうなの。じゃあ朝ご飯でも食べる?」


 そう言った晴子さんの手元を見ると、目玉焼きを作っている最中だった。


「あー、じゃあいただきます」


 俺がそう返すと、晴子さんはにこりと笑って料理を続けた。座っておくよう促された俺はリビングでテレビを観ながら完成を待つ。


 思い返せば、晴子さんと二人という状況は初めてかもしれない。

 今までは親父なり撫子なりがいた。こうなると何を話していいのかも分からないが、いつまでもそのままというわけにもいかない。


「ちょうどよかったわ。一人でご飯も味気ないと思っていたから」


 言いながら、晴子さんは俺の前にお皿を置いて、自分も座る。

 目玉焼きとベーコン、緑のサラダにトースト。この手の朝ご飯はいつも食べているので珍しいこともないが、あの撫子からは想像できない料理上手である。なぜこの人からあの味覚音痴が生まれたのかが不思議でならない。


「昨日ね、撫子が嬉しそうに行っていたわ。明日は兄さんとプールに行ってくるよってね」


「……そうなんすか?」


 ベーコンを咀嚼しながら返すと、晴子さんはおかしそうにくすくすと笑う。


「ええ、それはもう本当に嬉しそうだったわ。二人が仲良くしてくれていて、私も嬉しいの」


「普通くらいじゃないですかね」


 普通の兄妹がどのような距離感でいるのかは分からないが、俺と撫子はどうだろうか、特別仲が良いというわけでもないように思える。かといって、決して仲が悪いわけではないのだけれど。


「普通でいられるということが、意外と難しいものよ」


「……はあ」


 俺は目玉焼きを箸で掴みながら答える。


「まして、あなたと撫子は同い年で、それも同じクラスの男女。突然家族になれって言われれば混乱するだろうし困惑すると思う。もちろん、実際にしたのだろうけどね」


「そりゃまあ、それなりに大変ではあったけど」


 俺は少し前のことを思い出しながら苦笑いをする。


「そういうことがあって、今こうして普通にいられることは、実はすごいことなのよ。最初はどうなることかと思ったけどね、その心配も杞憂に終わってくれて本当によかった」


 杞憂に終わる、か。

 最初はどうなることかと思ったけれど、確かに今思えば何とかなったものだ。

 遠い昔のことのように思えるが、あれからまだ一ヶ月ほどしか経っていない。

 俺と撫子が兄妹としての関係を深めているこの状況、あの頃の俺は想像できないだろうな。


 なにせ、告白までしたのだから。


「遊介くんはどう? 撫子と兄妹になったこと、後悔していないかしら」


「え、それは……」


 どうなのだろう。

 もしも撫子と兄妹になったいなければ、つまり親父が再婚をしなければ、か。

 あの時の告白の返事は、きっとノーだったのだと思う。けれど、それで終わりではなかった。ダメならダメで、そこからまた仲良くなろう、それくらいの気持ちはあった。


 それくらい、俺は四条撫子のことが好きだった。

 でも兄妹になって、その気持ちに蓋をすることになって。

 それが意外と難しかった。


 しかし何だかんだと今に至る。

 このまま時が経てば、この気持ちは消えていくのかもしれない。そうすれば、俺と撫子は本当の意味で兄妹になれるのだ。


 そう、時が経てば……。


「ごめんなさいね、変なこと聞いちゃったわ」


「いや、そんなことはないんですけど」


 後悔はしていない。

 そう即答できなかった時点で、俺の中にまだ未練めいたものが残っているような気がした。

 その未練をどうすることもできないというのに、それでも心の中に残り続けるその気持ちと、俺は向き合わなければならない。


「今日は楽しんできてね」


「はい」


 俺は力なく返事する。

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