第23話
辛い、という感覚は味覚というよりは痛覚で感じる、という話を聞いたことがあるけれどあの話が本当だったのだと、俺はこの日ようやく理解した。
「……」
辛い、というよりはもはや痛いのだ。
晩飯時、お皿に盛られたカレーライスを二人向き合って食べる。
どこからどう見ても普通のカレーライスを、前にいる撫子は普通に食べるものだから俺がおかしいのかと思ってしまうが、とにかくカレーが辛い。
「どうしたんですか?」
撫子は、この激辛カレーをひょいぱくとまるでプリンを食べるが如く口へと運びながら聞いてくる?
そりゃこのカレーをそんな顔して食える奴からすれば、今の俺は顔を赤くして汗をかき、スプーンが一向に動かないのだからさぞおかしかろう。
「いや、ちょっとカレーが辛いかなって思ってな」
「そうですか? 今日はちょっと辛さ控えめにしてみたのですけれど」
控えてねえよ。
バリバリ主張しちゃってるよ。控えるって言葉の意味辞書で調べてみて?
「これでも辛いんですね。次回はもう少し控えてみます」
もう少しどころかもっと激しく控えて欲しいくらいだ。
え、四条家のカレーっていつもこんな感じなの? 晴子さんのカレーを食べたことがまだないので分からないが、だとするとこれからのカレーライスが恐ろしい。
「ママからも言われるんですよね。わたしはちょっと味覚がおかしいと」
「このレベルのカレーを何食わぬ顔で食ってるからな。味覚っつうか痛覚がイカれてるんじゃないか?」
「失礼ですね。言っておきますけど、わたしはまだ辛くてもイケますからね」
「なんで誇らしげなんだよ……」
そんな感じのカレーライスなので食べ終わるのにそこそこの時間を割くこととなった。俺がやっとの思いで一皿食べ終えた頃、撫子は三皿を平らげていた。バケモンだと思った。
普段ならじゃんけんなりで決める後片付けだが、ライフが赤色ゲージの俺を気遣ってか何も言わずにしてくれた。これはシンプルに助かった。
ちびちびと冷たい水を飲みながらダメージを回復している間に風呂の準備までも済ませた撫子はキッチンから何かを運んでくる。
「お口の調子はどうですか?」
「……だいぶ楽にはなった」
「それはよかったです。これ、食べれますか?」
言いながら、撫子が見せてきたのはスーパーで買ったケーキだった。
「いただくよ」
「はい、どうぞ」
一つを皿に乗せて俺の方へ送ってくれる。撫子はケースのまま食べるようだ。
俺はケーキをフォークで小さく切って口へと運ぶ。
冷蔵庫に入れていただけあって冷たく、スポンジとクリームの間には平べったいいちごが挟まれていて、甘さの中にほどよい酸っぱさがあり、実に美味しい。カレーの辛さを上書きしてくれる味だった。
「……何やってんの?」
「見て分かりませんか? 写真を撮っているんです」
「いやそれは分かるけど」
何で写真を撮っているのかを聞いてるんだよなあ。
そう言えば、椿と出掛けたときも食べ物の写真を撮ってたよなあ。女子ってとりあえず写真撮りたがるけど何なんだろうあれ、本能?
「わたしだって女の子なんです、可愛い写真は撮って残しておきたいと思うものです」
心外です! とでも言いたげに、拗ねた口調で撫子は言う。
「可愛い?」
「え?」
写真を撮って残したいというのはまあ分かる。いつか見返したときに懐かしむことができるわけだし、大事なことなのだろう。友達との写真なんて大いに残してくれて結構だ。
でも、食べ物だよ?
「いや何が可愛いのかなって」
「え?」
同じリアクションが返ってきて驚いた。
「いや、何言ってんのこの人って言いたいのはこっちなんですけど。ショートケーキのどこに可愛さがあるんだよ! 美味いよ? これは確かに美味い! それは認めるけれど、でもだからといって可愛さはどこにもねえよ?」
「分かってないですね! ショートケーキというのは、このいちごが可愛いんです! ふわふわした白のクリームに乗る赤いいちご。この可愛さが分からないなんて、兄さんはもっと女心というものを勉強した方がいいですよ」
「かわ、いい……?」
いや、そう言われて見てみても可愛さは微塵も感じられない。
女子ってとりあえず可愛いとか言うところあるし、あいつらの可愛いセンサーはきっと男子には分からないのだろう。考えてもきっと理解は出来ない。
理解する必要はない。受け入れてあげればそれでいいのだ。
「うん、そうだな、確かに可愛いよ。間違いない」
「絶対思ってないですね……」
呆れるように睨んできたが、それでいい。
きっと男女は理解なんてし合えない。
分かった気でいるだけだ。そう思い込むことで自分を納得させているだけだ。
それはクラスメイトであっても、妹になっても変わらない。
理解したいと思う反面、きっとこれからもできないままなのだろうと半ば諦めるように自分に言い聞かせる。
* * *
晩飯も終われば各々好きな時間を過ごすのみだ。
撫子は自分の部屋に行ってしまったので、俺はリビングでテレビを観る。
さほど興味があるわけでもないが、観る気がしないわけでもないバラエティ番組をぼーっと眺めていた。
「ん?」
そんなとき、スマホが震える。
何かと思い画面を見ると、三件のメッセージが届いていた。
『遊介くんこんばんは。ゴールデンウィークはエンジョイしてるかな? 私は暇で暇で仕方ないので遊んでくれないかな?』
と、花宮椿。
『我が魂を開放せし儀式を執り行うので、我が主たるマスターにも立ち会ってほしい。我に時間をくれはしないだろうか?』
と、南戸水琴。
『やっほー後輩くん、ゴールデンウィークはお姉さんと会えなくて悶々とした日々を過ごしているだろうからデートしてあげる。いつがいい?』
と、天王寺紗千香。
「んー」
ゴールデンウィークの残り日数とこれらを計算するとどうにも忙しなくなる予感がする。
かといって全部断るのも申し訳ないし、何とかして時間を作るべきなんだろうけど。
悩む。
そして、答えは出ない。
「……風呂でも入るか」
考えがまとまらないので、ここはとりあえずさっぱりするに限る。
そうすれば何かいい案が思いつくかもしれないからな。
俺は立ち上がり、二階に行き着替えを持ってくる。撫子の部屋がずいぶん静かだったが、勉強でもしているのか、それとも漫画でも読んでいるのか。
別に珍しいことでもない。何ならばキャーキャー言っている方が珍しいだろう。なにせ、まだ目にしたことがないのだから。
「休みべきか、遊ぶべきか。別に休むのはゴールデンウィークじゃなくてもいいよな。でもそれを言うなら遊ぶのだって別にゴールデンウィークである必要もない。何ならどこに行っても人が多いし疲れる可能性がある」
故に、思いっきりダラダラした方が有意義なのではなかろうか。
なんてことを考えながら、脱衣所のドアを開ける。
「……」
「……」
フリーズ。
俺が脱衣所をドアを開けると、そこには撫子(お風呂上がりバスタオル一枚ヴァージョン)がいた。
湿った髪、火照った頬、白い肌が視界に入り、俺は動くことさえ忘れてしまう。
「えと」
驚きというか戸惑いというか、撫子自身もテンパっている様子だ。
ここで逃げるという手段もあるが、それだときっと後ほど痛い目に合うか、それか関係が悪い方向へいってしまう恐れがある。
ここは鉄拳制裁を受けるべきだ。
「なぜそこに突っ立っているのですか?」
ジト目で俺に尋ねてきた。
ほう、会話ができるのか。
「ここはしっかりと、処罰を受けるべきかと思いまして」
「そうですか……今回はわたしもカギを締め忘れるという二度目の失態を犯しているのでそこまでするつもりもなかったのですが、お望みならばそうしましょう」
「いや別にそういうことなら俺はた――」
バチンッ!
思いっきりビンタされました。
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