第21話

「ごめんなさいと言っているじゃないですか。いつまでもぐちぐちと言っていると、男が廃りますよ」


 そう言って、撫子は速歩きをして俺との距離を取った。

 俺は追いつこうとしたが、互いに速歩きなので中々その距離が縮まることはなかった。


「いや別にぐちぐちは言っていないけどな。ただたんこぶ痛いなって言ってるだけだ」


「それはつまり、遠回しにわたしを責めているのでしょう!」


 ゴキブリ退治の一件で、終盤に見せたテンパった撫子による突進でバランスを崩した俺は床に思いっきり倒れ、頭を打った。その後ゴキブリをきちんと始末し事無きを得たが、俺の頭部にダメージが残ったのだ。


「そんなつもりはないって」


「……悪かったと思っています。ですが、その、昔から虫の類がどうにも苦手で、特にあの黒い生き物はほんとにダメなんです。見ると頭が真っ白になるんです」


「なってたなあ。だいぶテンパってた」


 ゴキブリが苦手なんて、女子にはよくある話だけど。

 何もされなくても、存在が嫌われてるからなあの生き物は。


「きちんとお詫びはします。だからこうして、買い物だってしているんです」


 そう。

 俺と撫子はゴキブリ騒動の後に、昼飯を食べ、こうして夕飯の買い出しに来ている。


 昼は結局、疲れて料理をする気にもならなかったので袋麺で適当に済ませた。撫子は何かを作ろうとしていたようだが、当分放心状態だったので料理どころではなかったのだ。


「わたしは別についてきて欲しいだなんて言ってませんよ」


「どうせ家にいても暇だしな。家事全部撫子に任せたとあったら親父がまたうるさそうだから形だけでも手伝っておこうと思っただけだ」


「どうしてもついて来たいと言うのならば仕方ないですね」


 そこまでは言ってないけど、別にそれでいっか。

 撫子が歩く速さを緩めたのか、ようやく追いついて横に並ぶ。


「それで、晩飯は何を作るんだ?」


「ふふふっ、何だと思いますか?」


 楽しそうに笑う撫子だった。

 ノーヒントなので分かるはずもない。


「ハンバーグとかか?」


「残念ながら、その類の料理はママから止められています」


 なんで料理にマザーストップがかかってるんだよ。昔何があったんだ。


「じゃあ何?」


「わたしが唯一許されている料理、それはカレーライスです!」


「……カレーライス、か」


 まあ、野菜切って肉炒めて、あとは好みのルーを入れれば出来るからな。いわば、余計なことをしなければ誰でも一定のクオリティのものが完成する料理だ。学校の飯盒炊爨でカレーが作られるのもこういった理由であると推測している。


「嫌いですか?」


「いや、好きだけど」


「ならもう少し喜んでください。女の子の手料理ですよ?」


「わーい手料理だ嬉しいぞー」


「もっと心を込めてくれないと伝わりません」


 撫子は拗ねたようにふいっと、顔を背ける。


「よっしゃあカレー大好きだぜこんちきしょうめああ楽しみだなあ晩ご飯!」


「それでいいんです」


 満足気に言ってにこりと笑う。

 これでいいのか……。

 そんな話をしながら、近くのスーパーに向かう。

 俺がカゴを持つと、撫子はカートを取りに行く。


「そんな買うの?」


「分かりませんけど、一応です」


「さいですか」


 そういうことならと、俺は手に持ったカゴをカートに乗せてそのままカートを押す。それを察した撫子はすっと避けて横にズレた。


「ありがとうございます」


「必要なもん取ってこいよ」


「ええ。絶品のカレーをご馳走しますよ」


 ぐっと拳に力を込めて気合いを入れた撫子はタタタッと材料の元へと向かう。

 俺はその後をゆっくりと追った。

 じゃがいもや玉ねぎなどの野菜や肉を持ってきてはカゴに入れてまた別の材料を取りに行くという行動を数回重ねて、最終的にルーを選んでいるところに追いついた。


「兄さんは辛いの大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫」


「それはよかったです。わたし、カレーは辛口派なんですよ。味の好みが分かれるといろいろと面倒ですからね」


 言いながら、撫子は鼻歌交じりにぽいぽいとカゴにルーやら何やらを入れる。任せきっているので特に何を入れたかなどは気にしない。


「せっかくなのでデザートも買って帰りましょう」


 いいこと思いついたという顔で提案してきた撫子を止める理由も特になく、俺は先に行く撫子を追いかける。


 デザートというと何を想像しているのだろうか。

 フルーツか。

 アイスクリームか。

 それそも洋菓子や和菓子の類のものか。

 カレーの後に食うと考えると、どれも合うとは思えないのでその辺は気にしないでいいだろう。


「何がいいですか?」


 撫子はそう言いながら、俺の意見など聞く耳持たないといった感じでデザートコーナーと睨む。

 撫子が向かった先にあったのはクレープやシュークリームなどが置かれているコーナーだ。


 俺もコンビニスイーツとかは食べる方だが、最近のこいつらは中々やってくれる。

 昔は店舗にあるスイーツに比べて味も見た目も劣るという印象だったが、今はそんなこともない。もちろん、こだわりなども強い分店舗で買うスイーツは確かに美味しい。コンビニスイーツと比べても味の優劣は確かだろう。


 だが、こういったスイーツもしっかりと美味しくなったのも事実。

 買い物に来てついでに買えるというお手軽に手に入るのがこいつらのメリットだ。


「撫子は何がいいの?」


 俺が尋ねると、撫子はうーんと唸りながらスイーツに手を伸ばした。


「これがいいです」


 手に取ったのはショートケーキだ。一つのケースに二つ入っているタイプで、見た目も悪くなく大きさも十分。それでこの値段はさすがと言う他ない。


「別にいいけどさ。撫子は甘いもの好きなの?」


「ええ、まあ。好きですけど、何か?」


 きょとんとした顔でこちらを向く。

 そんな顔されるとこちらも困るんだけど。


「いや辛いもん好きなのに、甘いものも好きなんてちょっと変わってんなと思ってさ」


「それは偏見です」


 言いながら、撫子はムッとした顔になる。


「それじゃあ聞きますが、イヌが好きだとしてネコも好きだとおかしいですか? そんなことはないでしょう?」


「……別にそういう話じゃないんだけど」


「そういうことなんです! わたしは、甘いものも辛いものも好きなんです。何か文句ありますか?」


「いえ、ありません……」


 撫子の気迫に圧されて俺は縮こまってしまう。

 本当に大した理由はないし、ふと思っただけなのでこれ以上この話をしてもいいことはない。こういうときはさっさと話題を終わらせるべきだ。


「じゃあそれ買おうぜ。俺も好きだし」


 俺が言うと、撫子はむくれた顔を和らげた。


「ふふっ、それでいいんですよ」


 そして。

 満面の笑みを浮かべて、撫子はケーキをカゴに入れた。

 その純粋無垢な笑顔に、俺は思わずどきりとしてしまう。


 それは、妹として無邪気に笑う撫子を微笑ましく思ったのか。


 それとも、妹ということを忘れるほどに彼女を可愛いと思ってしまったのか。


 その答えは、分からないままだった。

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