第四章
第12話
「マスター?」
こてんと、首を傾げながら南戸水琴は俺の顔を覗き込む。
「……いや、だからな、何でお前は俺と一緒に飯を食っているんだって聞いてんだけど?」
昼休みのこと。
尊は別のクラスの奴らと飯を食うと教室を出ていき、椿は女友達と共にお弁当を広げだしたため、俺は今日ぼっち飯を決め込むこととなった。別に一人で飯を食うことに躊躇いもないので何の問題もない。
今日はお昼を持ってきていなかったので食堂に行くことにしたのだけれど。
その道中に彼女と遭遇した。
「いえ、マスターも一人だったようなので、水琴がお供しようかと」
「つまりお前も一人なんだな」
「そのセリフ、少女漫画みたいですね」
「雨の中でイケメンがダンボールの中で濡れる捨て犬を抱き上げて言うセリフと一緒にするな。あんないいもんじゃねえ」
キラキラした眼差しを向けるこの女生徒。
まるで雪のような白い髪、そしてまるで目の中で炎が燃えているとさえ思える真紅の瞳。背丈は小さく、それに比例するように貧相で、ほんのわずかに胸元には膨らみがある。
彼女と初めてあったのは始業式、忘れもしない昼休みのことだ。
考え事をしていたが為に足を滑らせた俺は落下先にいた南戸水琴とぶつかりあろうことか彼女の胸を揉んでしまうという事件を起こしてしまう。
彼女の怒りを買うという形でその事件は終わったのだけれど。
「ねえマスター、今日の放課後お時間ありますか?」
そんな、第一印象最悪だった俺に対して、南戸水琴の態度がなぜこうまで変わっているのか、それもまた大した理由ではなかった。
「え……まあ、暇かって言われれば暇だけど」
「では、水琴に少しお時間をください。あろうことか、あの時のお礼をまだしていませんので」
「別にいいのに」
「よくないです! 主に恩を返すのは当然のこと」
「主になった記憶もないんだけどなあ」
しかし、水琴は聞く耳を持たない。
そもそも、彼女が俺の言葉を聞くような子であるならば今こうして付きまとってきたりはしていないだろうし。
あれは、そう、始業式の出会いから数日経ったある日のことだった。
* * *
普通に授業も開始され、新学期特有の浮足立った気分は既に失われかけていた。
まだアウェイ感のある教室の中で、ぎこちない取り繕った会話を友達候補と交わし、お互いのことを知り合っていく。生徒たちは新しい環境に馴染もうと必死なのに、授業は何の躊躇いもなく開始されるのだ。
そして、今日も今日とて長い授業を終えた俺は帰宅の準備をしていた。
といっても、教科書を持って帰るような真面目なことはしないので忘れ物がないかを確認する程度なのだけれど。
「よお遊介。帰るのか?」
現時点で、俺が仲良くしているのは下ノ関尊だけだった。
始業式の日に話してから、何だかんだ今も一緒に行動している。
「ああ、尊もか?」
「んーにゃ、俺は今から補習だ」
大きな溜め息をつきながら尊はかったるそうに言う。
「補習?」
まだ授業始まって数日だぞ。試験だって行われていないのに。
「春休みの宿題を忘れてたんだ。それもあの福留の古典だぜ」
「ああ……」
古典の授業を受け持つ福留先生は厳しいことで名が知られている。
あいつの課題は一番忘れちゃダメなやつだろ。
「ぶっちゃけプリントが手元になかったから、きっと早々に失くしたんだろうな。この未来は避けられなかったんだよ」
外を見て遠い目をする尊に、俺はかけてあげる言葉が見つからなかった。
が、本人はお気楽な性格をしているようでそこまで深刻に考えてはいないようだった。
「ま、つーわけだから今日は一人で帰ってくれよ。俺がいない間に花宮とデートなんてすんじゃねえぞ」
にいっと笑って、冗談めかして尊は言った。
そして荷物を持って教室を出ていく尊を見届け、俺も教室を出た。
校門を出て少し歩くと商店街がある。
近頃は大きめのショッピングモールに人が流れがちだが、ご近所の人達に支えられて今なお盛んな商店街だ。近代的なショッピングモールも悪くないが、この商店街も古き良き時代って感じで嫌いじゃない。
なので一人で帰るときはたまにここを通って帰るのだ。
「はな、せ!」
その時。
少し遠くから声が聞こえた。
平日の夕方となれば人も少し増えるのだが、今日は静かだった。だからか、離れたところの声も届いてしまう。
「くっくっく、我が真紅竜の力を持ってすれば貴様らを蹴散らすなど造作もない……だから、早くその手を離せ!」
「ああ? 何言ってんの」
「強がっちゃって、可愛いねー」
「怖くないからさ、遊ぼうよ」
少ないと言っても人の通りがあるというのによくもまあ堂々とあんなことできるもんだなと、ついつい感心してしまう。
通行人は見事な見て見ぬ振り。
金髪、坊主、ロン毛に加えてあの行動、明らかに面倒事を起こすタイプの人種だからな。そりゃ触らぬ神に祟りなしってやつだろう。結局のところ、人ってのは自分さえ良ければそれでいいのだ。知ってる人ならともかく、全く知らない人のために面倒事に巻き込まれるのはゴメンだろう。
俺だってそうだ。
「やめ、てっ」
通り過ぎようとしたところで、俺は足を止めた。
いや、足が止まったと言ったほうが正しいか。
その女の子の真に嫌がる声が、そうさせたのか。それとも、どこか聞いたことのある声だと思い、反応してしまったのか。
「……」
ちらと、そちらの方を横目で見る。
ザ・不良な三人に囲まれる一人の女性。
カッターシャツにネクタイ、ブレザーとチャックスカートとよく見ればうちの学校の制服である。
白髪という目立つ髪色に加えて、見慣れない真紅の瞳。
俺はその特徴的な少女に見覚えがあった。
思い出したくもない記憶だ。
名前も知らない一年生。俺は考え事をしていたせいで階段から落ち、たまたま下にいた彼女とぶつかった。そして、あろうことか俺の手は彼女のナイチチに触れていたのだった。訴えられたら俺の完敗な案件だったが、彼女が立ち去ったことで事なきを得たのだ。
なので、できればもうあの子の顔は見たくなかった。
これから卒業まで顔を合わせなければ掘り返されることもない。同じ学校といっても校内は広いし、関わらないまま終わる予定だったのだけれど、まさか校外で出くわすとは。
いや、まだ遭遇してはいない。
なにせ、あちらは俺に気づいていないのだから。
つまり、このまま通り過ぎればエンカウントすることもなくこのイベントを切り抜けられる。
よし、その作戦で行こう。
「……」
一瞬、ちらりと浮かぶのは不安そうな彼女の顔だった。
俺に見せた強気なものではない、一人の少女として怯えている様子。
そのギャップが、俺の足を今一度止めた。
「はあ」
溜め息をつく。
そして、ザ・不良トリオの中の一人の背中をぽんと叩く。
「あ、あのー」
すると、ロン毛の男が険しい形相で振り返る。ああ怖え。
「ああ?」
なんで不良ってとりあえず睨んでくるの? もっと優しく接してくれよ。
「いやですね、そいつ私の友人なんですけど……何かありました?」
あくまでも低姿勢で、極力刺激しないように事を済まそう。
このまま連れていければいいんだけど……。
「んだ、テメェぶっ飛ばすぞ」
うるせえよ。
そんな、何でもかんでもすぐにぶっ飛ばそうとすんじゃねえよ。こちとら喧嘩はくそ弱いんだよ。言っとくけど殴り合いになったら一〇秒と持たないからな? 頼むから穏便に済まそうぜ。
「いやあ、そんな、ぶっ飛ばされたら困りますけど」
「じゃあ黙ってそこで見てろ」
いやそいつ俺の友人だって言ってんじゃん。
「これから約束があるんで困ります!」
「うるせえっつってんだろ!」
瞬間、裏拳が飛んできた。
俺は咄嗟の反応で一歩下がってそれを避けた。
が、それで火がついたのかロン毛はこちらを向き、残り二人もこちらに興味を向けてきた。
三対一なんて無理でしょ。タイマンでも敗北濃厚なんだから。
「ちょっと黙らせるか」
「女子の前でカッコつけやがって」
「ぶっ飛ばしてやる」
仕方ないな。
これだけはしたくなかったけど。
「走れッ!」
叫ぶ。
俺の声に驚いた白髪の女生徒はびくりと体を揺らす。
「え、あ」
「早く走れッ!」
俺の声に反応して少女は走る。それを追おうと、ロン毛の男が体の向きを変える。
「逃がすか!」
走り出したロン毛の男の足を引っ掛ける。足元など気にしていなかったロン毛の男は盛大に転倒した。
「バカ野郎が」
ロン毛の転倒を見た金髪が鼻で笑ってそれを追う。
しかし、俺はタックルをかましてそれを阻止する。
「テメェ、調子乗ってんじゃねえぞッ!」
「もう許さねえ」
「ぶっ飛ばしてやる」
ロン毛の語彙力が気になるところだが、何とか意識をこちらに向けることができた。
「かかってこいよ。言っとくけど、俺は喧嘩なんかしたことねえからクソ弱いぞ」
仕上げと言わんばかりに挑発する。
すると案の定、三人は怒りの感情を表情に出した。
三人を倒す必要なんてないんだ。俺の目的はあの子をここから逃がすこと。つまり、三人の気がこちらに向いた時点で俺の目的は達成されている。
ボコボコにはされるだろうけど死にはしない。痛いのは仕方ない、我慢するか。
そして、数分間に及ぶ俺の激闘は幕を閉じる。
簡単に言うと、ボコボコにされている最中に警察が来てくれた。警察は不良トリオを連れてこの場を去っていく。きっと厳重注意とか受けるんだろう。
「はあ」
大怪我ではないものの、そこそこボコボコにされたので少しの間その場に座って体を休める。はたから見れば、何あいつ地面に座り込んでんだって感じだろうけど、そんなことを気にして動く力も残っていなかった。
「あ、あの」
しばらくぼーっとしていると、白髪の女生徒が戻ってきた。
「助けてくれて、ありがとうございます」
ぺこりと、深く頭を下げる。
暫くしても頭を上げないので、これは俺が何かを言わないといけないのかなと思い、口を開く。
「ああ、いや、気にしなくていいよ」
すると、女生徒は頭を上げた。
「でも」
心配そうに俺の方を見つめてくる。
「これはあれだ、借りを返しただけだから」
「借り?」
「あの、階段の……」
これだけのことをすれば、さすがに許してくれるだろう。
これからの学生生活をビクビクしながら過ごしたくはないからな。恩を売ればこの子も強くは言ってこれないだろうと思っただけ。
これは、俺のためにやったのだ。
俺が言うと、彼女は俯いて暫く黙ったままだった。
そして、顔を上げる。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「……俺の?」
「以外にいないでしょ」
なに、通報でもされるのかな?
ここは教えない方向の方がいいのだろうか……とも思ったのだが。
「神楽坂遊介だ」
素直に答えることにする。
後ろめたいことはもうごめんなのだ。
「水琴は南戸水琴」
彼女は言って、俺の目をじっと見つけてくる。
揺れる瞳は、まるで磁石のように俺の視線を引き寄せる。逸らしたくても、逸らせない。
「水琴の、マスター」
「え?」
なんて?
今の展開からは想像できない発言が飛び出した。自分で言うのも何だけど、今のは告白とかの類の展開に繋がる感じじゃない? 全然聞き慣れないワードがあったんだけど。
けれど、子供のように瞳をキラキラさせている彼女の顔を見ると、何だって? とは言えなかった。
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