第11話

 帰り道、俺はふと尊の言葉を思い出す。


『花宮、お前のこと絶対好きだろ? 何で付き合わねえの?』


 何気ない、何でもない、ふとした疑問。

 けれど、その一言は俺の心を締め付ける。


「何で、か」


 椿と別れ、俺は一人歩きながら呟いた。

 可愛い女の子から好意を寄せられているなら、その子と付き合ってしまうだろう。

 今も昔も、別に考え方が変わったわけではない。


 ただ、今のまま付き合うのは相手にも失礼だろうし、そんなことをする自分が許せないだろう。


 恋人になる条件なんて人それぞれだろう。

 他の人がどう思っているかは知る由もないが、俺は好きでもない女の子と付き合うなんてことはできない。


 いや、違うな。


 その人でない他の人のことが好きなまま、付き合うことはできない。というべきか。

 好きでもないけど何となく付き合って、そこから互いを好きになっていく、なんて恋愛の始まり方もあるという話は聞く。けれど、俺にそんな器用な恋愛は無理だ。


「……」


 家の前についた俺は一度足を止めて二階を見上げる。

 そこは撫子の部屋だ。部屋には明かりがついているので、恐らく部屋で勉強だなんだをしているのだろう。


 俺は、まだ四条撫子への気持ちを整理できていない。

 俺にとって、彼女は今や神楽様撫子であり、一応義理の妹だ。


 そんな彼女に恋愛感情を抱くのは間違っていることだろう。俺はこの気持ちと訣別しなければならないのだけれど。

 そう簡単に割り切れるほど大人ではない。


 時間を掛けて、ゆっくりと向き合っていくしかないのだ。


「ただいまー」


 だから、それまでは他の女子と付き合うとかはできない。

 してはいけない気がする。


 相手がそれを望もうが、やはり俺自身がそれを許さないのだ。


「……誰もいないのか?」


 日も落ち、外は暗くなり始める時間だが、親父と晴子さんはまだ仕事だ。たまに早引きの日なのか早く家にいるときもあるが、この時間にいないということはそれもない。


「やっぱり二階か」


 部屋にいるならわざわざ声をかけに行く必要もないだろう。

 俺と撫子の家族関係は概ね良好と言える。


 別に今まで互いに嫌い合っていたわけではないので、仲良くすることが難しかったわけではない。ただ思うところがあり戸惑っていただけだ。

 それも時間の経過とともに解決に向かい始めている。

 徐々に気持ちの整理がついている証拠だ。


 最初はぎこちなかった会話も今では普通にできるし、名前一つ呼ぶことさえ恥じらいがあったが今はそれもない。


 こんな感じで二人の時間も多いし、普通に喋る。

 以前よりも仲良くなったくらいだ。学校ではある程度の距離を取ってはいるものの、それでも変化は確かにあった。


「……」


 荷物を置くために二階に上がる。

 撫子の部屋の前で一度立ち止まり、声をかけるべきか悩んだが、勉強などで集中している最中だったら申し訳ないので控えることにした。

 荷物を置き、部屋着に着替え、一階に戻る。

 さっぱりしたいので顔を洗おうと洗面所のドアを開けたその時だった。


「……へ」


 時が止まった。


「……あ、え」


 俺は小さく切れた声を出して停止した。

 時が止まったなんて言えば聞こえは良いが、要は動揺を隠しきれずに戸惑っただけだ。


 神楽坂撫子がほぼ半裸状態でそこにいた。


「あの、これは、えっと」


 言葉が出ない。

 必死に絞り出そうとするが何も出てこない。人間、非常事態に直面すればここまで頭が回らないのか。


 シャワーでも浴びていたのか、髪はまだしっとりと濡れていて、体の水滴はタオルで拭き取ったようだが服は着れていない。タオルは頭にかけられており体は全く隠していないが、不幸中の幸いか下着は装着済みだった。フリルとリボンのついた白色のブラとパンツがしっかりと脳内メモリにセーブされてしまう。


「遊介くん?」


 撫子さんったら、ずいぶんとご立腹なご様子だこと。

 恨めしそうな半眼をこちらに向けて、眉がぴくぴくと動いている。これをお怒りと言わずに何と表現するだろうか。


「不可抗力と言うかだな、これはカギをかけていないそちらにも否があるのではないかと俺は言いたい」


「いいからさっさと出ていってくださいっ!」


 女子はラッキースケベ展開が発生すると、とりあえず近くにあるものを投げてくる習性でもあるのだろうか。洗濯機の上に置いていたパンツを投げてきた。

 投げた直後に自分の犯した失態に気づくが、既にパンツは俺に向かってきている。

 これは俺、完全に悪くないよなあ。


「……」


 ふわ、と。

 投げられたパンツは俺の顔に当たり、そのままズルズルと地面に落下する。

 一瞬暗くなった視界が明るくなった瞬間、頬に痛みを感じた。


「いやあああああああああああああああああ!」


 どうやら、頬にビンタを喰らったようだ。

 俺は悪くない。けれども、これはこれで仕方のないことなのだろう。どこにぶつければいいのか分からない妹の感情を受け止めてやるのも、兄貴の仕事なんだと思う。

 ……たぶん。

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