第3話
そんなことがあった昼休みのことだった。
「なあ尊、一緒に飯でも」
「よしてくれ、今のお前と一緒に飯を食うくらいなら俺はぼっち飯を実行する!」
尊を飯に誘うと、朝の出来事を引きずっていて断られた。
今日は遅刻寸前だったこともあって昼食の準備をして来なかった俺は、仕方なく一人で購買部へと向かう。食堂もあるが、あそこに一人で行くのは何だか気が引ける。
「はあ」
朝の出来事を思い出しては、思わず溜め息が出てしまう。
朝助けた人が転校生で、その転校生が可愛くて、しかもちょっと俺のことを気にしてくれている感じ。
あれ、ちょっと待てよ。
よくよく考えたらそれってすごいラッキーなことじゃね? もしかしてだけど、神社に行ったご利益的なものじゃないですかねこれは。
いやいや、しかし俺には四条撫子という心に決めた相手がいるわけだし……でもでも四条は俺のことなんて見向きもしてないし。ここは花宮椿ルートに行ってしまうのがいいのではなかろうか?
でもあいつ俺のこと勘違いしている節があるしな。
「あ」
考え事をしながら歩いていたせいで、階段を踏み外した。
気づいたときにはもう遅く、俺の落下は始まっていた。幸いだったのは途中まではちゃんと降りていたので、そこまでの高さはなかったこと。
しかし不幸なことに、俺の落下地点に女子生徒がいた。
「あぶ」
漫画のように、咄嗟に声が出るはずもなく、下にいた女子生徒はこちらに気づいたがもちろん時遅である。時既に遅しである。
「ぐあ!」
可愛らしい声で、何やら鈍いセリフが聞こえた。
なんだそれ、女子の言うセリフじゃないだろ。
なんて、考えることができているということは、どうやら無事だったようだ。
「いたた、どうやら助かったようだ、けど……」
やけに柔らかい感触が手のひらにあった。
平べったい、だけど確かな柔らかさがある。この気持ちいい感触はまさか、と俺は恐る恐る目を開いた。
「んっ、ぁ」
「……」
青ざめた。
俺はさっき下にいた女子生徒に馬乗りになっていて、その手がなんと彼女の胸元にあった。
幸いだったことは周りに人がいなかったこと。こんな姿誰かに見られたらぶっちゃけ俺の学生生活が終わりだ。どころか出方によっては人生終わるまである。
「あ、えっと……大丈夫?」
俺が言葉を絞り出すと、下の女生徒はこちらをギロリと睨んでくる。
「そんなことより、さっさとその手をどけろ!」
言われて、俺はようやく彼女の上から移動した。思考が停止するってああいうことを言うのか。目の前の状況が受け入れがた過ぎて、状況判断を諦めていたぞ。
彼女は起き上がり、制服についた汚れを払う。
白髪、いやシルバーだろうか? 色の抜けた短い髪に真紅の瞳が印象的だった。あんな目の人を見たことがない。日本人ではないのか?
ブレザーのボタンは留められておらす、中のカッターシャツがしっかり見えている。チェックスカートから伸びる足は黒いハイソックスに包まれていた。ネクタイの色が緑なので、一年生だろう。
「貴様、この我が肉体を触っておいてただで済むと思うなよ! 覚えておけ!」
自分の体を守るように抱いて、顔を赤くしたその女生徒は勢いよく言う。
「貴様……?」
捨て台詞のようなものを吐き捨てた少女はそのまま走り去っていった。
通報されないことだけを祈ろう。
* * *
その日の放課後。
いろいろなことがあって疲れ切った俺は、その時間をどれだけ待ちわびたことか。
生徒指導室に呼び出されなかったところを見ると、昼休みの一件は先生の耳には入っていないようだ。いや、そもそも報告しようにも相手は俺の名前を知らないか。
「遊介って何か部活入ってんの?」
「いや、帰宅部だけど」
ホームルームが終わると、生徒は散っていく。部活に行くもの、友達と遊びに行くもの、家に直帰するもの。そんな様子を眺めていると、機嫌を直した尊が俺の席にやってくる。
「じゃあどっか寄ってかないか?」
「……今日は帰るわ。なんか疲れた」
ちょっと考えてから答える。
「なんだよツレナイなー。若い男がこれくらいで疲れてどうするよ。そんなんじゃ、彼女ができてもハッスルできないぜ?」
ぱちりとウインクしながらそんなことを言ってくる。
「下ネタの解禁が早えよ」
「男同士なら出会って五秒で下ネタオッケーだろ」
「そんな基準今すぐ捨てろ!」
俺が言うと、尊は仕切り直すように話題を戻す。
「ま、それなら仕方ない。他のクラスの様子でも見てくるわ。んじゃな」
「ああ、また明日」
軽く手を上げて教室を出ていく尊の姿を見届けてから、俺はゆっくりと席を立つ。
ここにいてもすることはないし、今日はさっさと帰るとしよう。
いろいろあって疲れた。
教室を出て廊下を歩く。二年三組の教室は三階なので階段を降りるが、この距離が意外としんどかったりする。この程度をしんどがっていては、それこそ若いのに何言ってんだと言われかねないが。
昇降口にたどり着き、靴を履き替える。
そして出ようとしたときだった。
「ちょっと待って」
後ろから声をかけられ、腕を掴まれた。
ぶっちゃけ声をかけられただけならば自分だとは思わなかったからスルーしていたが、まさか俺に話しかけていたとは。
女子の声だったからもうその時点で自分だという選択肢は除外していた。
「えっと、どこかでお会いしましたっけ?」
知らない女生徒だった。
え、今日何回目? 知らない女性に声かけられすぎだろ。なにこれ、モテ期でも来たの?
いや、これまじでモテ期ってやつじゃね?
でも結論を急ぐのはよくない。これだって何が理由で呼び出されたか分からないし。変な勧誘とかかもしれない。
「んー、まあ、ここで会ったってことで」
「よく分かんないです」
靴の色が青色だ。
つまり、彼女は三年生――先輩ということになる。
茶色に染めた髪は肩辺りまで伸ばされていて、彼女が動くとサラサラと揺れる。モデルのようなプロポーションは魅力的で、さぞ男子の視線を奪っているだろう。かくいう俺だって、彼女のボタンの開いた胸元についつい視線が誘導されてしまう。
くそう、これがミスディレクションってやつかッ!
「ちょっと付き合ってくれる?」
「あの、俺お金とかは持ってなくて」
こういう時はだいたいカツアゲだ。
女性一人で油断させておいて、ひと気のないところに行った瞬間に物陰からバリバリのヤンキーが出てくるに違いない。
「そういうんじゃないよ。私って第一印象そんな感じなの?」
「まあ、だいたいは」
「失礼しちゃうわ」
ぷんすかと怒りを顕にしながら、その先輩女生徒は俺の腕を引っ張って無理やり場所を移動する。力では抵抗できるだろうに、なぜか力が入らない。彼女から香る心地いいにおいが俺の抵抗しようという気持ちを削いでくる。
そして、連れて行かれたのは校舎裏だった。
うわあ、これ絶好のカツアゲスポットやん。
物陰のオンパレードや。
俺は至るところにある物陰を確認する。そこに人の気配があるような気がしてならないが、確証はないので責められない。
「さて、それじゃあ本題に入ってもいいかな?」
「あの、もう一度言いますけど俺お金はあんまり」
「だからカツアゲじゃないよ!」
声を荒げたことにハッとして、先輩女生徒は一度大きく深呼吸した。
「お姉さん、そういうくだらないことはしないわ」
「でも、それ以外に見ず知らずの女性にひと気のない場所に連れて行かれる理由が思い当たらない」
「本当に?」
言いながら、彼女は俺との距離を一歩詰める。
それに怯えるように、俺は一歩下がった。
「私のこと、知らない? 自分で言うのは何だけれど、結構有名だと思うのよね」
「ご存じないです」
「あら、そう」
そして、再び一歩迫ってくる。
俺はまた後ずさる。
が。
壁に追い込まれてしまった。
「じゃ、自己紹介しとこうかな。私は三年六組の天王寺紗千香。親しみを込めてサッチーと呼んでくれていいよ」
「遠慮しときます」
俺が後ろに下がれないのをいいことに、天王寺先輩は俺との距離を一気に詰める。
そして、その距離はおよそゼロメートルとなる。壁ドン的なものをされて退路を絶たれ、俺の顔を覗き込むように至近距離に顔を持ってくる。
赤面する俺を見て、おかしそうに笑ってくる。
「照れてるんだ」
「そんなんじゃないですが」
「じゃあ、私の目を見てよ」
「……」
こんな近くにいる相手の目なんて見れるか。しかも相手女子だぞ。
「できないんだ。それとも、もっとお姉さんのおっぱい見ていたいのかな?」
バレてた!
俺は動揺して、顔を上げる。
あと僅か、顔を動かせば互いの唇が重なるくらいの至近距離。俺は驚いて動けないでいたのだが、天王寺先輩は一瞬驚いたように目を開いて、そして俺との距離を少しだけ取るために一歩下がる。
「まあ、冗談はこれくらいにしておいて」
「冗談が長いよ」
ていうか、冗談になってないよ。
まだ心臓がバクバクしてやがる。
ちきしょう、これじゃあまるで俺が童貞みたいじゃねえか。童貞だけども。
「さて、されじゃあついに本題に突入しちゃおうかな」
「巻きでお願いします」
こんなところにこれ以上いたら心臓がいくらあっても足りないぜ。
「きみ、お姉さんとお付き合いしない?」
「は?」
沈黙。
お互いが黙ったのだけれど、まるで時間が停止したような感覚だった。
俺はもちろん想定外の発言に驚いたけど、天王寺先輩も何故か想定外のリアクションされたような顔をしている。なんでその顔ができるんだよ。
「えっと、聞こえた?」
動揺が見て取れる。
目の前の現実が信じられないように、そんな意味もない確認をしてくる。
「もしかしたら、聞こえてなかったかも」
空耳かもしれない。
あるいは、何か別の意味があるのかもしれない。
俺がそう言うと、天王寺先輩はこいつやるなあみたいな顔をする。
「お姉さんに二度目の告白をさせようなんて、正直驚きだわ」
告白って言ったよ。
父さん、俺会ったこともない見知らぬ女性に告白されちゃったよどうしよう。
「これで最後だよ。お姉さんの、彼氏になって?」
「ごめんなさい」
これはあれだ。
きっと詐欺的な何かだ。
あるいはドッキリだ。
この告白を受け入れた瞬間に物陰から看板やカメラを持った人達が現れるんだ。そしてそれをネットに晒されて俺は笑いものにされるんだ。
そんなことされてたまるか。
その思い一つで、俺は即答し頭を下げてその場を去った。
「あ、ちょっと待ってよー」
後ろから声がするが、俺が足を止めることはなかった。
男は後ろは振り返らない生き物なのだ。
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