第2話


 春は出会いの季節だと言う。


 さらに春は新学期の始まりだ。

 ということで、俺は春休みの終わりにやや遠くにある有名な恋愛成就の神社にお参りに行った。


『彼女ができますように』


 そう祈った。

 別に神様を信じているわけではない。


 だけど、何か“きっかけ”が欲しかったのだ。

 部活に入っているわけでもない俺は暇な春休みを引きこもりで過ごし、せめて何かしようと思い行動に移したのだ。

 そして、心機一転の新学期が始まっった。



 * * *



「くそ、なぜアラームが鳴らなかったんだ!」


 新学期初日早々、俺は遅刻の危機にさらされていた。

 うちは母が幼い頃に他界し、それからは親父と二人で暮らしていた。親父は仕事で家を出るのが俺よりも早いので、俺が起きる頃にはもう家にはいない。


 つまり、寝過ごした俺を起こしてくれる人物がいないのである。

 電車に乗り、学校の最寄駅からダッシュで向かう。


 駅から走れば一〇分かからない。運動が得意というわけでもないが、度重なるこの遅刻ダッシュのおかげである程度のスタミナはついた。


「これなら、ギリギリ間に合うか」


 スマホで時間を確認し、少しばかりの猶予があることに安堵した。

 その瞬間だった。


「ひゃあ」


 何かにぶつかった。

 さらに。

 びゅん、と後ろから猛スピードの車が通り過ぎていった。この細道を走るようなスピードではなく、スピード違反は確実だろう。


「……危ないな、あの車」


 起き上がりながら、俺は文句を吐いた。

 そして、何かとぶつかったことを思い出す。何かっていうか、声もしたしまあ人なんだろうけれど。


「だ、大丈夫ですか?」


 俺は倒れている人に手を差し伸べた。

 そこにいたのは女の子だった。


 尻もちをついたその子は、ぼーっと俺の顔を見つめていた。

 なに、俺の顔になんかついてる?

 そんなことを思いながら顔をペタペタ触ると、口元にご飯粒がついていた。昨日の残りの白米でおにぎりを瞬時に作り、走りながら食べたのでそのときについたのだろう。


 恥ずかしいな、全く。


「ありがとうございます」


 そんなことを思っていると、その子は俺の手を取って起き上がる。

 そしてぺこりと頭を下げるのだった。


「いえいえ、俺の方こそ」


「あなたが助けてくれなかったら、車とぶつかるところでした」


 んんー?

 この子何か勘違いしてるな。


 これは完全に俺の前方不注意による事故なのだが、どうやら車とぶつかりそうだった彼女を助けたということになっているらしい。

 まあ、それならそれで別にいいか。


「いえ、お互い怪我がなくてよかった」


 長い金色の髪に加えて碧色の瞳はまるで漫画の中のキャラクターが現実に出てきたような非現実感を思わせる。赤いカチューシャが印象的な女の子だった。


「そうだ、遅刻寸前なんだった!」


 ハッと俺は思い出す。

 自分の置かれた状況を。

 これだけ美人な人なら、もうちょっとお話していたいところだが仕方ない。新学期早々に遅刻するなんて幸先悪すぎるからな。


「ごめん、俺もう行くよ」


 それだけ言って、俺は走り去る。

 彼女が何か言っていたような気もするが、振り向く余裕はなかった。少しだけあった猶予はすでになく、ここからは一分一秒を争うからだ。


 しかし、ふと思い返すとあの子が着ていた服。

 あれは、大幕の制服だったような気がするのだけれど……。

 なんてことを考えながらようやく学校の前に到着した時、無情にも始業のベルが鳴り響いた。



 * * *



「おいおいお前、始業式早々に遅刻だなんて、やるじゃないか」


「いや全然やらないんだけど……ていうか誰だ」


 新しいクラスに知り合いが全然いなくて不安がっていると、一人の男子生徒が話しかけてきた。

 茶髪に猫目のその男子生徒は、俺の返事を聞いてケタケタと笑う。何も面白いこと言ってないんだけどな……。


「ファーストコンタクトがそれって、お前友達いなさそうだな」


「余計なお世話だ」


「ま、だから声をかけたんだけどな」


「どういう意味だ?」


「いやな、二年になって去年一緒だった奴らと別れちゃってさ、他の奴らはなんかある程度グループ化しちゃってるしどうしようかなと思ってたら、お前が遅れてやってきたってわけだ。しかしぼっち」


「ぼっちとか言うな」


 事実を突き立てられたら悲しいだろうが。

 そうか、こいつも俺と同じ悩みを抱えていたのか。


 去年同じクラスだった奴らは別のクラスに行ってしまい、ここには知ってる女子が数人程度だ。その中に四条撫子がいることだけが唯一の救いだけど。別に話しかけるほど仲良くはないんだよなあ。


 それに、こういう最初期のグループに話しかけるのはなぜか勇気がいるし抵抗がある。


「そういうわけだから、仲良くしてくれよ」


「同じ穴の狢ってことか。そういうことなら」


 なんかすげえ陽キャ感強いけど、悪いやつじゃなさそうだ。


「俺は下ノ関尊だ」


「俺は神楽坂遊介。よろしくな、下ノ関」


 俺が言うと、下ノ関がむっとした顔をする。


「俺のことは尊って呼んでくれ。下ノ関ってなんか関取みたいで嫌なんだよ」


「あんま思わないけど?」


「俺が思うんだよ。俺も遊介って呼ぶからよ」


「そう言うなら別にいいけどさ」


 気さくな奴だな。

 なんて感心していると、尊は思い出したようにハッとした顔をした。


「そうだそうだ、遅刻してきたお前は知らないだろうけどさ、今日転校生来るらしいぜ」


「別に遅刻してきたくだり言う必要なかったろ」


「しかも超絶美人だって噂だ」


 しっかり俺の言葉はスルーしやがった。


「可愛い子がクラスにいるってだけで空気が和やかになるからいいよな」


「言いたいことは分からんでもないけど」


 そんなことを話していると、担任の先生が入ってきた。

 そして転校生が来るぞーと言うと、お約束のようにクラスの連中が騒ぐ。女子だということが正式に発表されれば男子が沸き、女子が沈む。そんな中で俺は、どうせどれだけ可愛い子が来ようとも俺とは関わりのない生徒になるだろうと、どこか冷めた気持ちで眺めていた。


「入ってきなさい」


 先生に呼ばれて、ドアが開く。

 廊下から入ってきたのは金髪碧眼の日本人離れした容姿を持った、まさしく美少女だった。


 その髪、その瞳、そして印象的な赤のカチューシャ。

 見覚えがある、なんて曖昧なことを言うまでもなく、今朝ぶつかった女の子だった。


「はじめまして、花宮椿です。分からないことだらけですが、どうか仲良くしてください」


 透き通った声が教室内に響く。

 登校中にぶつかった女の子が俺のクラスの転校してくるとか、どこの漫画だよ。使い古された設定だよそれはもう。


「あ」


 先生に案内され、席に移動する際に俺のことを見つけたその子は、微かに微笑みを浮かべるのだった。


「……こんなベタなことあるか?」


 俺の質問に、答えが返ってくることはなかった。

 朝のホームルームを終えると、転校生の花宮椿の席周りは生徒で埋め尽くされた。割合的には男子の方が多いものの、女子もしっかりと絡みに行っている。転校初日に話したいのは同性だろうに、男子共は必死だな。


 なんてことを考えて机に突っ伏していると、目の前に人の気配がした。

 尊か? いや、残念ながら尊は花宮の取り巻きの中にいた。だけどそれ以外に俺に話しかけてくるような生徒はいない。


 まさか四条じゃあるまいし。

 そう思い、顔を上げる。


「……えっと」


 そこにいたのは転校生、花宮椿だった。

 予想外の人物に、俺はどうしていいのか分からず、戸惑いの声を漏らす。

 なんで俺のところに? さっきまでまるで人気アーティストの如く人に囲まれていたのに。


 そう思い、花宮を囲んでいた集団の方を見ると案の定めっちゃこっちを見ていた。ここまで注目の的にされるのはごめんですねー。尊が裏切り者を見るような目してるし。


「朝はありがとう」


「いや、別に、全然」


「名前を教えてもらってもいい?」


「え、なんで……」


 俺が疑問を返すと、花宮はぷうっと頬を膨らませてしゃがみ込む。机に顔を置くようにして俺を見てくるものだから、俺たちの距離は一気に縮まる。

 そして再び感じる殺気のようなもの。


「恩人の名前が知りたいだけ。だめ?」


「ああ、そういうこと……神楽坂遊介です、よろしく花宮さん」


 俺が作り笑いを浮かべて言うと、にいっと笑った花宮さんは立ち上がる。


「神楽坂、遊介。よろしくね、遊介くん。あ、あと私のことは椿でいいよ」


 それだけ言って、花宮椿は颯爽と俺の席から離れていった。

 しかし、殺気立った視線が消えることはとうぶんなかった。

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