第39話 記念の変身アイテム


 キナ子おすすめの坂道を見た後、なんとなく歩き始める士郎と葵ちゃん。

 日はすでに傾き、空は深い群青色。地平の端っこだけが赤く染まって、夕焼けの名残りを惜しんでいる。

 気の早い街灯が光を灯し、黄昏を呼びこんでいた。

 士郎と肩を並べて歩いていた葵ちゃんが、ふいに口を開く。

「これ、剣豪戦隊にあたしを入れるための作戦ですか?」

「いいや」

 士郎は歩きながら、おおきく伸びをする。

「うちは、そういう堅い戦隊じゃないから」

 ふたたびの沈黙。


 やがてぼつりぼつりと語りだす葵ちゃん。

「あたし、小さいころは、当たり前だけど男の子として育てられました。だけど、だんだん自分の中でなにか違うなって感じるようになって、やがて分かったんです。ああ、あたしは女の子なんだなって。可愛い服着たいし、可愛いものが大好きだし、綺麗だとか可愛いとか言われたいなって。カッコいいものとか、、強いものとか、そういうのが好きな女子もいるけど、あたしは普通に普通の女の子なんです。ただ、身体が男なだけで」


 士郎は答えなかった。下手に同調したり同情したりは、やめておいた。彼女の苦しみは、しょせん士郎には分からないことだから。


「赤穂くん、この辛さ、分かりますか? 自分は女の子なのに、身体が男の子だという辛さ。赤穂くんがもし、いまこの瞬間に身体が突然女になったら、どうします? トイレに行ったらしゃがまなきゃならないし、体育の着替えは女子の集団の中で、みんなに普通じゃない自分の身体を見られることになる。銭湯なんて、すっぽんぽんで全裸の女子の群れの中にひとり飛びこんでいくことになるんですよ」


 ここで葵ちゃんはふふふっと笑った。


「赤穂くんは男子だから、そういうの嬉しいのかな? でも、それが一生、死ぬまで訂正されない間違いだとしたら……」

 士郎は何も言わず、隣を歩く葵ちゃんの横顔を視た。

 彼女は苦しそうな顔も辛そうな顔もしておらず、ちょっとだけ頬をゆるめて温もりのある笑みを浮かべている。


「だからあたし、決めたんです」決意表明のように彼女は士郎に宣言する。「あたしは嘘をつくのはやめて、女子として生きようって。女の子の服を着て、女の子の通う学校にいって、普通の女の子として、自分のしたいように楽しんで生きようって。といっても、やっぱ男の子の身体で女湯は入れないし、学校でも女子トイレを使うのは無理だから、そこは諦めるんだけど」

「え、学校で男子トイレ使ってるの?」

「基本いかないようにしてます。ま、そういう訳にはいかないので、隠れて」

 くすくすと笑う。

「そっかぁ」

「だって、赤穂くんだって、女子がいきなりトイレに入ってきて、赤穂くんの隣で、立っておしっこし出したら、嫌でしょ。いろいろ苦労があるんですよ、身体が男子の女の子が、女子として生きようと思えば」

「うーん」

 士郎は腕組みして唸ってしまった。


「だからあたし、戦隊はやりません。他にやりたいことがたくさんあるから。でも、みなさんのこと、嫌いじゃないですよ。水戸さんみたいに、自分の好きなことに一生懸命なのって尊敬するし、黒田くんも格好いいし」

「いや、そこは勘違いしている。黒田はアホだ」

 その言葉に、けらけら笑い出す葵。

「お二人ともいいコンビですよね。黒田くんってやっぱ、赤穂くんの相棒だったんですね」

「相棒じゃねえよ! 相棒って言うな」

 強く否定してから、士郎は「あ、そうだ」といって制服のポケットをさぐり、取り出したものを葵に差し出す。鉄色の鍔だった。


「刀の鍔?」

 のぞきこんで、細い首をかしげる葵ちゃん。問うように、士郎のことを見上げる。

「キナ子からあずかった。これは剣豪戦隊の変身アイテム『ツバチェンジャー』だ。横の電源ボタンを押して叫べば変身できる。ま、戦隊をやらないっていうんなら不要なものだけど、キナ子曰く、葵ちゃんには持っていてもらいたいんだってさ」


 葵ちゃんは士郎の手の中にあるツバチェンジャーを細い指でつまみあげた。

「じゃあ、記念にいただいておきます」スカートのポケットにそれをしまい、ちょっとだけドヤ顔で笑う。「これであたしも剣豪戦隊の一員ですね。補欠かもしれないけど。世界がピンチになったときは、言ってください。駆けつけますよ」

 そういって、嬉しそうに笑った。


「あ、あたしのうち、こっちだから。ここまででだいじょうぶです」

「あ、そう」

 士郎が目を上げると、そこには大きな集合住宅の建物が何棟も並んで聳えていた。

 ──大江戸団地。

 どきりとして彼は目を剥いた。

「え、葵ちゃん。大江戸団地に住んでいるの?」

「はい。叔父がここに住んでいるので」

「へー」

 士郎は夜の闇にそびえる巨大な城塞のごとき建物を見上げる。

「あの、なにか?」

 問われてあわてて否定した。

「いや、なんでもないよ」

 無理に笑ってごまかすと、「じゃ、また学校で」と彼女に手を振って別れた。

 だが、その足でちかくの電柱のかげに入ると、制服の内ポケットから印籠フォンを取り出す。

「黒田、いまどこにいる? ちょっと厄介なことになった……」



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