第35話 となりの名護屋さん


 池波桃李がドアをあけて外に飛び出すと、ちょうど隣の部屋から名護屋さんが出てきた。

 名護屋さんは最近この団地に越してきた女の人で、背は高いが髪はぼさぼさ、お洒落さのかけらもない眼鏡をかけている。今日も、だぶだぶのトレーナーにカーゴパンツという姿。トレーナーには7583という数字が胸にプリントされていて、名護屋さんいわく、「7583」で「ナゴヤサン」と読むらしい。それにしてもこのトレーナー、どこで買ってきたんだろうと桃李はいつも思う。


「おお、桃李殿」名護屋さんが桃李の顔をみて嬉しそうに笑う。「拙者これから、公園でコーヒーを喫するのでござるが、桃李殿もいっしょにどうでござるか」

 名護屋さんは自分のことを拙者といい、変なござる言葉で話す。朝は姿を見せず、だいたい夕方くらいから現れて、団地とその近所の公園をぶらぶらしている。はっきり訊いたわけではないが、きっとニートの腐女子だと思う。

「うん、行こう」

 桃李は即答した。名護屋さんがいつも缶コーヒーを奢ってくれるからだ。

 二人で歩きながら話をする。

「桃李殿はいつもひとりですな。友達と遊んだりはしないのでござるか?」

「遊ばないよ、あんなやつら。戦隊ごっこばっかしていて、ガキみたいだ」

「桃李殿は、戦隊ごっこ、嫌いでござるか」

「大嫌いでござるね! だって俺、いつもピンクやらされるから」

「あ、そんなこと、前も言っていたでござるね。名前が桃李だから、ピンクだって。別にピンクでもいいではござらぬか」

「やだよ、ピンクなんて女役じゃん。そんなの女にやらせればいいんだよ」

 ちょっと腹が立って、桃李はだまってしまった。

 なんか気まずい雰囲気で公園まで行き、それでも名護屋さんは自販機で桃李に缶コーヒーをかってくれて、「どうぞでござる」と渡してくれる。

「かたじけない」

 二人してベンチに腰かけて、コーヒーを飲んだ。

「ねえ、名護屋さん。なんか最近うちのお母さんが変なんだ」

 思い切って相談してみた。こんなこと相談できるのは、名護屋さんしかいないから。

「変? 変とは?」

「なんか、ぼーっとしていて、動かないんだ。でも、ご飯はちゃんと作ってくれるし、洗濯とかもしてるんだけど、なんかまるで感情のないロボットみたいになってしまって」

「ふむふむ」名護屋さんは興味深げに耳を傾ける。「それはいつ頃からでごさるか?」

「うーん、一週間前くらいかなぁ」

「ふむふむ。とすると、拙者が越してきてすぐ、くらいですな。他におかしいことはあったでござるか?」

「うーん。あ、そうだ。隣の柴田さんっているでしょ。うちの隣、名護屋さんちの隣の隣」

「いましたかな?」

「いましたよ。その柴田さんも、変なんだ。やっぱりロボットみたいで。もしかしたら、宇宙人の侵略かもしれないんだ」

「そうなのでござるか?」

 名護屋さんは眉をぴくぴくさせて周囲を見回す。


 ちょうどそこを、「とぉー」という気合を発して、同じクラスの加藤たちが走り抜けていく。佐々木と古川もいる。奴らはたのしそうに声を上げながら、桃李と名護屋さんの前で戦いを始めた。いつもの戦隊ごっこだった。

 加藤がレッド、佐々木がブルー。古川は相変わらず怪人をやらされているらしい。

 そこそこ戦ったあとで、加藤が「おい、池波。おまえもやる? ピンクでいいなら俺たちの戦隊に加えやるぜ」と誘ってきた。

「いや、いいよ。今日は腰が痛いんだ」

 嘘だけど、お父さんみたいな言い訳して戦隊ごっこには加わらない。


 隣で名護屋さんが「やっぱ、レッドとかブルーが人気でござるか」と、うんうんうなずいている。

「あんなの、ヒーローじゃねえよ」

 桃李は空になったコーヒー缶をそばのゴミ箱に放り投げた。缶はゴミ箱に入らず、そばの地面に落ちる。

「ちっ」

 舌打ちして立ち上がり、腹立ちまぎれに缶を蹴飛ばすと、遠くに転がった。さらに舌打ちしてそれを拾いにいき、ゴミ箱までもどす。


「じゃ、名護屋さん、俺、宿題あるから」缶を捨てながらそう言うけど、自分でも声が不機嫌だなと思ってしまう。「コーヒーありがとう」

 一応お礼だけは言っておいた。またおごってもらいたいから。

「おう。宿題がんばるでござるよ」名護屋さんも立ち上がる。「では、拙者は付近の偵察に参るでござる。また、明日。桃李殿」

「またね」

 家には帰りたくないけど、帰らないわけにはいかなかった。またあの、様子のおかしいお母さんと一緒に夜までいるかと思うと、それだけで気分が暗くなるから。



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