第3話 それ、ブゲイソードだから


「──なーんて言うとカッコいいですけどね」キナ子は照れくさそうに笑う。「でも、片手で持って振れって言われたら出来ませんよ。これは鞘に納まっているから抜き放てるんであって、このまま片手で振るのは無理ですね」

「そうなの?」士郎は大太刀をキナ子に返す。

 受け取ったキナ子は、鞘の鯉口こいぐちをつかむ左手の指で刀のみねを挟むと、逆手納刀さかてのうとうする。

 逆手納刀とは、刀の柄を逆手に持ちかえての納刀である。


 チビで眼鏡女子のくせに、刀を持たせると一々所作が格好いい。

「インターネットの動画なんかでも、大太刀の抜刀はいっぱい上がってますね。でも、ほとんどが軽い合金製の模造刀の抜刀ですよね。じっさいには、この重さの刀剣を二本指で保持したり、腕を振って抜くのは不可能ですから。本物の抜刀は、右拳の位置が動きません」

「あら、ずいぶん分かってきたじゃない」杏さんが感心したように言った。

「うっわっ!」

 突然、水戸杏、すなわちキナ子の母親がすぐそばに登場して士郎は後ろに飛び退った。

「ちょっと杏さん、急に出てこないでくださいよ。びっくりしますから」

「幽霊なんだから、びっくりさせるのが仕事みたいなもんでしょ」杏さんはにっこりと笑う。今日も刺し子の白い道着に黒袴。稽古着姿で登場だ。ちなみにキナ子のママの杏さんは何年も前に死んでいる。ここに姿を現した杏さんは幽霊であり、人によっては姿が見えなかったり、鏡に映らなかったりする。

「お母さん」キナ子は不機嫌に口を尖らせた。「やっと出て来た。呼んでも来ないくせして」

「それより、黄粉キナ子。あんた、抜刀のとき右手を左に振るってことに気づいたとは中々じゃない」

「お母さん……」

 杏さんは満足そうに笑うと、のしのしと武道場の中央に行き、床の上に正座した。

「ちょっと、抜いてみせなさいな」

「うん」

 キナ子が鼻の下あたりをヒクヒクっと震わせ、ちょっと泣きそうな顔になりながら、杏さんの前にいき、太刀を脇に置いて正座した。

 互いに礼して、帯刀する。杏さんは、木刀の小太刀を帯に差す。キナ子は大太刀を袴の上端から指を入れ、角帯の枚数を数えて鞘の先端──こじりを差し込んで帯刀した。

 正座した杏さんに対し、片膝ついたキナ子が静かに立ち上がり、すすっと前進し、密着して再び腰を下ろす。

 近っ。士郎は目をぱちくりした。互いの膝を交えた杏さんとキナ子が、一瞬動きを止め、次の瞬間立ち上がったキナ子の手には抜き身のブゲイソード。いつものように、魔法の如く抜刀している。

 二人は、早朝の武道場で、無言で居合の型を演じる。杏さんが小太刀を突き出し、キナ子が入れ違って一太刀浴びせる。互いに血振るいして、納刀。立ち上がり、離れるキナ子。

 一拍おいて再び立ち上がり、歩み寄って膝を交える。

 士郎は二人の型稽古を少し離れた場所で黙って見学していた。

 一度キナ子が間違えて杏さんの首に斬りつけてしまい、「ちょっとあんた、あたしを殺す気?」と注意されていた。

 しかし、不思議な光景だ。これが居合の型なんだ。静と動。そしておっそろしく静かで激しい。

 そんなことを思っていると、ふいに二人が帯から刀を抜き取り、一礼して稽古が終わった。

「まあ、形はそんなもんじゃない?」杏さんは平然としているが、キナ子は首筋にびっしり汗をかき、呼吸を荒くしている。「じゃあ、黄粉、この次は、そうね『外物とのもの』を教えるわね。赤穂くんもせっかくだから、なにかやるか? といっても、ジャージじゃ居合はできないね。木刀あるんなら、素振りをみてあげるよ」

「おねがいします」

 素振りを見るといわれたから、てっきり木刀を振らされるのかと思ったら、素手での素振りから始まった。まずは体構えの説明。そしてあっという間に話は脱線し、居合の雑談になってしまった。




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