36 貴賓室

 ──サラが神殿本部に連れてこられる前に時間は遡る。


 王都にあるアルムストレイム教の神殿本部で、バーバリ司教の付き人として潜入していたヴィクトルは、司教達が滞在する場所である司教館で日々情報収集に勤しんでいた。


 今日も日課である書類を処理していると、先程まで神殿の会議室で話し合いを行っていたバーバリ司教が不機嫌な顔で司教館の自室に戻ってきた。


「全くもってけしからん! 寄ってたかってワシに責任を押し付けるとは!」


 怒りが限界に達したバーバリ司教は、部屋に戻るなり首にかけていたストラを床に投げつける。


「王太子のせいで忙殺されていたのを知っておるくせに……! ワシに巫女見習いの話など聞いている時間など無いわ!!」


 バーバリ司教はこうして感情を爆発させ情報を漏らしてくれるので、ヴィクトルにとってとても扱いやすい存在だ。


 だから彼が荒れている理由も簡単に予想がついている。きっと王太子の視察日に会った巫女見習い──サラを放置した事を司教達から責められたのだろう。


「バーバリ司教様、どうか落ち着いて下さい。他の司教様達はバーバリ司教様が羨ましくて仕方がないのです」


 ヴィクトルはバーバリ司教の自尊心を傷つけないように声を掛ける。


「誰もがこの王都を司教区とする司教に任命されたがっていらっしゃいますから。きっとバーバリ司教様に取って代わろうと狙っているのでしょう」


「……ううむ……そうであろうな。ワシでもこの司教区を手に入れるのに苦労したからな……羨む気持は良く分かるぞ」


 ヴィクトルの言葉にバーバリ司教の機嫌は幾分か収まったようだ。ヴィクトルはそれとなくバーバリ司教から会議室で行われた話の内容を聞き出そうと考える。

 バーバリ司教の言葉から、サラに関わる話だったのは間違いなさそうだ。


「巫女見習いと言えばあの時の赤い髪の少女でしょうか。何か問題でもありましたか?」


「あの巫女見習い、よりにもよって王太子の元に下りおったわ! しかも離宮で孤児達の面倒を見ていると! そのせいで王太子の評判が上がっておるのだ!」


 バーバリ司教が悔しそうに顔を顰める。彼は王太子を目の敵にしていたので、王太子の評価が良くなることが許せないのだろう。


「しかもあの巫女見習い、貴賓室に滞在している例の者と関係があるらしくてな。それも踏まえてこの神殿に呼び出す事になったのだ」


「呼び出す……? この神殿本部にですか?」


「うむ。特例で巫女見習いから正式に巫女へ叙階させるそうだ。司教聖省には事後承諾となるであろうな」


 バーバリ司教の言葉にヴィクトルは驚いた。神殿本部がサラの事をこれほど重要視するとは思わなかったのだ。


「貴賓室に滞在している人物が気になりますね。その巫女見習いはいつ召喚するのですか?」


「先程バザロフ司祭が迎えに行きおった。奴はソリヤ地区一帯が管轄だからな」


「……そうですか。バザロフ司祭も大変ですね」


 珍しく早い神殿の対応にヴィクトルは内心で焦る。

 サラが正式に巫女になってしまうと神殿からの許可なく外出出来ず、いくら王太子でも自由に会えなくなるからだ。


 ──ここに来たが最後、サラは二度と王宮に戻ることは出来ないだろう。


 王太子はサラと神殿の人間が接触しないように気を配っており、王宮にいる部下達にも警戒させていた。だから大丈夫だろうと思うものの、嫌な予感がして胸がざわつく。


(きっと王宮の仲間が神殿の動きに気付くだろうし、心配無い……よな……いや、しかし……)


 念の為、ヴィクトルは王太子から貸し与えられていた魔道具を使って王宮に連絡を入れる事にする。

 会話が出来る魔道具ではないので今の状況を伝えるだけしか出来ないが、それでも情報をいち早く伝える事が出来る最速の魔道具だ。


 そうしてヴィクトルがこの件を知ってからしばらく、バザロフ司祭に連れられたサラが神殿にやって来たとの一報が届いた。


(やはり嫌な予感が当たったか……! くそっ! 神殿派の貴族連中が手助けしたな! 王宮に戻ったら何処のどいつか調べて引っ捕まえてやる!)


 ヴィクトルはサラを神殿本部から連れ出すにはどうすれば良いか必死に考えた。結果、貴賓室の要人に事情を話し、協力を仰ごうと思い至る。


 ヴィクトルにとって最優先するべきは、サラの身柄を保護する事だ。

 自分の主人である王太子が大切にしている少女を、何が何でも司教達から守らなければならない。その為には、神殿本部中を引っ掻き回す必要がある。


 その方法としてヴィクトルが考えたのは、要人を貴賓室から連れ出し、一旦用意した場所に隠れて貰う事だった。

 それから要人が逃げたと司教達に告げれば、彼らは神殿本部の人員を総動員して要人を探すだろう。

 そうなれば警備の隙を突いてサラを助け出した後、隠れている要人も保護出来るかもしれない。


 時間が無い中で思い付いた作戦なので、上手く行くかは未知数ではあるものの、今はこの案に賭けるしか無い、とヴィクトルは覚悟を決める。


(司教達はサラを正式な巫女にするために、小神殿で叙階を行うだろう。……となれば大司教や司教達は小神殿に集まる筈。その隙に貴賓室へ行けば──)


 神殿本部の貴賓室は法国の要人を迎え入れるため、堅牢な構造となっている。いくつもの術式で守られているので、たとえ神殿本部が破壊されたとしても、貴賓室だけは無傷で存在しているだろう。

 そんな貴賓室に出入りするためには、大司教と要人の世話をする使用人が持つ『鍵』が必要になる。


 以前から王太子に貴賓室の要人と接触するように命令されていたヴィクトルは、同じように神殿に潜入している仲間達と連携を取り、手回ししていたのだ。


(──殿下の言う通り準備していて良かった。よし、『鍵』を取りに行くか!)


 おそらく貴賓室の要人を餌に、サラをここまで連れて来たのだろうが、司教達が要人とサラをすぐに会わせるはずが無いと踏んだヴィクトルは急いで準備する。

 内心、連れられて来たサラの処遇が気になるが、流石に命の心配はないだろうと思考を切り替える。

 そして配膳係に変装したヴィクトルは、お茶や軽食をワゴンに乗せ、貴賓室へ向かったのだった。




 貴賓室があるエリアには侵入者防止のための結界が張られており、『鍵』を持たない人間が入ろうとすると、魔法で弾かれる仕組みになっている。


 仲間から『鍵』を入手したヴィクトルは、難なく結界を踏み越え貴賓室の扉の前に到着すると、扉をノックし「お茶をお持ちしました」と告げて中に入った。


「動くな」


 ──しかし、貴賓室に入った途端、何者かに背後を取られてしまう。


「なっ!?」


 簡単に背後を取られたヴィクトルは驚愕する。

 一瞬たりとも油断せず神経を尖らせ入室したはずだった──それなのに、この人物は難なくヴィクトルを拘束したのだ。


(どういう事だ!? 俺は油断していないし、身体も鈍っていないのに!!)


 ヴィクトルが王太子の側近として選ばれた理由の一つに、王国でも上位の強さを持っていたというのがある。

 だが、この人物は自分と比べ物にならない程の実力者だと──まるで次元が違う、とヴィクトルは瞬時に理解する。


「君が大人しくしてくれるのなら危害を加えるつもりはない。『鍵』さえ渡してくれればすぐに此処から立ち去ろう」


「待って下さい! 私は貴方の味方です! サラを助けるために此処へ来ました!」


「何……っ!?」


 背後の人物が驚いた隙に、ヴィクトルは自分の目的とサラが連れて来られた事を説明する。


「……と言う訳で、サラを無事に王太子殿下の元に連れて行かなければならないのです」


 王太子の為にも、サラが叙階を受け入れるのを阻止する必要があるのだ。


「……ったく、トルスティの野郎……!」


 ヴィクトルは背後で呟かれた言葉に驚いた。大司祭の名を吐き捨てるように呼び捨てるこの人物は一体何者なのか……?


「──悪かったな。俺の事はシスと呼んでくれ。知っての通りサラの育ての親だ」


 シスと名乗った貴賓室の要人は、白い長い髪を一つに纏めており、切長な紫色の瞳をした美丈夫で、さぞかしモテるであろう容貌をしていた。

 サラが「お爺ちゃん」と呼んでいたので、てっきり高齢の老人だと思っていたが、予想より遥かに若々しい。


「私はヴィクトルと申します。あの、シス様は一体……?」


「俺の話は後だ。悪いが俺はサラの所へ行かせて貰う」


 シスの言葉に、ヴィクトルは「は、はい!」と返事をし、慌てて貴賓室の扉を開ける。


 本来の計画ではシスに身を潜めて貰う予定だったのに、肝心の本人はサラのもとへ向かうと言う。そうなれば計画が狂ってしまうのだが、ヴィクトルはシスの言う通りに従うことにした。

 何故なら、このタイプは言い出したら聞かないのだと、今までの経験でよく理解しているからだ。


「おおーっ! 一年ぶりの外だー!」


 結界から出た途端、シスが喜びの声を上げる。


 まだ屋内ではあるが、ずっと貴賓室に閉じ込められていたシスは、解放感を味わうかの様に伸びをすると、首をコキコキと回す。


 そして「よしっ! 行くか!」と言ったかと思うと、いきなり廊下の窓から飛び降りた。


「ええーーーっ!?」


 突然五階から飛び降りたシスに面食らったヴィクトルだったが、気を取り直して急いで追いかける。


 シスが向かった先には洗礼などを行う小神殿がある。

 まだ正式な巫女でないサラが連れて行かれる場所は小神殿だと彼は知っていたのだろう。


(サラから変わり者だと聞いていたけれど……!)


 何もかもが予想外のシスであるが、人を惹きつける不思議な雰囲気を持っている、とヴィクトルは感じた。そしてとても頼もしいとも。


 だけど今の自分達は多勢に無勢で、かなり不利な状況だ。


(それでも──彼がいれば、無事にサラを救い出せる──!)


 初対面なのに、ヴィクトルは何故かシスにそんな安心感を覚えた。


 ──そうして、憧憬にも似た想いを抱きながら、ヴィクトルはシスに追いつこうと全力で駆け出したのだった。



 * * * * * *



お読みいただき有難うございました!( ´ ▽ ` )ノ


これからこちらの更新も隔週とさせていただきます。

ぬりかべ令嬢と交互の更新となります。

両作品ともどうぞよろしくです!❤(ӦvӦ。)


拙作にお☆様、♡やコメント本当に有難うございます!感謝です!

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