第27話 ハンカチの謎
王都にある神殿本部の貴賓室に、お爺ちゃんがいるかも知れないとエルが教えてくれた。
他にもこの一年の間に亡くなった司祭の有無も調べてくれた結果、該当者無しとの事でお爺ちゃんが無事生存しているとわかった私はほっと胸を撫で下ろす。
「エルの部下さんに、私達は離宮にいるってお爺ちゃんに伝えて貰う事は出来る?」
「次回会った時に伝えておきますよ」
「うん……有難う、それと離宮行きの事もよろしくお願いします」
エルと出会ってから、私の心配事が一つ一つ無くなっていく。
お金が無くて子供達の服が買えなかった事から始まり、テオの私への執着や助成金の不払いにお爺ちゃんの安否……。
いくら私が頑張ってもどうにも出来なかったこれらの問題が、エルのおかげで一気に解決へと向かったのだ。
(こんなにたくさん助けて貰ったのに、私はエルに何が返せるのだろう……)
元々は情報交換を条件にしていたけれど、私が渡した情報は対価として全く見合っていない。ただお爺ちゃんから聞いた話をちょろっと流しただけだし。
エルに何かお礼をしたいけれど、王太子へのお礼って平民が出来るものなのだるうか。
「……私、どうしてもエルにお礼がしたいんだけれど、どうすればエルは喜んでくれる? 私に出来る事があれば何でも言って欲しい」
お爺ちゃんから「借りは倍にして返すものだ」って教えられているし、このまま貰いっぱなしなんて私の矜持に反してしまう。
「えっ……」
私の申し出にエルは一瞬驚いた後、何故か顔を赤くして口元を手で隠すと、さっと私から視線を外す。
それからしばらくエルは黙っていたけれど、欲しいものを考えているのかな、と思った私はじっとエルの返事を待つ。
「……では、僕の側にいてください」
「へ?」
予想外のエルの返答に間の抜けた声が出た。
ぽかんとした私の表情を見て苦笑いを浮かべたエルが、椅子から立ち上がって窓を開けると、夜の冷たい風が頬を撫で、季節の変化を教えてくれる。
「これから王宮に来る貴女はきっと、僕について色んな噂を聞く事になると思います。そうなると貴女は僕に対して不信感を持つでしょう。だけど僕は……」
エルが言葉を詰まらせる。そんなエルの表情はとても辛そうで、そのまま窓の外の闇に溶けてしまいそうだった。きっとその噂とやらは良くないものなのだろう。
「……貴女にだけは、嫌われたくないんです」
エルの懇願するような言葉にドキッとする。
私がエルを嫌いになる訳がないけれど、私の気持ちを知らないエルがわかるはずも無く。
(ここで私がエルに告白しても、きっと同情か憐れみで言っていると思われるかもしれないな……)
今はまだ想いを伝える事は出来ないけれど、せめて行動で示してみようと思った私はエルにぎゅっと抱きついた。
「……っ!?」
私の突然の行動に狼狽えたエルの気配がするけれど、私は構わずエルに言った。
「わかった! エルが許してくれるならずっとそばにいるよ! 約束する!」
どうかエルに私の気持ちが伝わりますようにと思いながら、私はエルをぎゅうぎゅう抱きしめる。
──エルが王様になって、お妃様を娶るまでの期間限定だけれど、それでもそばにいられるのなら、私は最後までエルの味方でありたいと思う。
私の行動に硬直していたエルだったけれど、硬直から我に返ったのか私の背中に手を回すと、強い力で抱きしめ返してくれた。
久しぶりに感じるエルの香りと体温の温かさにホッとする反面、心の底から寂しさが込み上げてくる。
(一刻も早くこの恋心を友情に昇華させないと……いつかエルに迷惑をかけちゃう)
私は必死に自分へと言い聞かせる。この人の腕の中は私のものじゃない──私が知らないお姫様か令嬢のものなのだ──と。
「有難うございます……! すごく嬉しいです……!」
エルの心地よい声が私の耳を震わせる。美形な人って声も綺麗なんだと改めて実感する。顔だけじゃなくて身体の作りからして普通の人と違うのだろう。
何となく自分から離れるのが嫌だった私は、エルが身体を離すまでこの状況を感受させて貰う事にする。
「喜んでくれるのは嬉しいけれど、エルに頼まれなくても私はエルの味方だよ? 他にして欲しい事無いの?」
これと言った特技がない私に出来る事は限られてしまうけれど、それでもエルの役に立ちたいのだ。
「……では、貴女の刺繍が入ったハンカチをもう一枚いただけませんか?」
「ハンカチ……? それだけでいいの?」
「はい。貴女にいただいたハンカチを洗っている間、手元にないのが寂しくて。以前からもう一枚欲しいなと思っていたんです」
(そう言えばエルに贈ろうとエルの名前を刺繍したっけ……あ!)
色んな出来事があってすっかり忘れていたけれど、エルにハンカチを渡そうとしたら何故か朝だった事を思い出す。
「そう言えば! あの時何があったの!? エルにハンカチを渡した後の記憶がないんだけど!」
起きた時ハンカチが無かったから、ちゃんとエルに渡せたとは思っていたけれど、それからしばらくエルが来なくて……エリーさんから廃神殿の話を聞いたんだっけ。
「それは……」
エルが戸惑ったように言葉を詰まらせる。そんなに言い難い事があったのだろうかと不安になってくる。
「……っ! そんな不安そうな顔をしないで下さい。あの時の事は僕にもよく分からなくて、どう説明すれば良いのか……」
未だに私を抱きしめていたエルの手が、私の背中をポンポンとあやすように優しく叩いてくれる。それがあまりにも気持ち良すぎて、気を抜いたら眠ってしまいそうだ。
流石にこのままの体勢だとヤバいかもしれない。
とっても名残惜しいけれど、そろそろ身体を離した方が良いかもしれないな、と思って身を捩ると、それに気づいたエルが抱きしめる腕に力を込めた。
まるで逃さないとでも言うようなエルの行動に、私の胸が嬉しさでドキッと跳ねる。
(そんな事されちゃ誤解しちゃうじゃん……ホント、エルは罪作りだなぁ……)
エルはただスキンシップが過剰なだけなのだと自分に言い聞かせながら、エルが話してくれるのをじっと待っていると、エルがあの時起こった事を教えてくれた。
「あの時──貴女からハンカチを受け取った瞬間、強い光が出たかと思ったら僕の魔法が無効化されてしまって」
「は?」
「貴女に会う時は髪の色を変える魔法やもしもの時のために防御魔法を掛けていたのですが、ハンカチに触れた途端僕に掛かっていた魔法が全て無効化されたのですよ」
「ええーーー!?」
驚いた私は思わずエルから離れて彼の顔を見る。以外にも真剣なエルの表情に、その話が冗談などでは無いのだと理解した。
あの日の私は光を見た後、気を失ってしまったから知らなかったけれど、あの後エルの髪の色は金髪に戻ってしまったのだそうだ。
私が気を失わなければ、もしかするとその時エルの正体に気付いたかもしれないのに……惜しい事をした。
「貴女はあのハンカチに何かされたのですか? 王宮の魔術師に見て貰いましたが、特別な術式が組まれた形跡もない普通のハンカチだと言われました」
「術式!? いやいやいや!! 私がした事って、ただエルの名前を刺繍しただけだし! 生地だって普通のものだし……!」
エルが王族だって知っていたらもっと高級な生地を用意したのに。庶民が普段遣いしている布を渡してしまった事に少し恥ずかしくなる。
「それに刺繍したものならいくつかランベルト商会に卸しているけど、今までそんな話は聞いた事がないよ!」
何か問題が起こればナターリエさんが教えてくれるだろうし、作品をおばさま方にプレゼントした事もあるけど、いつも喜んでくれているし。
(いつもと違うと言えば、エルを想って刺繍したぐらいかな……。まあ、これは話す必要ないか。こんなの知られたら恥ずかしいし!)
私の話を聞いたエルは、何かを考えているのか黙り込んでしまった。
「……何か思い当たる事でもあるの?」
「思い当たると言うか……もう一つお聞きしたい事があるのですがよろしいでしょうか?」
エルが殊の外真面目な顔をしているので、大切な話かなと思った私は思わず姿勢を正す。
「はい! どうぞ!」
姿勢を正したからか、つい畏まった返事になってしまったけれど、正直何を聞かれるのだろうと内心ドキドキだ。
「貴女の魔力はどの属性ですか?」
「……ん? 私の属性? ……そう言えば何だろう?」
「──え……!?」
予想外だったのだろう、私の返事にエルが絶句している。
今まで気にした事がなかったし、鑑定の儀に出ていないので、私は今更ながらに自分の属性を知らない事に気が付いた。
「え、えっと……! お爺ちゃん……じゃない、司祭様は受けなくてもいいって言ってたし、鑑定の儀を行う神殿はちょっと遠かったし……」
別に悪い事をした訳でもないのに言い訳みたいになってしまった。
でも魔道士になるつもりなんて無いし、生活に不便さも感じなかったから魔法を使う機会も無いしで、私自身、属性の事なんてすっかり忘れていたのだ。
「そうですか……では、今度神殿で鑑定して貰いませんか?」
「うーん、そうだなぁ。でも私の属性はお爺ちゃんが知ってると思うから、戻ってきたら聞いてみるよ」
八歳になる子供は無料で鑑定の儀を受けられるけど、それ以外の年齢で受けようと思うと結構な金額がかかってしまうのだ。自分としては無駄な出費は抑えたい。
「……貴女がそれで良ければ」
私が属性について積極的に知りたいと思っていないのを察したのだろう。エルはそれ以上追求してこなかった。
そうしてエルとたくさん話してスッキリ出来た私は、離宮に行くための準備に備えて休む事にする。
気がつけば夜はすっかり更けていて、早く寝ないと寝坊してしまいそうだ。
「お疲れのところ夜分遅くまですみませんでした。貴女が離宮に来る事を了承してくれて嬉しいです。しばらくは落ち着かないと思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」
「うん、私も頑張る……じゃない、頑張ります! どうぞよろしくお願いします!」
いつも通り返事をしようと思ったけれど、お世話になる人に対して使う言葉遣いじゃないと気付いた私は慌てて言い直す。
そんな私をエルは優しい瞳で見つめると、そっと顔を寄せ、私のおでこに唇を落とした。
「……!? ……!!」
おでこにキスをされたと気付いた私の顔が熱く火照る。
「では、僕はこれで失礼しますね。おやすみなさい、いい夢を」
エルはそう言うといつものようにひらりと窓から飛び降りていく。
私は驚きのあまり口をパクパクさせる事しか出来ず、挨拶もろくに出来ないままで。
──結局、エルの事が頭から離れなかった私は、案の定ろくに眠れず朝を迎えたのだった。
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