第15話 不安

 ──エルが来なくなってから十日が経った。


 エルが来なくなっても相変わらず贈り物は届けられるから、何処かで祓われた訳ではないと分かるけれど……。

 それでもエルが来るようになってから、今まで五日と空いた事が無かったので流石に心配だ。


(今日は来てくれるかな? せめて元気だと知る事が出来れば良いのに……)


 この王国は法国にとって物理的に重要な場所に位置しているから、かなり高位の聖職者が訪れる事も珍しくない。そうなると必然、護衛の質も高くなる訳で。

 聖騎士団に見付かったら流石のエルも無事では済まないと思う。


(エルの事だから騎士団に見付からないように注意はするとは思うけれど、どうやらエルはこの国の内情を知りたいみたいなんだよね……私に街の様子や領主の事を調べさせようとしたぐらいなんだし)


 一体エルが何を考えているのか、全く分からないのがもどかしい。私に手伝える事があればいいのに。まあ、巫女見習いの私にできる事なんて何もないかも知れないけれど。


 ちなみにエルが言っていた「街へは行くな」という約束はちゃんと守っている。エルは一週間ぐらいと言っていたけれど、エルが来なくなった日からずっと私は街へ行っていない。

 エルが贈ってくれた物資のおかげもあり、今のところ不自由なく暮らせているから、街へ行く用事が刺繍の納品以外無いのは助かる。街へ行こうと思うと、往復で結構時間がかかるし、婦人会のおばさま方にもお願いしないといけないし。


 お昼が過ぎ、子供達が昼寝をして一息付いた頃、玄関の扉をノックする音が響く。


(あれ? 誰だろう? 今日はおばさま方が来る日じゃないよね……)


 来客予定は無い筈だけどな、と思いながら「はーい! どなたですか?」とドアの向こうにいる人物に問いかけると、意外な返事が返って来て驚いた。


「サラちゃん久しぶり! エリーだけど、覚えているかしら?」


「エリーさん!?」


 まさかエリーさんが孤児院に来てくれるなんてびっくりした。思わぬ来客に凄く嬉しくなる。


 私が慌ててドアを開けると、以前と変わらない優しい微笑みを浮かべているエリーさんが立っていた。


「わあ……! お久しぶりです! わざわざこんな所まで来てくれるなんて! あ、どうぞ、中に入ってください!」


「ふふ、有難う。じゃあ、遠慮なくお邪魔させていただくわね」


「はい! こちらへどうぞ!」


 エリーさんを応接室に案内し、お茶とお茶菓子を用意する。

 妙に豪華な入れ物に入っているお茶は私自身とても気に入っていて、口に含むと良い香りがふんわりと広がってとても美味しいのだ。これならエリーさんに出しても恥ずかしくないだろう。エルから貰ったお茶があってとても助かった。


「お待たせしました! お茶をどうぞ!」


「あら、良い香りのお茶ね。有難う、いただくわ」


 エリーさんがカップに入ったお茶を一口、コクリと飲む。すると驚いた顔をしてお茶を眺める。


(……あれ? 何か不味かったのかな?)


 エリーさんの様子に一瞬、お茶の淹れ方を間違えてしまったのだろうかと不安になる。でもお茶淹れ名人のおばさま、リリーさんに習ってお墨付きをいただいたから大丈夫なはずなんだけど。


「えっと、何かおかしい味でもしましたか?」


 世界を股にかける商人の奥様であるエリーさんだから、きっと凄く舌が肥えているのかもしれない。この前貰ったパウンドケーキもすっごく美味しかったし。


「……サラちゃん、このお茶はどうしたの?」


「え? えっと、知り合いから贈られたものですけど……」


 流石に悪魔から贈られたとは言えず、無難な答えを返す。するとエリーさんは「まあ……」と感心した表情を浮かべると、意外な言葉を口にする。


「知り合いに貴族がいるなんて凄いわね。私も以前飲んだ事があるけれど、それも貴族との商談の時の一度っきりだったもの。凄く美味しかったのを覚えているわ」


(え。貴族の知り合いなんていませんが…。どうしよう、このお茶ってそんなに高価なものだったの……!?)


「このお茶は王室御用達らしくてね。王都の貴族街にあるお店でしか手に入らないって言ってたわ」


 エリーさんの言葉に驚いた。まさかの王室御用達……!! そんなお茶を飲んでいたとは……!?


(この前婦人会のおばさま方が来た時に一缶開けちゃったよ……!)


 おばさま方も凄く気に入ったようで何度もおかわりしてたっけ。


「そ、そうなんですね……全然知りませんでした……」


「こんなに良いお茶をいただいて申し訳ないわ。お礼と言っては何だけれど、焼き菓子を持って来たの。子供達に食べさせてあげて」


 エリーさんはそう言うと持っていた鞄から箱を取り出し、私に渡してくれる。中にはフィナンシェやマドレーヌなどのお菓子がぎっしりと詰まっていた。


「えっ!? こんなに良いんですか? 嬉しいです! この前いただいたパウンドケーキも凄く美味しくて、子供達大喜びでした!」


「ふふ、そう言って貰えると嬉しいわ。自分の選んだものを気に入って貰えたのなら商人冥利に尽きるってものよね」


 エリーさんが微笑みながら言う姿に、自分の仕事に誇りを持っているのだという事が分かる。


(わぁ……! エリーさん、自信に溢れていて格好良いなあ……!)


「エリーさんはどこの街に行っていたんですか?」


「こことは反対の位置にあるソリスよ。ソリヤと地名が似てるから間違えそうになるわね」


 ソリスの街はここ、ソリヤと違って交易が盛んな街だ。ここからソリスに行こうと思うと王都を縦断して行かなければならない。


「そうそう、王都からソリヤに行く道の途中に廃神殿があったでしょう?」


「はい。雨宿りした場所ですよね。あそこがどうかしたんですか?」


 あの神殿はエルがいた場所だ。そう言えばあの神殿に行けばエルに会えるのかな?


「あの廃神殿、最近崖崩れがあったらしくてね。入り口が塞がれてしまったのよ」


「……えっ!? 崖崩れ……!?」


 エリーさんが教えてくれた話の内容に驚愕する。神殿には信仰される神が宿っていると言われている。


 ──エルを奉っていた神殿が崩れてしまったら、エルは……!!


「エリーさん、その崖崩れがあったのっていつ頃ですか?」


 私はまさかと思いながらエリーさんに質問する。どうか私の考えが間違っていますようにと願いながら。


「えっと確か十日前だったかしら? 話を聞いて近くを通ってみたのだけれど、屋根みたいになっていた岩の部分が無くなっていて驚いたわ」


「……なっ……!?」


 やはり私の予想は当たっていたようで、神殿が崩れた日とエルが現れなくなった日は重なっていた。


(入り口が崩れただけで、祭壇が無事ならまだ良いけれど……。もしかして入り口が塞がっているから出てこられない……?)


 アルムストレイム教では神殿の入口は神域と俗界との境界を表しているという。その境界が崩れてしまったので、霊道が塞がってエルは出てこられないのだろう。


(じゃあ、エルは神殿に閉じ込められているんだ……! どうしよう……!)


 今すぐに飛んで行きたいけれど、あの神殿がある場所はかなり遠い。それに子供達の事もあるから簡単には行く事が出来ない。


(今からでも婦人会に連絡を取れば、誰かが来てくれるかも知れないけれど……突然頼んでも大丈夫なのかな……?)


「サラちゃん大丈夫? 顔色が真っ青よ? あの廃神殿を心配しているのね」


 私がどうやってエルのもとへ行こうかと悩んでいると、エリーさんが心配そうに声を掛けてくれる。


「そうそう、あの廃神殿の事について知っている人がいてね。今度合う約束をしているの。サラちゃんがそんなに気にしているのなら廃神殿の話を聞いてくるけれど」


 エルの神殿の事を知っている人がいる……!? だったらエルの出自について何か分かるかも!


「本当ですか? 是非お願いします! どんな事でも構いませんから、私に教えて下さい!」


「ええ、分かったわ。じゃあ、その時にまたお邪魔させていただくわね」


 私の必死な姿にエリーさんは驚いていたけれど、私の願いを叶えてくれると約束してくれた。本当に優しくて素敵な人だな、と思う。


「有難うございます! よろしくお願いします!」


 それからエリーさんと近況を報告しあった後、雑談していると子供達が起きてきたので、気を利かせてくれたエリーさんは子供達と’挨拶を交わした後、「じゃあ、また来るから。サラちゃんも頑張ってね」と言って帰って行った。


 ──私の周りには良い人達ばかりで本当に有り難い。


 一度は失くしかけた信仰心だったけれど、こうして沢山の人に支えられ、助けられていると否が応でもその存在を感じ、感謝の念が湧いてくる。


 私は目を瞑り、自分の心の中に住まうと言われている至上神へ、改めて感謝の祈りを捧げるのだった。

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