第14話 魅了

「またテオとひと悶着あったそうですね」


 子供達が寝静まった夜、エルが私の部屋にやって来て放った第一声がそれだった。


 エルは一体どうやって情報を仕入れているのか……謎だ。でも今回は市場の真ん中で起こった事だから、街中に噂が広まってしまったかもしれない。今度街に行った時皆んなにからかわれるんだろうな……うぅ。


「まあ、そんな事もあったけど市場の人達が助けてくれたから大丈夫だったよ」


 エルを安心させるつもりで言ったけれど、エルは私の返事に不満そうな顔をする。


「貴女は以前僕が言った言葉を覚えていますか? もっと男に対して警戒して下さいとお願いしましたよね?」


「……え、でも誘いには乗らなかったし……大丈夫だったし……」


 真剣なエルの顔がすごい迫力で、未だに美形に慣れない私は少し怯んでしまい、一応反論するものの、声は段々小さくなってしまう。


「貴女が無事だったのは結果論に過ぎません。テオに会った瞬間逃げるぐらい警戒して下さらないと」


「え……! そこまで警戒しないといけないの?」


「当たり前です。彼には重々注意して下さい。それとしばらくは街に行かないで下さいね。必要なものはこちらで揃えますから、遠慮なく言って下さい」


 市場で会った時の様子からしてテオに警戒した方が良いのは同感だけど、街に行くなとまで言われるとは思わなかった。


「……いつまで? いつまで籠もっていなきゃいけないの?」


 二、三日程なら問題ないだろうけど、一ヶ月と言われるのは流石に困る。こちらにも都合というものがあるのだ。


「そうですね……恐らく一週間もあれば、或いは……」


 エルの言い回しに、私は他に何か理由があるのだと気付く。テオの事だけじゃない、何かがこの街で起こっているのかもしれない。


「一週間なら何とかなると思うけど……でも、どうして? 理由は教えてくれるんだよね?」


 意味もなく一週間も籠もらないといけないなんて、そんな事が許容出来る筈もなく。せめて納得出来る理由があるのなら、とエルに聞いてみる。


「もちろん理由はありますが、それを貴女に話しても納得してくれるかどうか……」


 言い淀むエルに、理由を聞き出すのは大変そうだな、と感じた私はどうしたものかと考える。


(うーん、色んな情報を持っていそうなエルがこう言うんだから、きっと従った方が良いんだろうな)


 エルが私達に害を及ぼす筈がない──仮にも聖職者が悪魔相手にそこまで信じてしまって良いのかと言われそうだけど、この短い間の付き合いでもエルから悪意を感じた事は一度もない。


 それに私はエルの事が──……好き、なのだ。自覚したばかりだけれど、私は確かにエルに惹かれている。であれば、私は自分が好きになった人を信じたい。


「分かったよ。エルの言う通りにする」


 私が理由を聞かずに了承した事にエルは驚き、綺麗な紅玉の瞳を大きく見開いた。


「──貴女は、僕の事を悪魔だと思っているのですよね? なのに何故そんなにあっさりと信用するのですか?」


(う……っ! やっぱりそう思うよね……。でも正直にエルが好きだからって言うのもな……。今はその時じゃないっていうか……)


「え……っと、その、エルは私と取引しているでしょ? 悪魔は取引が終わるまでは相手の人間を害さないって話だし、だから大丈夫かなって……」


 何とかそれらしい言葉を並べてみるけれど、自分の言葉じゃないような気がして──私は更に言葉を続ける事にする。


「まあ、そういう理由もあるけれど、本当は私がエルを……私達を救ってくれたエルを信じてるから、かな。たとえエルが悪魔だとしても、何者だとしても私はエルを──……」


 ──信じているから。と、エルに伝えようとしたけれど、その続きは言えないまま掻き消される。何故ならエルに強く抱きしめられた驚きで言葉が出なかったからだ。


「……っ、すみません、こんな事は失礼だと分かっています……でも、しばらくこのままでいさせてくれませんか……?」


 男の人に抱き締められた事がない私の心の中は混乱を極めていたけれど、エルの腰にくるような美声に心地いい体温、甘い香りに包まれると、まるで魅了されたかのように脳が痺れ、思考が揺さぶられる。


(うわ……何だろう、これ……頭がクラクラする……!)


 好きな人に抱きしめられるのがこんなに心地良いなんて。今までそんな事知らなかった。


「……貴女は、この国の事を何処までご存知ですか……?」


 エルの質問に、一瞬何の事か分からなかったけれど、ぼんやりした頭のまま答える。


「……この国……? 地理ならある程度……」


「では、王室の事は?」


「それは全然……王太子が若そうな事ぐらい……?」


「……王室とアルムストレイム教の関わりについて、司祭から何かお聞きしていますか?」


「アルムストレイム教は『聖水』を国との交渉材料にしてるって……聖属性のものを用意できるのは法国だけだから、どの国も言いなりだってお爺ちゃんが……」


「……そう、ですか……分かりました。質問に答えていただき有難うございます」


 エルは私にそう言うと、再び私をギュッと抱きしめた。その後、私のおでこに柔らかい感触が降りて来たかと思うと、突然私の頭がクリアになる。まるで濃い霧に覆われていた視界が晴れたかのようだ。


「……あれ?」


 沈みかけていた意識が急に引っ張り上げられたかのような変化に戸惑って、エルからの質問やおでこにあった感触なんかが全部吹っ飛んでしまう。


「貴女が僕を信じてくれてとても嬉しいです。嬉しさのあまり突然抱きしめてしまって申し訳ありません」


 エルはそう言うと、そっと身体を私から離す。そうしてエルとの間に出来た距離を少し寂しく感じるのは……やっぱり私がエルを好きだからだろう。


「何だかお疲れのようですね。今日はもう眠られては如何ですか?」


「うん? そうなのかな? じゃあ今日は早く寝ようかな」


 自分では疲れているなんて思わなかったけれど、自覚していないだけかも知れないので、エルの言う通り今日は大人しく寝る事にする。


「それが良いですよ。では、僕はこれで失礼しますね」


「……あ、ちょっと待って」


 いつものように窓から出て行こうとするエルを引き止め、私はエルに贈るために用意したハンカチを取り出した。


「これ、エルにお礼を、と思って用意したんだ」


 ランベルト商会へ卸す品に刺繍をしている時に、ふとエルにお礼がしたいと思いついた。私が刺繍した物をエルに贈りたくなったのだ。


「エルの名前を刺繍してみたんだ。使うかどうかは分からないけれど、もし良かったら受けっとてくれたら嬉しいなって……」


 私はエルを好きだと自覚してからずっと、頭の中がエルの事でいっぱいになっていた。子供達の世話をしている時のふとした瞬間とか、刺繍している間もだ。だからいっその事、そのエネルギーを全て刺繍に集中させてみようと、ひと針ひと針、エルへの思いを込めて刺してみたのだ。

 ……正直、自分でもヤバイやつだと思うけれど。


「有難うございます……! とても、嬉しいです……!」


 ──なのにそんな事を知らないエルは、この呪いのような刺繍が施されたハンカチを、とても嬉しそうな笑顔で受け取って──


 エルがハンカチに触れた途端、「パキィィィン!!」という音と共に、部屋中に光が迸った。


「──な……っ!!!」


 エルの驚くような気配がしたのと同時に、私の意識は闇に飲み込まれて行き──次に目覚めたのは、日が昇り始める早朝だった。


「あれ? あれれ?? どうなってるの!? エルは──!?」


 私はいつの間にかベッドに寝ていたようで、部屋を見渡してみてもいつもと同じ光景が広がっているだけで、エルの姿は勿論無い。


「んんー? 昨日エルと会っていたのは夢……?」


 何処から何処までが夢なのか、もしかして自分に都合の良い夢を見ていただけなのか……今の私には判断がつかない。


「あ! エルに贈ろうと思っていたハンカチがない……!」


 もしかして、と思い、ハンカチを置いていた場所を確認すると、エルのハンカチは綺麗に無くなっていた。


「……という事は夢じゃない……よね。じゃあ、エルにハンカチは渡せたんだ」


 色々と腑に落ち無い事はあるけれど、取り敢えず昨日の事は夢じゃなかったらしい。


(最後に見たあの光は何だったんだろう……? エルは大丈夫なのかな……)


 エルが来たら昨日の事を聞こうと思い、一旦頭の中から追い出すと、私はいつものように孤児院の仕事を始める事にする。


 そうして何日か過ごしながら、エルが来るのを待っていたけれど、約束の一週間が経ってもエルがやって来る事はなかったのだった。

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