第64話 執着
翌朝、いつものように学園へ行こうと部屋を出たリリアーナは驚いた。
「おはよう、リリアーナ」
寮長と話していたウィンチェスタ侯爵が優しい笑顔で振り向いた。
「おとうさま?」
もう手紙を読んでくれたのだろうか。
でも寮長に頼んだのは昨日の夕方だ。
電話もないこの世界で早すぎないだろうか。
「授業が終わったら別邸に帰るよ」
本当は今すぐ連れて帰りたいけどね。と緑の眼を細めて微笑まれた。
「え?? どうして?」
大丈夫だよ? とリリアーナが首を傾げるとウィンチェスタ侯爵はリリアーナのケガをした右手を取った。
「ノアールが狂いそうなんだ」
魔術師団長からヒビの入った指輪を渡され、手にケガをしたと聞いたノアールは今すぐリリアーナの所へ行くと大騒ぎだったそうだ。
「あらー。ノアちゃんがそんな風になるなんて~」
寮長はニヤニヤと嬉しそうだ。
学園にも寮にも入れないから無理だと説得し一旦は落ち着いたが、大丈夫な姿だけでも見せてくれないか? とウィンチェスタ侯爵が笑う。
正直なところこの手でご飯を作るのは厳しい。
それに小指では指輪が緩くて、寝る時はなくしそうで怖かった。
別邸なら指輪は外しておける。
「わかりました」
リリアーナは微笑んだ。
「すごい入れ物ですね」
「でしょ! 王妃様が作った傷薬なんだって!」
授業後、別邸のリビングでリリアーナは侍女のミナに豪華な傷薬を見せた。
「お嬢様、生き物に触ろうとするなんて!」
薬を塗るため、包帯を取りながらミナがお説教を始める。
エドワードにも散々怒られたのだが。
「リリー!」
扉が開くのと同時にノアールが部屋へ飛び込んで来た。
こんなに慌てたノアールは初めてだ。
「おかえりなさい、ノア先生」
ミナを離れさせ、ノアールはリリアーナの手に触れた。
「痛いですか?」
傷を確認し、ノアールは眉間に皺を寄せた。
細い線の傷が何本も。
皮がめくれているところもある。
深そうな傷が手のひらに1本斜めに入っていた。
「大丈夫ですよ」
まだ料理は無理ですけど。とリリアーナは笑う。
ノアールは優しく薬を塗り込むと丁寧に包帯を巻き、そのままリリアーナを抱きしめた。
「ノ、ノ、ノア先生?」
なんで? なんで?
リリアーナは真っ赤だ。
確かにウィンチェスタ侯爵は『ノアールが狂いそうなんだ』と言っていたが、別邸に帰らせるための冗談だと思っていた。
「手に傷が残っても構いません! 婚約解消しないでください!」
ノアールがリリアーナの腰と頭をぎゅっと抱きしめながら訴えるがリリアーナには一体何のことだかわからない。
「あ、あの、ノア先生?」
「イヤです。絶対に」
離してもらえる気配もなく、リリアーナは宙に浮いていた自分の手をそっとノアールの背中に回した。
「……どうしたんですか?」
リリアーナが優しく問いかけると、ノアールの腕が少し緩んだ。
「……王太子殿下が責任を取ると?」
あー、言っていました。確かに。
「お兄様がお断りしましたよ?」
こんな高価な入れ物の傷薬まで頂いたのに、さらに何かしてもらうなんて申し訳ないですよね。とリリアーナが首を傾げた。
「王太子殿下と抱き合っていたというのは?」
は?
リリアーナの心臓は跳ね上がった。
ミナを見れば、目を見開いて驚いている。
リリアーナは全力で首を横に振った。
「ち、違っ、抱きっ、」
リリアーナを落ち着かせるためにフレディリック殿下が背中をさすってくれただけだと説明する。
「では婚約解消はしないですね?」
至近距離の整ったノアールの顔にリリアーナは真っ赤になった。
「し、しません」
リリアーナの答えにノアールは大きく深呼吸すると、もう一度ぎゅっと抱きしめ、ようやくリリアーナから離れた。
「ごめんね、リリアーナ」
声に驚いたリリアーナが扉の方を振り向くと、笑いを堪えたウィンチェスタ侯爵と、困惑した顔の魔術師団長が立っていた。
今のをすべて2人に見られていたということか。
かなり恥ずかしい。
「いくら説明しても聞かなくてね」
ウィンチェスタ侯爵が肩をすくめる。
「大きくなったな」
あんなに小さく怯えながらウィンチェスタ魔導大臣に抱っこされていた子が、こんなに大きくなったのか。
魔術師団長には子供がいない。
子供の成長はあまり実感する機会がないが、5年ぶりに会えば驚かずにはいられない。
「お久しぶりです。魔術師団長」
リリアーナは立ち上がり、学園で習った淑女の礼をした。
そのあと、全員でソファーに座ったが、なぜかノアールがリリアーナのケガした右手を掴んで離さない。
「大事に使っていたつもりなんですけど、いつの間にかヒビが入っていて、ごめんなさい」
リリアーナが謝罪すると、ノアールの手が少し動いた。
「……ノアール、いい加減に離しなさい」
ウィンチェスタ侯爵が溜息をついたが、ノアールにはまったく手を離す気がなさそうだ。
リリアーナがノアールの顔を見上げると、不安そうなノアールと目があった。
「氷?」
侍女のミナが運んできたアイスティーを魔術師団長が不思議そうな顔で見つめた。
「リリアーナが考えたもので、私は最近はこちらの方が好きだよ」
ウィンチェスタ侯爵は慣れた手つきでミルクティーにする。
「うまいな」
貴重な氷をこんなことに使うとは、さすが魔力があまっているリリアーナ。
魔術師団長はふっと笑った。
魔術師団長はアイスティーをテーブルへ戻すと、内ポケットからヒビの入った指輪を取り出した。
「この指輪、内側に亀裂が入っている」
魔術師団長は今のままの魔術回路ではもうリリアーナの魔力が抑えられないこと、新しい回路を考えるのに最低でも3ヶ月はかかることを説明した。
「新しいものができるまで暫定として、指輪を2個つけるか、指輪と腕輪にするか、リリアーナはどちらがよいだろうか?」
魔術師団長の質問になぜかノアールの手に力が入った。
「……ノア先生?」
リリアーナはノアールを見上げるが、ノアールはそっぽを向いていて目が合わない。
リリアーナはノアールの変な態度に首を傾げた。
ウィンチェスタ侯爵が堪えきれずに笑っている。
「おとうさま?」
ちょっと説明お願いします。
リリアーナが目で訴えると、ウィンチェスタ侯爵は離さない手とノアールの顔を交互に見てさらに笑った。
「もう1つの指輪か腕輪は、フレディリック殿下からの贈り物だよ」
ウィンチェスタ侯爵は緑の眼を細めてリリアーナに微笑んだ。
昨日ノアールは、リリアーナがケガをした事、指輪にヒビが入った事を聞いた。
そしてエドワードの手紙を読み、白い魔方陣が出たこと、フレディリック殿下と抱き合っていた事を知った。
更に、ここへ向かう馬車の中で指輪か腕輪をフレディリック殿下が贈ると聞いたのだ。
総合的に考えた結果、先ほどのような態度になり、そして今も手を離さないのだ。
リリアーナはようやく状況がわかった。
「あの、おとうさま、2個ともノア先生からではダメ?」
リリアーナが首を傾げると、ウィンチェスタ侯爵は首を横に振った。
権力か!
リリアーナは瞬時に理解した。
「……では、腕輪でお願いします」
リリアーナが回答すると、魔術師団長はわかった。と頷いた。
「どうして腕輪なのかな? 指輪の方が楽ではないのかい?」
おそらくわかっていて聞いているのだろう。
ウィンチェスタ侯爵がリリアーナにニヤリと笑った。
「指輪は、婚約指輪は特別なのです。2人からもらうのはおかしいでしょう?」
リリアーナがノアールに微笑むと、ノアールもようやく微笑み返してくれた。
5年経っても、やはりリリアーナは変わっていない。
ノアールの心情を汲み取って回答したリリアーナ。
これでまだ13歳か。
フレディリック殿下が気にかけるのもわかる。
見た目は幼いが、やはり魂の年齢は高いのだ。
魔術師団長はアイスティーを手に取る。
カランという高い音が少し心地よく感じた。
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