第57話 剣
「そういえば、剣が折れてしまったね」
街へ買いに行くかい?
ウィンチェスタ侯爵とエドワードは新しい剣の長さや重さについて相談を始めた。
折れた剣もそれなりに良い物だったが、やはり騎士団に入る前に買い替えるのが一般的だ。
とりあえず次男が学生の時に使用していた剣がウィンチェスタ家にあるので、しばらくはそれを使いながら新しいものを作ろうか。と話が進む。
「リリー、そろそろ魔石を持ちましょうか?」
ノアールは涙が少し落ち着いたリリアーナに声をかけた。
あぁ、目の横が赤くなっている。
まつ毛も濡れて、潤んだ目がかわいい。
ノアールはリリアーナの頬の涙を拭い、目の下もそっと触った。
「よかったですね」
エドワードのスカウトを誰よりも心配していた事をノアールは知っている。
ノアールの言葉にリリアーナはうんうんと頷いた。
手を取り、指輪を外す。
次はネックレスを外し指輪を通した。
完全に2人の世界。
「いつもあぁなのかい?」
ウィンチェスタ侯爵が小声で尋ねるとエドワードは、はははと乾いた笑いを返した。
あのノアールがこんな風になるとは予想外だ。
時間を忘れて魔術に集中している姿は小さい頃からよく見ている。
他人に対してこんなにのめり込むとは。
「魔石を取って来ますね」
ノアールはソファーから立ち上がると、ようやく2人きりではなかった事に気がついた。
ノアールとリリアーナの顔が赤くなる。
「恋は盲目というが本当だねぇ」
ウィンチェスタ侯爵の揶揄う声に、ノアールは慌てて魔石を取りに2階へ行った。
エドワードが手に持っている剣はフォード侯爵が失踪する前に買ってくれた剣。
刃がポッキリと折れて半分以上無くなっている。
さすがに危ないので先端は模擬戦後に回収されてしまった。
「お兄様、持ってみたい」
リリアーナがエドワードの隣に移動して、小さな手を出した。
騎士は自分の剣を他人に触らせてはいけない。
騎士コースで最初に習う事だ。
リリアーナは今まで1度もエドワードの剣に触ったことがなかった。
折れてしまったから触ってもいい? とエドワードの顔を伺う。
「重いからね。気をつけてよ。ここ切れるからね」
エドワードは片手で軽そうに持っているのに、重いからと言われてしまった。
そんなに弱くないのに。と軽い気持ちで受け取ったが、剣は想像以上に重たかった。
とっさに両手で剣の柄を持つ。
「わぁ、重い」
半分以上、刃がないのにずっしりと重い。
これを兄はいつも庭で振っていたのだ。
柄にも細かい傷がたくさんついている。
エドワードが6年間努力した証。
すごいな。
リリアーナは剣を見ながら微笑んだ。
折れちゃったのはちょっと残念。
就職しても大事に取って置きたかったよね。
「魔石を持ってきましたよ」
ノアールが2階から戻ってきたので、剣をエドワードに返そうとリリアーナは柄を握る手に力を入れた。
ただ普通に返そうと思っただけなのに。
「……えっ?」
床が光っている。
下からライトアップされているかのようにリリアーナの下に白い小さな魔方陣が現れた。
「白い魔方陣?」
ウィンチェスタ侯爵が立ち上がった。
大きさはリリアーナが足を肩幅に広げた程度の小さなもの。
通常の魔方陣のサイズではない。
ソファーに半分以上隠れている上、リリアーナの足もあるので模様は良く見えない。
「リリー?」
ヘアゴムや鉛筆の時とは違う光景にノアールは急いでリリアーナに駆け寄った。
ソファーに片膝をつき、慌てて横から抱きしめる。
エドワードとリリアーナは手の上の剣を瞬きせずに見ていた。
光が集まり、折れた剣の形を作っている。
折れた部分は透けているが、確かにエドワードが使っていた剣だ。
長さもそのくらいだったはず。
「……嘘だろ……」
透けている部分にも光がどんどん集まってくる。
下の魔方陣から1mm程度の小さな光の球が飛んでくるようだ。
やがて光が実体になっていく。
ノアールはリリアーナを横から抱きしめながら、リリアーナの手を自分の手で支えた。
急に剣の重さがリリアーナの手に圧し掛かる。
「わっ!」
ノアールの手がなかったら危なかった。
刃が伸びたことでバランスがさっきと全然違う。
支えてくれなかったら下に落としていたかもしれない。
スッと光も魔方陣も消え、何事もなかったかのように部屋はいつもの雰囲気を取り戻した。
4人は剣を見る。
刃が折れていない普通の剣だ。
先ほどまで折れていたはずの剣が、元に戻っている。
「いやいやいや、あり得ないし!」
エドワードが全力で否定した。
ノアールはリリアーナの手から剣を引き抜くと、エドワードへ手渡した。
リリアーナの手を握り、温度を確認する。
「……良かった」
少し冷たいが倒れるほど冷たくなってはいない。
ノアールが安堵の息を吐いた。
重さもバランスも折れる前の剣と変わらない。
ただ違うのはピカピカだということ。
まるで新品のような、父から買ってもらったばかりの頃のような輝きだ。
「なんで新品!」
エドワードは思わず突っ込んだ。
「……新品?」
ウィンチェスタ侯爵がエドワードから剣を借りた。
綺麗で傷1つない売り物のようだ。
「……治癒魔術?」
ウィンチェスタ侯爵が1つの結論にたどり着いた。
人のケガが治るのだ。
『剣のケガ=折れた』が直ったという事か?
そんなことあり得ないと思いながらも、目の前で見てしまった。
光魔術は分かっていないことが多い。
現在、上級の光魔術を扱える人はいない。
初級でさえ数十年に1人。
上級は少なくとも百年は存在していない。
たとえ過去にいたとしても十分な文献が残っていないため、何もわかっていないのだ。
奇跡レベルの話は村に伝えられているが、どこまで本当なのか怪しい。
だが、今その奇跡を目の当たりにしてしまった。
ウィンチェスタ侯爵はエドワードに剣を返すと、ソファーにゆったりと腰を下ろした。
「リリアーナ、体調はどうかな?」
気分が悪かったりしないのかい?
ウィンチェスタ侯爵が優しく尋ねると、リリアーナは首を横に振った。
「剣、新品になっちゃったの?」
リリアーナは俯いた。
小さな手をぎゅっと握りしめようとするが、ノアールの手があるので握れない。
結果的にはノアールの手を握りしめることになってしまった。
「中身新品で、鞘が傷だらけ!」
このバランスはおかしすぎると笑いながらエドワードは剣を鞘に納めた。
「リリー?」
様子がおかしいリリアーナにノアールは横から優しく声をかけた。
ノアールが覗き込むと、目を閉じながら涙を流しているリリアーナの顔が見える。
「どこか痛いですか?」
リリアーナは首を横に振った。
「……ごめん……なさい……」
エドワードが頑張った証が消えてしまったのだ。
柄の傷だってそれぞれに思い入れがあったかもしれない。
それがすべて消えてしまったのだ。
「……どうして謝るのかな?」
ウィンチェスタ侯爵が優しく尋ねた。
「お兄様の……頑張った証が……」
ぽたりと落ちる涙。
「剣が綺麗になっても、エドワードの努力は消えないよ」
ウィンチェスタ侯爵は緑の眼で優しく微笑んだ。
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