第49話 伝統行事

 初等科の卒業式は終業式並みにあっさり終わり、リリアーナとエドワードは長期休暇に入った。


 今日は博士科の卒業式。

 ノアールは卒業生代表の挨拶をするのだとウィンチェスタ侯爵が言っていた。


「お嬢様! お支度を!」

 侍女のミナがなぜかドレスを持っている。


「……今日、何かあった?」

 リリアーナは首を傾げた。


 ノアールは卒業式だ。

 ウィンチェスタ侯爵も卒業式に行っている。

 王宮でフレディリック殿下と会う日でもない。


 よくわからないまま、お風呂で磨かれ髪も編み込みに。

 綺麗な薄いグリーンのドレスを着せられた。

 このドレスは見た事がないが、ウィンチェスタ侯爵が準備してくれたのだろうか。


「うわぁ。侯爵令嬢みたい」

 ピンクのリップをミナが引いてくれた所で、エドワードが覗きに来た。


「一応、これでも、たぶん、侯爵令嬢です」

 リリアーナは別人のように大人っぽく仕上げてもらった鏡の中の自分を見ながら言った。


「ノア先生喜ぶね~」

 エドワードがニヤニヤしながら言うが、リリアーナは首を傾げた。

 大人っぽい方が好きだという事だろうか。

 そもそもノアールは大人だから、普段の自分が子供過ぎるという事だろうか。

 でも釣り合っていないのは5歳の頃から承知の上だ。


「さぁ、お嬢様。下へ行きましょう。ノアール様とウィンチェスタ侯爵様がお待ちです」

 ミナが最後の仕上げに、良い香りの香水をかけた。


「……え? なんで待たせてるの?」

 リリアーナは慌てて立ち上がろうとした。


「リリー、落ち着きなって~。さぁ、お手をどうぞ」

 なぜかエドワードがエスコートの真似をする。


 よくわからないまま、エドワードの手をとって立ち上がった。

 ミナが扉を開けてくれる。

 これでは本当に侯爵令嬢みたいではないか。


 階段が近くなると1階のエントランスホールに2人の姿が見えた。

 ウィンチェスタ侯爵と、ノアールの姿だ。

 その姿を見たリリアーナはピタリと止まった。


「リリー? どうしたの?」

 急に止まったリリアーナを不審に思ったエドワードが顔を覗き込んだ。

 リリアーナの顔は真っ赤だ。

 エドワードは咄嗟にエントランスから見えない階段脇へリリアーナを押し込んだ。


「何? どうしたの?」

 小声で尋ねると、リリアーナが真っ赤な顔で涙も浮かべながらエドワードを見た。


 む、無理!

 あんなノア先生に近づくのはムリムリムリ!


 髪をおろし、眼鏡もなく、黒のタキシードのような服を着たノアールが薔薇の花束を抱えている。


 無理でしょ! 何のスチルですか!

 色気がありすぎる。尊すぎる。


 リリアーナはエドワードにしがみついた。


 あんな姿で卒業式するの?

 みんな倒れるでしょ。犯罪でしょ。


 もう動けなくなってしまったリリアーナを見たエドワードはニヤリと意地悪く笑った。

 すっとリリアーナから離れると、エントランス下に声をかける。


「ノア先生~! 卒業おめでとう~」

 ブンブンと手を振って存在をアピールする。


「お、お、お、お兄様!」

 わたわたするリリアーナに、エドワードは手を差し伸べた。


「見つかっちゃったから行こうね、リリー」

 エドワードがにっこりと笑った。

 リリアーナはノアールの方を見ることができず、エドワードと繋いだ手を見続けるしかなかった。


 最後の1段を降りるとエドワードにノアールの真正面まで連れていかれ、手が離された。

 目の前には黒い服と、花束を包んでいる白い紙、緑のリボン。


 真っ赤な顔で俯いてしまっているリリアーナの視界に入るため、ノアールは片膝をついた。


「リリアーナ・フォード侯爵令嬢、お慕いしています」

 薔薇の花束を差し出し、優しく微笑む。


 その言葉の破壊力と、その笑顔の破壊力で、リリアーナは魂が抜けそうだった。

 固まったまま動かないリリアーナに、エドワードが横から「早く受け取って!」と言う。

 ゆっくり手を伸ばし花束を受け取ると、真紅の綺麗な薔薇からフワッと良い香りがした。


 まるで5歳の時の再現ではないか。

 いったいなぜ?


「あ、ありがとうございます」

 恥ずかしくて薔薇の花束で顔を隠すと、ノアールに右手を握られた。


「13歳になったら、正式に私の婚約者になっていただけますか?」

 思いもよらない言葉にリリアーナは驚いた。

 握られた右手の甲に口づけされ、リリアーナは思考停止するしかなかった。


「リリー、返事! 返事!」

 横からエドワードの声が聞こえるが、リリアーナは動かない。


「おや、固まっているね。予想外だったのかな」

 ノアールの後ろでウィンチェスタ侯爵が興味深そうに眺めた。


「リリー?」

 優しく覗き込まれる綺麗な緑の眼に、リリアーナはとうとう泣き出してしまった。


 感情が追い付かなくなると、どうやら人は泣くらしい。

 22歳+12歳で初めて知った。


 花束は侍女のミナに奪われ、慌てたノアールにぎゅっと抱きしめられた。


 婚約は嫌ですか? と言われたので、思いっきり顔を横に振った。

 では婚約してくれますか? と聞かれたので、今度は何度も顔を縦に振った。


 泣きながら「何で今日?」と尋ねると、今度は全員が固まった。


「おやおや、知らなかったようだね」

 ウィンチェスタ侯爵がリリアーナが思考停止に陥った理由にやっと気づいた。


 専門科・博士科の卒業生はすでに成人しているため、卒業式の日に告白するのが伝統行事なのだという。

 婚約者へ想いを伝えるのが一般的だが、政略結婚の多い貴族は、この日だけは婚約者ではない本当に好きな人に告白するのも許されるそうだ。


「フレディリック殿下が来たのも卒業式の日だったでしょ?」

 知らなかったの? とエドワードに言われたが、誰も教えてくれなかったではないか。


「卒業式が、この姿というわけでは……」

「あるわけないでしょ」

 エドワードに速攻で否定された。


 今日のドレスはノアールの色。

 リリアーナの髪が黒いため濃い緑では普段より小さく見えてしまうということで、できるだけ薄い色のドレスをウィンチェスタ侯爵夫人が選んでくださったらしい。


 そしてノアールの服は、リリアーナの色なので黒。

 黒服、タキシード。

 ありがとうございます。

 リリアーナは、まだ会ったことがないウィンチェスタ侯爵夫人に感謝した。


 ちなみに、眼鏡がなく、髪をおろしているのはエドワードの仕業らしい。

 ありがたすぎて涙がでる。


「リリーってやっぱり常識がないよね~」

 エドワードの言葉に、みんなが頷く。


 誰か私にこの世界の常識を教えてください。

 リリアーナは引きつった顔で微笑んだ。

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