第19話 ヘアゴム
「もしかして名前が違う?」
この世界ではヘアゴムと呼ばないのかもしれない。
チョコレートだってショコラと呼ばれていた。
あぁ、また常識がないと思われたかな。
リリアーナはヘアゴムを握りながら溜息をついた。
「何に使うものですか?」
ノアールの意外な質問にリリアーナは首を傾げる。
「えっと、髪を縛るものですけど……?」
やっぱり呼び名が違うから「本当にそれ何かわかっているの?」みたいな確認だろうか。
「……そうですか」
ノアールは口元に手を当てたまま考え込んでしまった。
どういうこと?
え? 放置?
リリアーナはようやく少し動くようになった指先と手首とベッドを器用に使い、なんとかヘアゴムを手首に通す。
よし! これで大丈夫!
本当は前世と同じように左の手首につけたいが、今は右でも良しとしよう。
まだ起き上がるほど動けはしないが、少し伸ばせるようになった腕と手で考え込んでいるノアールの服を引っ張る。
急に我に返ったノアールは慌ててリリアーナの方を振り向いた。
「あ、あぁ。すみませんでした……少し考え事を」
眼鏡を押さえながらノアールが謝罪する。
「食事を頼んできますね」
ノアールはリリアーナの頭を優しく撫でると部屋を退室した。
「ノア先生の反応が変」
ぎこちない?
違うな。うまく表現できない。
何か違う。
リリアーナは違和感の正体はわからないまま、ベッドでぼんやりと過ごした。
「お嬢様、お待たせしました」
サンドイッチと果実水を持った侍女のミナはテキパキとテーブルに準備する。
「え? お兄様は遊びに行ったの?」
「はい。お約束をしていたそうで。ご学友と今日はお泊りだそうですよ」
「えぇぇー? お兄様、そんなこと言っていなかったのに」
リリアーナはお気に入りのタマゴサンドにかじりついた。
「狩りをなさるそうですよ。何か獲れるとよいですね」
ミナがクスクス笑う。
ということは、獲れる可能性はほぼないという事だろうか。
「ノアール様は急用でウィンチェスタ侯爵家に。今日は無理せずゆっくりするようにと伝言を預かっております」
「ふぅん」
リリアーナは果実水に手を伸ばした。
果実水は水にほんのり味がついている程度だが、水よりも飲みやすくて結構好きだ。
氷があればもっとおいしいだろう。
そうだ。
氷を自分で出せばいいのだ。
チラッとミナを確認。
怒られるかな。
1個くらいなら良いかな。
果実水の入ったコップの上に右手を乗せる。
「氷、氷。1個だけ」
製氷器の氷1個を想像したが何も出ない。
「あ、指輪」
『無理せずゆっくりするように』というノアールの伝言を急に思い出したリリアーナは果実水のコップをテーブルに置きながら溜息をついた。
「あ、そうだ。これ!」
気を取り直したリリアーナはヘアゴムを右の手首からはずし、左の手首につけなおしながらミナに見せる。
長く横に広がった黒髪を手で適当にまとめ、ヘアゴムを使って首の後ろで1つに。
「ほら! 一人でできるでしょう?」
「すごいです! お嬢様!」
リリアーナは得意げにヘアゴムを取ると髪を持ち上げ、ポニーテールを作った。
髪が長く、だいぶ重たいが。
「どう?」
後ろを見せるように頭の向きを変更する。
「すごいです! 素敵です!」
「これをゴムのまま使うか、ちょっとかわいくシュシュにするか、悩むよね」
手首に付けておくならこのままが良いが、1つくらいはシュシュも欲しい。
「ねぇ、ミナ。このヘアゴムって高い? あと2個くらい買える?」
「え?」
あれ? 反応がおかしい。
「もしかしてこれってすごく高級品? もう買うのは無理?」
リリアーナはお金を持っていない。
自分で買いたくても買えないのだ。
前世の100円均一のつもりでいたが、物価が違ってもおかしくはない。
「あの……お嬢様、それはどこで買えるのでしょうか?」
「は?」
ミナの言葉にリリアーナは一瞬頭が真っ白になる。
ミナとリリアーナは目を見合わせ、お互いに首を傾げた。
「あの輪はリリアーナのものなのだね?」
ふむ。とウィンチェスタ侯爵はアゴに手を置いた。
綺麗な輪だった。
つなぎ目はあるがどのように繋げているのかわからない。
引っ張ると伸びるが、元に戻る。
不思議な素材。
『ヘアゴムでしょう? そのくらいわかりますよ』
女性なら誰でも知っている物なのかと思い、侍女のミナにも確認したが知らないと言った。
そういえば先日、リリアーナが『髪を縛るゴム』『体育』『リボンではできない』と言っていたがよくわからなかったとミナは教えてくれた。
「ヘアゴムと言うようです。髪を縛るものとリリーは言っていました」
リボンでも髪飾りでもなく、あのような輪でどうするのか。
「もともと持っていたのかい?」
「いいえ、学園の挨拶の話をしている時は手に持っていませんでした」
ポケットから出したのかもしれないと思ったが、昨日リリアーナが着ていた服にはポケットはない。
ミナに確認済みだ。
もちろんテーブルにも輪はついていなかった。
「魔力不足……いつの間にか持っていたもの……見知らぬ物」
ウィンチェスタ侯爵はつぶやきながら書斎の机を指でトントンと叩く。
「リリアーナ……知らないもの、魔力、光、闇」
トントントンとリズムよく叩かれる机。
ウィンチェスタ侯爵は頬杖をつきながら一人で納得すると、おもむろに席を立った。
本棚の上段、少し手が届きにくいあたりの本を1冊取り出す。
父はこの部屋の本すべての内容を記憶しているのだろうか。
どの本に何が書いてあるかを。
ノアールは父をじっと見つめた。
「さすがにすべては覚えていないよ」
急に、ははっと笑われる。
何も言っていないのになぜ?
ノアールが驚いた顔をすると「そう言いたそうな顔をしている」と軽く言われてしまった。
人の心が読めるのでは? と疑いたくなる。
ウィンチェスタ侯爵は1冊の本を書斎の机の上に広げて置いた。
また次の本を取り出し、さらに机に置く。
引き出しからも1冊を取り出した。
本は全部で3冊。
「あくまで仮説だ」
ウィンチェスタ侯爵が前置きをする。
ノアールは頷いた。
「第1の可能性。転移魔術」
これはエルフが使用可能。
世界の裏側と表側を行き来できるという転移魔術を応用し、リリアーナがどこかから手に入れた。
ウィンチェスタ侯爵は1冊目エルフの生態、2冊目転移魔術のページを指さしながら言った。
「エルフに会ったことはないがね」
付け加えながら肩をすくめる。
「第2の可能性。創造魔術」
これは架空の、机上の空論。
世界が作られた時、自然や人が作られたのだから新しい物を生み出せるはずだという独特な理論。
最近発売されたばかりの本だ。
読みかけだったが、あまりにも突拍子のないことが多く書かれているので引き出しにしまったまま少し忘れていたと笑う。
「どちらにしても奇跡だけどね」
「……奇跡」
ウィンチェスタ侯爵は面白いとばかりに口の端を上げた。
「リリー? その髪型は」
「あ、おかえりなさい。ノア先生」
フォード家別邸に帰ったノアールは驚いた。
随分と大人っぽい髪型をしたリリアーナが本をパタンと閉じ、リビングの扉へパタパタと出迎えにくる。
「自分で縛ったんです」
ポニーテールにした髪を三つ編みにし、縛ったところへ巻き付けお団子のようにした髪型。
最後のピン止めだけはミナに手伝ってもらった。
首元も髪がなく、すっきりだ。
「ほえっ?」
ノアールに両肩を掴まれたリリアーナは思わず変な声をあげた。
「リリー、学園に行くのを辞めませんか?」
「えっ?」
もしかして髪を縛ってはいけないルールとか?
それともお団子ヘアがダメ?
ミナはダメって言っていなかったけれど。
ノア先生的にNG?
真面目な顔を近づけるノアールにリリアーナは困惑する。
「……リリーを誰にも見せたくありません」
「えぇっ!」
耳元で「可愛すぎます」と囁かれたリリアーナは茹でタコのように真っ赤になって固まった。
――――――
あとがき
第1章 愛されない娘 はこれで完結です。
第2章 王立学園 の公開までしばらくお時間をいただきます。
ご愛読ありがとうございました。
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