第13話 油断できない男

「残る問題はフォード家の応接室に残された『闇』魔術の痕跡か」

 再開された会議。

 温かい紅茶に手を付けることなく、魔術師団長は腕を組みながら椅子に背中を預けた。


『闇』魔術。

 父の下に現れた黒い穴のことだろうか。

 真っ黒で吸い込まれそうな怖い闇。

 思い出しただけでリリアーナの身体がぶるっと震える。


「フォード侯爵は『水』属性のみでした」

 過去の神託を調べてきてくれたのだろう。

 手帳を見ながら教皇が報告する。


「リリアーナは闇3? 何か発動しなかったか?」

 魔術師団長の質問にリリアーナは首を横に振った。


「父の足元に黒い空間が広がりました。真っ黒で何だったのかわかりません。あとは」

 リリアーナは両腕で自分の両肩を抱え込んだ。

 そのしぐさは恐怖心の表れ。


「……私の下にも。ツルが伸びて、動けなくなって」

 リリアーナは俯きながらガタガタと震えだした。

 相当な恐怖だったのだろう。

 大人4人は目を伏せた。


「リリアーナ、話してくれてありがとう」

 辛いことを思い出させてすまなかったと国王陛下が謝罪する。


「蔓か。闇魔術で蔓……」

 魔術師団長は心当たりがないと眉間にシワを寄せた。


「聞いたことがありませんな」

 教皇も大きく息を吐く。


「隣国に『闇の一族』のスライゴ侯爵という方がいまして。友人になりましたので彼の家の蔵書を読ませていただこうと思っています」

 さらりと何でもない事のように発言するウィンチェスタ侯爵を、3人の大人は注目した。


「お前は何をどうするといつもそうなるのだ」

 国王陛下が呆れて溜息をつく。


『闇の一族』が秘匿にしている蔵書を見せてもらえる。

 しかも隣国。

 普通ではありえない。


「ノアールの論文のおかげです」

 魔力切れの論文発表で隣国へ行ったときに知り合ったと、意気投合して友人になったと、ウィンチェスタ侯爵は少し冷めてしまった紅茶を手に取りながら告げた。


「時系列が合わないだろう。隣国の方が神託より前だ」

「おや、バレましたか」

 ウィンチェスタ侯爵は国王陛下のツッコミに口の端をあげた。


 ウィンチェスタ魔道具大臣。

 普段はおっとりしているが油断のならない男。

 一度だけ彼が本気で対応している姿を見たことがある。

 魔術師団の失敗作の魔道具が暴走しかけた時だ。

 あの時の手腕は見事だった。

 同時にあんなに冷静な、すべてを凍らせるような目ができる男だったのかと驚いた。


 国王陛下は答えるつもりもなさそうなウィンチェスタ侯爵に向かって、もういいと言わんばかりに手を動かした。


「ではリリアーナ。少し協力してくれるかい?」

 ウィンチェスタ侯爵は手に持っていた紅茶をテーブルに戻した。


「協力?」

「ご褒美にこの菓子をお土産にもらって帰ろうね」

 テーブルの上に残ったたくさんの菓子を指さしながらウィンチェスタ侯爵が笑う。


「国王陛下、この部屋マジックミラーでしょう? 3人は隣の部屋で見学をお願いします」

 さらりと爆弾発言をするウィンチェスタ侯爵に教皇と魔術師団長が唖然とした。


「……なぜ知っている?」

 先ほどから騎士は隣の部屋で待機しているが、マジックミラーだとなぜわかったのか。

 もはや突っ込む気にもならない国王陛下は席を立った。

 教皇も魔術師団長も国王陛下と共に隣の部屋へ移動する。


「こちらのお菓子は箱に入れさせていただきます」

 侍女が紅茶を片付け、テーブルと椅子も部屋の隅に寄せられた。

 リリアーナの前にあった封筒はウィンチェスタ侯爵の胸ポケットへ。


「では、始めようか」

 ウィンチェスタ侯爵は緑の眼を細めながら笑った。


「どうしてここがマジックミラーだとわかったのだ。あいつは本当に得体が知れん」

 隣の部屋で国王陛下が呟く。

 教皇と魔術師団長は国王陛下を左右に挟むように立ち、マジックミラーから隣の部屋の2人を眺めた。


 ウィンチェスタ侯爵はポケットから3つの魔道具を取り出す。


 全部チェスの駒のような魔道具だ。

 赤と青と緑。

 少しずつデザインが違うが大きさはほぼ同じ。

 先ほど使用した白の防音と仲間のように見える。


「おいおい、あいつは何をする気だ」

「陛下はあの魔道具をご存じなのですか?」

「赤は『忘却の魔道具』だ。ボタンを押した瞬間から、解除ボタンを押すまでの事を相手は覚えていない」

「忘れさせる……?」

「以前、あの赤の『忘却の魔道具』と引き換えに、珍しい菓子をたくさん頼まれたことがあってな」

 今思えば、あの時の菓子はこの子のためだったのだろう。

 この国以外の菓子を作らせ、何を知りたかったのか。


「あの青と緑の魔道具は何ですか?」

「知らん。また変なものを作ったのだろう」

 国王陛下はマジックミラーから隣の部屋をじっと見ながら溜息をついた。


 ウィンチェスタ侯爵は、まず青の魔道具のボタンを押しテーブルに置いた。


「これはね、何と言えばいいかな。魔力で壁のようなものを作って、部屋が壊れないようにする魔道具かな」

 アゴに手を当てながら「これで伝わるかな?」とリリアーナに問いかける。


「魔力の壁?」

 結界ってこと?

 ゲームやアニメの世界ならきっとそう呼ばれるのだろう。

 リリアーナはなんとなく雰囲気を想像した。


「魔力の壁? 全方位に?」

 魔術師団長が唖然とする。

 

「魔物と戦う場合、魔力で壁を作ることはあるが……」

 一般的にシールドと呼ばれる魔術だ。


「全方位に壁を作るという発想はどこから生まれるのか」

「この魔道具があれば、敵に囲まれた時にも、どこへ飛ぶのかわからない魔術の練習にも有効だな」

「またとんでもない魔道具を」

 活用先はいくらでもありそうだと国王陛下は肩をすくめた。


「緑は……もう少しあとかな」

 ボタンを押さずにそのままテーブルへ。


「そして」

 ウィンチェスタ侯爵はリリアーナに向かって申し訳なさそうに微笑んだ。

 赤い魔道具がカチッと押される。

 赤の『忘却の魔道具』の影響範囲は青の魔道具の『シールド』の中だけ。

 隣の部屋の三人はこの状況を見ていても『忘却』の影響を受けない。


「ごめんね、リリアーナ」

 ウィンチェスタ侯爵はテーブルに赤い魔道具を置いた。

 なぜ謝られるのかわからないリリアーナは首を傾げる。


「今のリリアーナには全力でないとマズいかな」

 ウィンチェスタ侯爵のつぶやきはリリアーナにも隣の部屋の誰にも聞こえることはなかった。


 ウィンチェスタ侯爵の足元から風が起き始め、円を描くように風の流れが見える。


「……おとうさま?」

 なんだか嫌な予感がする。

 逃げなきゃいけない。

 

 頭ではわかっているのに。

 冷たい視線のウィンチェスタ侯爵と目が合い、蛇に睨まれた蛙のようにリリアーナは動くことができなくなった。


「さっきまで優しかったのに……どうして急に……?」

 リリアーナの背中に冷や汗が垂れた。


「止めなくてよろしいのですか? 陛下」

「可哀想だが、何か理由があるのだろう」

 3人は隣の部屋からこの異様な光景を見つめる。


「なかなかお目にかかる機会のない上級魔術がこんな形で見られるとは」

 リリアーナを可哀そうだと思う反面、ウィンチェスタ侯爵の風魔術を見てみたいという好奇心に駆られた教皇は頭を抱えた。

 あぁ、聖職者がこのようでは修業が足りない。

 

「『風の一族』の上級魔術……」

 教皇の心の葛藤をフォローするかのように魔術師団長は呟いた。


「……くっ」

 息ができない。

 ウィンチェスタ侯爵を見上げても、何の感情もなさそうな冷たい視線を返されるだけ。

 台風の中にいるかのような強風にリリアーナの表情は険しくなった。


 やっとの思いで立っているリリアーナに、次は竜巻のような風が襲い掛かる。


「……っ!」

 リリアーナは吹き飛ばされ、床に叩きつけられた。


「おとうさまがこんなことをするなんてあり得ない!」

 リリアーナは四つ這いになると、キョロキョロと周りを見回した。

 だが父の時のような黒い穴はどこにもない。


 再びリリアーナを竜巻が襲い、吹き飛ばされた。

 壁に当たり、リリアーナの身体が止まる。


「ぐっ、背中、痛い……、足も……」

 今の衝撃で捻ったみたいだ。


「うっ」

 立ち上がろうとしたリリアーナは足首の痛みに耐えられず、その場にへたり込んだ。


 強風のせいで息が苦しい。

 リリアーナはもう一度立ち上がろうと壁に手をついた。


「ひゃっ!」

 パシン! と壁にはじかれ、リリアーナは尻餅をつく。

 何が起きたかわからない。

 もう一度手を伸ばしても壁に弾かれてしまった。


 台風のような風がリリアーナにまとわりつく。

 見上げれば冷たい目のウィンチェスタ侯爵の視線が突き刺さった。

 

 緑の髪は全く乱れていない。

 それどころかウィンチェスタ侯爵は最初の場所から一歩も動いていない。

 ただ見下ろしているだけ。

 黒い穴もない。

 

「どうして」

 リリアーナは逃げる事もできずに恐怖で震えた。

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