第2話 婚約者

『魔術を使うときは身体中の血が沸き立つような感覚を手のひらに凝縮していき、詠唱をして発動する』

 兄のお下がりだという魔術の本にイラスト入りで書かれていた魔術発動の基本。

 さっぱり意味がわからないと思っていた。


 ベッドの上で目を覚ましたリリアーナは、ぼんやりと天井を見つめた。

 

 全身が筋肉痛のように重く、指を動かすのも面倒だ。

 パタンと扉の音がするが、そちらを向くのも面倒。


「……お目覚めですか?」

「えっ?」

 どうせ誰も自分に近づかないので関係ないだろうと油断していたリリアーナは話しかけてきた侍女に驚いた。


「エドワード様と家庭教師の先生にお嬢様が目を覚ますまでお側にいるようにと」

 兄に言われれば従わざるを得ないだろう。

 この侍女には可哀想なことをしてしまった。

 あとでお父様に怒られなければ良いが。


「お食事はどうなさいますか?」

「……いらない」

「では果物をお持ちしますね」

 昨日から食べていないと言う侍女にリリアーナは目を見開いた。

 

「昨日?」

「はい。倒れたのは昨日です」

 時計は午後2時。

 丸一日眠っていたってこと?


「医師の手配を旦那様にお願いしましたが、聞き入れられませんでした」

 申し訳ありませんと謝罪する侍女にリリアーナは小さく首を横に振った。

 パタンと扉が閉まる音で侍女の退室を知る。


「あ、本を取ってもらえばよかった」

 今更気づいたがもう遅い。

 ベッド横のテーブルに手を伸ばし、リリアーナは魔術の本を引き寄せた。


「22歳からいきなり0歳。やっと6歳になったけれどいろいろ不便だなぁ」

 自分の腕の短さにリリアーナは溜息をつく。

 

「どうせ0歳からやり直すなら、もっと素敵な両親の子供に生まれたかった」

 そう思うのは贅沢だろうか?

 

 前世、鈴原莉奈に父はいなかった。

 名前も知らない。

 母と顔を合わせたのはいつが最後だったか。

 小学生の時、母が出て行ったと祖母は怒っていた。


 前世の私は父にも母にも捨てられたのだ。


 中学を卒業する頃、祖母も病気であっさり他界。

 母の友人だった裕司のお母さんに助けてもらいながら奨学金で高校・大学へ進学できた。


 卒業後に働く設計事務所の内定も貰っていたし、卒業論文も提出済。

 あとは卒業するだけだったのに。


「どうせ死ぬなら旅行の『行き』じゃなくて『帰り』にしてくれればいいのに。そうすれば綺麗な景色を見てから死ねたのになぁ」

 我ながら斜め上の思考に苦笑した。


「この世界の綺麗な景色をいっぱい見たいなぁ」

 ウユニ塩湖が見たかった。

 空の中に立って、世界の広さを感じたかった。


「前世はできなかったから仕事もしてみたい」

 就職先も決まっていたのに。


「あとは『家族』が欲しいけれど」

 父は滅多に来ないし、母はいないし、今回の人生もそれは無理そうだ。


 リリアーナは肩をすくめると魔術の本を1ページ目から開いた。


「この世界には、火・土・水・風の4大属性と、光・闇の特別2属性、あわせて6属性の魔力が存在します」

 異世界転生の定番といえば、剣と魔法のファンタジーな世界かもしれない。


 自分は詳しくないが、友人は新しいゲームやアニメが始まるたびに「勇者だ、聖女だ、魔法使いだ」と大興奮だった。


「そういえば火が出たよね?」

 指が焦げた様子はない。

 火傷のようなヒリヒリした感じもない。

 リリアーナは右手の人差し指を立て、ろうそくのようにイメージしながら指先を見た。


 ボゥッと小さな火が灯る。

 熱くはないが、きちんと火が見える。

 ろうそくの火を消すように、ふっと吹くと火はあっさりと消えた。


「少し胸のあたりがざわざわするけれど、これが『血が沸き立つ』ということ?」

 本の表現ではさっぱりわからないが、こういう感覚も教会で教えてもらえることなのかもしれない。


「もう1回……」

 そう思ったがやめた。


「なんだか、疲れた」

 リリアーナは本を閉じ、枕に顔をうずめた。

 

 

「今日から君の家庭教師兼、婚約者です。よろしく、リリアーナ嬢」

 倒れてからわずか2日。

 片膝をつき薔薇の花束を差し出しながら微笑む兄の家庭教師にリリアーナは固まった。


 サイドで束ねている緑髪は綺麗な色で、細められた緑の眼も優しく、13歳なのに色気さえ感じさせるノアールは絶対モテるだろうなとリリアーナは現実逃避するしかなかった。


 今日は朝から変だった。


「それは何?」

「こちらは髪の香油、こちらは肌のクリームです。爪にはコレを。お顔はコレとコレを塗ります」

 普段は話しかけてこない侍女達に朝からお風呂でゴシゴシ磨かれ、いろいろな物を塗られた。

 そのおかげで髪は艶々、肌もいい匂いがする。


「えっ? 苦しい! 待って、苦しい!」

「ウエストを細く見せるのが流行りですよ」

「ムリムリムリ!」

 6歳のスタイルなんて誰も求めていないでしょ!

 身につけた事がない下着でギュウギュウされて息苦しい。


 髪も綺麗に切り揃えられ、上の方だけ編み込みに。

 ドレスの色に合わせたリボンで飾られ、今日は一体何なのだと思っていた。


「君より7歳も年上で嫌かもしれないけれど」

 ノアールの綺麗な緑眼が眼鏡の奥で揺れる。


 いや、私の方が22歳+6歳で年上だし!

 むしろこんな性格良さそうな美少年が私の婚約者なんて申し訳ないし!


 父を見上げると「早く花束を受け取りなさい」という目で見られた。

 兄エドワードはキラキラした目でこちらを見ている。

 もう1人のお客様を見上げたがニコニコと優しく微笑まれた。


 何で?

 何がどうなってこんなことに?


「よろしくお願いします」

 ゆっくり手を伸ばし花束を受け取ると、綺麗な真紅の薔薇からフワッと良い香りがした。


「やったー! ノア先生が僕の兄上になった!」

 真っ先に喜んだのは兄エドワードだ。

 両手を上げ、全身で喜びを表現している。


 妹の旦那様ということは。

「……エドワードお兄様の方が、兄ですよね?」

「そうだね」

 落ち着きがないと父に怒られる兄を確認しながらリリアーナが呟くと、ノアールは緑の眼を細めながら優しく微笑んだ。

 

 前世では馴染みのない緑の髪と緑の眼。

 イケメンは何でも許されるのだろうか。

 男性にしては長い髪もなぜか似合っていると思ってしまった。


「リリーと呼んでも良いですか?」

「はい」

 ノアールのお願いにリリアーナは照れくさそうに笑った。

 

「さて、私も未来の娘に挨拶させてもらっても良いかな?」

 さらさらの緑髪に緑眼の優しそうなおじさまが合図すると侍女はすぐにリリアーナの元へ。

 リリアーナが侍女に花束を渡したのを見届けると片膝をついていたノアールはようやく立ち上がった。


「……ほわ!」

 急に視線が大人の高さに。

 ふわっと森のような良い香りがする。

 思ったより近くにイケオジの顔があり、リリアーナの顔は一気に真っ赤になった。


「おや。可愛いね」

 ははっと笑った顔はノアールと似ているが、大人の色気がすごい。

 破壊力満点だ。

 

 ウィンチェスタ侯爵はリリアーナの目をじっと覗き込んだ。

 吸い込まれそうな真っ黒な眼の奥に何かが見えるが、それが何かはわからない。

 まだ6歳だと聞いていたが、微力ながら確かに魔力を感じる。

 ……不思議な娘。

 ウィンチェスタ侯爵は嬉しそうに微笑んだ。

 

「……なるほど。ノアールには勿体無いね」

 ウィンチェスタ侯爵はウィンクをしながらリリアーナをゆっくり下ろした。


 侍女が運んできたのはいつもよりもいい香りの紅茶。

 お客様のために父はいつもより高い紅茶を準備したのだろう。

 ティーカップも見たことがない柄。

 もしかしたら本邸から持ってきたのかもしれない。


「リリアーナ嬢は病気療養のため別邸にいるとノアールから聞いているが、本邸に移る予定は?」

「今のところ予定はありませんが……」

 ズレてもいないモノクルをカチャッと触りながら愛想笑いをする父。


 父よりもオジサマの方が身分は上なのだろう。

 着ている服もお洒落で、袖のカフスボタンも綺麗な石。

 紅茶を飲む姿も優雅なイケオジだ。

 

「ではノアールとリリアーナ嬢が二人でここに住んでも構わないかな?」

「父上、そのような話は聞いていません!」

 焦るノアールをウィンチェスタ侯爵は手で止めた。

 

「ここは学園に近いからノアールも通学には困らないし、リリアーナ嬢も寂しくないと思うのだけど」

 もちろん寝室は分けるよと笑いながらウィンチェスタ侯爵はフォード侯爵へ同意を求めるように視線を向ける。


 は? 二人で住む?

 22+6歳が13歳ピチピチイケメンと同棲なんて犯罪でしょ!


「どうかな?」

 緑の眼を細めてニッコリ微笑むウィンチェスタ侯爵にリリアーナは固まった。

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