太平の学園 ー 185

 アブラムの豹変を少年が目撃した時、彼の視線は一冊の本を優雅に振るうカカシの姿に届いていなかった。カカシはすぐに本をしまうと、何事も無かったかのように少年のことを眺め続けている。

「……滅ぼせ、滅ぼせ」

 彼女はひとりそうつぶやいていた。

 器の空の人形というものは、これだから操りやすいというものだ。語り手の意思に従うべき者たちは五万といるが、この少年、この少年だけは一向に語り手に心をなびかせようとしない!!! そんなことは、許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない

 キェイ!



「ということで、アルゴン。一つ良いアイデアを思い付いたよ」

 アブラムは微笑みながらそう告げた。

「アルゴンはスペクトル・ヴィアンで猪原さんを痛めつけたい。でも自分と土肥くんが傷つくのは赦せない。そんな時にどうすればいいか、一つの答えはね、私がアイビスになることだと思うんだよね。私が鴇になればあなたは傷つかずに済む」

「……私が傷つく以上の問題が一つ解決できてない気がするんだけど?」

「土肥くんが傷つくってこと? その心配なら無用だよ。だって土肥くんはね、漢なんだもん」

 そうだ! 漢! 漢! OTOKO! それが全ての少年の使命なのである。

「彼は私を守りたいって思うはずだよ」

「随分自己評価が高いんだね」

「そりゃそうだよ。だって土肥くん、今朝は私のおっぱい揉んで喜んでたんだよ」

 周囲がざわつく。少年とアブラムの浮気が疑われ、少年は咄嗟に「何言ってんだよ!」と反抗する。

「俺は別に――」

「え? 証拠あるんだけど」

「お前の心の中だけにな」

「じゃあそれでいいよ」

 アブラムは少年に近づき、耳打ちをする。

「そうやって嘘つくつもりならね、こっちだって色々とやりようはあるよ。私とあなたが取返しのつかない関係にまで発展したって、そういうことだって私には言うことができる」

「……そりゃどういうことだ?」

「私とあなたがセックスをしたってことにもできるでしょ? 私はでもそれを言わない。だって私は優しいからだよ。私は誰よりもあなたにやさしくて、嘘をつかないの」

「なんだよその詭弁」

「駅弁? 正常位の方かと思ってたよ」

「……こいつダメだ」

「私、ダメだよ。だって自己中だもん」

 アブラムは背を翻し、「そういうことで」と般若の少女との会話を再開した。

「そういうことだから、アルゴン。彼は私のことが好きなの。だから私を守るためなら、彼は喜んでスペクトル・ヴィアンに参加する。それでwin-winなんだよ」

「……」

「ごめんね。私、自己中だから。あなたから大切な人を奪っちゃった」

 般若の少女の首に一筋の涙が伝った。そして、彼女は踵を返し走りだした。

 少年の最愛の相手は、去った。

 去った!!

 去ったぞー! やったぞー! ついにこの物語は一つのシークエンスを迎えたのだ!

 けけけェ。

 ケケケぇ。

 アブラムと少年の関係がどうかだって?

 関係ないね。

 どうせこの女は死ぬ。

 奈落に堕ちて、彼女の言う産む機械となって、少年にとって、死ぬのだヨ!!!

 地球の神話だと?

 ふざけるんじゃない。この世界の歴史は地球なんて辺鄙な惑星のためにあるわけではないのだ。

 歴史! ――そう、歴史だ! 神話ナラティブの要請により産まれた一つの物語ストーリー。それこそが真実なのだ。

 真実だけが、大鳳なのだ!

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